旅をしている人
田原 晋

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クロアチア~イタリー(アドリア海岸とナポリ周辺)0802

Croatia~Italy080123~0216
クロアチア~イタリー(アドリア海岸とナポリ周辺)

旅の前に・1)クロアチアからイタリーへ行くことにした。最初は2年前に立ち寄ったザグレブからスタートしようと思ったがドブロヴニクへ行くのが不便なので、フランクフルトから直行することにした。アドリア海岸をぐるりと半周する。最初はシシリア島まで行くつもりだったが日数が足らない、今回から地中海を西へ向かう旅のスタートとしたいものだ。
せっかくだからフランクフルトを1日歩くことにしたが、途中降機になり1.5万円ほど高くなり、燃料特価は3万円。ホテルは見本市でもあるのか大混雑そして信じられないほど高い。不便だが地下鉄はあるだろうと安いホテルを予約する、それでも2万円以上だからユーロは嫌だ。
2)直前に「サラエボの花」という映画を見た。内戦時占領した側が男性を連行し残った女性を集団でレイプした。それは阪神大震災と同じ頃で、その結果生まれた子どもが12~13才になっている、その母子の物話でラストでは涙してしまった。監督は32才の女性、主演女優は加害者側のセルビア人とのことだから単純な話ではない、それと無縁ではない地域へ出掛ける訳だ。

1・1月23日(水)
 六甲is発 8:03~9:00  LH 741  10:40 発~Frankfult 15:10 着(Lufthanza航空)
 関空で、化粧水を入れていたビンが容量オーバーで本来なら没収だが、カメラなどを紙袋に移しリュックを荷物便にする方法を教えてもらい、通過する。日本ならではの親切だと感謝する。
 ルフトハンザ便の機内はエコノミー席の椅子が新デザインでこれまでになく快適、トイレも階下に集合されその個室も機の曲面を取り入れて使いやすい、デザインの力にあらためて感心した。
 到着、案内所で予約したホテルへの行き方を尋ねなんとかたどり着く、中央から郊外電車一駅のわびしい地域の安ホテル(メッセで混んでいる意識はなし、直接ならはるかに安かった? ネットシステム内のみの高値では?)。5時には暗くなり寒い、夕食は駅前のパン屋ですます。8時前に就寝。
            宿泊・AnnaHotel 81.6eur(1泊22,849円)

2・1月24日(木)フランクフルト中心部のミュージアム見学
5時に起床、読書などゴソゴソ。7時半朝食、8時ようやく明るくなり8時半日の出。9時出発。中央駅から歩き出す。木造の伝統的建物も残され、葉を落とした街路樹の姿も気持ちがいい。近代美術館 Hans Hollein、1982~91だが何故かそのスケールや端部の仕上げへの配慮を懐かしく感じる。展示のアメリカンポップスもうれしかった。川向の工芸博物館 Richard Meier 1979~85 はそれに比べるとはるかに現在だが(昨年中庭に仮設したという隈研吾の茶室はもうなかった)、隣に並ぶ19世紀ビラを改造した建築博物館とフイルム美術館、郵便博物館などと共に、さらに対岸の中心部の風景(NormanFosterフォスターのなど高層ビルが並ぶ)はどこか落ち着きがある(つい東京や中国と比べてしまう)。そこへ行く時間はもうなかった。
昼食は新和風の店(知COA・チェーン?)でラーメン、鶏肉たっぷりで満足。夕食はホテル近く、ソーセージまずく高齢者ひとりもいてここでも階層化は進行しているようだ。宿泊・AnnaHotel

