旅をしている人
田原 晋

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201602 スリランカ の記事一覧

旅の記録, 201602 スリランカ, スリランカ160295~25

スリランカで・1    スリランカのため池

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 今回の旅でいちばん驚いたのは、遺跡でも紅茶でもなく「ため池」だ。信じられないほどの大きさの湖が、どうも人が造ったようなので尋ねてみると、そうだと言う。平原を前にして大きな堤防が築いてある。それに貯められた水面はどうみてもそこに広がる平原よりはるかに高い。もしこの堤防がくずれたら水は一気に平原に流れ落ちることになるのだが、石などはいっさい使わずただ土を盛り上げただけのように見える。その土手のあちこちには、またびっくりするほどの大木が育っている。それだけの年数がたっているのだし、その前の平原は畑や村もあるが、人を寄せ付けない熱帯雨林もあって、象も棲んでいる。

 琵琶湖とは言わないが、宍道湖とか諏訪湖の広さはあるのではないか、対岸ははるかほとんど見えないくらいの場所もある。所々にある水門は、コンクリート製もあるが、石だけで造られたものもある。しかも1か所だけではない。そこから流れ出す水路は、豊かで子どもたちだけでなく大人も泳いでいた。

 アヌラーダブラの近くに、またアウカナの仏像のあった村の近く、シーギリヤの近くの練熱帯雨林の上手、そしてポロンナルワのゲストハウスから見えたものまで、こちらが見たものだけで4か所はあった。持参のi-bookは壊れて地図をみることができない。地図を求めたいと思ったが、そのような店もなく、結局なにもわからずに帰って来た。

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 これだけは、もう一度きちんと見に行きたいものだ。地球の歩き方(ガイドブック)、山川出版・世界歴史の旅 南インドによると、アヌラーダブラにあるのは3世紀、ポロンナルワの近くにあるのは12世紀に作られたとある。どちらも、それぞれの王権が確立した時期、最初に灌漑を整備している。何という見事な政権であったことか。その大変な大工事を、どのような工法で完成させたのだろうか。そして、それは単に灌漑の設備だけでなく、その政権が亡んでしまった後まで、結果としてこの国の自然を作り出している。象のいる熱帯雨林を、人間が造り出したものだということは、もっともっと注目されていい。

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 世界遺産でないのが不思議なくらいだ。とはいえ、もしそうなるとして、これは文化遺産なのか自然遺産なのか、その判定の困難を避けるために、あえて登録を控えているのかもしれない。

 

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旅の記録, 201602 スリランカ, スリランカ160295~25

旅の日記 

15・2月19日(金)アンバランゴダ~コロンボ

 6:00起床、エアコンの威力か9時間よく寝た。他の客はなくテラス、木々の間に海、スピーカから読経の声。朝食は町の食堂でナンとtea、駅で時刻を調べ、通過する列車を見る。海岸まで行ってみる。宿ノートに記入。

9:30宿を出発10;15駅・列車出発ガラガラ(途中で満員になる)140Rs、海岸を走る、堤防のない波打ち際を走ったりして、13;30コロンボフォート駅到着。意外に小さいが、大変な人。ゆっくりと外へ。

 寄って来た3輪車で、予約のホテルへ。どこへも行きやすい場所で選んだのだが~部屋が狭くデスクがないのが失敗。昼食に外へ、ナンと紅茶。町を歩いてみる、インド人街?皆さん親しげだし、こういう場所嫌いではないが~。部屋で洗たく、整理。夕食にまた出掛けるが、屋台のような店ばかり~結局昼と同じ店。19:00もう真っ暗、夜中、猛烈なスコール。21:00疲れて、就寝。夜中目覚めて、ホテルを変わることを思いつく~今回はきちんとしたホテルに一度も泊まっていない~この国に申し訳ないではないか(という変な理屈)。

            コロンボ宿泊1・Metro City Hotel

 

