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田原 晋

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北欧4カ国・0608~09

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北欧4カ国・0608~09

Scandinavia Denmark~Norway~Sweden~Finland
060823~0913
北欧・デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド・旅で思ったこと


1・ムンクの叫び
 オスロに向かう早朝の列車から外を見ていると明けたばかりの空がまた暗くなって、時間が逆戻りしたというか、いやもう夕闇が来てしまったようになった。こちらが鳥ならば大騒ぎをする天変地異だと思ったが、満員の通勤の客は何ごともないように気づく人さえいない。ここは朝と夜とがまるで違う流れ方をする地域なのだ、と思ったとき突然ここはムンクの国だと、その叫びの絵を思い出した。あれを夕方の風景だと私は勝手に考えていたが、あれは真昼かも真夜中かもしれない。そういう時間を過ごしていたら、叫びもまたごく自然に発せられるかもしれない。いえ叫びはもっと親しい行為かもしれない。
 その国立美術館、国家の英雄に敬意を表してムンクは中央の1室を与えられその代表作が並べられている。叫びは小さな作品だが、とても大きく見える。あらためてこれが夕景であるとは考えなくていいのではないかと思うとともに、やはりこの風景の中で叫びを上げたのは彼ならではの感受性というか才能だと、あらためてこの作家のすごさを知ることになった。彼は長生きして膨大な作品を残したから、別の場所にムンク美術館まである。しかし彼の作品は30歳で描いた叫びの前後5点くらいを見ればじゅうぶんではないか、こちらの目にはそのように思えた。ほぼ百年を過ぎていま世界はどこも何時でも、叫びを上げたくなる状況になっているではないか。

帰ってすぐに夭折した石田徹也という若い画家のことを知った。彼の不安の表現はムンクの叫びに通じる。31歳というのはあまりに若く残念だが、ムンクを見てきた目から言えば歴史に残るだけの作品はもうじゅうぶんにある、と思う。むしろ残った側がその作品をこの国を代表する作品と思うかどうか、いやそのように扱うかどうかにかかっている。ムンクは長生きしたことで国家の英雄だと誰もが思うようになった、いえそういうふうに誰もが考えることができたと言える。この国の画家をみてもそういう流れと無縁ではないだろう。
と書いて気づいてみれば当方は70歳だ、我にかえれば30歳以後は生きている価値がないなんて言われたら、やはり悲しい。せめて長く生きることでこういうことに気づくようになったのだと、思うことにしよう。

2.アアルトの大きさ
 今回はアアルトの建築を訪ねるのが目的のひとつだったためか、これまでになくたくさんの一人旅の日本人に出会った。建築はその場に行かないと見ることができないから、建築を学ぶ若い学生や建築好きはそこへ旅することになる。ユヴァスキラという彼の作品が多い町で、留学先のドイツからと東京からどちらも女性、友人を誘ってはいるようだが一人で来るのが当然と思っているのがうれしかった。お父さんを誘ったが来なかったそうで、そうか一緒ならホテルも食事も上等になるねと笑った。もう一人建築に関係なく早朝のオスロの宿で会った男性、同じ列車に乗る。ノルウェーの北部を、観光コースをはずれ一人でテントを張って野宿したそうで、大丈夫だったかと尋ねると、人が少なく誰もいない場所が多くて安心でしたと言う。そうか人間が危ないかのかと、妙なところで感心する。カメラを向けると強そうな無精ひげが緊張した、気が弱いのだ。ヘビースモーカーで途中ホームに下りて吸っていた、1箱800円するとのこと。国内なら彼らと話はできないだろうに日本語が話せるだけで親しくなれるのだから、これも旅の楽しさだ。
それにしてもこの辺境の建築家の人気は、新しい世紀に入ってますます高くなっているようだ。予約しなければ見れなかったり案内時間が決められているような小さな住宅でも、必ず何人かの人と一緒になった。それは近くの世界遺産の木造教会よりはるかに多かったから、その人気がわかる。もちろん世界中から訪れているが、中でも多いのが日本とスペインと言う。モダニズムだが、木材を多用して肌触りを大切にするところが私たちの感性と通じるというか引き戸や布や網代のスクリーンに日本からの影響すら感じるのだが、そのような地方性のあるところがスペインにも通じるのかもしれないとガウディを思い出したりした。
だがこちらが気付いたのは思っていたより小さい、人間のサイズで考えられているということだ。写真で見ていると大建築家の作品だと思うためか気付かないで大きくしてしまうところがあるようだ。例えばユヴァスキラの大学の本館、弧をえがく傾斜屋根が印象的だが、その最下段の土地と接する部分はちょっとした屋外の階段教室それも一クラス分くらいの大きさ。それが伸びていく傾斜屋根の内部はホールと呼ぶよりちょっと大きな階段教室、ちょうど講義の時間だった。ホールと呼ぶなら小ホールと言い直すのが正しい。またヘルシンキのフィンランディアホールは中に入ると、傾斜がとてもゆるやかで一人分の椅子もゆったりしているから、収容の人数は多くない。人口の少ない国だから、日本のホールの半分以下の大きさだろう。観客のお互いが顔を確認し挨拶ができる。見ることのできる住まいは自宅や別荘で、とてもつつましい。コルビュジエやライトの住宅と比較してもはるかに小さい。さらに木陰に自然石をベンチのように並べたり、椅子や花びんも曲線のデザインを採用するなどディテールへの配慮もきちんとしている。
考えてみれば現在話題になる建築はいずれも大きい。建築だけでなく乗り物もアートも映像で描かれる世界も、環境や文化や経済を語る論評もすべて、人間のサイズと関係のないような大きさになってしまっている。好き嫌いにかかわらずそういうグローバルな世界に生活することを要求されている。そういう世の中になったことへのわずかばかりの脱出というか無意識の行動が、建築の世界ではアアルトへの人気になっているのではないだろうか。
たまたまフィンランディアホールで聴いた演奏会が、聖歌のコーラスであったために、人間というサイズが奏でるすばらしさやそのサイズが生み出す深い喜びを感じることになった。そういう人間のサイズの中からしか、コミュニケーションとか育児や介護という人に関わる問題のほんとうの解決はできないように思う。


