美しき日本の残像 アレックス・カー 朝日文庫
2008年10月26日
友人から教えられて読んだ本についてちょっと書いておきたくなった。ご存知の方は多いと思うが、著者はアメリカに生まれ英国や中国に学び東南アジアにも住んだ視野が広く高い知性の持ち主。長く日本に住んでその美しさを深く愛し、生活した徳島県の祖谷や亀岡の民家のこと、歌舞伎や古美術のこと、それらが現在どういう状況にあるかを書いている。1993年に発行されて評判になり新潮学芸賞を受賞し、英語版Lost Japanも数カ国で翻訳されている。文庫化は2000年で版を重ねている名著だ。
文庫の最後に解説にかえて司馬遼太郎さんの学芸賞選評が載せられている。その最後は「ともかくも、読後、心を明るくした。これほど日本の暗さが描かれた本もすくないのだが。」で終わっている。残念ながらこちらは、まったく逆に暗澹として気分になった。司馬さんを羨ましいと思うが、こちらはどう考えても美しき日本を消した張本人の一人だと思ってしまう。
本の内容はこうである。彼が過ごした30年の間に、日本の美しさはすっかり消えてしまった。部分としては残っているし、美しい心を持ちその生活を送っている人はいるが、それは少数派に過ぎない。著作から引き出すと以下のようになる。
『京都の醜さは意図的なものです。京都はわざと京都の文化を壊しています。市長は京都の屋根の線をこわすために京都タワーを造らせ、禅のお坊さんは石庭にラウド・スピーカーを設け、伝統文化芸術組織はコンクリートと大理石のビルを造る。今、市がまた一所懸命に京都ホテルや駅舎の高層ビル建設を進めているのもこの東京に対しての嫉妬心からで、おそらく反対の声がいくらあっても駄目でしょう。京都市民が京都タワーや大理石のロビーを「モダン」だと思っているからです。』
『日本の一般の道路は信じられない醜悪と化してしまいました。もし読者の皆さんがこの言葉は言い過ぎだと思うのでしたら、どうぞ車に乗って田舎をドライブして見て下さい。変な電線、鉄塔、看板、コンクリートの土手、ビニールのカバーなど醜悪なものが目に入らない時間を計算して下さい。3分が限度です。3分を超えたら必ず醜悪が目に入ります。』
まったくそうだと思う。でもその選択以外にどんな方法があったのだろう。こちらはそれと似た感想を10年以上前のアイルランドの旅行中に思った。いえ正しく言うと、車が別の国になっている北アイルランドをほんの1時間足らず通過した。その違いは圧倒的だった。ごみごみした小さな家が並ぶアイルランドの町に変わって、北アイルランドは歴史が止まったかのような刈り込まれた芝生と湖水そして荘園と伝統を残した民家の風景が広がった。ここは英国国教会を信仰する人たちの地域、独立運動はむしろ率先して行ったインテリの人たちが多いのだが最後に一緒になることができなかった。北アイルランドは英国と同じ階層社会を残したままだ。
それに比べて平等を選んだアイルランドでは、領主だった人たちのマナーハウスは荒れ果てているかホテルになっていた。日本の選択と同じだ、それを選んだのだから仕方がない。このような姿なってしまうのだよね、とその哀れな景色にいとおしさを感じた。選挙で投票される人に知性や教養を期待することはできない、また選ばれた人は選んだ人におもねるから文化を守ることは二の次になる。それを止めることはできない。
とはいえ、いま日本でも階層化は進行していると言われている。ただそれは、お金を持っている人と言うだけで、そこに何の期待もできそうにない。あえて言うなら江戸がそうであったように、3百年続けばふさわしい階層による文化が生まれるかもしれないと思うだけである。ただそれまで地球が持ってくれるか、それが問題ですらある。
ということをつきつめれば、民主主義という制度をばら色に見せた西欧の文化そのものに原因があるのではないか、という思いに当然ながら著者はあずかり知らないでいらっしゃるし、観光を振興したいこの国の政府は美しい日本を消したことは忘れて彼をその検討委員に任命している。