旅をしている人
田原 晋

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北欧4カ国・0608~09

Scandinavia/Denmark~Norway~Sweden~Finland/060823~0913
北欧・デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド


12. 9月03日(日)ストックホルムから船でフィンランドへ
 午後)雨があがった公園の大きな木の下にあるカフェでお茶、これでスウェーデンともお別れ。荷物を持って、連絡バス乗り場へ。
ストックホルム~トゥルク 18:30連絡バス 20:(ヴァイキング ライン 船内泊)
 定時出港、船は9階(エレベーターの階数)でその上のデッキで暮れて行く町を眺める。船は細い水路をぬけて行く。食堂で少し時間をつぶす。2階の寝室は水位以下の船底で窓がなく4人部屋、最初は2人だったがもう一人、夜中さらに酔っ払ったのが入ってきて結局満席。朝はデッキに出た間に皆さん消えていた。
シニア料金で363.75sek、今回の旅でいちばん安い宿泊。 


13. 9月04日(月)トゥルク    
 無事にフィンランド到着・時計を1時間すすめてバスで中心部に、中央のマーケット広場でコーヒーを飲みiが開くのを待つ。
駅でチケットを購入して歩いていたら日章旗、どうせうまくない高い店と通り過ぎようとしたら日本の家庭料理[やすこの台所] とある。入ってみる、50代の女性が定食で親子どんぶりと言う。早いけど食べることにする、確かに久しぶりの味。若い女性とは親子ではなさそう。旅の日本人客は少ないようだ。バスの乗り方アアルトの建物など教えてもらって、工場を再開発した大学へ、これも見学らしい若者について中に入る。気持ちよい建物だ。続いて大聖堂。どうせならとやすこさんの店でお茶とケーキにする。店は学生たちでいっぱい、どんぶり、すし、などと注文している。彼らの間食として立派に場所を得ている、そりゃあドックやピッツアよりはるかにいい。忙しくてあまり話できなかったが、ダンナを亡くしここで生き抜く覚悟のよう、この町が好きなのだと言う。こういう出会いがあるから、旅は楽しいとすっかり上機嫌。(マーケット広場北側の道を東に2ブロック、ぜひどうぞ)
 19世紀の木造都市住宅を残した小さな博物館へ、場所がわからず小学生の一団に聞くとあっちと指差す、歩いていると追いかけてきてこっちでしたと言う、その親切に感謝する。その売店に薄板で編んだ大きな篭があり欲しくなったがあまりに重い、暖炉脇の石炭入れに使うらしい。欲しいが買えないと言うとそれを造っている写真の絵葉書をくれた。同じものがヘルシンキでもあったが板の質がまるで違った。夕食は大衆食堂というかステーキ屋でポークかつ。カフェは開放的だが、食堂は窓が小さく暗い店ばかりでどうも入りづらい。
Hotel Centro 泊 89eur(13,423円)
14. 9月05日(火)トゥルク~ユヴァスキラ 9:45~13:41 3H(325km)38eur(5,700円)
 列車でアメリカ留学中の韓国の学生さんと一緒になる。フィンランドはスカンジナビアではないみたい、英語を話さない人が多い、日本みたいとのこと。だから時間も違うのだよと言うと時差を知らなかった、朝到着してすぐ乗ったようだ。ただ彼女がそう思ったことに、ちょっと意表をつかれた。こちらは別のことで両国が似てると思っていた。タンペレで降りて行った。
 Iでいろいろ助けてもらうが、ホテルは結局駅前の3人部屋、この町も混んでいる。町外れのアアルト博物館(明日のコエタロ見学を申し込む)、隣の中部フィンランド博物館へ。どちらも彼の設計、彼の人気はむしろ増大しているようで、老若たくさんの人が来ている。夕食は町の食堂(13.6eur/2,067)、学会できたというグループに会う。
Hotel Milton泊 90eur(3人部屋)
15. 9月06日(水)ユヴァスキラ
朝ユヴァスキラ大学へ。 グランドを囲んで2~3階の建物が並んでいる。そのひとつは学生食堂、四角いレンガ造だが高い窓に向かって木造天井を斜めに張り光を反射させて取り込んでいた。裏側にアアルトを名づけた会館があってプールとリハビリ施設、お年寄りがすでに大勢。グランドでは近くの小学生が休み時間にサッカーをしていた。彼の建物は人がいることで魅力が倍増する(誰の建築でも同じか)。また建物の裏口をテラスにして、その前に自然の石がベンチのように並べられ、ちょっとした屋外舞台というか教室になっていた。大学のカフェで休む。
午後のバスで郊外のコエタロ(実験住宅)へ、いろんな材料を試している。予想通り魅力的な別荘。一緒に日本の建築学生が2人、一人はドイツ留学中だがそれぞれに女一人旅。こういう人に会うと何故かとてもうれしい、もちろんこちらよりはるかに英語がうまいから質問などをお願いしたりする。その後こちらは村役場にまわる。これにも感心する。一人は夕方ヘルシンキに帰るそうで、夕食に出掛けたついでに駅に見送るが名前も聞きそびれた。
Hotel Milton 泊70eur(2泊160eur 24,291円)

