旅をしている人
田原 晋

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201209 ペルーボリビアの旅

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Peru~Bolivia 120904~0926
ペルー~ボリビァ(マチュピチュとウユニ塩湖)

(旅の前に)行けそうな時に言っておかなければ行けなくなる。そう思って、どうしても見たいマチュピチュへの旅を決心する。まず何時ものエアーリンク・岩谷さんへ聞くと、数案出してくれた。やはりアメリカ経由が便利でそれに決める。ペルーでの行動は、現地の旅行社の支店・グランツール・ジャパンに相談。担当の山田順子さんがとても親身にまた現地をよくご存知でアドバイスをいただきながら旅程を決めていく。メールを何度もやりとりして、ともかくウユニまでの旅程が決まる。そういう意味ではこれまでの旅と大きく違うけれど、世界有数の観光地では予約は欠かせない。またアメリカを通過するためにもという電子登録が必要でそれも取得する。
かくして以下の旅が決まって、いよいよ出発だ。初めての南米、不安はこれまでになく大きい。

1.  9月 4日(火)出発・大阪~成田~ヒューストン~リマ 5:30起床、 阪急御影6:00~大阪空港7:00
NH2176/ 大阪 (伊丹) 08:00 ~ 東京 (成田) 09:15 / 1H15
UA006 / 東京 (成田) 15:55~ Houstonヒューストン 13:45 /11H50
UA854 / Houstonヒューストン 15:50~リマ 22:19 / 6H29
伊丹の成田便窓口は大変な人、通常の窓口で手配する。久しぶりの成田はまるで違う空港、とは言えここでの6時間待ちは、気分良くない(出国までにこんなに時間がかかるなんて、変だ、時代離れだ)。
やっと搭乗、最後尾で姿斉体操などして(ヨガ教室に行っていて良かった)思ったより早く Houston、入国トランジット、指示のままバタバタと通過して、すぐに次の便に搭乗。元気にLima到着。タクシーでホテルに20$。無事にチェックイン、勝手知った西欧安いブランド(迷った時のibis)、カサブランカでも最初はここだった。
ibis hotel lima泊

2. 9月 5日(水)リマ
思ったより疲れていない。すぐ近くの海岸まで行ってみる(展望台を兼ねた商店街)。太平洋を反対側から眺めている、不思議な感覚だ。海と都市(高台)が完全に切れている(この海は冷たく蒸発が少ないため、海岸地帯なのに砂漠化しているとのことを、後で知る)。 お世話になった旅行会社のリマ店へ、お礼と3泊目のホテルの予約などをお願いする。日系の方で言葉が通じるのがうれしい。通りに対してガラス張りの明るいカフェで朝のコーヒー(以後何度も通って、お姉さんと顔なじみになった)
メトロポリターノ(高速道路の1車線を専用レーンにしたバス・地下鉄建設よりはるかに安価、賢い)でセントロ地区(まるで違う雰囲気)へ、広場や中央政庁やカテドラル。土地の人ばかりの店で昼食、郵便局で切手。教会博物館、外観を期待した宮殿は工事中(残念)。 ストがあり沢山の騎馬警官出動中(こちらには愛想がいいが、よく暴動のある国だ)。夕食は海辺の商店街でスープ。       ibis hotel lima泊

3.  9月 6日(木)リマ
ホテルを移動。タクシーで国立博物館へ、巨大だが展示品は期待外れ。遺跡(ワカ・プクヤーナ)都市の中心部に遺跡、ガイドの案内で見学。遅い昼食。近くの天野美術館(日本人による研究収集・チャンカイ文化)その見事な織物に感心(ショップにはまた来ることにする)。残念なことだが、この国では国立の博物館より、海外(西欧の教育を受けた)研究者による博物館の方がはるかに質が高い(と西欧の学問を学んだ当方には思える)。もうひとつインカ文化(全国を統一)よりはるかに優秀な文化が、その以前に各地にあったことを教えられる。
夜、部屋で荷物の整理、遅くなって慌てて寝る。リマでの3泊は、若い人にはアホに見えるだろうな。
Hotel San Agustin Exclusive 泊