3.福祉と物価障壁
 それにしても北欧はホテル代を含めすべてが高かった。言葉がよくわからない年寄りに観光案内所の係りがB&B民宿を紹介しなかったためもあるのだろうが、それを差し引いてもやはり高い。東京のビジネスホテルくらいのものが、1万5千円以上する。旅のモットーである「日本での生活費を持っていけば旅ができる(航空券は別にして)」はあっけなくつぶれた。ホテル代だけでなく食事代も電車代だって高い。これでは住むつもりで入国しても居座る訳にはいかず、早々に逃げ出すことになるだろう。まるで物価で障壁を築いていると思うほどだ。世界の人が羨む高福祉の国家は、観光客にもその一部を負担させながら維持されている。
 北欧の高福祉が実現されたのは大変な努力の結果だということはわかるが、それでも他の国ではとても実現不可能なことだという気がする。まず「厳しい自然環境」一定の生活レベルというか対応がなければ冬を越すことができないから、安易な人間の流入が起こらなかった、したがって人口が多くない。そこでは各自の独立心と協力が欠かせないことになるのだが、その体制実現のためには「そこそこの歴史」も幸いしている。先住民族からの権利の要求も多くない。つまり産業革命以降の近代主義の合理的な論理で体制ができあがる。その土台になる宗教も「プロテスタント」であったことが幸いした。偶像崇拝の禁止は神の施設への過大な投資をすることがなかったし、知識層の論理と善意がそのまま実現されることになった。
高福祉の体制はその結果、生み出されたと言うことができる。高い税金と結果としての高価格が、それを支えている。
ということを理解すると、私たちの国でもこれを実現することは、残念ながら不可能だろう。税金を論議することすら選挙前にはできないという思考だから、消費税20~40%さらに高い所得税を負担することは、下流も上流もふくめて反対されるだろう。しかもほとんどの人は、家族という単位で物事を考え、個人で人生をまっとうすることはむつかしい。自分が稼いだものは自分で使う、残ったものは国家に提供する、なんて考え方はできそうにない。また景気という経済を第一に望むのだが、それが個人の幸せにつながるかどうかはあまり考えないようだ。何より反対意見を話し合いで妥協できるとは思っていないようで、議論といっても結局自論の展開だけで、最後は怒号になってしまう。そして結果として、誰か例えばお上とかお天道さまに頼ればいいというか世の中に序列があると思っている、ようにしか見えない。

と書いて、ここでもまったくの悲観論になっている、これは老人ならではの発想と認めざるを得ない。このような不可能を可能にしてきたのが人間の歴史だから、ともかくトライすることが何より大切なことだと言い直すこともまた可能になる。といってそこに生まれるのは、現在の北欧の体制とはまるで違うものになるのだろう。
イスタンブールから中欧を貫いた旅のシリーズも今回で一応の終了、わが身体がアジアとヨーロッパをつないだとちょっと満足しています。次回からまた新しいルートを展開します。では、
      以上

