旅をしている人
田原 晋

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旅への思い の記事一覧

ようこそ 130505

2013年5月4日

旅への思い, 未分類

ようこそ

2013年(平成25年)5月5日、新しいページのスタートです。

あと何度 行けるか世界 もう5月

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こちらにとっては数年前からの念願が、偶然の出来事がきっかけで完成いたしました。

お楽しみいただくと、とてもうれしく思います。

パソコンの具合が悪くなって、持ち込んだ場所が、ホームページの企画もなさっている会社。もちろん企業対象でしたが、社長さんが旅行好きで、特別のご判断をいただきました。

ほんとうに感謝しています。ありがとうございました。

制作会社・株式会社デジプレート     http://www.digiplate.co.jp/

代表取締役 栗山 明久    〒662-0978  西宮市産所町15-13

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旅の予定2010秋

2010年8月12日

田原晋のひとり旅, 旅への思い

 さていよいよ旅の計画です。
1) まず例年の中国への教育支援ツアー、今年は湖南省。夏休み中でなく新学期に入ってからの9月12日出発で1週間。
 21日に打ち合わせがありますから、詳しくはその後に。

2) そして10月はヴェネチア。実は前回新しく完成した安藤忠雄さんの美術館に行こうと思っていたら、秋にある建築ビエンナーレの総合ディレクターに妹島和世さんが選ばれたというニュースが入ってきた。どうせ行くのなら一緒にしたいと、秋に延期した。
  久しぶりの建築を見る旅(アーキ トラベル)だからその前後をどうするかだが、それにふさわしいのは文句なしにコルビジュエのロンシャン。地図を見るとミラノを通過してとてもうまくつながる。
さらに発着の空港をどこにするかとその前後をさらに伸ばしていくと、片方はアールヌーボーのブリュッセルに、もう一方は街歩きの番組で行きたくなったスロベニアのリュブリャナにたどりつく。
  全体はなんとなく円弧になって「現代建築への円弧」というタイトルまで思いつく。途中のバーゼルやストラスブールに立ち寄る、久しぶりの濃密な旅が実現しそうだ。これなら、誰か誘ってもいい旅になりそうですね。

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これも旅遊び・高松

2010年3月22日

旅への思い

  いえほんの1泊ですが昔の仲間とクラス会を、高松でしました。
  泊まったのは、庵治(あじ)温泉の観光ホテル。温泉のお湯の良さはわからなかったけれど、海のすぐ傍、部屋からも浴室露天風呂からもすぐ前に海が見えて、とてもすばらしい。食事もおいしく、また来たくなりました。
  訪ねたのは、四国村・四国の民家を集めた大きくない野外博物館。民家そのものももちろんいいのですが、彫刻家の流政之さんが参画しているためか、民家の配置というか修景がステキでとても気に入っています。でも入り口にあった昔ながらのうどん屋さんがなくなっていました、この讃岐うどん人気の時代なのに。
また、近くにはアメリカで大変注目された家具作家、ジョージ・ナカシマ記念館もあって、こちらも楽しい。購入できることも知りました。
  翌日は、イサム・ノグチ野外博物館。事前にハガキを出して予約するのですが、学芸員さんの説明があって、2100円の入場料を高いとは思わないほどにすばらしい。10年前は確か誰もいなくて勝手に動きまわったのですが、若い人や外国の方も多くすっかり国際的になっていました。ただ、写真を一切撮ってはいけないと言う。作品はともかく、作業場所であった白壁の建物や石を積み上げた塀、屋島の平らな山と反対にあるのこぎりの山の眺めを取り入れた場所、菜の花が咲き柳の新芽が美しい風景すら撮ることができない。これはいささか横暴で、何より国際標準のマナーに反している。それはおかしいと学芸員さんに言ったけれど、聞く耳を持たれただろうか?

  と書いて気づくのですが、四国の屋島とその東側あたりは、眺めというかただぼんやりとする場所として最高なのですね。陽が射すと眺めはさらにやわらかくなって、のたりのたりという気分になります。7月から、対岸の直島など7つの島をむすんで「瀬戸内国際芸術祭2010」が開かれることになっていますが、この楽しもを加えることができればさらに素敵でしょうね。