4.  9月 7日(金)リマ~クスコ(ラン航空)LA2075/Lima 09:40 ~ Cusco 11:00
起床、急いで出発。さぁいよいよ旅のスタート。クスコの空港、沢山のネーム板の中からわが名を見つけて、声をかける。頼んでいた出迎えは中年のおじさん、案内されたのはマイクロバス、それに一人だけで乗って出発。現地の旅行社グランツールからの親切な手紙とチケットやクーポンなど一式を渡され、感激する。
標高3400mのクスコの町、中央広場らしいところをチラと見て後日予約のホテルへ、そこで荷物を預けて(マチュピチュ行き列車には大荷物はダメ)再出発。車は下りに下って、中間駅のオヤンタイタンポへ高度2500m(この行程を提案してくれたのはグランツール社の山田さん)。到着15:00。ホテルは駅の構内といえる場所、部屋も快適。一息ついて、町の広場へ出かけてみる。靈氣があるいい町とは小松さんの感想、その通り山に囲まれた周囲にインカの遺跡が見える。お茶を飲んでいるとタクシーが着き日本人青年2人、リマ着そのままクスコそしてここ、今日中にマチュピチュとの強行軍に驚く(若い人はこのような忙しい旅スケが普通のようだ)。
エル・アルペルケ泊

5. 9月 8日(土)オヤンタイタンポ~マチュピチュ村(列車)12:58 ~ 14:24
オヤンタイタンポはそれぞれがおむすび型に独立した高い山に囲まれた谷間にある。中央の広場からすぐのいちばん近い山に大きな遺跡がある。朝食後そこへ行ってみる。入場料を払って急な山腹の階段を上る100m以上。両側は狭い棚田、その上に神殿のような巨石を積み上げた遺跡がある。そこから周囲を眺めると、山腹にいくつもの遺跡があるのが見える。そういう神気の宿っていそうな場所に、インカの人たちは特別な思い入れをしたようだ(後で知ったのだがマチュピチュも同じような場所にある)。昼食はジンジャー入り鶏のスープ。
列車はここが始発、日本人も多い。標高さらに低くなって、無事到着。ホテル出迎えあり。遺跡は明日から、ゆっくりと村を散歩、世界一の観光地だとあらためて認識。Peruと描いたTシャツが気に入って購入。夕食は観光客目当てでなさそうな店を見つけ、鱒のグリル。以後毎晩行って顔なじみになる。
夜中に鼻血でシーツを汚す。予防にと飲んだ高山病薬の効き過ぎたのか、初めてのことで不安になる。
インティ・プンク・マチュピチュ泊1(3泊)

6.  9月 9日(日)マチュピチュ 1日目
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朝から雨、バスはつづら折りの道を登っていく。今年はマチュピチュが再発見されてちょうど100年、鉄道にバス道が用意され世界有数の観光地になった今、入場制限が話題にのぼったりしている。バス停は行列、いっぱいになると出発、入場券には名前が記入されパスポートのチェックもされる。前の人について行列で進んでいく混雑、前の人の背中を見ながら階段をのぼっていくと、突然視界がひらけて「あぁマチュピチュだ!」という感激的な場所に出る。雨は上がったけれど雲が流れていて、後ろのワイナピチュの山が見えなくなったりする。濡れた石や草、それはそれでいい風景だ。ゆっくりと遺跡を歩き、ここが生きていた頃を想像してみる。
お昼過ぎ土砂降りになって、入り口の屋根の下で雨宿り。バスは大変な行列。結局、その行列に加わってこちらも帰ることにする。途中こちらの前に割り込む人がいたので、それはないよと後ろの行列を指さしてお引き取り願う。と後ろが騒々しい、振り返ると沢山の人が拍手喝采している、その反響に驚くと共に心臓は小さいことを示して最敬礼する。村に帰って川のそばのテラスでケーキとお茶、しゃれたお店だ。夕食は昨日の店、また魚。
インティ・プンク・マチュピチュ泊2

7.  9月10日(月)マチュピチュ 2日目(ワイナピチュ登山)
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今日は1日200名と限定のワイナピチュに登る日、6時半バスに乗る。昨日不安になっているこちらの背中を押してくれた皆さんなど日本の人が多い。登山口で再度のチェックとノートへのサイン、すぐに階段道になって、ともかくゆっくりと一段づつ進む、やがて7~8時入場組の最後尾(64才と言うドイツ人のおっさん、太った青年のカップル)になるが、なんとか登頂。はるか下に遺跡、写真を撮ってもらう。
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下山11時、ノートを見るとやはり当日の最高齢。お昼は外に出て、テラスカフェでホットチョコと持参のカロリーメイトとお茶。(日本のツアーの皆さんはホテルで昼食のようだ)午後はともかく全体を眺めて過ごす。昨日が嘘のようないいお天気、すっかり日に焼ける。                   インティ・プンク・マチュピチュ泊3