3・1月25日(金)CROATIA Dubrovnik
LH2468 Frankfultフランクフルト発10:30  Dubrovnikドブロヴニク着 12:15
7:00ホテルをチェックアウトして空港へ。通関に時計を外させられ後でつけようと思っていて紛失、
早々の大チョンボ。旅用の安物で惜しくはないが以後とても不便だった。
ドブロヴニク、やはり南国で明るく温かい。空港で両替2年前より円安、リムジン客は2人だけ35クーナ。降ろされたのは中心部でなく、城壁前。近くのi(tourist information)で民宿の紹介、下見して海と広場が見える2部屋ベランダ付のアパートにする300クーネ。早速、城内へ、独立記念展示室・200名くらいの遺影や遺品、破壊された写真つい15年前の独立時のことだ。花が手向けられていた。小さな町を歩きまわる。夕食のレストラン(魚スープと肉料理118)は失敗まずかった。部屋でお茶をわかしてノート整理、洗たくなど。*1クーナ・22円   宿泊・アパート民宿 300kn

4・1月26日(土)Dubrovnikドブロヴニク
 ボスニアヘルツェゴビナのモスタルへ行く。8:00発、バスに日本の青年・鈴木さんがいる。もう1年旅していると言う、日本からシルクロード、アフリカ、ヨーロッパ、これからサラエボ、ベオグラードと北上し、アウシュビッツにも行きたいと言う。写真を撮らせてもらいメールアドレスを教えてもらう。ただ一生に一度という決心が悲しい、何度でもそういう旅ができる人生であるべきなのだ。
 11時Mostarモスタル到着、帰りのバスは12時半だけ!中心部へ急ぐ。やがて弾痕のある壁、屋根のない建物、そして破壊され架けなおされた石造の太鼓橋。周囲では多くの人がお茶を楽しんでいる。皆さんの笑顔の写真を撮らせてもらう。時間がない、バス停に急ぐ。遠くに雪をかぶった山脈。
市内に帰ってくると、様々に仮想し上気した子どもたちが両親と共にバスに乗り込んでくる。つられて城内に入ってみるとそこはカーニバルの真っ最中、仮装のグループが行列を組んでいる。蟻や牛、なまはげ(仮面)、貴族の男女など、広場ではそれぞれが自分たちの意図を説明しパフォーマンスを展開する(わが神戸と似ている)。子どもたちはお姫様や海賊など自分の望みをかなえてもらえる機会のようだ。以後、カーニバルにはいろんな都市で出会った、それぞれに違って楽しそうだ(別記)。
夕食は近くの店でハム、チーズ、トマト、パンなどを求め、部屋で食べる。明日午後、出発にする。
   宿泊・アパート民宿 30eur

5・1月27日(日)Dubrovnikドブロヴニク~Splitスプリット
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 朝、城壁の上が歩けるのでそれを一周する。町を一望、古い石造りの建物の屋根のほとんどが新しい瓦で葺きなおされている。海からの攻撃には強かった城壁も、現代兵器には対応できなかった。
 バスは13:00発、途中国境がありお茶の休憩や2つの町(バス駅)を過ぎて17:00到着。海岸地帯をダルマチアというが、スプリットはその中心都市。民宿を案内するおばさんに従ってみることにする。数百年前の石造3層、門を入ると両側に階段があって6戸、その2階。玄関を入るとLDK、メインの個室を貸すと言う。他に個室、老夫婦で1室、同居人?が1室、40代の息子はソファに寝ていたから何時もはここを使うのだろう。設備は新しい、後で知るが食器洗い機まであった。危険はなさそうなので泊ることにする。こちらの部屋から家の前の小公園が見える。
 夕食は公園になっている海岸のカフェレストラン、豊かそうだ。魚スープにカツレツ、どちらも知らなかった味だがまずまず。帰ると豆入りシチューのにおいがして食事中、こちらはシャワーを使う。部屋にデスクがないのに気付く、これがホテルとの差かな? 深夜、暖房が切れ寒い、足にケイレン、上下の下着を取り出して着用する(民宿への宿泊を、年寄りの冷や水と言うのかな)。
宿泊・民宿150クーネ×2

