旅をしている人
田原 晋

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旅の記録, ニュージーランド1711~25

NewZealand 2017.11.15~25.
クライストチャーチ~マウント・クック~クィーンズタウン~オークランド
・旅の日記・由布良さんとゆらゆら
今回の旅は、若いゆうらさんが誘ってくれたもの、旅程はもちろんツアーやバス、ホテルの予約までしてくれ、こちらは言われる通りに航空券を取っただけ。これまでとは、まるで違う、信じられないほどにありがたい旅でした。 といって何時も2人一緒ではなく、各自勝手に動く時間が結構あったりして、それもありがたいことでした。

11月15日(水)
自宅 16:00~住吉16:30 六甲バス 17:18 関空KIX NZ098 21:00 関空にて、なんとダブルブッキングしているとのこと、座席を取った時のやり方が悪かったようだ、こんな基礎的なことすらできないとは、英語はますますまるでできない。先方に着いたらなるべく早く処理しろとのこと、やれやれ。出発フロア、人のいない場所を探し、住吉で求めたお寿司を食べる。お茶のペットボトルは捨てないで、持参する(現地のものより、たぶん上等)。こういうことは、身に付いている。コーヒーを飲む。 機は、新型で座席はこれまでになく快適~以前エコノミークラスの座席を改良したという記事を見たが、それがこれなのだろう(羽田が国際化された時に参入した新しい路線。関空と交互に出発しているようだ。そのため機も新しい)。ほぼ満席、隣席は友人3名の旅という60代?女性、元気がよくて、こちらもうれしい。

11月16日(木)
→ KIX NZ098  11:35 オークランド着Auckland
Auckland 14:00~ 15:25 クライストチャーチChristchurch NZ547
無事、オークランド到着。ただし国内線へ乗り換えが、大変。1kmくらい歩かせてくれる。連絡バスがある筈だが、歩く方へ誘導される。皆さん歩いていらっしゃる。なんとか無事クライストチャーチに到着。両替、そしてダブルブッキングを消してもらう、ともかく通じたようだが?やはりネット上のことはよくわからない。 ~後日・visaの引き落としがやはりダブっていて払い戻してもらったが、手数料がなんと3万円ヤレヤレ。

メトロというバスで市内へ。市内に入ると廃墟、新築のターミナルへ到着。5年前の震災がまだ回復していない、あらためてそのひどさに驚く。中心部はほぼ壊滅したようで、大急ぎで建てただろうホテルへ。周囲を少し歩いてみるが、廃墟と新築の商業ビル(ファッションの店)閑散として、食堂もカフェも見当たらず。結局夕食は、ホテルロビーで、スープとチキンカレー(それぞれ、まずまずで満足)部屋は狭いが、見事に機能的。街歩きは明日にして、久しぶりの旅の宿に満足する。
宿泊)【The BreakFree on Cashel】165  2泊

11月17日(金) Yuraさん東京より到着合流22:05 【飛行機】東京→ Haneda 12:40 オークランド着Auckland発14:30~ クライストチャーチ着 15:55、

7:00起床、8:00朝食はホテルでアメリカン、実質的でうれしい。マッシュルームの大きさ、ベーコンもうまい! 9:00出発。まずカテドラルと周辺。修復中だがゆっくり。中心部を巡回する旧式の市内電車、眺めただけ。小さな落ち着いた町であったことがよくわかる。古い街並みを修復したレストラン街があり。
坂茂さん設計の、紙管による仮カテドラルへ。お見事、喜ばれていることが、よくわかる。寿命は50年。3~40年頃にカテドラルの修復完成とのこと。絵はがきなどを求める。