8.  9月11日(火)マチュピチュ 3日目~クスコ
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マチュピチュ最後の日。ゆっくりと出発、今日も快晴。全景の見える場所でボォーとしたり、中央の庭園、太陽神殿などを巡って過ごす。iPadで撮っている人がいて、置いてきたことを悔やむ。
村に帰ってテラスでお茶とケーキ、食堂のおばさんに挨拶をして写真を撮る。帰りの列車は17:47~ 20:40、有名なビスタドーム(天井にも窓)、お茶のサービス、ペルー版のナマハゲ、乗員によるアルパカのフアッションショウなどがあった。タクシーは乗合だがお値段はしっかり取られて、無事ホテルに到着。長い1日だった。
Amaru Hostal 1泊(3泊)

9.  9月12日(水) クスコ
朝食は2階、客は欧米の人ばかり、窓から市内が一望できる。その外が見える部屋に変えてもらう。やはり空気が薄く、歩くのがしんどい。深呼吸は過呼吸を招くだけ、知らん顔をして薄い呼吸に努める。中央広場へ、教会が2つ、キリスト教の国だ。でも中央の像はインカの王。カテドラルに入ってみるががっかり、関係のない東洋人は文化の切断をただ哀れに思う。グランツール事務所へ、お礼の訪問。所長の花田さんは仕事だよという感じ。LAN航空へリコンファーム手続き。昼食は日本人経営というPucara、ガーリックのスープとクコ茶、気に入って以後そこばかり行く。郵便局で切手、向かいのテキスタイルセンターで手織りの技術を見る。過去に及ぶべくもないが、まだ技術は残っていて小物を求める$表示。その隣に見事なインカの石組が残っていて、その上の教会の石造がなんとも貧相と見ていたら、そこが太陽の神殿跡。あらためて感心。
広場にスタバがあってコーヒー。夕食は昼の店で鱒のグリル、満席。夜、ホテル寒く洗濯物乾かない。             Amaru Hostal 1泊2

10. 9月13日(木) クスコ
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朝食後すぐ近くのインカの石組み12角の石を撮っていると、説明が入って結局ポストカード3枚を買わされる(ま、いいか)。確かにすごい。歩くのがしんどいので郊外の遺跡へ行くのはあきらめて、博物館を3つ。インカ博物館では、子どももいる伝統衣装の一団(そういう人たちがまだいるのだ)が熱心に見ていた。カサコンチャ博物館ではオカリナを実演販売していて小さいのをつい買ってしまう。
昼食は昨日の食堂、おばさんに明日出発だと、お礼を言う(気に入ったお店ばかりに行く、日本での生活と同じだ)。
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またここで2度目の若い人がいて、声をかける(彼も同じだったようだ、神戸大の学生さん)。ケータイを取られたとのこと(どうなったのだろう?警察につきあってあげなくてゴメン)。
Amaru Hostal 1泊3

11. 9月14日(金)クスコ~ボリビア ラパス(クスコ~リマ~ラパス)
4:30起床5:00タクシーで出発、空港へ。搭乗口がわかりにくい、間違えてギリギリになる。
LA2024/Cusco 07:15 ~ Lima 08:40
LA2563/Lima 10:20 ~ Lapaz 13:25
ここで大失敗をする。リマの乗り換え時に荷物を取らねばならなかったのを直接来ると思ってスルーしてしまった。調べてもらうとリマに残っている、明日送ってもらうことにする。入国の審査は厳しいと言うよりノロノロ、こちらが最後になり、(高地を心配して)頼んでいた出迎えの人が心配していた。
ホテルは中心部の高層、昔の大阪の同名のホテルを思い出した。昼食はホテルでピッツア、お腹の調子悪い。ホテルで両替。町に出てペルーとの格差に驚く~はるかに貧しい。両替屋も水も道端の屋台、ノートの取れるようなカフェはない。ホテルは別世界、部屋がいいのに荷物のないのが悔しい。国境越えなどボリビアの評判が悪いのは、貧しさが原因なのだろう(と気付く。ある意味仕方のないことだ)。
明日のウユニ、(荷物のこともあり)帰りは夜行バス(10時間)にする方が良さそうだと思う。
Hotel Plaza泊1

