旅をしている人
田原 晋

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ミャンマー~シンガポール0703

[旅で思ったこと]
*帰ってすぐに書いたこと。暴動が発生した今から見ると、何と言う見方をしてるのだ。何も見ていないではないか、ということになるのだけれど、これもまた事実なので修整は加えないでそのまま発表します。ほんとうに旅から見えるものは僅かだし、間違いも多い。そのことを知っていただきたいと思います。

1. ミャンマーという国
 ミャンマーという国を一言で語るなんてとても無理だが、はじめて訪れた国について感じたこと。確かに貧しい国だ、これまでに訪れた国の中で最も貧しい。といって熱帯の気候のためか、道で手を差し出している人はそんなに多くないし、その人たちとそうでない人たちとの差もそんなに感じない。すべての人が手を差し出す人にもなるし、逆にその手に何がしかを渡す側にもなってしまうように思えた。またビルマ系中国系インド系少数民族といろんな人たちがいて、その多文化の重なりがこの国を作っている。それぞれが街区を持っていて、そこに入り込むと、まるでインドだ、中国ってこんな感じだろうと思ったりする。陸続きだから当然だろうし、こちらにはインドが懐かしかった、南部ケララのパンケーキまであった。といってお互いが壁をつくっているようには見えない、付き合いながらそれぞれの文化を守っているようだ。
 そして何より人々がとてもやさしい。食堂ではメニュー選びを皆さんが助けてくれるし、食べ方まで指南してくれる。ロンジーというスカートのつけ方から、日焼け止めの塗り方まで教えないと売ってはいけないと信じている。子どもは当然大人たちもにっこりと微笑んでくれるし、乗り物のこちらには手を振ってくれる。これはどこの国よりも徹底して例外がない。来る前に、現在の東南アジアでもっとも安全な国ではないかと言われたことは間違いでなかった。旅をするなら、ミャンマー以上のところはないと断言したくなる。
 確かにここは軍政の国家だ。帰ってから、首都がほぼ完成して外国の報道陣に公開されたというニュースがあった。ヤンゴンから300km離れた場所、堂々たる政府の建物がいくつも完成している。そんなお金を使うなら、もっと使い方はあるだろうと思うのだが。見方を変えるとそのために首都のヤンゴンは軍隊や警察の姿は多くなかった。どの国家より少ないくらいだ。国民が怖いからそんな原野に政治の場所を作ったのではないか、と憎まれ口を思ってみたりしたのだが、この貧しさの中それが選挙で選ばれる政府ならはるかに汚職や袖の内が効く政府になりやすいだろう。軍政も甘い汁がすえるから、あるのだろうか。
 経済の発展が人を幸せにするものではないことを知ってしまった目には、このミャンマーの人たちの幸せそうな生活は、それはそれでいいのかもしれないとまで思わせてくれた。女性とか少数民族への配慮がなされているかは外からはわからない。といって軍政だからいかん、と決め付けるのはむつかしいようだ。まして軍政だから、世の中真っ暗で悲惨な生活だというのも誤りだ。 ともかく人にとって何が幸せか、考え直させてくれた。といって、この貧しさは何とかしなければならない。だからと言うべきか日本よりはるかに皆さんはとても真面目で熱心に働いているし、子どもたちは熱心に勉強をしていた。こちらは旅をしていてほんとうに気分が良かった。
*半年後の今回の事件(デモと鎮圧)は軍政の現実を見せてくれた。見えないし、わからないものだ。