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旅への思い

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  友人から教えられて読んだ本についてちょっと書いておきたくなった。ご存知の方は多いと思うが、著者はアメリカに生まれ英国や中国に学び東南アジアにも住んだ視野が広く高い知性の持ち主。長く日本に住んでその美しさを深く愛し、生活した徳島県の祖谷や亀岡の民家のこと、歌舞伎や古美術のこと、それらが現在どういう状況にあるかを書いている。1993年に発行されて評判になり新潮学芸賞を受賞し、英語版Lost Japanも数カ国で翻訳されている。文庫化は2000年で版を重ねている名著だ。
  文庫の最後に解説にかえて司馬遼太郎さんの学芸賞選評が載せられている。その最後は「ともかくも、読後、心を明るくした。これほど日本の暗さが描かれた本もすくないのだが。」で終わっている。残念ながらこちらは、まったく逆に暗澹として気分になった。司馬さんを羨ましいと思うが、こちらはどう考えても美しき日本を消した張本人の一人だと思ってしまう。
  本の内容はこうである。彼が過ごした30年の間に、日本の美しさはすっかり消えてしまった。部分としては残っているし、美しい心を持ちその生活を送っている人はいるが、それは少数派に過ぎない。著作から引き出すと以下のようになる。
  『京都の醜さは意図的なものです。京都はわざと京都の文化を壊しています。市長は京都の屋根の線をこわすために京都タワーを造らせ、禅のお坊さんは石庭にラウド・スピーカーを設け、伝統文化芸術組織はコンクリートと大理石のビルを造る。今、市がまた一所懸命に京都ホテルや駅舎の高層ビル建設を進めているのもこの東京に対しての嫉妬心からで、おそらく反対の声がいくらあっても駄目でしょう。京都市民が京都タワーや大理石のロビーを「モダン」だと思っているからです。』
  『日本の一般の道路は信じられない醜悪と化してしまいました。もし読者の皆さんがこの言葉は言い過ぎだと思うのでしたら、どうぞ車に乗って田舎をドライブして見て下さい。変な電線、鉄塔、看板、コンクリートの土手、ビニールのカバーなど醜悪なものが目に入らない時間を計算して下さい。3分が限度です。3分を超えたら必ず醜悪が目に入ります。』
  まったくそうだと思う。でもその選択以外にどんな方法があったのだろう。こちらはそれと似た感想を10年以上前のアイルランドの旅行中に思った。いえ正しく言うと、車が別の国になっている北アイルランドをほんの1時間足らず通過した。その違いは圧倒的だった。ごみごみした小さな家が並ぶアイルランドの町に変わって、北アイルランドは歴史が止まったかのような刈り込まれた芝生と湖水そして荘園と伝統を残した民家の風景が広がった。ここは英国国教会を信仰する人たちの地域、独立運動はむしろ率先して行ったインテリの人たちが多いのだが最後に一緒になることができなかった。北アイルランドは英国と同じ階層社会を残したままだ。
それに比べて平等を選んだアイルランドでは、領主だった人たちのマナーハウスは荒れ果てているかホテルになっていた。日本の選択と同じだ、それを選んだのだから仕方がない。このような姿なってしまうのだよね、とその哀れな景色にいとおしさを感じた。選挙で投票される人に知性や教養を期待することはできない、また選ばれた人は選んだ人におもねるから文化を守ることは二の次になる。それを止めることはできない。
とはいえ、いま日本でも階層化は進行していると言われている。ただそれは、お金を持っている人と言うだけで、そこに何の期待もできそうにない。あえて言うなら江戸がそうであったように、3百年続けばふさわしい階層による文化が生まれるかもしれないと思うだけである。ただそれまで地球が持ってくれるか、それが問題ですらある。
ということをつきつめれば、民主主義という制度をばら色に見せた西欧の文化そのものに原因があるのではないか、という思いに当然ながら著者はあずかり知らないでいらっしゃるし、観光を振興したいこの国の政府は美しい日本を消したことは忘れて彼をその検討委員に任命している。

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旅への思い

アマデウスの監督だったミロス・フォアマンの作品ということで、ほとんど何の知識もなしで見に行った。お年寄りが中心だが観客は少なくなかったから結構人気があるようだ。
いえこちらは、堀田善衛さんのゴヤを読んで以来、彼に特別の思い入れをしている。といってまだプラド美術館に行っていないのだから何も言える訳ではないが、あらためてマドリッドへ死ぬまでには行かねばと思った。こちらにとっては映画の話というより、旅へのいざないなのだ。
映画では、前後のタイトルバックに沢山の彼の作品が映し出される。大きい画面でそれを見るだけでうれしくなる、というより貴重な映像だ。(若い頃の映画館なら、初めのタイトルだけをもう一度見ようと席を立たずに座っていたに違いないのになぁ、と思ったりした)原題は「Goya’s Ghosts」だから、監督はそのストーリィ以上に、映像の中に彼の絵の世界を再現しようと思ったのではないだろうか。事実、絵にそっくりな女性をよくぞ見つけたものだと思うし、その絵からよくもまぁこのような物語を作り出したものだと感心したのだが、それでもこれを登場人物に思い入れて、哀れな恋と母性の物語と見るだけではちょっと違うのではないかと思った。
その物語はほんのひとつの例に過ぎなくて、ゴヤの描いた絵をまるごと見るように(尋問のシーンなどはまるで彼の絵だ)、人間は何というむちゃくちゃな動物なのだと思うこと、スペインの国が典型的に見せた(といって魔女狩りなどは他の地域にくらべてはるかに少ない)なんとも説明のつかない暴虐無尽な行動を、俺たちはそういう動物なのだと思い知ることではないだろうか(日本も例外ではない)。
彼が版画に添えた文章を思い出して、堀田さんの本を開いてみた。映画の中でゴヤはすでも耳を悪くしているが、その後彼は人を避けるようになり最後は自分の家に閉じこもり、その壁にすさまじい絵を残した。プラドには、それがそっくり移された部屋があるという。そこには残虐な絵だけではない、マスターベーションをする老人もいる。74から77歳まで描いて、亡くなったのは82歳である。

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