旅をしている人
田原 晋

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北欧4カ国・0608~09

Scandinavia Denmark~Norway~Sweden~Finland
060823~0913
北欧・デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド・旅で思ったこと


1・ムンクの叫び
 オスロに向かう早朝の列車から外を見ていると明けたばかりの空がまた暗くなって、時間が逆戻りしたというか、いやもう夕闇が来てしまったようになった。こちらが鳥ならば大騒ぎをする天変地異だと思ったが、満員の通勤の客は何ごともないように気づく人さえいない。ここは朝と夜とがまるで違う流れ方をする地域なのだ、と思ったとき突然ここはムンクの国だと、その叫びの絵を思い出した。あれを夕方の風景だと私は勝手に考えていたが、あれは真昼かも真夜中かもしれない。そういう時間を過ごしていたら、叫びもまたごく自然に発せられるかもしれない。いえ叫びはもっと親しい行為かもしれない。
 その国立美術館、国家の英雄に敬意を表してムンクは中央の1室を与えられその代表作が並べられている。叫びは小さな作品だが、とても大きく見える。あらためてこれが夕景であるとは考えなくていいのではないかと思うとともに、やはりこの風景の中で叫びを上げたのは彼ならではの感受性というか才能だと、あらためてこの作家のすごさを知ることになった。彼は長生きして膨大な作品を残したから、別の場所にムンク美術館まである。しかし彼の作品は30歳で描いた叫びの前後5点くらいを見ればじゅうぶんではないか、こちらの目にはそのように思えた。ほぼ百年を過ぎていま世界はどこも何時でも、叫びを上げたくなる状況になっているではないか。

帰ってすぐに夭折した石田徹也という若い画家のことを知った。彼の不安の表現はムンクの叫びに通じる。31歳というのはあまりに若く残念だが、ムンクを見てきた目から言えば歴史に残るだけの作品はもうじゅうぶんにある、と思う。むしろ残った側がその作品をこの国を代表する作品と思うかどうか、いやそのように扱うかどうかにかかっている。ムンクは長生きしたことで国家の英雄だと誰もが思うようになった、いえそういうふうに誰もが考えることができたと言える。この国の画家をみてもそういう流れと無縁ではないだろう。
と書いて気づいてみれば当方は70歳だ、我にかえれば30歳以後は生きている価値がないなんて言われたら、やはり悲しい。せめて長く生きることでこういうことに気づくようになったのだと、思うことにしよう。

2.アアルトの大きさ
 今回はアアルトの建築を訪ねるのが目的のひとつだったためか、これまでになくたくさんの一人旅の日本人に出会った。建築はその場に行かないと見ることができないから、建築を学ぶ若い学生や建築好きはそこへ旅することになる。ユヴァスキラという彼の作品が多い町で、留学先のドイツからと東京からどちらも女性、友人を誘ってはいるようだが一人で来るのが当然と思っているのがうれしかった。お父さんを誘ったが来なかったそうで、そうか一緒ならホテルも食事も上等になるねと笑った。もう一人建築に関係なく早朝のオスロの宿で会った男性、同じ列車に乗る。ノルウェーの北部を、観光コースをはずれ一人でテントを張って野宿したそうで、大丈夫だったかと尋ねると、人が少なく誰もいない場所が多くて安心でしたと言う。そうか人間が危ないかのかと、妙なところで感心する。カメラを向けると強そうな無精ひげが緊張した、気が弱いのだ。ヘビースモーカーで途中ホームに下りて吸っていた、1箱800円するとのこと。国内なら彼らと話はできないだろうに日本語が話せるだけで親しくなれるのだから、これも旅の楽しさだ。
それにしてもこの辺境の建築家の人気は、新しい世紀に入ってますます高くなっているようだ。予約しなければ見れなかったり案内時間が決められているような小さな住宅でも、必ず何人かの人と一緒になった。それは近くの世界遺産の木造教会よりはるかに多かったから、その人気がわかる。もちろん世界中から訪れているが、中でも多いのが日本とスペインと言う。モダニズムだが、木材を多用して肌触りを大切にするところが私たちの感性と通じるというか引き戸や布や網代のスクリーンに日本からの影響すら感じるのだが、そのような地方性のあるところがスペインにも通じるのかもしれないとガウディを思い出したりした。
だがこちらが気付いたのは思っていたより小さい、人間のサイズで考えられているということだ。写真で見ていると大建築家の作品だと思うためか気付かないで大きくしてしまうところがあるようだ。例えばユヴァスキラの大学の本館、弧をえがく傾斜屋根が印象的だが、その最下段の土地と接する部分はちょっとした屋外の階段教室それも一クラス分くらいの大きさ。それが伸びていく傾斜屋根の内部はホールと呼ぶよりちょっと大きな階段教室、ちょうど講義の時間だった。ホールと呼ぶなら小ホールと言い直すのが正しい。またヘルシンキのフィンランディアホールは中に入ると、傾斜がとてもゆるやかで一人分の椅子もゆったりしているから、収容の人数は多くない。人口の少ない国だから、日本のホールの半分以下の大きさだろう。観客のお互いが顔を確認し挨拶ができる。見ることのできる住まいは自宅や別荘で、とてもつつましい。コルビュジエやライトの住宅と比較してもはるかに小さい。さらに木陰に自然石をベンチのように並べたり、椅子や花びんも曲線のデザインを採用するなどディテールへの配慮もきちんとしている。
考えてみれば現在話題になる建築はいずれも大きい。建築だけでなく乗り物もアートも映像で描かれる世界も、環境や文化や経済を語る論評もすべて、人間のサイズと関係のないような大きさになってしまっている。好き嫌いにかかわらずそういうグローバルな世界に生活することを要求されている。そういう世の中になったことへのわずかばかりの脱出というか無意識の行動が、建築の世界ではアアルトへの人気になっているのではないだろうか。
たまたまフィンランディアホールで聴いた演奏会が、聖歌のコーラスであったために、人間というサイズが奏でるすばらしさやそのサイズが生み出す深い喜びを感じることになった。そういう人間のサイズの中からしか、コミュニケーションとか育児や介護という人に関わる問題のほんとうの解決はできないように思う。