2.ひとり旅の仲間

 今回はひとり旅の若い方に3人も会った。それぞれに目的というか見たいものがはっきりしていて、そのために万難を排して出掛けて来たという意志が感じられ、うれしかった。こう書くと、そんなの当たり前で旅とはそういうものでしょうと思われるだろうが、いえむしろこれは少数派で、何を見たくて旅しているのかわからない若い人が結構多い。彼らは日本人同士で情報を交換しながら同じ場所に泊まって同じようなコースを移動していく。そういう人は、この国にはまだやって来ないようだ。
 まっくろに日焼けした後藤さんは、オーストラリアの友人の誘いにのって奥地からボートで下ってきたのだそうで、明日は熱気球でバガンを空から眺めるのだと、信じられないことを事もなげに言う。お金はあまりなさそうでバガンも歩いて回ったと驚かせてくれた。船で一緒になった高田さんは、モッパ山にシェアして行かないかとこちらを誘ってくれた。こちらは思いもしなかった場所だが、彼にはここが大きな目的地だったようだ。確かにそこはミャンマーの人たちのお参りで一杯の信じられないような桃源郷だった。風邪でインレー湖をあまり回れなかったことを悔しがっていた。大学の先生をしている森さんは、それが目的と言わんばかりにカックーの遺跡に行っていた。こちらは大決心でタクシーをチャーターしたのだが、そんなの当然でしょうという顔をしていた。だが翌日、中心のパゴダまで4kmの道を歩いているのに出くわした。皆さん当方よりはるかに安いところに泊まって、お金の使い方も徹底している。
 それにしてもここに来るために2人はサラリーマンを辞めている。次の職までの間であったり、郷里に帰って家業を継ぐことにしたために可能になった。大学の先生は春休みの間を利用してのことだが、これだって楽にできたのではない。転職なんかではなく、働き続ける中で、こういう旅ができる世の中でないといけないよねと言ったのだが、先の2人はとても無理でしょうという顔をしていた。
 だが、真実ますますそういうことが望まれているのだと、心底思った。出張やツアー旅行のごく短期間でしか、世界を旅する機会がないというのは、日本という国にとっても大変に不幸なことなのだ。
例えば、帰ってすぐ東京に新しくデザインミュージアムが完成したとのことで出掛けてみた。その小さな美術館は見事であったが、どうも計画中に規模が半分になったとのこと。そこは防衛庁のあった場所で、中央に大きなビルができ商店街とホテルになっている。大変な賑わいで東京の新しいスポットになり、都市の再開発として大成功と思われているようだ。でもその豪華なこちらの毎日とはまるで関係のない場所を歩きながら、これは日本の中流クラス以上の方たちの世界解釈の結果のように思った。外国に行き限られた時間繁華街を歩く、あるいはツアーで決められた場所を歩く、その印象がここで再現されている。と考えると、都心に残された国有地をこのように使うのは当然の、それ以外のことは考えられない方法であったに違いない。でも小さなミュージアムを訪れる若い人たち(彼らはお金をそんなに持っていない)が座る場所はない。コーヒーやジェラートを買ってきて話し合う場所を用意しないなんて、世界の都市では信じられないことだ。広場には観光客相手のパラソルのあるカフェと共に、お金のない人たちがただ座って過ごせる噴水やベンチや街路樹が用意されている。そういう普通のことを、時間のない旅の人はけっして見ないし気付かない。その結果がここにはある、その普通でないことに気付くのは旅をしないとわからない。
なんてむちゃくちゃ我田引水、荒唐無稽な展開だけど、常識なんて日常の無意識の積み重ねの中で生まれるものだから、世界を見る目は旅行やテレビの中で生まれる。それが現実と違っていたら、常識もまた非常識になる。


3.シンガポールの成熟

 シンガポールの中国系の人たちは、お行儀がいい。ホテルで夕食に外からやってきた家族たち、飛行機で前席にいた家族づれ、いずれもこちらを不機嫌にさせないマナーがある。大声で話さないしといってこちらへのにこやかな配慮もしてくれる。シンガポールは多民族の集合した国であり外国からの観光客も多い、それが50年以上続いてこの国ならではの文化というより人となりのようなものが生まれているよだ。
 彼らの英語を聞いていると発音は相当に訛りがある、シングリッシュと呼ばれていることがこちらにもわかる。でもそのことより、それを使って話をして心を通じ合わしていることに感心する。言葉は発音よりコミュニケーションなのだということを教えてくれる。恥じることなく素直に言葉を交わすこと、これが何より大切だということが見てとれる。
それに比べると私たち日本は、はるかに発音を意識する度合いが大きい。そのため大半の人は話すことをあきらめ、海外へはツアーで行って恥じているようにそくさくと歩く。国境も一緒につれてきてコミュニケーションは最初から考えていない人が目立つ。
一方、中国の人は傍若無人だ。レストランで私が食べている料理をのぞきこんでボーイさんを呼びこれがおいしそうだこれにすると大声で注文する。私にはまったく配慮しない、こちらがどう感じているかなど思いつきもしないようだ。さすがに腹が立ったので席を立つときに、まだ食べている彼らにカメラをつきつけて私を撮ってよとお願いした。すると彼らは当然というように機嫌よく応じてくれ、全員がチーズなどと叫んでにこやかだったのだが、はて周囲の西欧人はこれをどう思っただろう、多分こちらも中国人の一人だったのだろう。
 シンガポールの成熟とミャンマーの素朴さ、東南アジアの民族はこの中間のどこかに位置するように思う。私たちの日本も発展途上の中国も、ミャンマーの素朴さはとっくに失ってしまったが、何時になったらシンガポールのように、どこの国の人にもくったくなくマナーを持って付き合うようになるのだろうか。
                                      以上

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