16・2月20日(土)コロンボ 博物館、庭園、

 6:30起床。快晴、ゆっくりと洗面~荷物整理。8:00出発、3輪車でフォート地区へ。朝食、少し歩いて、古色蒼然のグランドオリエンタルホテルへ、予約。ホテルに帰り、申し訳ないと謝ってキャンセルと支払い10,000Rs。お兄さん(ちょっと気が合ったのだが)も、そう思っていたよう?ですぐ了承してくれる。荷物を預けて出発。

 シナモン地区。公園、予想通り快適。国立博物館~自然史博物館(フランス画家が19cに描いた遺跡のスケッチが面白かった)。貯水池のこと知りたかったが~不能。ここも中国人が多い、結構熱心に見ている。

屋外の芝生のカフェで、お茶とケーキとビスケット(昼食はなし)。少し歩いて、ホテルで荷物を受け取り、朝のホテルへ。19世紀開業というそれは、部屋が広く、大満足。19:30まで待って食堂へ(ビュフェ式)コースを意識しながら取って、ご機嫌。窓の外に、港が開けていてその夜景が見事。中国人はいるが日本人はいない。今回の旅ではじめての湯船につかってゴクラクゴクラク。天井の高いバカでかい部屋は、やはり好きだなぁ。

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          コロンボ宿泊2GrandOrientalHotel  

 

17・2月21日(日)コロンボ

 7:00起床8:00出発。朝食は外でナン。ホテル周辺フォート地区の古い教会、ビル。下町であるペター地区へ、商店街、モスクなど(オランダ時代博物館~日月休みで結局見られず)、ここはゆっくりできる場所はない。

フォート地区の商店ビルへ、昼食(カレー)、紅茶・Tシャツなど買い物少し。そこで、日本の青年に会う(卒業前の旅行、ヨーロパの帰り・田畑誠矢さん)。彼の誘いで、海岸へ。晴れて、白砂と青い海の別世界。沢山の人、波打ち際にも大勢。こんなに近くにこんな場所があるとはと感謝感激。

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帰りにアーッパ屋台を見つけ、道端で食べる。この町で、まだ満足な食堂に出会っていない、ちと恨めしい。

雨はなく、部屋から満月を見る。明日は出発だ~早かったような、足りなかったような。

           コロンボ宿泊3GrandOrientalHotel

18・2月22日(日)コロンボ 買い物~空港へ(機中泊)

 

 7:00起床、太陽の光が部屋の奥まで届く。ホテルで朝食、日本人のひとり旅の女性にお目にかかる(別記)。ペター地区に行って見る、ココナツを飲んだだけで、シナモン地区へ。観覧席を特設している場所があり、そこが今晩のペラヘラ祭りの行列の場だろうと、歩いていると、賑やかな寺(ガンガラーマ寺院)があり、沢山の人がお参りをしている。拝んだり、それを眺めていたりの善男善女善児に観光客でいっぱい。お囃子やお経、それに仏像というかいろいろの神さまの彫像がうれしく、結構長い時間を過ごした。行列の人間の方は、想像できたけれど、象はまだいなかった。観覧席には、外国人観光客用という場所もあったから、朝の女性はここで見るのだろうと、ちょっと羨望した。

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 あらためてシナモンガーデンズへ。通りを歩いていて、アイスクリームの店を見つけて、注文。食事ができることに気付いて、あらためて注文(スープとプレート)やっと満足。その奥が、SCであることに気付き、入って見る。衣類、紅茶など~Tシャツを求める。さらに別の店にも行ってみる。~この町は、SCがポツンポツンとあり、そこで買い物もお茶も食事もするシステム。最後になってやっとわかったが、ちと遅い。

 ホテルに帰って、3時まで部屋(サービス)、そして精算(US$144今回の旅の最初で最後のカード使用)。5時までロビーで過ごしてから、出発。絵はがきを出しに、近くの郵便局へ行くと休み(前日も)、ポストも見えないので、隣のホテルのおじさんに投函を頼み込む、心配したが、無事に届いてヤッパリよかった、感謝。

 

 空港行きバス。すぐ来たが、外国人は2組だけ(お互い目配せし)。17:15出発のろのろと進んで、19:30やっと到着、もう真っ暗。降りようとしたら、特別料金を要求してきたので、隣の客に値段を聞いて6Rs、それを渡して強引に降りる。カップルの客と1台の3輪車(荷物もあるから大変)で、空港へ(結構距離があった)。ともかく到着、お互いの無事を祈って別れる。