3.福祉と物価障壁
 それにしても北欧はホテル代を含めすべてが高かった。言葉がよくわからない年寄りに観光案内所の係りがB&B民宿を紹介しなかったためもあるのだろうが、それを差し引いてもやはり高い。東京のビジネスホテルくらいのものが、1万5千円以上する。旅のモットーである「日本での生活費を持っていけば旅ができる(航空券は別にして)」はあっけなくつぶれた。ホテル代だけでなく食事代も電車代だって高い。これでは住むつもりで入国しても居座る訳にはいかず、早々に逃げ出すことになるだろう。まるで物価で障壁を築いていると思うほどだ。世界の人が羨む高福祉の国家は、観光客にもその一部を負担させながら維持されている。
 北欧の高福祉が実現されたのは大変な努力の結果だということはわかるが、それでも他の国ではとても実現不可能なことだという気がする。まず「厳しい自然環境」一定の生活レベルというか対応がなければ冬を越すことができないから、安易な人間の流入が起こらなかった、したがって人口が多くない。そこでは各自の独立心と協力が欠かせないことになるのだが、その体制実現のためには「そこそこの歴史」も幸いしている。先住民族からの権利の要求も多くない。つまり産業革命以降の近代主義の合理的な論理で体制ができあがる。その土台になる宗教も「プロテスタント」であったことが幸いした。偶像崇拝の禁止は神の施設への過大な投資をすることがなかったし、知識層の論理と善意がそのまま実現されることになった。
高福祉の体制はその結果、生み出されたと言うことができる。高い税金と結果としての高価格が、それを支えている。
ということを理解すると、私たちの国でもこれを実現することは、残念ながら不可能だろう。税金を論議することすら選挙前にはできないという思考だから、消費税20~40%さらに高い所得税を負担することは、下流も上流もふくめて反対されるだろう。しかもほとんどの人は、家族という単位で物事を考え、個人で人生をまっとうすることはむつかしい。自分が稼いだものは自分で使う、残ったものは国家に提供する、なんて考え方はできそうにない。また景気という経済を第一に望むのだが、それが個人の幸せにつながるかどうかはあまり考えないようだ。何より反対意見を話し合いで妥協できるとは思っていないようで、議論といっても結局自論の展開だけで、最後は怒号になってしまう。そして結果として、誰か例えばお上とかお天道さまに頼ればいいというか世の中に序列があると思っている、ようにしか見えない。

と書いて、ここでもまったくの悲観論になっている、これは老人ならではの発想と認めざるを得ない。このような不可能を可能にしてきたのが人間の歴史だから、ともかくトライすることが何より大切なことだと言い直すこともまた可能になる。といってそこに生まれるのは、現在の北欧の体制とはまるで違うものになるのだろう。
イスタンブールから中欧を貫いた旅のシリーズも今回で一応の終了、わが身体がアジアとヨーロッパをつないだとちょっと満足しています。次回からまた新しいルートを展開します。では、
      以上

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