旅をしている人
田原 晋

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こちらが実践している・中高年「ひとり旅」

1. 普通のホテルに泊まっていく旅、バックパッカーはもうできません。
  ひとり旅=バックパッカー というのも間違いですよね。

2. 途中でスケジュールが変わる、行く先も変わる。
  カフェで半日過ごしてしまう。気に入ったからもう1泊、教えてもらった場所へ行ってみる。
  予定変更こそが、旅の醍醐味です。
  (ブタベスト・お墓)(ラオス・誘われて1泊の奥地へのボートツアー)

3. 土地の人の方が多い、ローカル列車やバスで行く。(一日の移動時間は、2~3時間が理想)
  土地の人と微笑をかわす、わからない言葉で話をする。(ヴェトナム、インドでは楽しい)
  下手な英語でも単語を並べれば何とかなる。写真をとって後で送る。
  ・次の都市に4時までには着いて、ホテルを探す時間を確保する。
  ・夜行列車や船はなるべく使わない。仕方が無い時はベッドを確保していく。

4. 荷物は期間に関係なく、自分で網棚にのせることができるる大きさ。

5. つまり国内を旅するのと同じように、世界を訪ねる。
  国内旅行を個人でする方なら、世界だって同じ。
  (ただし最近は国内もツアーが多くなっている。海外ツアーも個人意識が強くなっているようだ)

* テレビ番組)関口知宏さん・中国列車旅行。こちらの旅と似ていて悔しい。が彼はテレビのスタッフを連れている。
 (そのためかレシピ・行程表がない・マネを拒否している)
* もうひとつ「街歩き」という番組がある。ひとつの(小さな町を、朝から夕刻まで歩き回る)カメラが歩行者になって
 行く、現地の人が話をする。タレントさんは番組作成時に参加、現地には行かない(それだけで安く制作できるよ
 うだ)・どんな言葉を入れるかで、番組の品格が変わる。同じものを見ても、まるで違う反応になる。我ながらよく
 行っていると思う)

旅のすすめ、その方法

 130505旅のベスト5
 1996年以来、もう20年近く旅をしていることになります。ページ新設を記念して、これまでの旅の中での思い出に残る大事件を選んでみました。どれも、参考にしていたくにふさわしい内容を含んでいるように思うので、紹介することにします。
大幸運と、ヤバイ事件のそれぞれ5つです。残念ですがやはり、失敗の方が参考になります。

これまでの旅でのベストラッキー5

1・ラオス メコン支流をボートで遡上
 タイの北部チェンライから舟に乗って、メコン川を下ってラオスのルアンプラバンに向かった船の中で、年配の女性たちと知り合った、運よく日本の青年がいて通訳をしてくれた。その人たちが、メコンの支流を上る1泊のツアーを計画していて、誘われるままご一緒した。見事に澄んだ川で、瀬では男たちがボートを引っ張り、淀みではどちらが現実か影かわからないほど澄んだ逆さま風景があったりした。着いた小さな村では、ホテルが混んでいて、女性二人の部屋にベッドを入れると誘われたが、さすがにそれは断った。
 メンバーはシアトルの老夫婦、北京の英語教師、イギリスで刑務所カウンセラーの女性、さらに北部の景供へ向かうユタ州の青年、そして就職直前の日本の学生と当方。すべて初対面、こういうことがあると英語が話せないのが悔しくなる。けれど、ただ喋れるだけでもダメだということもまたよくわかった。

2・アンコールワットを空から見物、無料!
 アンコールワットのあるシェムリアップの町で日本人同士が親しくなったのだが、中に雑誌記者がいて、ヘリコプターを申し込んだら5日後になった。2人乗りだから、誰かいかが?と誘われた。皆さん予定が決まっていて、その日まで滞在しているのはこちらだけ。美しくも若くもない当方が、ありがたくお申し出を受けることになった。当日、快晴の中、空から遺跡を眺めることができた。広大な密林の中に点在する遺跡は、空から眺めることでそのスケールを、あらためて実感することができた。
予定なしの何泊するかはその時次第という、こちらの旅のスタイルが正解であったことが証明されたと、以後これは、ますます守るべき鉄則になっています。

3・教えてもらった名所・旧跡
 ルーマニアからブタペストに向かう列車の中、コンパートメントに中年の女性とこちらだけになり、日本人のひとり旅を初めて見たとのこと。悔しいから、ブタペストのお勧めの場所を尋ねる。民家村や博物館は2回目なのでもう行ったと言うと、しばらく考えて墓地と言い地図を開いて場所や行き方も教えてくれた。そこは夢のような場所だった。広大な敷地に、ニンフや天使がからむような18~19cのお墓からコミュニズムの戦争碑など、また樹木は遠慮なく本来の樹形で大きくなっている。他の場所では感じることのできなかった、この国の深い部分を教えてもらった感じがした。
 チュニジアでは、電車の中でフランス語を流暢に話している高校生のグループに尋ねた。皆で相談していたが、結局ある遺跡を教えてくれた。それは行きたいとは思っていたが、交通がとても不便でどうしようかと思っていたのだが、行くことにした。そして、ほんとうに満足した。

 これに味をしめて、以後相手がいれば尋ねることにしている。ほとんどの場合、それは大正解だ。尋ねて良かったと思うし、行って感激している。皆さん国や都市を代表した気分になってお考えになるのだろう。だから悪い場所はないし、教えてもらった以上できるだけ訪ねることにしている。
さて、わが神戸の町ならどう答えるか、まだ、ずいぶん迷っている。