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北欧4カ国・0608~09

[費用]
1) 航空券 フィンランド航空168,000. 関空使用2,650.航空保険超過負担1,800.燃油チャージ15,400.
Finland旅客サービス1,600.保安500.通行1,000. 合計190,950.
旅行保険(東京海上日動) 11,240.  以上エアーリンク支払い 
2) 列車など
 1.コペンハーゲン~ヨーテボリ 263dkk/5,786yen
 2.ヨーテボリ~オスロ 455sek/910yen
 3.オスロ~ストックホルム(ヨーテボリ経由)349nok,582nok/yen
 4.ヴァイキングライン ストックホルム~トゥルク(寝台、シニア料金)363.75sek/7,275yen
 5.トゥルク~ユヴァスキラ 38eur/5,776yen
 6.ユヴァスキラ~タンペレ 22eur/3,344yen
 7.タンペレ~ヘルシンキ 25.60eur/3,891yen
3)ホテル
1.8月23日(水)コペンハーゲン Hotel Tiffany泊 945dkk
2.8月24日(木)コペンハーゲン Hotel Tiffany泊 2泊1927.80dkk(39,142円)
3.8月25日(金)コペンハーゲン Hotel Fy og Bi泊 993dkk(20,273円)/宿泊795(16,231)+夕食198(4,042)
4.8月26日(土)ヨーテボリ  Hotel Opera泊495sek
5.8月27日(日)ヨーテボリ   Hotel Opera泊495sek(2泊 16,313円)
6.8月28日(月)オスロ     Hotel Thon Terminus泊660nok(12,444円)
7.8月29日(火)オスロ    Soria Moria Hotel泊 1.785nok(34,211円)
8.8月30日(水)オスロ     City Hotel泊   450nok(8,504円)
9.8月31日(木)ストックホルム Nordic Sea Hotel泊 1.340sek(22,370円)
10. 9月01日(金)ストックホルム Central Hotel
11. 9月02日(土)ストックホルム Central Hotel泊2泊1990sek(32,357円)
12. 9月03日(日)*船中泊・シニア料金で363.75sek、今回の旅でいちばん安い宿泊(計算外です) 
13. 9月04日(月)トゥルク    Hotel Centro 泊 89eur(13,423円)
14. 9月05日(火)ユヴァスキラ Hotel Milton泊 90eur(3人部屋)
15. 9月06日(水)ユヴァスキラ Hotel Milton 泊70eur(2泊160eur 24,291円)
16. 9月07日(木)タンペレ    Hotel Victoria泊 99eur(14,914円)
17. 9月08日(金)ヘルシンキ   Hotel Fenno泊 65eur
18. 9月09日(土)ヘルシンキ   Hotel Fenno 泊 65eur(2泊130eur 19,762円)
19. 9月10日(日)ヘルシンキ   HOTEL ARTHUR泊73 EUR(休日料金)
20. 9月11日(月)ヘルシンキ   HOTEL ARTHUR泊94 EUR(2泊 167 EUR 25,411円)
                    合計 19泊 279,373円(1泊当たり 14,704円)

 それにしても北欧はホテル代を含めすべてが高かった。ホテルは1泊当たり平均14,700円。観光案内所の係りが、言葉のよくわからない年寄りに民宿を紹介しなかったためもあるのだろうが、それを差し引いてもやはり高い。わが旅のキャッチフレーズ「日本での生活費を持っていけば旅ができる(航空券は別にして)」はあえなくつぶれてしまった。これでは住むつもりで入国しても居座る訳にはいかず、早々に逃げ出すことになるだろう。まるで物価で障壁を築いていると思うほどだ。高福祉の国家は観光客にもその一部を負担させながら維持されている。
また、以上のことを理解したとしても、私たちの国では、高福祉の国家になること、つまり消費税20~40%さらに高い所得税を負担することは、下流も上流もふくめて不可能なことだと思ってしまった。なぜってほとんどの人は、家族という単位で物事を考え、景気という経済を第一に望み、反対意見を話し合いで解決できるとは考えず、最後は誰か例えばお上とかお天道さまに頼ればいいというか世の中に序列があると思っている、のだから。

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北欧4カ国・0608~09

Scandinavia/Denmark~Norway~Sweden~Finland/060823~0913
北欧・デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド


12. 9月03日(日)ストックホルムから船でフィンランドへ
 午後)雨があがった公園の大きな木の下にあるカフェでお茶、これでスウェーデンともお別れ。荷物を持って、連絡バス乗り場へ。
ストックホルム~トゥルク 18:30連絡バス 20:(ヴァイキング ライン 船内泊)
 定時出港、船は9階(エレベーターの階数)でその上のデッキで暮れて行く町を眺める。船は細い水路をぬけて行く。食堂で少し時間をつぶす。2階の寝室は水位以下の船底で窓がなく4人部屋、最初は2人だったがもう一人、夜中さらに酔っ払ったのが入ってきて結局満席。朝はデッキに出た間に皆さん消えていた。
シニア料金で363.75sek、今回の旅でいちばん安い宿泊。 


