旅をしている人
田原 晋

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旅遊びの合間, 公開講座の旅

20151117~1222

脳いきいき講座(全6回・神戸市東灘区)報告

・東灘区民センター8階集会室 1117日~122213:3015:00 全6回

・東灘区役所委託認定NPO法人 認知症予防ネット神戸(代表・伊藤米美)

*区役所から認知症予防講座の案内がありました。どうやら生活状況(ひとり住まいか、夫婦だけの所帯)と年令で出されていて、こちらが対象の最高齢。今回断るともう案内はないことになる(80代になると、もう相手にされない?)ので、申し込むことにしました。おかげ様で無事、参加することができましたので、その報告をいたします。       

  まとめ・受講者・たはらすすむ(79才・戸建てに一人住まい)

 

「認知症にはかかりたくないものだ」

いえ、ほとんどいい加減な気分で出掛けたのですが、期待以上におもしろくまた感心することも多かったので、まとめておくことにしました。こちらと同じく「認知症にはかかりたくないものだ」と思っていらっしゃる方に、何かの参考になればと思います。

といってこの講座が医学的に効果のある方法であるとは断言できそうにありませんし、また参加すれば確実に、認知症を予防できるとも言えそうにありません。とはいえ、認知症が頭脳の病であるとすれば、頭脳のあらゆる部分を、動かしてトレーニングする(つまり活性化する)ことは、欠かすことはできません。その意味で、確かにこの講座は、考えうる限りの脳のいろんな部分を動かしてみる講座になっています。

これを各自が、これからの生活の中で習慣にして、繰り返しトライすれば、認知症になる暇はないかもしれない?と思わせてくれました。

 少なくもこれまで考えたことがない運動(つまり使っていなかった脳を動かす)があったとしたら、取りあえずはそれを生活に取り入れることが、あなたの認知症の予防の運動になるのではないか、と思います。こちらは少なくもいくつか、そう思わせられたことがありました。ということで、以下にご紹介いたします。

 

「講座のすすめ方」

 参加者は約50名、当然ですが女性の方が多い、年令は70代。それを3つのグループに分けて、以後最後までそのグループごとに進行しました。私たちはいちばん少ない10名足らずのCグループ、他は20名くらいが2組。

 

以後、講義を聞いて、それについて感想を話し合うことで進行するので、お互いすぐに顔なじみになりました。ほとんどが、ご夫婦だけ、またはひとり住まい、という高齢者所帯。とはいえ、このグループ分けの方法は最後まで教えてはくれませんでしたが、お互い会話がはずんで楽しい講義の時間を過ごすことができました。みなさん認知症からはまだまだ遠くにいらっしゃるようでした。

 また、カレンダーが渡されそれに記入することで、講義だけでなく毎日の努力が求められました。お見事なことです。毎週それを提出するという、何年ぶりかの毎日を過ごすことになりました。

 

「講座の効果は?」

 最初はスクリーンを使っての基調講演。認知症の説明とその予防の可能性や方法。そしてこれからの講座のすすめ方。さらに講座を受けることで予防ができるという福岡大のプロジェクトの紹介。3年後7年後までの追跡結果が報告されて、認知症は予防できるのだとの結論が導かれていました。各自の努力で、ある程度の予防、改善ができるのだということは、ありがたいことですし、努力してみようという気分になれます。

講師は看護士さんのグループで、市から委託を受けて行われています。神戸で活動する方々ですが、その知見というか以後の講義の内容は、全国的に認められているというか、現在のところはこれが認知症予防講座(おそらく全国各地で行われている同じような講座)の標準の内容だろうと思わせてくれました。

 

「講義の内容~つまり脳の使い方いろいろ」

  1. 昔の写真から思い出を話し合う昭和初期の庶民の生活を撮った写真を見ながら、みんなで感想を話し合う。子どもの頃の話が、懐かしく楽しそうに話される。みんな昔のことを思い出し、その頃へとタイムスリップする。当然だが、日頃は忘れている感情がよみがえってくる。
  2. いきいき百歳体操(出典・高知県いきいき体操)講師は神戸介護予防教室の作業療養士さん。最初に生まれたのは高知県(いきいき体操)ですが、効果があるということで、全国に広まったようです。身体をゆっくりと動かす体操。例えば8カウントで立ち上がるなど、筋力のトレーニング。これもまた、それをつかさどる脳の部分を活躍させるのでしょう。
  3. お口と歯の健康という顔の筋肉の運動講師は歯科衛生士さん、歯の磨き方ではなく口周辺の筋肉の運動の指導(例えば、ほっぺたの右側をプクプク動かすなど)。確かにこの運動は豊齢線を目立たなくさせるというか、意識しないと動かさないまま過ごしたに違いありません。結果として、いい表情になるに違いありません。そしてこれもまた脳の気付かない部分を使っているのだと感じ入った次第です。
  4. 臨床美術というお絵描き講師は特別非営利活動法人 日本臨床美術協会という全国的なものらしい。たかがお絵かきと思っていたのだが、これはちょっと驚かされた。一部分の紙質を変えた紙とクレヨンが配布され、最初は講師の言われるままに色を決められて線を書く。以後、ほとんど言われるままに描くのだが、気付いてみると、素人は絶対にやらないような技法を使うように指示され、最後には抽象画ができあがり、それに額縁をつける作業まで、やる。専門家ならではの高度な感性を、強制されたにしろ、トライすることになる。つまりそのような高度な経験というか、脳の働きを経験することになりました。
それがどのような効果があるのか、知らないけれど、全国的に行われているとすれば、それなりの効果は見られるのかもしれないと思わせてくれました。