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もうお昼、壊れていない公園地区へ。通りに面したカフェで一休み。好天、無風。多くの観光客が前を通る。~こういうのを旅の幸せというのだろう。 博物館(原生林と先住民族の生活の模型展示がメイン)~先住民族への敬意というか、後ろめたさが少しあるのだろうか? そこを出ると、植物園。入口に大木があり、枝が地表まで伸びている。その中に入ると、抱かれたような感覚になる。写真を撮るがたぶん感じはわからないだろう。芝生の庭園に面してガラス張りの食堂がある。人でいっぱいだが、昼食にする。行列に並んで、ハンバーガーと紅茶をもらう。屋内のテーブルにするが、芝生の庭の方が多い。熱帯植物の建物、ローズガーデンを越えて広い庭園の最奥まで。ニュージーランド庭園という地区がある。湿地帯で草が多いという場所だ。ミミュウはこういう場所にいたのだろう。 19:00わがホテルロビーに、約束通りゆうらさん現れる。久しぶりだが、当然のように話しているのがおかしい。こちらが見つけ得なかったレストランを、すでにいくつか探していて(ネットで評判まで)そこへ(昼間見た食堂街、遠くだと思っていたら結構近かった)。シシカバブ、満足。彼女とは食べる好みが一緒でうれしい。 部屋にコーヒーをもらって帰る。ノート、荷物の整理。明日は早い。

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11月18日(土)
5:45起床、荷物の整理。チェックアウト。6:50ゆうらさん来て、ロビーで朝食。バス乗り場へ。
バス)クライストチャーチChristchurch~マウント・クック  7:30~ 12:50 7:30出発、大型のバスが、満席。やっと席を確保。運転手・ト―マス氏、よく喋り、よく停まりつつ(写真撮影のポイント)行く~それを承知して予約したとのこと。遠くの雪山がだんだん近づいてくる。

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地域全体、ホテルからロッジまで、ひとつの資本(探検家・ヒラリー氏の名前)が開発したものらしい。 雪山(最高峰)が最近に見える、別世界。荷物を預け、昼食。忘れてきたサングラスを買う。
予約してあった氷河湖ツアー、岩がゴロゴロした場所で降りて、歩く。30分とのことだが、そのスピードに驚く。女性もお年寄りも子供も、日本では信じられない速さで歩く。こちらは前との距離があき、追い抜かれていく。ヤバいと思ったところで、湖畔に到着。そこが氷河湖だ。数台のゴムボート、案内の屈強な若者が、慎重に座席を指定しながら乗船する。私たちは最後尾。その前はご夫婦が子供を中にはさんでいる。彼は私たちを振り向きながら運転する。水面1m下は0℃、落ちたら助からない(ちょっと間をおいて)でも落ちた人はまだいない、と言う。ここ数年で大きくなった、途中、氷の断面が崩壊し、深い緑色が浮き上がったりした。

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夕食はホテルロッジの食堂、ボリュームがあって満足。広い部屋、正面に雪山。別室がある。

11月19日(日)
快晴、ゆうらさんトレッキングのツアー(ロード・オフ・リンク)に参加するため、荷物をまとめて、出て行く。こちらはゆっくりと起き、部屋でお茶をして荷物をまとめチェックアウト。ホテルで荷物を預けて、周辺の散歩・1時間コースへ。昨日の皆さんの歩く速さから、こちらは2時間かかるとカクゴする。いくつかのポイント・雄大な山・地下水の流れる音のする涸れ川・雪解けの川などあるが、道は前に進むばかり。不安になって引き返す。ホテルの食堂テラスで遅い朝食兼昼食、スープ定食。眺め抜群で誰もいない、ゆっくりとノートする。 ゆうらさん13時に帰って来て、14時バス出発。今回は空席も多く、最後尾の席でご機嫌。運転手さんはやはりよくお喋りをする、そういう仕事のようだ。走りながら、高圧線が見えないこと、道路標識や看板がほとんどないこと気付く。ゆうらさんに言ってみるが、あまり感心はしてくれなかった。
湖畔に出て、ようやく到着。 夕食は、スーパーのフードコートで中華そば、全世界的な形式だが、それなりに満足。ゆうらさんと別れ、教えられたとおりにホテルに。人はいなくて、ドアに張られたこちら向けの封筒からカギを取り出して、部屋というかワンルームのアパートへ。まずは快適。寝る前に、外に出て夜空を見上げるが、昨夜といい今日も、すばらしいと言われる星空にあまり感動しなかった。こちらの目が、もうそれを見分ける能力を失っているようだ。その空を想像しながら、休む。
宿泊3泊 S>【Bella Vista Queenstown】