13. 9月04日(月)トゥルク    
 無事にフィンランド到着・時計を1時間すすめてバスで中心部に、中央のマーケット広場でコーヒーを飲みiが開くのを待つ。
駅でチケットを購入して歩いていたら日章旗、どうせうまくない高い店と通り過ぎようとしたら日本の家庭料理[やすこの台所] とある。入ってみる、50代の女性が定食で親子どんぶりと言う。早いけど食べることにする、確かに久しぶりの味。若い女性とは親子ではなさそう。旅の日本人客は少ないようだ。バスの乗り方アアルトの建物など教えてもらって、工場を再開発した大学へ、これも見学らしい若者について中に入る。気持ちよい建物だ。続いて大聖堂。どうせならとやすこさんの店でお茶とケーキにする。店は学生たちでいっぱい、どんぶり、すし、などと注文している。彼らの間食として立派に場所を得ている、そりゃあドックやピッツアよりはるかにいい。忙しくてあまり話できなかったが、ダンナを亡くしここで生き抜く覚悟のよう、この町が好きなのだと言う。こういう出会いがあるから、旅は楽しいとすっかり上機嫌。(マーケット広場北側の道を東に2ブロック、ぜひどうぞ)
 19世紀の木造都市住宅を残した小さな博物館へ、場所がわからず小学生の一団に聞くとあっちと指差す、歩いていると追いかけてきてこっちでしたと言う、その親切に感謝する。その売店に薄板で編んだ大きな篭があり欲しくなったがあまりに重い、暖炉脇の石炭入れに使うらしい。欲しいが買えないと言うとそれを造っている写真の絵葉書をくれた。同じものがヘルシンキでもあったが板の質がまるで違った。夕食は大衆食堂というかステーキ屋でポークかつ。カフェは開放的だが、食堂は窓が小さく暗い店ばかりでどうも入りづらい。
Hotel Centro 泊 89eur(13,423円)
14. 9月05日(火)トゥルク~ユヴァスキラ 9:45~13:41 3H(325km)38eur(5,700円)
 列車でアメリカ留学中の韓国の学生さんと一緒になる。フィンランドはスカンジナビアではないみたい、英語を話さない人が多い、日本みたいとのこと。だから時間も違うのだよと言うと時差を知らなかった、朝到着してすぐ乗ったようだ。ただ彼女がそう思ったことに、ちょっと意表をつかれた。こちらは別のことで両国が似てると思っていた。タンペレで降りて行った。
 Iでいろいろ助けてもらうが、ホテルは結局駅前の3人部屋、この町も混んでいる。町外れのアアルト博物館(明日のコエタロ見学を申し込む)、隣の中部フィンランド博物館へ。どちらも彼の設計、彼の人気はむしろ増大しているようで、老若たくさんの人が来ている。夕食は町の食堂(13.6eur/2,067)、学会できたというグループに会う。
Hotel Milton泊 90eur(3人部屋)
15. 9月06日(水)ユヴァスキラ
朝ユヴァスキラ大学へ。 グランドを囲んで2~3階の建物が並んでいる。そのひとつは学生食堂、四角いレンガ造だが高い窓に向かって木造天井を斜めに張り光を反射させて取り込んでいた。裏側にアアルトを名づけた会館があってプールとリハビリ施設、お年寄りがすでに大勢。グランドでは近くの小学生が休み時間にサッカーをしていた。彼の建物は人がいることで魅力が倍増する(誰の建築でも同じか)。また建物の裏口をテラスにして、その前に自然の石がベンチのように並べられ、ちょっとした屋外舞台というか教室になっていた。大学のカフェで休む。
午後のバスで郊外のコエタロ(実験住宅)へ、いろんな材料を試している。予想通り魅力的な別荘。一緒に日本の建築学生が2人、一人はドイツ留学中だがそれぞれに女一人旅。こういう人に会うと何故かとてもうれしい、もちろんこちらよりはるかに英語がうまいから質問などをお願いしたりする。その後こちらは村役場にまわる。これにも感心する。一人は夕方ヘルシンキに帰るそうで、夕食に出掛けたついでに駅に見送るが名前も聞きそびれた。
Hotel Milton 泊70eur(2泊160eur 24,291円)

16. 9月07日(木)ユヴァスキラ  
パタヤヴェシの木造教会へ、バスは目の前の停留所でない場所に止めてくれる、カナダの若い女性と2人。塔は霧にかすんでいる18世紀のもの。十字プランで内装はシンプル、世界遺産であることはわかるがむしろ拙さを感じる。すでに使われてはいない。湖の大きな鳥を見ながら停留所まで歩き、帰る。ユヴァスキラの町を少し歩く。
ユヴァスキラ~タンペレ 列車
 ホテル探しに疲れて手前の都市でもう1泊することに、駅裏の無骨なホテルでも安くはない。町の中央を横断する川はふたつの湖をつないでその水位差を利用して発電をするもの。川というより高低差のあるダムの連続で、その眺めはおもしろい。工業都市だが19世紀の建築(消防署、レンガ造の工場・再開発、発電所など)が多く残っていて、とても落ち着いた感じ。また女性建築家によるという中央図書館は2階建てで気持ちがいい。1階にムーミン美術館があるがそれは見ずに、中央の吹き抜けらせん階段にドーム天窓を望む2階のカフェで休む。で午後8時まで開いていて大勢の老若男女が来ている。天気は悪いが満足、ただし夕食は中央通りのファーストフード店。
Hotel Victoria泊 99eur(14,914円)