16. 9月07日(木)ユヴァスキラ  
パタヤヴェシの木造教会へ、バスは目の前の停留所でない場所に止めてくれる、カナダの若い女性と2人。塔は霧にかすんでいる18世紀のもの。十字プランで内装はシンプル、世界遺産であることはわかるがむしろ拙さを感じる。すでに使われてはいない。湖の大きな鳥を見ながら停留所まで歩き、帰る。ユヴァスキラの町を少し歩く。
ユヴァスキラ~タンペレ 列車
 ホテル探しに疲れて手前の都市でもう1泊することに、駅裏の無骨なホテルでも安くはない。町の中央を横断する川はふたつの湖をつないでその水位差を利用して発電をするもの。川というより高低差のあるダムの連続で、その眺めはおもしろい。工業都市だが19世紀の建築(消防署、レンガ造の工場・再開発、発電所など)が多く残っていて、とても落ち着いた感じ。また女性建築家によるという中央図書館は2階建てで気持ちがいい。1階にムーミン美術館があるがそれは見ずに、中央の吹き抜けらせん階段にドーム天窓を望む2階のカフェで休む。で午後8時まで開いていて大勢の老若男女が来ている。天気は悪いが満足、ただし夕食は中央通りのファーストフード店。
Hotel Victoria泊 99eur(14,914円)