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5.困った時の「あんしんすこやかセンター」

各地のそれの紹介、ともかく何かあれば、最初にお世話になる場所だから、憶えておかねばなりません。看護介護のネットワークの入り口です。

 

「こちらが感じたこと・いい加減に見えるけれど、主催者(役所)は本気なのだ」

受講して感じたことは、主催者の熱心さ。当然といえば当然ですが、「認知症」をなんとか減らしたい、これはそれにかかる老人自身よりもむしろ熱心かもしれないと思いました。医術的にこれが絶対と言う治療方法はないにしろ、むしろそれだからこそ、効果のありそうなことはすべてやろうという熱心さというか真面目さがあります。何より全国各地の方法が取り入れられているのは、その証拠。全国に、それに取り組んでいる多くの方がいらっしゃるのだと、まぁちょっと感動いたしました。

これは画期的な方法ではないでしょうか。少なくともここに紹介された方法に取り組む以外に、認知症を防ぐ方法は今のところないのだと、深く認識したのであります。 惜しむらくは、認知症になりたくないと本気に真面目に考えている方からみると、お誘いの方法や講義のすすめ方が、いい加減というかちょっと不真面目というか、幼稚というかフザケているように感じられることもあるかもしれません。

また講義で語りかける時に、こちらをすっかりの「ボケ老人」と見なす方もいらっしゃって、その態度をちょっと悲しく思いました。もちろん、このやり方が親しくていいと思われる方もいらっしゃるのでしょうが~。

「蛇足」

昔の写真を見て話し合いをした時に気付いたのですが、昔の話をすると言ったら、79才のこちらには当然戦前から戦争中の話になります。戦争があって、食料がなくなって、空襲があって、そして戦争に負けた。音楽も、童謡と文部省唱歌からスタートします。これまで、それが当然と思っていましたし、それで不都合を感じたことはありませんでした。

ところが今回昔の写真を見て、話をしていたら、どうもその内容が戦後の話であることに気付きました。写真は戦前のものであるのに、話されていることはあきらかに戦後の混乱期のことです。それは75才の方であったのですが、その無意識の違いに驚きました。たった4歳の違いですが、無意識の昔は、もう戦後になっている、その年齢を考えたら当然のことですが、そのあたりで年齢は前後に引っ張られているみたいです。       以上

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旅遊びの合間, 未分類, 公開講座の旅

旅遊びの合間・公開講座12

「バナナと日本人(鶴見良行)以後のミンダナオ島」 河合利光 園田学園名誉教授

 

 最後は、ミンダナオ島の話。刺激的な話はなかったのですが、この先生がいらっしゃったおかげで「園田・みんぱく連携講座」が生まれたのですから、感謝しなければなりません。昨年にスタートしたそうで、来年もまた行われるとのことで、ありがたいことです。

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 午後は、同じく元先生による世界民謡のコンサート、そしてお茶を飲んで、無事に終了。前回の講座で目を開かせられたこともあって、なかなか楽しい講座でありました。こちらの能力のなさで講座の皆さまと親しくなることができず、終わってしまえばなにも残らなかったような感じですが、ま、また来年も行われるようですから、それを楽しみにすることにいたしましょう。

といってこれに出席すれば、恒例になっていた2月の旅は行けなくなるのですから、良いような悪いような、ちょっと困ったことでもございます。

 

 

 以上で、12回にわたった・公開講座の旅は終了です。やはり現実の旅に行かねばとと思うのですが、もう3月の中旬、さてどうするか悩んでいるところです。

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旅遊びの合間, 公開講座の旅

旅遊びの合間・公開講座11

「米国先住民アートの知的財産問題」 伊藤敦規 民博助教

 

 今回はアメリカ先住民(アリゾナ州・ホキ族)の話。彼らは部分的には州政府より上位の自治権が与えられている居留地に住んでいるのですが、そこで唯一の現金収入として作る銀細工のペンダントが知的財産問題になっている現状が紹介されました。あきらかなコピー商品が、世界中に出回っているのです。