17. 9月08日(金)タンペレ
出発までの時間、アムリ労働者博物館へ、工場労働者の木造住宅を保存したもの、周囲は建て替えられた中層都市住宅。古いものは1860年だが、1965年までインテリアもその時代に合わせて展示してある。つまりこちらの生きてきた時代なのだ。外観は木造羽目板のそっけない建物、共用台所にサウナ付き。同じ外観で各種のお店もある。郷土料理のレストランで車中のためにサンドをもらう。アムリはシベリアのアムール移住地域のことで蔑称、この国にとって、これは歴史として残すに値する古さなのだと知る。中央図書館の前を通って、駅に急ぐ。
タンペレ~ヘルシンキ 列車 12:07~13:52
ヘルシンキ到着。駅のiでホテルを紹介してもらう、この時間はまだ混んでいない。2泊が無事取れて安堵する。時間があるので、まずは岩を掘って天井をかけたテンペリアウキオ教会、予想通りに見事で見学客も多い。プロテスタントならではの教会だ。もうひとつ行きたかったキアズマ(現代美術館)は展示替えで休館中、昨年は月曜で休日、どうもついていない。ただフィランディアホールでコンサートがありそのチケットが取れた。夕食は中央駅のビュッフェ式のレストラン、天井の高い内装がうれしい。東京駅がすっかり変わったのとは大きな違いだ。 
Hotel Fenno泊 65eur
18. 9月09日(土)ヘルシンキ 
 ヘルシンキ工科大学、バス乗り場でユヴァスキラの学生さんの一人に会いご一緒する。写真で必ず出てくる本館の階段状の屋根は思っていたよりはるかに小さく屋外での講義の椅子席として考えられている。来なければわからなかった。学生会館、ここも掘り出した岩盤を壁として使っている。またコンクリート型枠の複雑な造りに時代を感じる。礼拝堂、屋外の十字架をガラス越に見る木材の天井架構、ここでもプロテスタントがモダニズムだ。
午後ひとりでアアルトの自邸へ、途中何人もの親切な方に教えてもらう。ここも快適な小住宅、贅沢とはこういうものだと思う。見学は何人かまとめての説明、その中に日本のおばさん2人がいたが話はせずに別れる。近くのカッフェでケーキとお茶、とても満足する。
早い夕食をすましてアアルトのフィンランディアホールへ、国際聖歌コンクールの本選コンサート。一応ネクタイはしているが皆さんの盛装には申し訳ない。広い入り口とクローク、ゆるやかな階段をあがってのロビー皆さん歓談をしていらっしゃる。ホールの席もゆるやかで革張りの椅子は幅も広くビジネスクラスとでも言うか、収容の人数はそんなに多くはない。出場者の熱心さがうれしい。各グループの演奏の後、審査の間にシューベルトの歌曲と土地の合唱団による西村晃のInner Moonlight 、ほとんど聞き取れない日本語「しずかに~」だがそれが選曲され演奏され観客の皆さんも楽しんでいるのがほんとうに信じられない出来事だった。たぶんおそらく日本人は当方一人だけ。休憩の時間、飲み物のテーブルには近づかず、目立たぬように建物を見てまわることを選んだ。
さてコンクールの結果はこちらも感じた通り、見事なテノールにポリフォニーがからんだグループと、すばらしい精神性で感動を与えてくれたグループが、1位なしの2位を分け合った、賞金の関係だろうがどちらも1位だろう。その喜びの中で、前者は会場いっぱいにアトランダムに立って小鳥のさえずりにこだまするようにいろんな声が掛け合い重なり反響し合って最後にそれが舞台へと動いていく夢のような演奏。後者はこちらも会場いっぱいに広がり声で通奏低音を響かせながらその上に音楽を乗せて、まるで大聖堂というか会場全体を楽器にしたような演奏を聞かせてくれた。人の声のすばらしさをあらためて教えてくれ、音楽の原点が人の声にあることを再確認させてくれた。最後はみんな立ち上がっての拍手、お互いに満足の笑みを交わしながら終わった。帰りのトラム、プログラムを持っていたためか多くの人が微笑みをかけてくれた。部屋に帰ったのは23:30。
アアルトを訪ねる方は多いがこのホールを楽しむ方は多くない。このホールの大きさそして音の響きが人にふさわしいサイズで出来上がっていることは建築の皆さんにぜひ感じて欲しいものだ。このホールは外から見ると大建築に見えるし、彼を尊敬する目はどうしても建築を無意識のうちに実際より大きくしてしまっている。そう知っただけでも来た甲斐があったようだ。
Hotel Fenno 泊 65eur(2泊130eur 19,762円)
19. 9月10日(日)ヘルシンキ 
 朝ホテルを移動、来る前にネットで確保したもので中央駅の近く。バスで野外博物館へ、散歩の人が多いが民家の開館は11:00で少し待つ。思ったよりはるかに小さく、ここでも当方と同年配くらいの若い?家が多い。昼食もそこで済まして市内へ帰る。デザイン博物館、この国でアアルトが果たした役割の大きさをここでも知る。
そろそろ旅の終わり、買い物だ。お土産はトナカイの肉の缶と学生さんが言ったのを真似してこちらもスーパーへ行ってみる。それから夕食、また商店街のイタリア料理(20.3eur/3,085)、なんと席にノートを忘れて帰る(今回の旅で2度目、取っておいてくれ受け取ることができた)。  HOTEL ARTHUR泊73 EUR(休日料金とのこと)
20. 9月11日(月)ヘルシンキ  
バスで1時間先にあるポルヴォーPorvooという古い町へ(この国に留学経験のある千香さんのお奨め)。バスは観光客が多い。Iで町巡りの地図をもらって歩く。古いといって20世紀前半の住宅、川岸に木造の倉庫が並んでいる。いい雰囲気だがすべて修復しペンキが新しい。昼食を土地の人たちでいっぱいの食堂でとり食、2時のバスで帰る。
夕食は駅のレストランでスープ、旅が続くと食事がぞんざいになる。きちんとしたレストランに入るのがおっくうになるというか、その緊張がしんどくなる。結局トナカイを食べなかった、今になってちょっと残念。
HOTEL ARTHUR泊94 EUR(2泊 167 EUR 25,411円)
21. 9月12日(火)ヘルシンキ
 最後の日、お土産を買いに市場に行く。広場には屋台が並んで食品だけでなくTシャツなども売っている。レンガ造りの古い市場を見て、内部のカフェでお茶をもらう。建築博物館は模様替えで休館。ホテルで荷物づくり。荷物をあずけて最後の散歩、商店街の広場でスープの昼食、雑貨店で大きな青い篭を求め荷物の紙袋の代わりにする。
出発、休館中のキアズマ(現代美術館)の1階部分の写真を撮らせてもらってから、バスに乗る。
フィンランド航空 AY077 ヘルシンキ17:15~関空08:40
22. 9月13日(水)関空08:40