11月20日(月) クィーンズタウン Queenstown
ゆうらさんは、早朝スカイダイビングへ行く予定。それが目的で、この旅を計画したのだ。だが、天候が悪く、乗ることができずに9時頃に帰って来たとのこと。なにか申し訳ない。22日もう一度トライするとのこと。
こちらはゆっくりと起床、今日は特に予定はない。朝食は、近くのスーパーのイートインでコーヒーとビスケット、パンはでっか過ぎる。部屋に帰って、洗たくやノートなどゆっくりする(目の前が小学校の校庭で退屈しない。午後にはがパラグライダー降りて来る)。何時もの旅だと思ったりする。散歩、とても小さな観光地、商店や食堂が多い。
お昼にゆうらさんと会って、湖畔のレストランで食事。ムール貝とクリームチャウダー、おいしかった(注文を店員さんがとても喜んでくれた)。街を見下ろす山へのゴンドラに乗る、じゅうぶんに満足。帰りに、飛行機で隣り合わせた女性3人組とすれ違い挨拶する。 夜、ゆうらさんがユースホステルが寝ることができないと、引っ越してくる。

クィーンズタウン、ロープウエィから、とても小さな町

クィーンズタウン、ロープウエィから、とても小さな町

11月21日(火)クィーンズタウン Queenstown  終日 【ミルフォード・サウンドツアー】
現地バスツアー、朝発、昼クルーズ、夜着 島の東側にあるフィヨルド、ミルフォード サウンド(入江)へ行くツアーに参加する。6:15ゆうらさんの目覚ましで起床。7:00バス乗り場へ、あちこち歩いてやっと見つける。バスは適度に空いていて最後部の席を二人で占拠して行く。眺めのいい場所、お土産の店など、何度も停まりながら行く。手造り?のハチミツ、昼食用のサンドイッチなど、最期は山並みを越えて(トンネルもあり)、やっと到着。すぐに船に。~いちばんの観光地のようだ。見事なフィヨルドだが、その名を知らずに命名されたとのこと。
晴れるのは珍しいと言われるなか(世界一二の降水量)、見事に晴れてその眺めを楽しむ。切り立った渓谷、山並み。そこに流れる瀑布。波のない静かな入江。オットセイ、いるか、ペンギン。ほぼ90分のクルーズは、あっという間に終わる。帰りのバスはすぐに出発5時、帰りを飛行機にする人を送り、人数が半減して帰る。夕暮れもう9時近い。欲しくないというゆうらさんと別れ、汁そば(中華料理屋さんにはなくタイ料理屋さんで)。部屋に帰る。長い一日だった。
終日【バス】ミルフォード・サウンドツアー

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11月22日(水)クィーンズタウン Queenstown
ゆうらさんは5時に起きて、今度こそのスカイダイビングへ。こちらはゆっくりと起きる。9時半、ゆうらさん、疲れた顔で帰って来る。耳が痛い、寒い。とのこと。やはりついて行ってあげれば良かったと反省する。せっかくのトライなのに、写真すらないのだから。申し訳ない。
10時チェックアウト。町へ、二人で散歩。店をのぞいて(Tシャツなどを買う)昼食。テラスは日が当たると、まぶしく暑い。観光客は中国人が多いが、サモア、ブラジル、インドなどなど、やはり南半球の国だなぁとも思う。 ホテルから荷物をとって、予約のタクシーで空港へ。こういう計画から予約まで、すべてゆうらさんがやってくれた旅だ。無事機上に。窓から、湖と雪山を眺めて、海峡を越え北島のオークランドへ。乗合タクシーで、予約のホテルへ。ゆうらさんのYMCAに近いホテルへ。一緒に夕食にする。近くのマレーシアの店。満足。狭いが、デスクがきちんとあるホテルで、うれしい。窓からタワーが見える。
S)【City Lodge – Backpackers Accommodation】150 Vincent Street, Auckland

11月23日(木)オークランド Auckland
最終日、ゆうらさんとは別行動。外へ、広い街路樹の影が気持ちいい道を下り、海岸の中心部へ。わが神戸に似ている。朝食は立ち売りのコーヒー屋さんのベンチで。
埠頭で、港巡りの船がありそうだと尋ねてみる。90分50$、10時半発。適度に混んで、おひとりさんも少なくない。屋上甲板から町を望む。途中バーガーにコーヒーをくれ、対岸の島々や大きな橋の下をぬけるなどして、港に帰る。結構満足。