 夕食、出発ロビーには食堂がない、2階に従業員用の食堂があるとの表示でそこへ。カレー紅茶デザート、結構満足、お礼を言う。残金を両替、14,000Rs100$に、後2,500Rs残る。通関、残金は結局紅茶に。

テレビが、ペラヘラ祭りの中継、音声がよく聞こえないためか「風の盆」のような感じ、朝の人はどう見ているのだろう。搭乗、結構混んでいる、ほとんど寝ず。

 

19・2月23日(火)Srilanka航空 UL318    コロンボ発00:40~クアラルンプール着 06:55

 無事到着。ゆっくりと食堂街でコーヒー・甘い。予約の前回と同じホテルは11時なのに入れてくれる。

 一息ついてKLCCへ、コンサートのチケットを求める(ガラガラ)。地下で昼食、ちまきとフォーを持参の箸で食べる。続いてムルデカ広場(この15年で、すっかり整備?博物館も2つ)、チャイナタウン(早い夕食)。落ち着いてからコンサートへ、やはり来てよかった。帰りまた同じ店でそば。疲れて、帰るなり、寝てしまう。

クアラルンプール 室内楽コンサート18:30  

         クアラルンプール宿泊1Swiss Inn Chinatown Kuala Lumpur   MYR 133

 

20・2月24日(水)クアラルンプール ~空港へ(機中泊)

 夜中、何度も目が覚めたが、9:00起床。朝食。ブッキンピタン地区へ、歩くが結構遠かった。賑やか、日本の観光客多い。町の性格がわからないまま、マレーシアという国のむつかしさを思ったりする、大きなお世話だが。ホテル18:00出発。空港、エアーアジア専用のKLIA2ターミナル。その先進を知る。日本はここでも完全に後れを取っている。搭乗・A1席、ビジネスクラスはやはり快適、すぐに寝てしまう。

21・2月25日(木)    AirAsia D7 532クアラルンプール発01:00  関空着 08:25 

 無事、到着。よく寝ていて、慌てて降りる。荷物さっと出てくるが、今回も、税関の人こちらを怪しむ、ひとり旅の貧乏爺は麻薬所持の対象なのだ。 バスKIX発 三宮.着(六甲行きと思って乗ったら間違い)・帰宅。

    おしまい    

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旅の記録, 201602 スリランカ, スリランカ160295~25

 旅の日記・3

12・2月16日(火)キャンディ~ゴール      (来る前の計画では、行けないと思っていた場所)

 8:30出発のバスでゴールへ(直行便はこれだけ)。途中コロンボ近くで都会になり(ブランド商店など)ビックリ。以後、海岸を走る。やはり熱帯の地域。これまでとまるで違う国に来たようだ。ゴール到着17:00到着。

 また3輪車でホテル探し、今回は歩き方に従って、海の見える宿へ。ちと奥まった部屋だが決める10,000Rs。早速に散歩、ヨーロッパの海岸城壁都市とは比べるべくもないが、昔日は感じられる。夕食はチキンカレー、なんと一昨日の青年・今朝丸力也さんにバッタリ。立ち話で、連絡先を聞き出して、別れる(もう少しご一緒すればよかったのに、ゴメンナサイ)。堤防を歩いて、帰る。はるか遠くへ、よくぞ来たものだ。へ

    ゴール宿泊1OceanViewGuestHouse

 

13・2月17日(水)ゴール

7:00起床、堤防を散歩。 8:00海を望むテラスで朝食(このために泊ったようなものだ、こう思うのは2度目)。

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町を散策、教会、庁舎、博物館など半日で充分。博物館はなかなかの力作、楽しい。学校と庁舎の前の広場にカフェ(屋台)があり、町の人しかいない。席を空けて、歓迎してくれる。お茶だけのつもりが、お餅(ワラッパ・大きな葉で包んだ薄い草餅)も35Rd。夕刻、また行き、すっかり親しくなる。(広場に伝統の休息設備もある*)