12. 9月15日(土)ラパス~ウユニ塩湖~ラパス
アマゾナス航空 ラパス→ウユニ Z8-100 (10:00/10:45)
航空機はやはり快適、10時間のバス道を1時間足らずで到着。ほぼ満席、何便も出ている。空から見ると荒涼とした平原、空港は町はずれ(ここでツアーの交渉をすれば良かったのかな?)、タクシーですぐ町へ。まず、バス会社TodaTurisumo(最近行った知人の紹介)へ行き、今晩の夜行バスのチケットを購入230s、 21:00発。
それから中心部の旅行社Hidakaへ(これも同じ人の紹介)、もうその日のツアーは出発した後、一人で行くことに170$。早い昼食をとって待つ。やっと大きなランクルがやってきて(なんとLexus!)出発。運転手は気のいい中年氏。まず湖畔を隣町まで塩工場、買えと言うが汚さにちゅうちょする。湖へ、車の痕が道になっていて、少しずつそれらしく(白く)なっていく。塩のホテルがあって中をのぞくが泊まる気にはならない。現地のツアーはテントを張って泊まると言う、それは羨ましい。
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やがて真っ白な世界になる、そして背の高いサボテンにおおわれたインカワシという島があって、そこに登る。周囲が白い海というのが魅力的だが、空気が薄く歩くのがつらい。ツアーの人でいっぱい、日本人も多く、写真を撮ってもらう。
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そこから、また湖の真ん中に出て、表面がうろこ状になった場所に水面が近く塩を割ると水が流れていて、塩が結晶している。それを取ってくれる。最後は太陽が落ちていくのを見て、満足して村へ引き上げた。
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夜行バスは思ったより立派なゆったりしたリクライニング、トイレ休憩がないので3時頃無理やりバスを停めてもらってひとり用を足した(バスの中にあったのかな?)。おかげでぐっすり眠った。

13. 9月16日(日)
朝6時到着、歓迎の声で目を覚ました(社長?らしき人が乗り込んで挨拶をする習慣のようだ)。
大きなバスターミナル、トイレで顔を洗い、食堂でお茶。プーリ行きの時刻を調べて、プラザホテルに帰る。荷物はやはり来ていない。一応空港まで行ってみるが、無駄足。紛失を覚悟しなければならない(荷物があると確認はできても、それを送るのはまるで違う複雑=面倒なシステムが必要になるのだ)。一応リマのホテル名を告げ、そちらへの転送にしてもらうことにする(アテにはならないか)。
日曜日、ホテル前の大通りは歩行者天国でバザーを開いている。ゆっくり見たかったが、ともかくまず中央の広場に行ってみることにする。急な坂道、すぐ息苦しくなり疲れる。議事堂、官邸、カテドラル~国旗の波、広場は休日を楽しむ人でいっぱい。道端に老夫婦、夫ギター妻が唄、その美声に驚く、コインを奮発。
お店はほとんど閉まっている。ともかく屋台で、部屋用のゴムぞおり、下着を買う(パンツは別にしてTシャツ、ソックスは女性用)、毎日の不便を覚悟する。大通りのバザーは午前中だけで終了。昼食は古いビル(アールデコ?)の大繁盛のレストランで。6時もう一度行くと、夕食の開店前で結局お茶だけ。
ホテル・プラザ泊 70$プラス補償金10$

14. 9月17日(月)ラパス~チチカカ湖~プーノ *ここからはバス(国境越え)
ホテルをチェックアウト、呼んでもらったタクシーは昨日の運転手、どうもおかしいと思ったら空港へ向かっている、文句を言ってバスターミナルへ(ホテルと盛んに言い合っていた)。時間ギリギリになって乗り込む。
国境越えのバス、がらがらで出発したが町はずれで乗る人でほぼ満員。3時間後はるか下に湖が見えてくる。チチカカ湖だ(水面は富士山より高い3800m)やがて湖畔に出て、フェリー(というより水面に浮かんだ台)に乗って海峡ならぬ湖峡を越えて国境の町コパカナーパへ向かう。
到着は正午、1時間の休憩。まず両替(ボリビア通貨をペルーに。ホテルで預けさせられた10$をボリビア通貨で返されたので多い520が92に)残りをカフェでコーヒー。13:00新しいバスで出発(国境越えの人だけが集められ、満員になると出発するようだ)すぐに国境、事務所間を歩いて越境、スタンプ。ペルー側には歓迎の看板、経済の発展はこういう場所に表れるようだ。時差、1時間遅らせる。16:00プーノ到着、アレキパ行き時間をチェックして町へ。元気のよかったリキシャが途中でばてたので歩く(富士山より高いのだから当然だ)。
・ホテルは町の中心にある洋風邸宅 Hotel Colon Inn。(1泊50$)2泊にする。