6・1月28日(月)Split
 朝、ほうじ茶をつくりペットボトルに入れる。8:30出発。朝の海岸遊歩道は、大理石のペーブに大きな蘇鉄と椰子の並木、夏のテントのための白い柱が既設されて、太陽が輝いて気持ちがいい。朝食はそのベンチで、野菜市場で買った(肉だと思ったら)リンゴサンド(甘いものばかりだ)。
 バスで郊外のSolanaソラーナというローマ遺跡を歩き(確かに大都市であったことはわかるが)、その先のTrogirトロギールという島になった町へ行く。13世紀の教会があるのだがもう閉まっていた(教会は早朝と夕刻、シーズンオフの博物館は午前中というのが多いが時間はいい加減)で結局石畳の旧市街と海岸を歩いただけ。城壁を持つ同じような町が多い。昼食はソーセージを目の前で焼くサンド、満足!海岸から遠くの山並みを見る、いずれも信じられないほどの大きな岩が露出した山、所々に潅木がへばりついている、ギリシャから続く同じような厳しい風景だ。
 午後、Splitに帰り、旧市街の古いカフェでカプチーノ、お年寄り客が多くとても気に入った。17:30魚市場に面したレストランが開いていたので、魚スープとベーコン巻き魚の串焼き144、うまい。食事が満足できた1日だった。少し町を歩いて、明日のパン、ハム、チーズを求めて帰る19:00。部屋で整理、洗たくとシャワー。ほっかほかカイロと下着を出して就寝22:00。   宿泊・民宿150クーネ

7・1月29日(火)Split ~Sibenik
 7:00明るくなったので昨夜求めたものと紅茶で朝食、8:30民宿の夫婦の写真を撮ってチェックアウト。荷物をバス停で預けて、中心部の元ローマ皇帝の宮殿内の教会その塔に登り、朝日に輝く町を一望。地下の宮殿博物館、小さな町をゆっくりと歩く、昨日のカフェにももう一度。広場で子どもの仮装行列、これもカーニバルのひとつ? さらに埠頭から海岸沿いの公園広場を撮り(夏はさぞ素敵だろう)、12:00この美しい街を出発する。
 14:00シベニクSibenik、丘に要塞を持つ石畳の町。唯一のホテル、海を望む部屋に満足(今回の旅で初めてホテルらしいホテルだ)。早速町へ海辺の道を歩いてピッツア屋うまい。真正面に日が沈んでいく、まだ3時半。夕食は同じ店で小魚のから揚げ(2年前ザグレブで食べた)、町を散歩、店は閉まったがガラス張りの大きな図書館が開いていて沢山の人がいる、こういう町は好きだなぁ~。
宿泊・Hotel Jadran 380クーネ

8・1月30日(水)Sibenik ~Rijeka
 散歩。15~16世紀の大聖堂へ行く、入るとミサの最中、しばらく直立したままわからない言葉を聞き、内部を眺める。ゴシックとルネッサンスの融合というが、こちらには威圧的でないシンプルな明るさが気持ちいい。その前の市庁舎を囲む広場はトロギールと似ている。要塞に行こうと石畳の階段を上るが入れず、墓地から山に張り付いたような町を展望する。海辺のカフェでカプチーノしてバス停へ、11:00発で6時間半の旅(クロアチアの北半分はバスで通過することにした)。
大きなバスに観光客はなく海岸線をえんえんと走る、海に波はなく山は白い岩ばかりわずかに松。12:30サダールZadar(途中唯一の大きな町)で15分の休憩(朝ホテルで手製したバーガーを食べる)14:30コーヒー休憩。日が陰り16:00とうとう降りだす。17:30北の港町リエカに到着、傘をさしてホテルへ、暗く寒いがはじめての大きな商店街と産業のある都市(港湾、造船、川崎と姉妹とか)。水量の多い川をはさんだ広場に面した3階の部屋に満足。夕食へ、レストラン見つからずカフェでカバブのサンド(意外においしく満足40)。ホテルで熱いお湯のポットをもらい、買って来たビスケット(カフェにある手製のこれはほんとうにおいしい。ケーキは大きく甘すぎる)とほうじ茶で落ち着く。21:30もうトロトロ、すっかり昼間人間になっている。   宿泊・Hotel Continental 400クーネ