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ホテル、海辺の部屋が取れぬので宿を変わることにする。思い切ってジェフリィー・バワ(この国の有名建築家)のホテルに行ってみるが、断られてしまう(電話ではOKなのに、こちらが貧相過ぎるのかなぁ?)といって入り口~ロビー~テラスを見る限り、あまり感心もしない。仕方なく歩いていると、呼びとめられる。中庭を囲む部屋、なかなか良かった(ドイツ人多い)3,500Rs。夕食もここでとる。この階層が、こちら向きだと思う。

                          ゴール宿泊2 HotelWeltevreden

 

14・2月18日(木)ゴール~アンバランゴダ

 7:00起床、堤防を半周。結婚の二人の撮影中、撮らせてもらう。昨日の広場の屋台でお茶、憶えていてくれる。

朝食はホテルでトースト。もうゴールは見てしまったので、お面博物館があるという(2つ先の)町へ行くことにする。3輪車のおじさんがバスはない私が行くと言う。が、途中さすがにバテテいた。ともかく到着。2,300Rd

 この町は、日本人が多いようで、ニーハオでなくコンニチハと声をかけてくれる、今回初めてで感激!

 

 お面博物館と工房。伝統工芸であるのは確かだが、もっと現代的というか商売的。(当方を含めて)日本人好みなのだろう。ホテルは歩き方を参照に2,300Rd。宿ノート(日本的)があり客は日本人が多い。でもラブホテルでもあって、テラスでノートをとっていたら客が来てビックリ(この国にもある、一面を見ることができた。2組に出会った・①町では見かけない?カッコいいジーンズ美人・②翌朝は貧相なおばさんで、哀れでした。)

とはいえ、ここは漁港の町。なんと漁港に行ったら、外人の入場料100Rsを取られた。漁船、取った魚の仕分けと積み出し。見事な技、活気があって、目をみはらされた。

その時、突然のスコール、びっくりする急変と豪雨!小1時間、工事中の倉庫のような所に雨宿りをしたが、それもまた想像していなかったことだが、それにも感動。幸運に感謝!食事は、町の食堂、憶えてくれた。

                    アンバランゴダ宿泊・BlueHorizonTouristInn

 

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旅の記録, 201602 スリランカ, スリランカ160295~25

 旅の日記・2

 

8・2月12日(金)ポロンナルワ~キャンディ

 7:30朝食、やはり霧はなく、最初の日が特別だったのだ、と思う。(でもこの場所だけで、泊まる価値があるなぁと思う)奥さんにお礼を言って、3輪車で出発。バス停前でもう動き出しているバスを停めて、乗せてもらう9;30。運転手さんが荷物をどかせて、運転手のすぐ後ろの席を空けてくれる。

途中~シーギリヤ岩が見える、最後に山道になり、紅茶畑が見えてきた。13:00キャンディ到着。168Rs

 3ウィーラーが寄って来て宿を案内すると離れない、結局乗せられてしまう。バス停付近の安宿2軒は断り、中心の池(これも貯水池)の周辺に、少し山道を登ったところのゲストハウス。1階の狭い部屋を断ったら、2階へ、なんと3方窓の大きな部屋で狭いながらテラス付き、湖は見えないが視界は広い。4000Rs(下の部屋は2500Rs)、冷シャワーだけだし蚊も多そうだが、決心する。2泊前払い。一息ついて、洗たく~。

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 外へ、湖を半周して仏歯寺(大変な観光客の中を見る1000Rs)明日の民族ダンスを予約する。町はとても小さい。郵便局で絵はがきを投函、食堂でアーッパ(気に入って見つけると食べた)、だが夕食がキチンと食べられなくて困った、屋台のロティで済ます。部屋で過ごす、シャワー&デスクのあるのがうれしい、お茶とケーキ。蚊取り線香活躍。夜、寒くて目が覚める(翌日、毛布をもらう)。

キャンディ宿泊1・ CrystalLakeResortGH

 