15. 9月18日(火) プーノ~チチカカ湖ツアー
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昨日のバスで案内のあったツアーに参加20s、快晴。港にはいっぱいの人、ほぼ満員の観光船でウロス島へ(ウル族がトトラという茅のような植物で作った浮島。沢山の島が並んで、約700名が住む。こちらは小松さんの写真で教えられ、とても行けないと思った場所、でもすっかり観光地化されている)。とはいえ説明のおじさん堂々としていて若者を坐らせて英語で講義、少し喋ってすぐに皆の意見を聞くやり方は見事なものだ。土地を追われ湖に住むようになったこと、生活のことなどを説明。
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島には住まいの小屋やかまど、鶏やねずみのような小動物を飼い、魚のいけす、学校もある。お土産にトトラを編んだボートの模型10$、欲しかったが荷物になるので止める(鞄がない仕方ない)。12時までの楽しいツアーだった(途中日本人のツアーもいたが別行動ですぐに去って行った)。午後は町を歩く。といって土産物屋ばかりで見る場所なく、ホテル(BGMがクラシック)中庭でお茶とノート。夕食もホテル(スープと魚のグリル、テーブルに日の丸を立ててくれた)。洗たく、毛布を重ねてよく眠った。                              Hotel Colon Inn

16. 9月19日(水)プーノ~アレキパ
8:00出発、2階建ての豪華バス、ただしリクライニングは壊れていた。チチカカ湖を下に見る峠を越えると、あとは下るばかり、やがて空気が濃くなり思いっきり呼吸ができる、それだけで上機嫌になる。アレキパはペルー第2の都市、高度2500m。中央の広場には堂々としたカテドラル(見学シンプルで気持ちいい)、その後ろに雪をかぶった高い山がそびえている(周囲に雪山3つあり)。広場の他の3方は回廊で2階はテラスになっている。そのレストランで昼食、ホテルもその一角にする。両替。低地も影響してか観光客も多く、明るい感じの都市だ。身体が安心したのか疲れが出てきたのか、調子がよくない。夕食はスープだけで早く休む。薬も鞄の中だ。
Hotel Maison Plaza

17. 9月20日(木)アレキパ~ナスカ
まず16世紀の町並みが残るというサンラサロ地区へ。狭い道白い石植木鉢の緑と青空が美しい、思っていたより狭くて残念。なんとカメラの電池が切れてきた(充電器は鞄の中、まだナスカがる。写真も撮れない)。
それからサンタカタリナ修道院(1970年代まで修道院として使われていたという、その現実感に圧倒される)、モラル邸(邸宅として見事、入口の破風彫刻が西欧風でなくインカ風で面白い)、市立歴史博物館、アンデス聖地博物館(アレキパの後ろにそびえる山の中から1995年発掘されたというミイラと副葬品)と見どころの多い町、商店街や食堂も充実しているが鞄のないこちらには、長くいる気になれない。リマに早く帰ることにして、夜出発にする。CD1枚だけ購入。夕食は名物の川エビ・カマロン(チリソースあえ)大きくてビックリうまい。
行く場所がなくバス乗り場に早く行ったのが失敗、18:00出るバスについ乗ってしまう40s。

18. 9月21日(金)ナスカ~リマ
なんとまだ真っ暗な午前3時、ナスカだよと降ろされる9時間(バスはリマ行きで、降りたのはこちらだけ)。遅い便にすればよかったが、後の祭り。開いている食堂で夜明けを待つ、お姉さんが親切で助かる。6:00やっと明るくなりバスも到着、人通りが増えたので歩き出す7:00。日本人のひとり旅青年、これからホテルで一休みして飛行機に乗るとのこと。町の中央(広場)まで行って時間つぶし、直接空港へ行く。
客の多いカウンターで交渉、90$を85$に値切る。9:30出発、朝の青年と同じ便、5人乗りプロペラ機。値切ったこちらは両側が見える最後尾席。渡されたカードが地図になっていて、その順で地上絵が現れる。これまでテレビで見たのと同じものが次々に表れる。感動すると言えばそうだが、テレビと同じと言えばその通り。雨が少ないといえ、よくぞまぁ消えずに残っているものだと、そのことに感心する。大地をごく薄くけずったというか、溝をつけただけの代物らしい。ともかく不思議なものだ。誰が何のために苦労したのだろう?
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35分で一巡り、無事空港に着陸。事故にならなくて良かった。町に帰って、夜行便でリマに行くしかない。昼食後ホテルで休むことにして交渉、でも安くはならない40s。20:30に起こしてもらう。Hotel Jauregui
バス停までの道、賑やかなのに驚く。22:30発、30s、7時間やれやれ。