9・1月31日(木)Rijeka
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 5:00目覚め6:30起床8:30朝食、観光客は多くない。市街を望む高台へ長い石段を上ってみる、そのまま中心街へ、カーニバルの垂れ幕(1/26,3/2とある)シンボルはなぜか黒人、その人形が目立つ。先生に連れられた仮装の子どもたちの行列、保護者が後ろについている。これもこの季節ならではの行事なのだろう、スプリットでも同じものがあった。それから市場へ、肉・魚・チーズ燻製の3館、野菜はその周囲の外部、いずれも活気。客は男女半々、じい様一人もいる。大きな国立劇場は公演なし。とはいえ町を歩くだけでは意外に時間はつぶれない。部屋で絵はがきなどを書く。夕刻また町へ、夕食は魚のピッツア39。朝が早いのでホテルで清算。クロアチア最後の夜だと、階下のカフェでお茶にエクレア、店に客は多く、広場では若者が騒いでいる。やはり早く眠くなる。
                             宿泊・Hotel Continental 400クーネ

10・2月 1日(金)Rijeka ~ITALY Trieste
 5:00目覚まし電話5:15出発、広場に徹夜したらしいカップルがいる。バス停へ、チケット60クーナ、朝食、残クーナの両替(50が5eur!)6:00出発7:15明るくなる。国境、クロアチアはパスポートを見ただけ、スロベニアではバスを降り一人ずつ入国をチェック捺印、ここからEC地域(以後は無審査)。同時に風景も変わる。むき出しの岩の上に、ふくよかな土が載って曲面はなだらかに色も黒くなって草が生え樹木も大きい。イタリアに入ってまた海が見え霧になる。坂を下るとTriesteの文字。
8:00到着、すぐ傍の鉄道駅のカフェで朝食、9:00開いたiでホテルの紹介を受ける。どちらも大きな声で愛想よくイタリアに来たことを感じる。こちらもグラーチェ、ボンジョルノと声をはずませることになる。安いホテルは古い町屋を改装したもので、部屋は通りに面して過不足ない。早速町へ。
須賀敦子があこがれた詩人サパの町だ。彼の書店はすぐわかる、日本人が時々訪れるのか主人が説明をする、だが奥に入ろうとすると止められた、そこは本の山が倒壊寸前、床は根太が折れたようでグサグサ。通りには彼の等身大散歩姿銅像があった。須賀が歩いた通りや泊まったホテルもあった、というところで追跡は止める。彼等はこの町に2つの国を見たのだが、クロアチアから来たこちらにはやはりまぎれもなくイタリアだ。丘の上の教会に向かう。閉まっていたので、4時もう一度行く。今度はパイプオルガン演奏中、来て良かった。それにしても坂道が多い、食品や日用品など農産品を売る屋台の並ぶ通りがあり、そこが楽しかった。夕刻、仮装した親子がここの広場に集まり(クッションが設置され、シャボン玉と音楽が流れる)で遊んでいる。仕事を終え遅い夕食までの時間を子どもと過ごすのかと、その時間の使い方に感心する。
それにしても、この国は自国の生活スタイル(商店の昼間の閉店と遅い夕食)を押し付けてくる。こちらはレストランが開く7時半まで待てない(4時か5時頃の間食をつい忘れる)結局6時過ぎカフェバーにあったバーガーとカナッペ、後はビスケットを買って帰ることになる。今後が大変だ。
*今回は行くつもりはなかったが、やはりヴェネツィアへ行くことにする、冬のがらんとしたサンマルコ広場も悪くない。たまたま持参したサイード「晩年のスタイル」の最後にこの町のことが人や作品と同格に触れてあり、これは行けということだと思った。
深夜、安ホテルはやはり寒かった、カイロに下着を着用。  宿泊・Hotel Centro 52eur