9・2月13日(土) キャンディ

 6:30起床7:30朝食、皆さん出発後。3ウィーラー(2000Rs)で出発、紅茶工場(工場を簡単に見せて~売店と喫茶~商売の場だ。中国の人ここでも爆買)。植物園(入場料1000Rs、昼食990Rs)植民地時代開園だが、その前は王妃の庭園?さすがに見事。食堂はビュフェ式大満足、ただし別世界(クラス社会?東洋人は当方だけ?)。

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 町を歩いた後、予約の民族ダンス(5~6時)、激しい踊りで満足。夕食は昨日の食堂(野菜スープ、鶏メシ)。

部屋で、シャワー、お茶をもらって、ノート整理。       キャンディ宿泊2・ CrystalLakeResortGH

10・2月14日(日) キャンディ~ヌワラエリア

 荷物を置いて、奥地のヌワラエリアへ。マイクロバス、つづら折りをどんどん登る。周囲は紅茶畑。11:30着。やはり3ウィーラーで宿探し、2,500Rd。また町に戻り、公園脇のオープンカフェで昼食、なかなか快適。バスで紅茶工場へ、畑を歩いてみる(よくもまぁ作ったものだ)。売店では中国人の爆買い。帰りは通りがかりの車。またオープンカフェでお茶。夕食は商店街の食堂(アーッパあり)、町はほんとうに小さい。宿に帰ると、日本の青年!大阪の人、列車で来たとのこと。インド~ネパールへ40日の旅とのこと。夜、覚悟していたが寒い、シャワーは止め~

                                            ヌワラエリア宿泊・HolidayResidenceBungalow

 

11・2月15日(月) ヌワラエリア~キャンディ

 7:30起床、雨だがすぐに上がった(日本青年は出発後)。まだ誰もいないビクトリア公園(外人料金300Rs)をぶらぶらしカフェで朝食、いい気分。バスで帰る9:30発、12:30着。先日の3輪車のお兄さんに会って、宿へ(今回は階下の部屋2,500Rd)。紅茶博物館は休み、もう行くところなく町をぶらぶら。コーヒー店(日本人経営・この国でおいしいコーヒーが飲めるとは!)シリア民芸の店(これもビックリ)、市場など~。夕食も同じ店。とても小さな町なのに、郵便局、銀行を含めいい感じの店が多い町でした。観光客に人気のあるのが、よくわかる。

   キャンディ宿泊3・CrystalLakeResortGH

 

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旅の記録, 201602 スリランカ, スリランカ160295~25

スリランカ 160205~25  旅の日記・1

1・2月 5日(金) バス  六甲Id. 7:48        KIX8:50

Air Asia航空D7 533    大阪発11:00      クアラルンプール着17:00(日本と時差1:00

 関空のエアアジアのカウンター、表示がなんともわかりにくい(案内所で尋ねている人は、同じ質問ばかり、ちょっとイジワルしているように思った)。無事通関、だが1年前に比べても大変な人。もう外国、中国語が、いちばんよく聞こえてくる。 エアアジア便は足を伸ばせる特別席(5000円高いだけだが、隣は空席)

 無事クアラルンプール到着、エアアジア専用のターミナル。その多さ大きさには驚くばかり。確かに日本は、完全に遅れている。1万円両替、高速鉄道で中央駅。さらに乗り換えて、ネットで予約したチャイナタウンのホテルへ。14年前に来ているのだが、印象がまるで違う。通りは、喧騒の熱帯都市。

もう外に出る気になれず、夕食は持参のゆで卵(冷蔵庫処理分)などで済まし、そのまま寝る。

クアラルンプール宿泊・Swiss Inn Chinatown Kuala Lumpur   MYR 153

2・2月 6日(土) Srilanka航空UL315  クアルランプール発15:25  コロンボ着 16:20

 朝食は、通りに面した開け放しの食堂、トーストオムレツがあって満足。通りは昨夜の喧騒が嘘のように静か。電車でKLCC(ツインタワー)へ。ここは以前(14年前)と変わらず(でも伊勢丹の下にユニクロあり)、庭を一巡りする。帰りに行こうと思っているコンサートの予定も確認。10:00ホテルをチェックアウト、空港へ。