17. 9月08日(金)タンペレ
出発までの時間、アムリ労働者博物館へ、工場労働者の木造住宅を保存したもの、周囲は建て替えられた中層都市住宅。古いものは1860年だが、1965年までインテリアもその時代に合わせて展示してある。つまりこちらの生きてきた時代なのだ。外観は木造羽目板のそっけない建物、共用台所にサウナ付き。同じ外観で各種のお店もある。郷土料理のレストランで車中のためにサンドをもらう。アムリはシベリアのアムール移住地域のことで蔑称、この国にとって、これは歴史として残すに値する古さなのだと知る。中央図書館の前を通って、駅に急ぐ。
タンペレ~ヘルシンキ 列車 12:07~13:52
ヘルシンキ到着。駅のiでホテルを紹介してもらう、この時間はまだ混んでいない。2泊が無事取れて安堵する。時間があるので、まずは岩を掘って天井をかけたテンペリアウキオ教会、予想通りに見事で見学客も多い。プロテスタントならではの教会だ。もうひとつ行きたかったキアズマ(現代美術館)は展示替えで休館中、昨年は月曜で休日、どうもついていない。ただフィランディアホールでコンサートがありそのチケットが取れた。夕食は中央駅のビュッフェ式のレストラン、天井の高い内装がうれしい。東京駅がすっかり変わったのとは大きな違いだ。 
Hotel Fenno泊 65eur
18. 9月09日(土)ヘルシンキ 
 ヘルシンキ工科大学、バス乗り場でユヴァスキラの学生さんの一人に会いご一緒する。写真で必ず出てくる本館の階段状の屋根は思っていたよりはるかに小さく屋外での講義の椅子席として考えられている。来なければわからなかった。学生会館、ここも掘り出した岩盤を壁として使っている。またコンクリート型枠の複雑な造りに時代を感じる。礼拝堂、屋外の十字架をガラス越に見る木材の天井架構、ここでもプロテスタントがモダニズムだ。
午後ひとりでアアルトの自邸へ、途中何人もの親切な方に教えてもらう。ここも快適な小住宅、贅沢とはこういうものだと思う。見学は何人かまとめての説明、その中に日本のおばさん2人がいたが話はせずに別れる。近くのカッフェでケーキとお茶、とても満足する。
早い夕食をすましてアアルトのフィンランディアホールへ、国際聖歌コンクールの本選コンサート。一応ネクタイはしているが皆さんの盛装には申し訳ない。広い入り口とクローク、ゆるやかな階段をあがってのロビー皆さん歓談をしていらっしゃる。ホールの席もゆるやかで革張りの椅子は幅も広くビジネスクラスとでも言うか、収容の人数はそんなに多くはない。出場者の熱心さがうれしい。各グループの演奏の後、審査の間にシューベルトの歌曲と土地の合唱団による西村晃のInner Moonlight 、ほとんど聞き取れない日本語「しずかに~」だがそれが選曲され演奏され観客の皆さんも楽しんでいるのがほんとうに信じられない出来事だった。たぶんおそらく日本人は当方一人だけ。休憩の時間、飲み物のテーブルには近づかず、目立たぬように建物を見てまわることを選んだ。
さてコンクールの結果はこちらも感じた通り、見事なテノールにポリフォニーがからんだグループと、すばらしい精神性で感動を与えてくれたグループが、1位なしの2位を分け合った、賞金の関係だろうがどちらも1位だろう。その喜びの中で、前者は会場いっぱいにアトランダムに立って小鳥のさえずりにこだまするようにいろんな声が掛け合い重なり反響し合って最後にそれが舞台へと動いていく夢のような演奏。後者はこちらも会場いっぱいに広がり声で通奏低音を響かせながらその上に音楽を乗せて、まるで大聖堂というか会場全体を楽器にしたような演奏を聞かせてくれた。人の声のすばらしさをあらためて教えてくれ、音楽の原点が人の声にあることを再確認させてくれた。最後はみんな立ち上がっての拍手、お互いに満足の笑みを交わしながら終わった。帰りのトラム、プログラムを持っていたためか多くの人が微笑みをかけてくれた。部屋に帰ったのは23:30。
アアルトを訪ねる方は多いがこのホールを楽しむ方は多くない。このホールの大きさそして音の響きが人にふさわしいサイズで出来上がっていることは建築の皆さんにぜひ感じて欲しいものだ。このホールは外から見ると大建築に見えるし、彼を尊敬する目はどうしても建築を無意識のうちに実際より大きくしてしまっている。そう知っただけでも来た甲斐があったようだ。
Hotel Fenno 泊 65eur(2泊130eur 19,762円)
19. 9月10日(日)ヘルシンキ 
 朝ホテルを移動、来る前にネットで確保したもので中央駅の近く。バスで野外博物館へ、散歩の人が多いが民家の開館は11:00で少し待つ。思ったよりはるかに小さく、ここでも当方と同年配くらいの若い?家が多い。昼食もそこで済まして市内へ帰る。デザイン博物館、この国でアアルトが果たした役割の大きさをここでも知る。
そろそろ旅の終わり、買い物だ。お土産はトナカイの肉の缶と学生さんが言ったのを真似してこちらもスーパーへ行ってみる。それから夕食、また商店街のイタリア料理(20.3eur/3,085)、なんと席にノートを忘れて帰る(今回の旅で2度目、取っておいてくれ受け取ることができた)。  HOTEL ARTHUR泊73 EUR(休日料金とのこと)
20. 9月11日(月)ヘルシンキ  
バスで1時間先にあるポルヴォーPorvooという古い町へ(この国に留学経験のある千香さんのお奨め)。バスは観光客が多い。Iで町巡りの地図をもらって歩く。古いといって20世紀前半の住宅、川岸に木造の倉庫が並んでいる。いい雰囲気だがすべて修復しペンキが新しい。昼食を土地の人たちでいっぱいの食堂でとり食、2時のバスで帰る。
夕食は駅のレストランでスープ、旅が続くと食事がぞんざいになる。きちんとしたレストランに入るのがおっくうになるというか、その緊張がしんどくなる。結局トナカイを食べなかった、今になってちょっと残念。
HOTEL ARTHUR泊94 EUR(2泊 167 EUR 25,411円)
21. 9月12日(火)ヘルシンキ
 最後の日、お土産を買いに市場に行く。広場には屋台が並んで食品だけでなくTシャツなども売っている。レンガ造りの古い市場を見て、内部のカフェでお茶をもらう。建築博物館は模様替えで休館。ホテルで荷物づくり。荷物をあずけて最後の散歩、商店街の広場でスープの昼食、雑貨店で大きな青い篭を求め荷物の紙袋の代わりにする。
出発、休館中のキアズマ(現代美術館)の1階部分の写真を撮らせてもらってから、バスに乗る。
フィンランド航空 AY077 ヘルシンキ17:15~関空08:40
22. 9月13日(水)関空08:40

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