4・コンサート
 ちょっと大きな町にたどり着くと、コンサートの予定を調べてなるべく行くことにしている。クラッシックが多いが、民俗音楽や舞踏のこともある。そのために一応ジャケットあるいはその代わりになるものを持参している。
 思わぬ大家の演奏会に行くこともできるが、ほとんどはその場所でなければ聴けないものが多い。どんなものでもとても満足するし、東洋人がこちら一人ということも悪いことではない。何よりこの場所でなければ会うことがないだろう方々とご一緒して、この土地の歴史を感じることができる。それは観光として訪れるのとはまるで違う楽しさだ。
ブタペスト、プラハ、へルシンキ、タリン、ザグレブ、ベオグラード、マドリッド、ハノイ、クアラルンプール、北京などなど、どれもお話したくて仕方ない演奏会ばかりだ。

5・お祭り
ブータンなどお祭りを目指して訪ねたこともあるが、たまたま行ったその日が、その町の年に一度のお祭りの当日であったことが少なくない。ケララ州の象の行列、バレンシアの昼の花火、チェンマイの花祭り、ベニスとクロワチア各地でのカーニバル~後でそれが年に一度のものであることを教えられ、ラッキーを感謝する。
そういう町のお祭りだけでなく、結婚式や家族のパーティあるいはお葬式など、家や個人のお祭りに出くわすこともあって、これこそが旅の楽しさなのだと思うことが少なくない。思わぬご馳走になったり、その時にしかない料理やお土産をふるまわれたりする。なにより、その場所ではすべての人が善男善女になっていて、こちらも日頃の緊張をゆるめることができる。

*もうひとつ、旅で会えた方たち。これこそが旅のいちばんの喜び楽しさ幸せありがたさと思いますが、これは別格。今回の5項目には、あえて入れないことにしました。また別の機会に。



これまでの旅での大失敗事件・ワースト5

1・カメラ盗難事件
 インド・グルバグラでカメラを盗まれた。というより溝を越えるこちらがふらふらして手を伸ばしてくれた少年にカメラを預けたという感じだったが、それがすっと遠くなって、もう帰ってこなかった。中部の小都市の遺跡公園、彼らの服装から、お金は取るかもしれないがカメラは取らないだろうと思ったのが失敗の元。
 でもそれは半分当たっていて、2日後警察から電話があって、見つかったと言う。たぶん家に帰って叱られたのだろう。とはいえ、実はそれからが大変!警察が渡してくれないのだ。ワイロの要求、すったもんだの上、取り戻しましたけれど~。その話は、長くなる。でも、インドの奥深さを教えられました。
・長いワープロ原稿があるのですが、入力が大変。カメラはまだアナログ時代の2002年。

2・少年グループ取り囲まれ事件
 ルーマニアの小都市バヤマーレ。新旧の町の格差に驚いたのだが、旧市街の向こうに民家公園があり、その帰り。露店の市場でつい気を取られ、突き飛ばされた。転ばなかったが、気付くと少年数人が取り巻いている。転んだところで、手助けするふりをして別な一人がお金を盗む、彼らの常とう手段だ。
「アホンダラ、何やね、何か用か。なめるんじゃねえよ」日本語で怒鳴りながら後すざり、ホテルへ一目散。
 教訓1・街の雰囲気を見て行動しろ。教訓2・少年のグループがいちばん危ない。教訓3・いざとなったら、周囲は知らん顔をする(これは日本でも、最近は当てはまりますね)。

3・バス、置き去り事件
 中国、九寨溝から松潘へ向かうバス。トイレ休憩があって、皆さんの終わるのを待って用を足していたら、軽いクラクション。ま、いいかと外に出たらバスがいない。もう走っているではないか。道の真ん中を走りながら、手を振り足をがに股に飛び上がりながら、走る。ようやくバスが止まってくれた。
 周囲は荒野の1本道。絶対に気付くだろうと、結構落ち着いていたのですが、後で考えると恐ろしいことでした。荷物はみなバスの中にあったのですから。
 中国の旅でいちばん困るのは、こちらが外国人に見えないこと。以後、こちらは事あるたびに、日本人、言葉がわからないことを強調したのだが~。でも、それをわかってもらうのが、ほんとうに大変でした。

4・オシッコオシッコ
 2008年の地中海の旅で気付いたことだが、オシッコが近くなり、またすぐに我慢できなくなって困った。トリエステではカフェを探しながら歩いていて、それがあると、入るが早いかトイレに飛び込み、飲みたくもないコーヒーをもらってばかり、さすがに嫌になった。
 帰って泌尿器科へ。以来、オシッコを出やすくする薬(前立腺肥大)と出にくくする薬を、朝晩に飲んでいる。我ながら、なんとも情けないことではあるけれど、致し方ない事態ではあります。

5・キャリーバッグが消えた
 これはつい最近のペルー。クスコからリマ経由でラパスへ飛んだが、預けたバッグがリマで止まってしまった。リマの空港で、荷物をチェックして指示をしなかったのが原因。クスコで大丈夫と言われ安心してしまい、リマの空港で荷物が運ばれているのを見ながら、通り過ぎてしまった。目の前を通るものは、自分で確認をすることが当然、それを人にまかせてはいけないのだ。
 かくして、荷物なしの着た切り雀、下着に靴下を買いに走った。なんとも悲しい旅となった。帰国直前にそれは出てきたのだが、なんともお恥ずかしいことでした。


*以上の5つの他にも「列車乗り間違い」「そのままでいいのに、わざわざ乗り換えて失敗」「私のホテル何処でしょう・名前も忘れた」「チケットが消えました」「網棚リュック置き忘れ」など、失敗は限りなくあるし、振り返るとラッキーなことより、はるかに印象深い。失敗の思い出を作るために旅しているのではないか、そんな気までして来るほどだ。
それでも元気に帰って来ていますし、また行こうと思うのですから、我ながらあきれてしまいます。

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