 スリランカ航空のカウンターはまだ閉まっていて、食堂でトムヤンクンをもらう。小さな子のいる家族連れが多い、それだけ豊かになったということだろう。カウンターやっと開いて、手続き。スタバでコーヒー。

 Srilanka航空UL315    クアルランプール発15:25      コロンボ着 16:20(日本と時差3:30

 にっこりしてお茶などを配ってもらうとエアアジア(格安航空)とはまるで違う、とても豊かな感じがする。無事到着、まずビザの発給。40$VISAで払う。もたもたの当方は最後になり荷物を受け取った時は、もう誰もいない。両替(5万円)。外でタクシーを探すが、当然のように白タク(タクシーはいても乗せてくれない)。値段も言い値の2000Rs(1500yen)で、ともかく予約のGHへ、町の中心部を過ぎて結構遠い。無事到着、露地奥の庭のある住宅へ到着。ほっとする、出してくれた紅茶がとてもおいしいのに感動。主人夫妻はドイツ人、冬の間こちらに来るのだとのこと、その間の小遣い稼ぎ?みたい。IMG_0001_1

もう夕刻、夕食は止めにしてパウンドケーキがあるとのことで、それをもらう。洗たく、もう1組の客が7時ごろ到着、オーストリアの夫婦、明日アヌラーダブラへ車で行くとのことで、同乗させてもらうことにする5000Rs(約4000yen)。こちらは9時に寝る。

長い1日だった、ともかくスリランカだ。蚊がいる、蚊帳それに持参の金鳥蚊取り線香、見事な効果あり。

ニコンボ宿泊(空港近くの町)・Cinnamon Guesthouse  US$39  (現金で支払い)

 

3・2月 7日(日) タクシー・シェア(約3時間)ニコンボ9:00発 ~アヌラーダブラ12:30

ミヒンタレー往復(3ウィーラー)(約30分)アヌラーダブラ宿泊1LakeViewGH

 6:30起床、庭で鳥の声盛ん。7:30朝食(紅茶おいしい、他はまずいが)。荷物をまとめ、時間があるので海岸まで行ってみることにする。途中、キリスト教の讃美歌、仏教の読経。登校の子供たちなど。結局、海岸には出れず(日本と違い、私有地になっている?)。ま、村を見たことで良しとして、帰る。9:00出発(こちら助手席)。

 最初は海岸沿いに北上、海はラグーンになっている(沖に堤防ができ、内海なる。インド・ケララ州と同じ)。

途中から内陸に。観光客向けの店で、お茶にする。日本のツアー客が、次々に3組も。立派なバスが停車。道は快適で、12:30無事に到着。まずドイツ人予約のホテルへ、遺跡地区にある最高級。こちらは何時ものクラスを探すことにするが、ドライバー氏途端に不機嫌になる。こちら半額払っているのだと怒鳴るが、途中でアホらしくなり3輪車で探すことにする。結局、歩き方にあったLakeViewGuestHouseにする。

~それにしてもタクシーで良かった。バスだと倍の時間がかかる。後で、深夜にやっと到着したという話を聞く。

 ホットシャワートイレ付で2000Rs。部屋は狭いが、庭が快適そうで良しとする。3輪車の運転手氏、なかなかの商売熱心で、この町の遺跡は明日、今日はこれから郊外の遺跡・ミヒンタレーに行けと言う。

 ミヒンタレーは、仏教が最初に伝えられた場所と言われる。駐車場から歩き出すが、疲れているのがわかる。案内の人がついてくれ、説明だけでなく手まで引いてくれてありがたく感心する。おかげで長い階段を登り切り、紀元前にまでさかのぼる遺跡を見る。おまんじゅう型の仏塔、周囲に石柱の立ち並んだものなど、すべてを見ることができた。ちょっと急ぎ過ぎていると旅の進行を、懸念する(予定では明日のつもり)。途中3輪車が止まるなどトラブルもあったが、無事ホテルに帰る。

夕食は、半屋外のテーブルで、スリランカカレー、おいしい。隣の席で中年のドイツ女性、うまく話ができないのが残念。とても幸せそうですね、と言ったのだが、大きなお世話に聞こえたかもしれないと思う。