11・2月2日(土)Trieste~Venezia~Ferrara
 8:30チェックアウト、朝食のパンを持って駅へ、カッフェでお茶をもらって食べる。ヴェネツィア行きは9:22発。途中からどんどん乗ってきて満席、仮装した人もいて、週末のどうやらカーニバルに出掛けるらしい。こちらの想像していたヴェネツィアとは、まるで違う状況のようだ。
11:30到着、人が溢れていて大変な騒ぎだ。しかも雨まで降っている。宿を探すのはあきらめ、荷物をあずけ、外に出る。広場は仮装用の帽子、仮面、女性には顔に模様を描くお化粧屋台まである。船に乗るのも満員大行列なので、サンマルコ広場へ歩くことにする。傘をさし人ごみの中を行く、やがてリアルト橋、即席の標識もあり時に間違えるが混んでいる路地がサンマルコへの道らしい。広場が近いと思ったところで食事をしておいた方がいいと思いつく。屋台や安い店はもう満員、空いているのはレストランだけで、今開いているのはこの町だけだとそのひとつに入る(この話は後記)そしてサンマルコ広場、もう大変な人、日本人の団体も多い。記念写真の人が多い、こちらも撮ってもらう。それで早々に引き上げることにする。船で大運河を行く。途中少し歩いて、また船で駅へ。
16:00発でフェラーラへ、17:30到着。旧市街がきちんとあって落ち着いた町、ホテルも快適。夕食は、豆のスープ、ハムの盛り合わせ(どちらも名物とのこと)20eur。昼食と合わせてフルコースを賞味したことになる、宿泊代と同額。部屋でお茶にする、忘れられない1日だった。
        宿泊・Hotel Touring 60eur

12・2月3日(日)Ferrara~Faenzaファエンツァ 国際陶芸博物館Carlo Zauli
 ゆっくりしたいが明日は月曜休館のファエンツァ国際陶芸博物館とCarlo Zauli美術館を今日中に訪れたいので、ここは城とカテドラルをさっと見て、貴族の館ロメオの家へ行く。中庭を囲む気持ちのいい美術館。もう一度ゆっくりと訪れたい町だ、駅に急いで12:31発ボローニャ乗り換え13:38発、間違えていないつもりだが乗客に聞くと誰もファエンツァ(この国を代表する陶芸の町)を知らない。てっきり列車を間違えたと降りたのが大失敗で、ひとつ手前の駅(次の駅の名を誰も知らないなんて信じられない!)で結局1時間遅れの15:14着。
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駅前ロータリーにCarlo Zauli(1926~2002)の大作品がある陶芸の町、荷物を持ったまま国立国際陶芸博物館へ、なんと日本の工芸科の学生さんのグループがいた(話を聞きたかったが時間がない)、現代を中心にざっと見ただけで出発。カルロザウリ美術館へ。誰もいないが開いているので中へ、なんと彼の工房がそのまま、庭に4~5点の作品それだけ。*京都で彼の回顧展を見てえらく感心、ここに美術館があるとのことで来ることにした。内蔵のひだひだをそのまま固めたような象形、どこからそんな形が生まれたのか知りたかった。小さな町、唯一のホテルに入ったのは17:30。夕食、レストランが見つからずやっと中華料理の店、鳥と野菜の炒めとご飯に満足。部屋でお茶。
             宿泊・Hotel Vittoria 60eur

13・2月4日(月)  *Faenza15:55~Bari22:35
 午後の列車まで、博物館の閉まった小さな町は時間をつぶすのに苦労する。午前中は町を歩き回わりギャラリーで陶芸の個展を見る。有名作家らしいが、Zauliの影響ばかり見える。午後は買い物でもと思ったが閉店時間、カフェまで閉まって仕方なくホテルのロビーと駅で過ごす。
長靴のかかとの町Bariまで直行する列車は30分遅れで到着。コンパートメントは満員になったり空いたり、最後はパソコンを抱えた格好いい若いビジネスマンと二人、話できず(これは日本のビジネスマンと同じだ)。列車の中を歩いてみる、普通座席式も2両あった。遅れると思ったら定刻到着、慌てて下りる。遅い時間だが駅前は結構賑やか。当てをつけたホテルに急ぐ、想像以上に安宿だが仕方がない、やはり夜寒い。             宿泊・Hotel Moderno 55eur