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街へ帰って商店街を歩く。化粧品のマヌカハニーというものが結構高いことを知る。別に欲しいものが見当たらず。絵はがきを求めたくらい。時間があるので、丘を登って大学前の公園へ、大きな樹がうれしい。近くの美術館へ、現代美術。どこも似てると一巡りしたが、出口のミュウジアムショップがうれしい。いいセンスでお土産にする。お姉さんが喜んでくれた。
6時待ち合わせの場所へ行くと、ゆうらさんから電話。埠頭まで来てとのこと、大急ぎで坂を下る。鹿肉を食べさせてくれるレストランへ(店を探し、予約までしてくれた)。2人同じものを注文。そんなにおいしくはなかったが、忘れられない思い出になった。食堂には、日本人のツアーグループもいた。最後の夜、感慨にひたるまでもなく、バスで帰る(バスの料金、支払いをモタモタしていたら、無料にしてくれた)。

11月24日(金) オークランド
早朝各自チェックアウト、バスにて空港へAuckland オークランド~関空  10:25 17:30 KIX FB:SKJPPB    座席)61F,61H ゆーら)21:05 22:15 【飛行機】関空→羽田Haneda 機内、ふと気付くと読書灯をついていない。皆さん映像を見るかお休みになっているかのようだ。これも、ここ10年でさま変わりした風景だ。もうひとつ、窓の遮光カーテンを閉めるのではなく、窓面をこすると不透明になって遮光する。明るくするのも同じ。製造の工程を少なくする、これも技術の進歩の方向なのだろう。 関空到着。こちらがモタモタして、ゆうらさんを待たせる。やっと出たのにバスの時刻を見ると、六甲アイランド行きが出るところ。で、あっけなく別れる。お世話になったのに、申し訳ないが、そういう関係なのだとも思ったりもした。お世話になりました、ありがとうございました。

後日、写真を見た友人に、親子みたいだよねと言ったら、おじいさんと孫だよと言われてしまった。ま、確かにそうだ

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旅の記録, スリランカ160295~25

スリランカにて・4  アーッパという食べ物

 これまでいろんな国でいろんな食べ物に接してきたが、これは特別。似たものが、ない。少なくも私は見たことがなかった。強いて言えば、カルメラ焼きに、作り方は似ている。

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      大きなアルミのお玉に、ココナッツミルクをちょっとだけ入れて、火にかける。軽くゆすると、お玉の上の部分から固まってきて、パリパリになる。その上部パリパリ、底部は少し厚くてしっとりした状態でできあがり。

 2枚ばかりを、お皿に入れて供してくれる。ほのかな甘さと、パリパリしっとりの食感がなんとも言えない。底に小さな卵を入れて、半熟くらいで出してくれることもある。

     とはいえ、なぜか朝か夕方しか作らない。夕刻、見学などを終えて、町に帰って来ると、店頭で焼いている。それをもらわないと、食べ損ねてしまうことになる。といって、そんな時間に食べると、夕食に困ることになる。それだけで夕食にはならないし、食べると、夕食の時間が遅くなってしまう。ヨーロッパなら、それでいいのだが、こちらの生活スタイルでは、困ったことになる。あくまで、これはおやつに過ぎない。

     一度、夕食時に見つけて、まだ焼いていると注文したら、冷たくなったのを3つも出してくれ、仕方なく食べたのだけれど、まずいのに驚いし、夕食にはもちろんならなかった。

 

    とはいえ、夕刻のちょっとお腹が空いている状態で、この薄甘い「パリパリしっとり」感は、なんとも幸せな気分にさせてくれた。

    最初に見つけた、アヌラーダプラの商店街。次はキャンディのレストラン、そしてコロンボでの道端の屋台、お店の感じというかランクもさまざまだったけれど、いずれも、その食感は他の何ものにもない、うれしいものでありました。

     このためだけでも、スリランカにもう一度行く価値はあるように思う。

 