19. 9月22日(土)
5時リマ到着。ともかく空港へ行ってみる。Lan航空バゲッジカウンター8:30オープンを待つ。やはりない、納得するために行ったようなものだと観念する。グランツール事務所で顛末を聞いてもらい、ホテルを取ってもらう。でもLan航空はいちばん安全なのだと言ってくれる。それから最初に行ったカフェで魚のスープ。
ホテルはシングルだが広くて快適。百貨店を教えてもらいTシャツ、靴下を購入、キャリーバッグを探す。部屋で着た切りのタートルを洗たく。夕食はKFC(ケンタッキーフライドチキン)で購入、部屋で食べる。久しぶりに入浴。テレビでサッカー(バルサのメッシ)。すっかり落ち着く、やはり都会の人間なのだなぁ!
Hotel San Agustin Exclusive 泊

20. 9月23日(日)リマ
朝、予約していたホテルへ移動、タクシーで博物館へ。ラルコ博物館、個人が収集した博物館、収蔵庫まで見せてその多さ質の高さに感心させてくれる。庭に快適なレストランがあったので坐る。隣は子ども3人の家族づれ、お行儀の良さに感心、料理の取り方もうまいなぁ。こちらはラビアニ、高いけどおいしかった。白人ばかりだと気付く。それから国立考古学博物館、プレインカが並ぶ。並べ方だと思うが、玉石混交の感じ、もったいないなぁ。
ホテルに帰ると、なんと荷物が運ばれている!!!飛び上がって喜ぶ。ホテルの部屋も通りに面して気持ちがいい。夕食は近くのレストラン、魚のスープ。部屋に帰ってあらためて喜ぶ!!!それにしても、洗剤や下着、用意した物は、ほとんど役に立たなかったなぁと思う。ゆっくりと入浴。       Antara hotel泊1

21. 9月24日(月)リマ
10:00グランツールへお礼に行く(残り物のカイロ、飴を受け取ってもらう)。昼食は中心部の再開発SCで(遺跡に行こうとメトロポリターノに乗ると、皆さん親切に強引にこちらを案内した)なかなか面白かった。
民芸村(あちこちにあるお土産物屋、悪いけれど買いたいものはない)へ寄ってから、天野美術館へ。見学してから、ショップで少し買う。歩いてホテルへ。夕食は昨日と同じ店。      Antara hotel泊2

22. 9月25日(火)リマ チェックアウト14:00にしてもらう。
市内の遺跡ワカ・ワヤマルカへ、広大。修復されているが中心部によくぞ残ったものだと思う。中心のアレキパ通り(遊歩道があり気持ちいい)を歩いて帰る。何度も来た同じカフェで休んで、ホテルに帰って荷物をまとめ14:00チェックアウト(2時間サービスしてくれる)。海辺のSC(最初の日に来たところ)でお土産を買い、カフェで時間をつぶし、早い夕食はセルフサービスの店、ホテルで荷造りして、タクシーで出発。
18:00空港、Lan航空バゲッジカウンターにお礼に行く、顛末を話すと皆さん(そこにいたお客さんまで)喜んでくれる。出発カウンターで3時間待って、やっと搭乗。
リマ発~ヒューストン~サンフランシスコ~関空
UA855 / Limaリマ 23:45~ Houstonヒューストン +06:27   /6H35

23. 9月26日(水) Houstonヒューストン +06:27
UA404 / Houstonヒューストン 07:36~ SanFranciscoサンフランシスコ 10:00  /4H11
UA885 / サンフランシスコ 11:32 ~ 大阪(関空)27日(木) 15:15 /11H57
米国での乗り換えは、どちらも大急ぎ、待つという感じはなかった。関空便・偶然近くの席の兵庫の3人話がはずみ(80代西区、70代東灘区、60代姫路)再会を約したけれど~ハテ?
24. 9月27日(木)15:15 11H57  無事帰着、やはり関空に帰って来るのはいい。
とはいえ六甲行きバスを約1時間、スタバで待つ。ケータイで友人たちに帰国を報告。
(よくぞまぁ元気で帰って来たものであります。ここまで読んでいただいてどうもありがとう)
以上

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