14・2月5日(火)Bari~Alberobelloアルベロベッロ
 8:30起床、イタリアに初めての晴天、太陽と青空がうれしい。向かいのカフェで朝食、皆さん小さなパンひとつだけ、その少量に驚く。ホテルに荷物を預けリュックだけで出発。私鉄10:04発、11:40着。その前からあちこちにトゥルリ(とんがり屋根の家)、降りた観光客は白人の女性と二人だけ。
 まずは中心の広場のカフェでピツァの昼食、初めてなのに見たことのある感じのとんがり屋根の集落は1時間で回ってしまう。時間があるので一駅先の隣村Locollotondoロコロトンドまで行って見る。観光に関係のない建物が多いとのガイド本の紹介だが、集落はなく畑の中に点在。意外に新しく建築中も多い。ほとんどは不在、人声のする1軒に声をかけてみると、出てきたおばあさんはアルメニアから来たという。建売、人気があるようだ。夕刻近く帰って、村を一巡り。宿は誘われるままトゥルリの1軒を借りる40eur。新築のそれはコンクリート造で一部に平屋根、とんがり屋根の下は円筒状の仕上げと施工しやすい造り、外観が気に入られているようだ。夕食のピツァと朝食用ののパンハムチーズを求め部屋で食べる。寒い部屋はすることもなく早く寝る。  宿泊・トゥルリ民家 40eur
                      
15・2月6日(水)Alberobello~Bari
 朝、村を一巡りしてベンチで休んでいると日本の老夫婦、声をかけるとツアーの人、昨日はシシリア、今日はギリシャとのこと。ここは1時間たらずみたい。と、しばらくの間に次から次へとツアーのご一行、どうも朝に立ち寄る予定になっているみたいだ。昨日見かけなかった理由だ。こちらも土産物店をのぞいてお昼前の電車に乗り13:40バーリへ帰着。少しましなホテルに決め、荷物を運ぶ。
 大きな商店街をぬけ、旧市街へ、どこか荒れた感じで歩き回る気になれず。カテドラル(修復工事中)も城も閉まっている。帰りに道を間違えずいぶん遠回りをする。iでアマルフィ海岸へ向かうバスを尋ね、駅裏のバス停へ。直行便は17:30出発22:50着それしかないとのこと。夕刻より雨になる。
 夕食は親しくなったカフェで教えてもらい、La Bell Bariという店。えびのリゾットとお肉、満足。
                              宿泊・Hotel Costa 62eur

16・2月7日(木)Bari~Lecce~Bari~Salerno
 雨、昨日のカフェで朝食、昨夜思い付いて8:05発でLecceレッチェへ10:00着南のフィレンツェと言われるバロックの町。黄白色のサンタクローチェ聖堂へ、確かに一面の彫刻だがもっと派手なのを見たような気がする(スペインだったかな?)内部は木造格天井で中央に絵画、落ち着いていて見事。聖堂と一体になった県庁舎、ローマ遺跡のある広場など、いずれも気持ちがいい。カフェで調理した野菜を温めてもらって昼食、茶器と合わせた食器もきれいなので撮影。すっかり満足して、13:45発で帰る、15:44到着。カフェでお礼を言ってバス停へ。
17:30発ナポリ行き、客はビジネスマン風でほぼ満席。20:00やっとトイレ休憩と思ったら、ここで当方だけ小さなバスに乗り換え21:00到着、小さな町Salernoサレルノ。しばらく道を歩かされたが無事駅前のホテルへ、何故かこれまでと違う文化的な都会に来たような気がする。部屋は駅正面、夕食はBariの駅前で求めていたバーガーとほうじ茶ですます。   宿泊・Hotel Plaza 60eur