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北欧4カ国・0608~09

Scandinavia/Denmark~Norway~Sweden~Finland/060823~0913
北欧・デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド


0.旅の前に・今回は北欧の4カ国、昨年エストニアまで北上してヘルシンキから帰国したのだからその先へ行くことになる。デザインを勉強した青春の時代にはもっとも行って見たい国々だった。

1.8月23日(水)リムジンバス 六甲Is 8:38~関空 9:35
フィンランド航空AY078 関空11:00~ヘルシンキ15:20
   AY667 ヘルシンキ17:45~コペンハーゲン18:25 
 19:30ネットでやっと予約できたホテルに無事到着、思った以上の安ホテル、しかもトラブルがあったとかで水が出ない、疲れて何もする気になれず持参のお茶でうがいして寝る21:30。値段は高いのにと無性に腹が立つ。23:00水が出ているのに気づくがそのまま寝る。Hotel Tiffany泊 945dkk

2.8月24日(木)コペンハーゲン
04:00目が覚める、06:00起床。朝食はなんとドアに吊り下げられたパンと備え付けキッチンでインスタントコーヒー。08:00出発、地図を見ながら市役所前から城の方向へ、道の広さが目立つ落ち着かない町だ。気を引かれたのは王立図書館のつたの壁と旧証券取引所、どちらもレンガ造。つまり町全体が古くない、中世のたたずまいを期待したのが間違っていたようだ。ツアー客だけが多いまだ開店前の商店街をぬけて最初の場所に帰ったのが11:00。
バーガーで早いお昼にして、バスでパイプオルガンの形をしたグルントヴィ教会へ、運転手にメモを見せて乗り込む。周囲はモダニズムの20世紀前半の都市開発の町、教会内部も同じ、祭壇を見ながらプロテスタントの思想はモダニズムそのものようだと思う。見学の人が何組か訪れて来るがとても静か、やっと落ち着いた気分になる。通りのカフェでお茶とケーキ、皆さんは昼食、笑顔をかわす。ここでお昼にすればよかった。
中心部に帰り気持ちよさそうなホテルを見つけ声をかけるが、やはりアウト。予定を早めて次の町へ行くことにして駅でチケットを購入。残りの時間をカールスバーグ美術館で過ごす(ビール会社の名前、アサヒビールも山崎に美術館があるが比べ物にならないほど豪華充実)。建物は現代の改築部分もいいが鉄骨の高い天窓ドームの中庭は熱帯植物が大きく育って気持ちがよく、そこでお茶とケーキ。
夕食はヤコブセンのSAS Radison Hotelの1Fのロイヤルカフェ、鳥のグリルにきのこ炒めとデザート、なかなかおいしかった(220dkk/4,500)。だが建物インテリア家具食器のモダンデザイン、合板合成繊維クロムめっきパイプにプラスチックという材料がどうしても安物に見えてしまう、こちらの感性がそう変わってしまったのだがそのことを含めてとても悲しい気分になる。これ以降デザインは豊かに見える方向に路線を変更した、というよりデザインとは本来そういうものなのだと考えたりする。
Hotel Tiffany泊 2泊1927.80dkk(39,142円)

3.8月25日(金)コペンハーゲン
06:00前に起床して洗面洗たく、朝食。08:00出発、郊外の海岸にある現代美術のルイジアナ美術館へ、中央駅で入場券つきの往復券147dkk。最寄り駅から約30分田園住宅地を歩く、気持ちいい。開館を待って大勢の人と入る。流れを外れて庭へ、芝生の向こうに海を望む高台、中心にヘンリームーアの大彫刻、イサムノグチ、関根伸夫もある。ジャコメッティの充実に驚いたり、知らない北欧の作家に感心したりした。カフェに出たので早い休憩サンドイッチ、これが正解でお昼時は満席でとても無理だった。直島の何倍も充実した園内をゆっくりと14:00まで。中央駅帰着は15:15、まず王立図書館のブラックダイアモンドと呼ばれる新築部分、吹き抜けを最上階まで上がってみる、同じような若者がいる。ロビーで一休みして、デザインセンターへ。これで17:00。
ホテルに荷物を取りに行き、郊外のホテルに移る(昨年の旅で知り合った方に教えてもらったのだが、1泊しか取れなかった)。中庭を囲む木造ロッジ、夕食はサーモンプレート(メニューにプレートというのがあって、メイン料理にサラダや温野菜やポテトがのって、当方には量もちょうどよい)。遅くまで庭がにぎやかだった。
Hotel Fy og Bi泊 993dkk(20,273円) /宿泊795(16,231)+夕食198(4,042)

