旅をしている人
田原 晋

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旅への思い

アマデウスの監督だったミロス・フォアマンの作品ということで、ほとんど何の知識もなしで見に行った。お年寄りが中心だが観客は少なくなかったから結構人気があるようだ。
いえこちらは、堀田善衛さんのゴヤを読んで以来、彼に特別の思い入れをしている。といってまだプラド美術館に行っていないのだから何も言える訳ではないが、あらためてマドリッドへ死ぬまでには行かねばと思った。こちらにとっては映画の話というより、旅へのいざないなのだ。
映画では、前後のタイトルバックに沢山の彼の作品が映し出される。大きい画面でそれを見るだけでうれしくなる、というより貴重な映像だ。(若い頃の映画館なら、初めのタイトルだけをもう一度見ようと席を立たずに座っていたに違いないのになぁ、と思ったりした)原題は「Goya’s Ghosts」だから、監督はそのストーリィ以上に、映像の中に彼の絵の世界を再現しようと思ったのではないだろうか。事実、絵にそっくりな女性をよくぞ見つけたものだと思うし、その絵からよくもまぁこのような物語を作り出したものだと感心したのだが、それでもこれを登場人物に思い入れて、哀れな恋と母性の物語と見るだけではちょっと違うのではないかと思った。
その物語はほんのひとつの例に過ぎなくて、ゴヤの描いた絵をまるごと見るように(尋問のシーンなどはまるで彼の絵だ)、人間は何というむちゃくちゃな動物なのだと思うこと、スペインの国が典型的に見せた(といって魔女狩りなどは他の地域にくらべてはるかに少ない)なんとも説明のつかない暴虐無尽な行動を、俺たちはそういう動物なのだと思い知ることではないだろうか(日本も例外ではない)。
彼が版画に添えた文章を思い出して、堀田さんの本を開いてみた。映画の中でゴヤはすでも耳を悪くしているが、その後彼は人を避けるようになり最後は自分の家に閉じこもり、その壁にすさまじい絵を残した。プラドには、それがそっくり移された部屋があるという。そこには残虐な絵だけではない、マスターベーションをする老人もいる。74から77歳まで描いて、亡くなったのは82歳である。

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