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旅の記録, スリランカ160295~25

スリランカで・3  みんなの家

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   またスリランカ航空の機内誌になるが、道端のシェルター・AMBALAMAという記事があって、この国の村では数世紀前から、道端にちょっとした休息所があることを紹介していた。熱帯だから屋根は欲しいだろうし、激しいスコールもあるから頑丈さも必要なのだろう。しっかりした柱と屋根の東屋。紹介された写真を見ると、人がいて現在も使われていそうなのは1枚だけ、それがゴールであることがわかって、もし寄ることができたら探してみようと、それをもらって行くことにした。

 

  ゴールの町は、半日もあれば歩き回ることができる。沢山の観光客の中で宿泊するのは、そんなに多くないようだ。歩き回って、ちょっとお茶にしようと思った時、観光客目当ての店はどうも気に入らなくて、学校と役場の間の広場にあるゴールの人たちだけの茶店にすわることにした。といってテーブルは多くなく、ほとんどの人は、役場の軒下や公園と道路の段差に腰をおろしている。大きな木が何本もしげって影をおとしているから、とても気持ちがいい。

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  店をのぞいて、葉でくるんだかしわ餅のようなのがあったので、それと紅茶を注文した。椅子を用意してくれたので、皆さんと一緒にテーブルにつく。お餅は風味があったし、紅茶はこの国のどこでもきちんとした味で出してくれる。どこから来たなど、どこでも言うようなお喋りをしていて、あ、こういう場所に当然のように坐っている、このことはひょっとしたら、とても珍しいというか黄色人種である日本人ならではの特権かもしれないと思ったりする。白人でも黒人でも、こうはいかないのではないか。あまりに違い過ぎて、ちょっと引かれてしまうのではないか?もちろん個人差の方がはるかに大きいと思うのだけれど、こちらは無意識のうちに日本人であることに甘えているような気がする。というか、こういう時無意識に当然のように、微笑みを持つことができる。そういうコミュニケーションのやり方を、子どもの時から教えられていたように思ったりする。

 

  よく見ると、くだんの東屋が片隅にあった。もちろん何人かの人はいたがあまり役立っている感じはなく、メインは茶店を中心にした広場の方だ。広場全体が、みんなの家というか、なんとなく立ち寄る場所になっている。そして、町の人だけでなく、外の人にも開かれた場所になっている。といって外人さんは見えない。東屋は、夜を過ごすこともできる、避難の場所として機能しているように思った。

  東北の震災後、お年寄りをメインの対象に考えられている「みんなの家」は、建築に固執し過ぎているのかもしれないと思ったりした。

 

        翌日もう一度行くと、おぼえてくれていて歓迎してくれた。相変わらず、外人観光客は誰一人として、ここにはやって来なかった。

 

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旅の記録, スリランカ160295~25

スリランカで・2    ペラヘラ祭り

 出発の日、朝食をとっていたら、一人の日本の女性が入って来られた。腰のポシェット見ただけで、瞬時にそう思った。こちらと同年輩、どうもお一人のようだ。声をかけてお話を伺うことにした。

 なんとコロンボで2泊だけの、旅とのこと。九州の方、親の介護をしていて大変なのだが、やっと時間を取ることができた。今晩、ペラヘラのお祭りがある。それを見に、それを見るためだけで来ました。飾り立てた象と、踊りの行列がある、すばらしいから、ぜひご覧になるといい。遅い出発なら、それを見てから行かれたらいいと強く勧められ、それを知らないこちらを逆に憐れんでくださった。

 そう言えば、通りに観覧席がしつらえた場所があったし、来る時の機内誌でも紹介されていたが、それが今日とは知らなかった。象の行列の祭りは、インドのケララ州で見た、そのスリランカ版なのだろうと、勝手に思った。

 

     それにしても、それを見るためだけに、はるかスリランカまで来るとは、すごいことだ。その決心と行動力に、心底感心した。失礼だが、おおよそ、そんな旅をなさる方にはまるで見えない。今日は、10時にガイドの方が来て、まずバワ(スリランカの建築家)の住宅を見て、それから夜のお祭りに行くことになっているとのこと。その行動力と興味が広がるさまに、ほんとうに感心した。