4.8月26日(土)コペンハーゲン~ヨーテボリ 列車 10:23~14:20
 06:30起床、これまでになくよく寝る。朝食は08:00から、周囲を散歩して(古い町に郊外都市住宅が侵食)チェックアウト。駅でオープンサンドと水を買って乗車。結構混んで若い人は立っていた(座席指定の国際列車、割引で乗る若い人は空いてれば座れるが、そこに指定の人が来ると空ける仕組みだ)、空港の駅を過ぎて、2000年完成という橋を渡るともうスウェーデン、対岸のデンマークを見ながら走る。14:30到着、雨模様。駅前の古いホテルで2泊が取れる。本降りになり駅前の再開発商店街で過ごす。広いアトリウムが気持ちいい、i(観光案内所)もここにある。夕食は半屋外のカフェレストランで羊プレート、とてもいい感じでデザートも注文して満足(266sek,4,300)。部屋でお金の計算など。            Hotel Opera泊495sek

5.8月27日(日)ヨーテボリ
降ったり止んだりの中央大通りを正面の美術館に向かって歩く。20世紀前半にできた町、10:00の開館を待って美術館に、ピカソ展をやっているがそれより知らない北欧のアートが興味深い。出口では入場を待つ長い列、早く入ってよかった。向いのコンサートホールは9月中旬から、通りのカフェはほとんどがお休み。シーズンとか曜日がきちんと守られている。市役所はアスプルンドによる改造だが、ここも日曜だから入れない。
雨がひどくなりホテル旧館の誰もいないロビーで、絵はがきを書く。夕食に出掛けるが昨日の店は6時閉店、商店街も駅もバーガーとピザの店だけ。思いついて駅ビル内のホテルに行くが結局ここでもサンドイッチのみ。
なんとカメラの電池がもう切れる、予備に替えるが最後まで持つか心配。 Hotel Opera泊495sek(2泊 16,313円)

6.8月28日(月)ヨーテボリ~オスロ 列車 6:45~10:45 4H(350km)
 出発してすぐ、明けた空がまた暗くなって夜に逆戻りしたようだ。天変地異と大騒ぎしたい変化だが、気にする人はいない。やがて何事もなかったような明るさになって、満席の通勤客はいっせいに降りていく。集合住宅しか見えないがバスが行列して待っている、やはり工業都市なのだ。ほとんど人がいなくなって国境を越え、また人が乗ってきてオスロ到着。ムンクの国だ。ホテルは駅前のiの紹介で思ったより簡単に見つかる。
お天気は回復、一息ついて外へ。中央の通りを歩く、緑の濃い公園があったのでベンチでアイスクリーム美しい大都会だ。市庁舎へ行き中に入る、ムンクの壁画。裏の浜辺でまた休む。都市の骨格がなんとなくわかる。夕食は大聖堂の回廊(19世紀修復)がそのままテラスの食堂になっているので、そこで牛肉のプレート(194nok,3,880.)。
Hotel Thon Terminus(ビジネスホテルのチェーン)泊660nok(12,444円)
7.8月29日(火)オスロ
今晩のホテルがない、チェーン店をすべて探してもらうがダメでまた駅のiへ。ここでも紹介されたのは地下鉄終点手前、しかもバカ高い。たった1日で状況はまるで違って信じられない。地下鉄30分さらに山道を10分歩く、六甲山の保養所みたい。ともかくチェックインして荷物を置きとって返して今日の予定の民俗博物館へ。
市庁舎の横から船に乗る、フィヨルドの複雑な地形を利用して博物館が点在している。到着は昼前、3時間のずれ、まず昼食、民家博物館の食堂はどこも郷土料理を食べさせてくれる。デンマークは行かったが民家博物館、3国ではここがいちばん充実している。という以上にもっとも古くから人が住み生活を重ねてきた地域と言える。広い敷地に民家が150以上集められている。目玉の15世紀の木造教会もいいが、何より住宅の屋根に草をぼうぼうと生えさせるのが面白い、これは3国に共通。勾配の急な教会の屋根は木瓦を使うが、厳寒の地の住宅では草という生きた植物の力を借りるのがもっとも確実な雨風いや氷雪を防ぐ方法なのだろう。ホテル近くでは現在もまだそうしている住宅を見かけた。屋内博物館も見て、隣のヴァイキングの船博物館へ、船も建物も面白い。イメージと違って船は軽やかでスマートな形だ。中心部に帰ったのは16:00。
駅でストックホルムへのチケットを買う、直行便はなく(8月中旬で終了)7:00発のヨーテボリ経由便のみ。山の上のホテルから乗るのは無理と、駅前で探すことにするがiは長蛇の列。自分で歩く。数軒目でトイレシャワー共用のホテルを見つける。それにしてもホテルは異常事態。曜日で混み方が違うと言うが、最盛期はもう過ぎているのに~。ホテルを不足状態にしておくのも障壁のひとつかもしれないと思ってみたりする。夕食は昨日と同じところで魚(174nok/3,400.)。
Soria Moria Hotel泊 1.785nok(34,211円)