長い長い一日。夜中に蚊が出る、これは問題ないが、湿気がこもりそれに参る、部屋を変えてもらおうと思う。

 

 

4・2月 8日(月) アヌラーダブラ    遺跡見物(3ウィーラー)

 朝8時、運転手氏が迎えに来て、出発(一日貸切・2000Rs)。最初に博物館に行き、その事務所で当日の入場券を求める。すでに沢山の人といって、すべて運転手氏がやってくれ、こちらは博物館で見ていただけ。

 チケットが買えたと出発、まず見えていた大きなおまんじゅうがたの遺跡、以後つぎつぎに案内してくれる。最初は地図でチェックしていたが、わからなくなり、案内されるまま、どうもこちらの何時ものスタイルと違う。そのまま、一日が過ぎる。代表的なものは~

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石柱に囲まれた白い搭(半球型)、周囲に斜めに傾いた搭が数十本も林立する(ルワンウェリ・サーヤ大塔)、こちらは土色で最大だが、そのゆがみ具合と頭頂部のデザインが素敵(アバヤギリ大塔)、堂内に大きな涅槃像(イスルムニヤ)、最後に回教の寺院、脇にあった博物館とその迎賓館と住宅のデザインに感心した。これで終わったが、いまから思えば、もう1日出掛ければ、もっといろいろ発見できただろう。

 部屋を変えてもらって、夕食は昨日と同じ。明日、早朝出発なので精算する。とはいえ夜ドイツ人の団体がやって来て、遅くまで大声をあげてくれて、これには参った。ゲストハウスという仕組みは、泊まる人とその人数よって、まるで違う雰囲気になる。それを覚悟して利用しなければならないのだ、ヤレヤレ。

 アヌラーダブラ宿泊2・LakeViewGH

 

5・2月  9日(火)アヌラーダブラ~ハバナラ仏像~ダンブッラ石窟寺院~シーギリヤ~ポロンナルワ

 朝6時、昨日の運転手さんが来て出発。いや、昨日すすめられて信じられない予定。当初はそれぞれに1泊しなくてはと思っていた。とはいえそれは先方の言い値だから、通常から見ればトンデモ価格だったろうと、今は思うが、その提案に乗ることにした。

 さて新しい赤い3輪車は、すぐに大きな湖のそばに出る。以後いくつもの湖があったが、いずれも灌漑用に人間が造ったものだと言う。それにしては、地形のためだろうが、とんでもない大きさだ。次のもっと大きい湖で、土手の写真を撮らせてもらった。ともかく、これは知らなかっただけに、本当に驚いた、ビックリポン。

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 最初に行ったのは、「アウカナ村の仏像」、思っていたより大きくまた立派で、訪ねて良かった。ただ入り口から結構遠くまで裸足で歩かされるのには参った。このところ、以前より皮膚が薄くなっているようで、岩の上に小石があったりすると、参る。保存のための屋根がかけられていたのは、残念だが、仕方のないことだろう。

和尚さんが歓待してくれ、朝ごはんをご馳走になる、今度は泊まって行けとの言葉を背に出発。日本人にいいイメージを持っていらっしゃることに、感謝。

次は「ダンブッラ石窟寺院」。入り口にはキッチュな(死語かな?)黄金色の大仏がいる寺から石段を結構上り、最後には裸足にさせられて、やっと到着する。外観はペンキを塗りたてているが、内部は一変する。第2窟が仏像と壁画が一体になって、見事。来た甲斐があったと感動する。それにしても、大変な観光客で驚く。ここでも中国人が目立つ。IMG_0001_1