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 ちょっと悔しいこちらは、もう一度観覧席のあった場所に行き、その周辺を歩いてみた。祭りの寺は、すぐわかった。すでに読経と、ラッパと太鼓の演奏が流れ、沢山の善男善女がお参りをしている。観光客もいる。こちらも靴をぬいで入る。迷路のような建物は2層にも3層にもなって、お参りをする場所が沢山ある。濃いお化粧をした人、仮面の人もいて、音楽と香料が流れ、境内がすでにこの世ではない別世界になっている。象を飾るであろう衣装?は何体か見ることはできたが、象はいなかった。

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 夜の10時過ぎ、空港の待合室で、テレビが祭りの中継をしていた。横長の太鼓を肩から下げて両手で打つ、それにラッパの音が重なり、若者がダンスをしている。逆立ちや回転など、それはアクロバッチックで激しい運動だ。そのグループごとに着飾った象がいて先導している。確かに大変なお祭りだ。このお祭りのために生きているような方が、何人もいらっしゃるだろう、それはよくわかる。ブラジルでも岸和田でも、そういう方はいらっしゃる。

 でも、真っ暗な闇の中から現れてくるそれは、もうこの世のものではないような、そして単調な音楽はどこかとても淋しくて、自分自身すらどこかこの世から離れたような気分になるのだろうと思った。こちらは、その気分を神戸大震災後の最初のルミナリエで感じたことを、唐突に思い出した、もう23年も前のことなのに。それは現在のそれでは信じられないほど、ほのかな明かりでまた音楽はなくて静かでした。

 

 女性は、無事にお帰りになって、また何時もの生活になられたのだろう。それはそれで、いい人生なのだろうなと思う。九州の農家で88才の母上を介護をなさっている、それ以外のことは何も聞かなかったことをちょっと残念に思っている。

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旅の記録, 201602 スリランカ, スリランカ160295~25

スリランカで・1    スリランカのため池

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 今回の旅でいちばん驚いたのは、遺跡でも紅茶でもなく「ため池」だ。信じられないほどの大きさの湖が、どうも人が造ったようなので尋ねてみると、そうだと言う。平原を前にして大きな堤防が築いてある。それに貯められた水面はどうみてもそこに広がる平原よりはるかに高い。もしこの堤防がくずれたら水は一気に平原に流れ落ちることになるのだが、石などはいっさい使わずただ土を盛り上げただけのように見える。その土手のあちこちには、またびっくりするほどの大木が育っている。それだけの年数がたっているのだし、その前の平原は畑や村もあるが、人を寄せ付けない熱帯雨林もあって、象も棲んでいる。

 琵琶湖とは言わないが、宍道湖とか諏訪湖の広さはあるのではないか、対岸ははるかほとんど見えないくらいの場所もある。所々にある水門は、コンクリート製もあるが、石だけで造られたものもある。しかも1か所だけではない。そこから流れ出す水路は、豊かで子どもたちだけでなく大人も泳いでいた。

 アヌラーダブラの近くに、またアウカナの仏像のあった村の近く、シーギリヤの近くの練熱帯雨林の上手、そしてポロンナルワのゲストハウスから見えたものまで、こちらが見たものだけで4か所はあった。持参のi-bookは壊れて地図をみることができない。地図を求めたいと思ったが、そのような店もなく、結局なにもわからずに帰って来た。

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 これだけは、もう一度きちんと見に行きたいものだ。地球の歩き方(ガイドブック)、山川出版・世界歴史の旅 南インドによると、アヌラーダブラにあるのは3世紀、ポロンナルワの近くにあるのは12世紀に作られたとある。どちらも、それぞれの王権が確立した時期、最初に灌漑を整備している。何という見事な政権であったことか。その大変な大工事を、どのような工法で完成させたのだろうか。そして、それは単に灌漑の設備だけでなく、その政権が亡んでしまった後まで、結果としてこの国の自然を作り出している。象のいる熱帯雨林を、人間が造り出したものだということは、もっともっと注目されていい。

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 世界遺産でないのが不思議なくらいだ。とはいえ、もしそうなるとして、これは文化遺産なのか自然遺産なのか、その判定の困難を避けるために、あえて登録を控えているのかもしれない。

 

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