8.8月30日(水)オスロ
山上のホテル、朝眼下に一面の霧というか雲海を見る。見事だが、こちらには何もない山道、地下鉄の無人駅、草ぼうぼう屋根の住宅などが面白い。朝食時日本人らしいご夫婦とすれ違ったが話はできず。
ともかく市内へ。銀行を改造したという現代美術館は、PerSpookというファッションデザイナーの特別展で、若い学生さんが熱心にスケッチしていた。近くにもうひとつ、現代美術が普通に愛される国だ。お昼はその周辺で働く皆さんの真似をして店でサンドイッチを買って(専門店があって行列、日本の弁当屋より美しく高級そう、でも高い)公園のベンチで食べる、なかなか快適。午後は国立美術館へムンクに会いに行く。一部屋与えられているが、その中の「叫び」の前後数点を見れば充分だ(ムンク美術館に行く気はしない。彼は長生きして膨大な作品があるが、幸せなムンクはムンクではない?)。それから民俗博物館、民族衣装も悪くはないが、現代のデザインのコーナーが充実して懐かしかった。さて、自分で見つけた安ホテルの部屋は過不足なく気持ちがいい。たまにはきちんとした食事をと昼間見つけたレストランへ、ところがなんとパキスタン料理店(298nok/5,600)。でもおいしく懐かしかった。勘違いばかりだが、それなりになんとも愉快なノルウェーだった。 City Hotel泊 450nok(8,504円)

9.8月31日(木)オスロ~ストックホルム 列車 7:00~15:45(ヨーテボリ経由)
 ホテルで日本の若い男性、同じ列車で話しながら行く。ドイツ留学中、北部をテントで旅して来たとのこと誰もいないから簡単と言うが真似はできない、ヨーテボリで別れる。こちらは1:45の待ち時間、駅前の商店街で一休みして出発。ストックホルムはいちばんの大都会といって4首都ともに100万人以下。Iは長蛇の列。駅前を歩いて探すことにする、明日以降は決まるが、今晩はもうお金に糸目はつけぬ覚悟になる。やっとあったのは高価で設備はとても立派だがなんと窓のない船室のような部屋。ビジネス客がほとんどで窓に固執しない感性はわからなくもないが、皆さんこの値段で泊っているのだろうか。ただレターセットのデザインが真四角でしゃれているので失敬した。ともかく今日は泊るだけ。夕食は商店街のカフェレストラン、魚のスープなかなかいけた。
Nordic Sea Hotel泊 1.340sek(22,370円)
10. 9月01日(金)ストックホルム
真っ暗な部屋はさすがによく寝た。まずアスプルンドの森の葬祭場、今回の目的のひとつだが、自然を優先するデザインはとても気持ちがいい。引き上げようと思っていたところに建築家ではなさそうな日本人グループ、ここが世界遺産に選ばれたためらしい、やれやれ。地下鉄の駅でコーヒーをもらい公園のベンチで一休みする。
都市発祥の場所というガムラスタンへ、さすが中世の街並み、その広場でお茶を飲んでいたら日本のツアーが何組も来る、盗み聞きすると、ここは観光スポットで絵はがきになっているとのこと、後でそれを求めて友人に送る。夕食はレストラン、カップルが多い店で肩身が狭かったがおいしかった。  
Central Hotel泊995sek
11. 9月02日(土)ストックホルム
 中心部から船でスカンセン(野外博物館)へ。広くはないが民家に伝統衣装の職人や販売の人たち、動植物園もあって、国の風土文化を学ぶ場所(遊園地)、篤志家による1891年の設立。休日の家族連れでにぎやか、子供の数は2人以上。その中でのビュッフェ式の昼食は楽しかった。途中で雨になり、みんな屋内へ移動した。
帰りに隣の博物館へ。沈んでいた17世紀の戦艦ヴァーサ号を引き揚げて展示したもの、その迫力はすごい、解説本に日本語版もあったので求める。さらに北方民族博物館、こちらはスカンセンの関連施設だがこの国の歴史の浅さにむしろ驚く。木造だから残らないせいもあるだろうが、展示は17世紀以降だ。ホテルまで歩くことにするが、地図を読み違えずいぶん遠くまで行き最後は地下鉄に乗って帰る。
Central Hotel泊2泊1990sek(32,357円)

12. 9月03日(日)ストックホルム
 雨の中を市庁舎へ、英語による一般見学は1時間待ち、係りのすすめで日本人ツアーに入れてもらうお願いをするがすべて断られる。こういう時の添乗員はとても頑固、ああ日本人なんだと感じてしまう。係りのお姉さんが驚いてこちら一人のために回ってくれる。木造屋根裏架構が美しい。続いて雨の海岸通りを歩いて近代美術館(倉庫の再開発のように思える地下を広くした設計、インテリアが気持ちいい)、モリジアニ以後の展示に満員の人。特別展はセックスがテーマで日本に生活しているこちらにはとても古い感じがした。海を望む食堂でプレートの昼食、対岸に昨日のヴァーサ博物館が見える。帰り、身障者用の場所に駐車した車から杖をついた高齢の女性が一人出てきて後部ドアを開き電動で車椅子を降ろしてそれに乗って中に入っていった、当たり前のことだろうがとても感心した。時間があるので国立美術館で陶器の特別展を見る。雨があがった公園の大きな木の下にあるカフェでお茶、これでこの町ともお別れ。荷物を持って、連絡バス乗り場へ。
ストックホルム~トゥルク 18:30連絡バス 20:(ヴァイキング ライン 船内泊)
定時出港、船は9階(エレベーターの階数)でその上のデッキで暮れて行く町を眺める。船は細い水路をぬけて行く。食堂で少し時間をつぶす。2階の寝室は水位以下の船底で窓がなく4人部屋、最初は2人だったがもう一人、夜中さらに酔っ払ったのが入ってきて結局満席。朝はデッキに出た間に皆さん消えていた。
シニア料金で363.75sek、今回の旅でいちばん安い宿泊。 

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