 そして「シーギリア」。遠くから異様な感じで見える大きな岩、登れるかどうか心配だったが、ともかく到着。登ることにした。頼みもしないのに案内の人が付いてくれ、手を差し伸べてくれる。確かにその手があると、登りやすいものだ。みんな1列に並んで岩を登る。ステンレスの階段が取り付けてあって、そのことに感心する。その真ん中でまっすぐに登るらせん階段があって、そこにあの有名な壁画あったらしい。「らしい」と書いたのは、なんとそれをパスしてしまった。一段一段と登っているうちに、そのらせん階段を上がるのが、なんとも珍奇に見えてシマッタ!~と言うことで、なんとアホなことに、あの有名な「シーギリアレディ」に会わずに通り過ぎてしまった。~何のために、スリランカまで来たのだ、と言われかねない大失態。~今回の旅のまとめが遅くなっている理由でもあります。ショボン~(帰り行こうと思ったのに、道が違って、また失態)。

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やっと登った岩の上で、何のためにここまで来たのか、風に吹かれながら、わが身を笑った。それにしても、ここに王宮があったとはと、やはりその狭さを思った。そして、はるかインドのファテプール・シークリー(わずか数十年で放棄された王宮)を思い出したりしていた。

 また出発、湖があり街道を離れ、熱帯雨林の中の道を流れに沿って下って行く。相当な高さまで水が流れた跡があり、定期的に水が流されているようだ。このジャングルも、そこにいる象も、人が育てたと言えると思う。

 もう夕刻そして暗くなる、やっとポロンナルワに到着。満員の宿で紹介されて、やっと泊まれる宿にたどりついた。なんと、日本語が出て来てビックリ(奥さんが日本人、お嬢ちゃんが2人)。宿は、1軒の住宅(4寝室)を一人使用。夕食はカレーをもらう。洗たく、シャワー。食堂で、ノート。電気式の蚊取り器を使う。

・3ウィーラー・1日貸切・8000Rs~約6000円。(当初の予定にはなし、大幅な予定日数の節約!ビックリ)

  ポロンナルワ宿泊1・SamagiGuestHouse

6・2月10日(水) ポロンナルワ遺跡(自転車)

 7:00朝食、屋外の食卓。目の前は稲田、遠くに森そこに霧、鳥の声。なんとも幸せ、今晩も泊まることにする。

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(昨日の運転手さんが来て案内するというが、断る)遺跡は(ちょっと不安だが)自転車で回ることにする。

まず銀行で両替、博物館で入場券を求めてから、遺跡地区へ。沢山の観光客の中を、のろのろ行くと、やっと何時もの旅の感触になる。アヌラーダブラは5世紀、最初の王朝。こちらは12世紀、2つ目の王朝。巨大な大搭がないが、仏の立像を納めた大円柱の建物(ランカティラカ)や重ね餅のような(パバル・ヴィハーラ)、また崩壊した形がなんとも魅力的だったりする。公園のように整備されていて、自転車でも走りやすい。また高い入場料は、安全を確保してくれている。お茶にしたりお弁当にしたりと、ゆっくり移動。

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やっと何時もの旅の気分になった。夕食はまたカレー、もう1日ここでゆっくりすることにする。だが夜遅くフランス人のグループが来て、他の部屋をすべて使う。こうなるとトイレ共用のGHはちょっとつらい。

  ポロンナルワ宿泊2・SamagiGuestHouse

 

7・2月11日(木) ポロンナルワ~メディリーギリヤ遺跡

 8:00朝食、ちょっと遅くなったためか霧はなく残念。フランス人は早朝に出発。こちらは郊外の遺跡に行くことにする。大塔を囲んで柱が林立している(はるかミャンマーで訪ねた遺跡と重ねている)。整備が行き届いて、気持ちのいい遺跡だった。運転手は好青年、帰りに食事をしたいと言ったら、感じのいいレストランに案内してくれた。ビュフェ式のカレー、いろんな食材が勢ぞろいしていてとてもおいしかった。観光客というより町の人の利用のためのようだ。(2人で1,900Rs)宿で一息ついてから、また自転車を借りて湖へ行ってみる。

それを望むホテルで紅茶。湖の周辺をサイクリング、水路で泳いでいる人がいて、写真を撮る。夕食は、野菜炒め、どこか日本風でうれしかった。宿は、今夜は一人だけ、絵はがきを書く。

        ポロンナルワ宿泊3・SamagiGuestHouse    宿代は3泊と食事で、21,200Rs(16,000)

 

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