それは問題だと思いましたが、聞いてみると仕方がないというか、この市場社会では当然のコピー商品です。彼らが作るのは、銀のむく(無垢)板を彫刻して作る一品制作。それに対して、コピーは薄板の打出し製品、おそらく価格は10分の1でしょう。またプラスチックの金属色塗装なら、さらに10分の1の価格も可能です。それが世界的に行われているとすれば、たぶん相手を特定して知的財産問題と取り上げることは不可能でしょう。

 銀のむく板への彫刻の価値のわかる人だけが、それにふさわしい対価を支払って購入するが、同時にコピー商品もそれなりの市場を確保していくでしょう。~と、思いましたが、言っても仕方のないことだ、と黙ってしまいました。それが午前中。

 

 午後は、彼らが来日して民博を訪問した話になりました。その交流が、お互いに思いもかけぬ新しい事態を生み出したという話題で、これが実に刺激的でした。

 民博の収蔵展示しているものを見てもらったところ、その使い方、種族間による違いが示されて、それによってこちらの思い込み違いや、展示の仕方の誤りがわかったりした。またその蒐集時(研究時の)映像を持参して現地で皆さんに見てもらったところ、そこに使われている道具や材料が、現地ではすでに失われていて、そういうものであったのかと感心されたり、先方の歴史認識の誤りを指摘することになったりしたとのこと。つまり民博の生活道具を収集・保存していることが、先方にも役立つことがあるというお話で、民博の意味というか価値に、あらためて気付かされているというお話でした。

 

 最後に感想はともとめられたので、民博、できた時はとても感心して足を運んでいたのだが、だんだんつまらなくというか埃っぽくなって、来ることがなくなっていました。でも今日のお話を聞いて、民博の新しい価値というか、これまでにない役割に気付かされて感動しました。ここは民族の文化を保存したり守ったりする場所で、私たち日本のためと同時に、いえそれ以上に収蔵されている民族のためなのですね。

 いま世界は、経済が発展し、昔からの文化がどんどん失われています。世界の各地ではそれをなんとか保存しようと、いろんな試みがなされています。こちらの気付いている例でいえば、東欧の各国には必ず民家園があって、そこが文化の保存地点になっています。なぜそんなに熱心なのかと思ったら、そこにしかその国の伝統文化が残っていないようで、国家の存立基盤を表明できる唯一の場所なのですね。だから国をあげて熱心にそれを守っています。子どもたちは必ず訪問し、休日には食事や衣服や民謡踊りなど伝統文化を紹介しています。

 それと同じことが、ここ民博にあると教えられて、その役割の大きさに感動しました。いまも世界各地には紛争や破壊が絶えず起こっていて、それが失われています。それをこの場所は、守り、収集場所の方たちと一緒になって維持、発展させる場所になるのですね。

民博を含めて、私たちの文化人類学の研究場所は、研究者の思いにまかせられていましたが、もう少し戦略的な場所選びも、必要になってくるのかなとも考えました。これから時々は訪ねるようにいたします。ありがとうございました。

 という質問というより感想を述べたのですが、先生にも意図が伝わったようで、とても刺激的なひと時でした。こちらとしても、万博公園は散歩か民芸館だけのものでしたが、今後、民族博物館にも時々訪れてみようというという気になったのは、とてもありがたい、うれしいことでした。

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旅遊びの合間, 公開講座の旅

旅遊びの合間・公開講座10

「アフリカの布と商人 植民地交易から現代のアフリカ・中国貿易まで」 三島禎子 民博准教授」

 

 まったく知らないブラックアフリカの話ですが、モロッコの南に接するモーリタリアとその南のセネガルから話がスタートしました。モロッコでそこから来たと言う海外青年協力隊の方に会ったことがあって、先生もそこに5年滞在することから研究をスタートしたとのことで、親しみを感じることができました。

 

 布と商人について、講義は古代からの交易、そして植民地交易へ。奴隷という新商品も、農産物や鉱物と同じように扱われ、それぞれに仕組みが整備されていきました。それらを担ったのが、ムスリム商人とも言われるソニンケ民族で、ガーナ、マリあたりの出身ですがアフリカ各地から世界(フランス、マダガスカル、イスラム諸国からインド、香港)へひろがっていきました。華僑と並ぶ交易民族といえます。苗字からそれがわかるらしく、先生はそのネットワークでアフリカ各地へ出かけることができたとのことで、その実際の話などはまるで冒険小説のようでとても興味深いものでした。

 結果としてアフリカでは布を作ることはなく、すべて輸入によることになってしまいました。アフリカ民芸と見える色柄もすべて輸入商品だそうです。また一面としてアフリカは物価が高く(2.5倍くらい)、貿易(小さな取引から大きなものまで)がやりやすいものになっています。~そのことがアフリカの貧困を救えないものにしている一面があると思うのですが、それは今回の話題ではありません。

 

 またフランスの移民事情についても触れられましたが、外国生まれの人が530万人、移民2世(フランス国籍を持つ)が650万人で、全人口の19%で、ドイツとまったく同じなのに驚きました。

 

 と同時に、日本の外国人労働者へ対する考え方の浅はかさ、というか将来についてまるで考えられていないことに危機感を持っておられるようでした。

 先生のお考え「世界の人がやって来る事態に対して、差別はしないが区別する。区別しながら、共存する」というご提案についても、具体的な方策を伺えなかったことが、とても残念でした。

 

 さらに、その先生から見て、日本は人口の減少をどうするかが大問題なのに、そこで経済伸長を目指すことはまったく矛盾する政策とのこと。そのあたりも、詳しく伺いたかったが、それは今回のテーマと違い過ぎたのがとても残念なことでした。

 

 

 いずれにしろ、スタート時点で、こちら側のあまりの常識のなさがお話を深くすることをすべて遮ってしまったようで、何より申し訳なかったというか、ほんとうに悔しいものでした。

 ともかく現地を草の根から見ておられる民博の先生のご意見を、日本の政策にもっと取り入れて欲しいものだと願ったりしました。

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旅遊びの合間, 公開講座の旅

旅遊びの合間・公開講座9

「オセアニアの紛争」 丹羽典生 民博准教授」

     当日は、吹田の民博集合、講義の後に実際の展示も見ながらの講義。朝10時に阪急山田駅到着、何時ものように万博公園西口から入って、プラタナスの並木道をゆっくりと歩いて、民博に行きました。お気に入りのコースですが、この行き方はこちらひとりだったようです。

 

 さて講義は最初に、オセアニアとはどこかの確認から。5万年前にはできたそうで、ミクロネシア、メラネシア、ポリネシアの3つに分かれています。人類は、ここに数千年前から進出したようで、DNA分析によって、その経路まで推測されています。つまり、ハワイもイースター島もトンガ王国もタヒチも、みんな共通の祖先から生まれています。

    ですが、その自然風土やその後の文化、植民地化の影響などによって、社会には大きな差が生まれています。ポリネシアは首長がいる階層的な社会、肌は浅黒くて巨大。メラネシアは階級がなく平等。ミクロネシアはそのどちらもあって、文化的に多様性があり、ここには日本語も残っている場所があったりします。

    とはいえ全体的は、とても平和な地域で、食べることに事欠かない自然環境、主食はパンの木(芋のよう)、タピオカ(芋)。また野生動物は種類が少なく、おとなしい(カンガルーのような動物も生き延びることができた)。またカヴァいう嗜好品があって、根を飲むと眠くなる。共に食べることで仲直りをする。それをカヴァ文化と呼ぶ、習わしがあったりするようで、時間にルーズなことが当たり前になっているとのこと。

   と言いながら戦争もまたあったようで、武器もまた発達した。その実物が(映像と実物で)示されたりした。なんとも扱いにくそうな大型のこん棒や斧、剣や首吊り用の紐、弓矢そして投石器、もちろん盾、そしてお面などの被り物(鎧兜にあたる)など。もちろん実用として使われたのだろうが、威嚇というかおどし用ではないかと思えるものも少なくなかった。お面は大きな舌を出していたりする。

    そして戦いの前には、ハッカという戦争ダンスをする。これはニュージーランドのラグビーチームが試合の前にする踊りとして残っている。1880年頃から行われているが、現在ではフィジーやトンガのチームも独自のダンスを考案して行われている。その映像を見せてもらったが、なんともユーモラスである。これを見事にやった方が勝利、という戦争の仕方もあったのではないかとまで思わせてくれる。閑話休題だが、源平の戦ではお互いが大声で名乗りあい、名人が弓を射って(那須与一の屋島の戦争)それで大勢が決まった例もあったようだ。また戦争文化の一環としての儀礼的な食人の風習も18~19世紀まであったらしい。

 

     講義の後、オセアニアの展示ブースへ行き、実物や映像で確認させてもらいました。民博ならではの、充実したものでしたが、こちらはさすがに疲れて、その後の館内を自由に見る時間は、大半をベンチで居眠りしていました。といって数年間に見た展示とは大きく違っていて、あらためて民博のふところの大きさに感動。あらためてゆっくり見に来ようと思いました。

     こちらの興味で言えば、済州島の民家の模型が精密に作られていて、実物が残っているのなら、ぜひ行って見たいと思いました。

 

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