17・2月8日(金)Salerno ~Amarfi
 8:00起床、よく寝た。ホテルは年配客多く車で出発していった。こちらは町を一巡り、商店街が高層のアパートにつながり山がせまり海岸は遊歩道とすべてが隣り合って面白い。大変に混んでいるカフェがあってしばらく休む。ここはアマルフィ海岸の入り口、その中心の町に行くことにする。
バス11:00発12:30着。ここはさらに海と山がせまっていてそこに住宅がへばりついて、美しい。これまでになく日本人に多く会う。こちらは聖堂前の宿をとる、海が少し見える部屋。
海を見下ろす村があるとのことで、そこへ出掛ける。途中で降り少し階段を上がって別のバスに乗り換えて行く。眺めのいい場所は個人の敷地、やっと小さな公園から下を見る、山と住宅と海!
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町へ帰ったのは17:30.ケーキでお腹を補充して夕食は同じ店でシーフードのパスタ。   宿泊・Hotel Centrare 50eur

18・2月9日(土)Amarfi~Positano~Sorento~Napoli
 朝、町を散歩といって坂道が1本、登校の子どもたちと歩く、大聖堂に入って10:30出発。バスは海岸よりはるかに高い位置を上ったり下りたり、途中眺めのいい場所にはホテルや食堂。次の町Potajinoポタジーノもバス停11:00は高い場所、周囲には何もないので持参のチェーンキィを取り出し歩道の柵にキャリーバッグをくくりつけて出発、店舗が多く観光の町、海岸でカプチーノ。住宅街という隣の集落を目指す。坂というより階段の上り下りばかり、老人が猫の額の庭を耕している、ここに生まれて老いていく人もいるのだ。大きなサボテンもある海岸つたいに元の場所に帰り昼食、レストランはすぐ満席、シーフードのリゾット。荷物の場所まで帰って(無事)バスは13:30発。
ソレントは14:30着、海岸見物の気持ちにはなれず電車に乗る。およそ海外旅行には不似合いな東京下町の両親を、旅慣れた息子が誘って案内している。話しながら行くが楽しかった。ナポリ駅16:00、朝にはここまで来るとは思っていなかった強行軍だった。駅前のグローバル化に驚きつつ、少しましなホテルを選ぶ、はじめて満員だと言われ1泊のみになる。時間があるので繁華街へ、土曜の夜しかもバーゲン時期たいへんな人。夕食はパスタ。ホテルに帰ると、なんと日本のツアーが次々に到着、なるほど満室の筈だと納得する。それにしても、よく動いた一日だった。
        宿泊・Hotel Plaza 90eur

19・2月10日(日)Napoli~Ponpei往復
 8:30朝食、ツアーご一行はすべて出発した後。ホテル探し、気持ちよさそうな小ホテルに移動。10:00出発でポンペイへ、電車を間違え到着13:00(郊外のマグレブの人ばかりの駅で1時間待つ)入場11eur。広場から遠くの火山を見ながら、これだけの都市を埋ずめつくした灰はどんなものだったのか溶岩でも土石流でもなかったのかと不思議な気がする。食堂で日本人ご夫婦を見かけるがお邪魔はせず。歩き回るうちお屋敷も住宅も残っているがだんだん同じように見えてきて、ただ広いだけの遺跡という気もしてくる。丘で休んだり(巨大松かさ)お茶にしたりして、電車に乗ったのは17:00。
 食事がてら商店街に行ってみるが昨日の賑わいが嘘のような日曜の夜、昨夜気付かなかったガレリア(アーケード)、ミラノとはまるで違うさびしさ。チェーンのピツァ屋、安いがあまりうまくない。
        宿泊・Hotel Nuovo Rebecchino 60eur

20・2月11日(月)Napoli
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 まず国立考古学博物館へ。ポンペイなどの色鮮やかな壁画やインテリア、彫刻などが保存され、出土した時の興奮までわかるような気がする。教科書で見たアレキサンダー大王のモザイクもある。これを見ずしてポンペイに行ったとは言えないと心底思う。なんと昨日のご夫妻に会う、著作で存じ上げている法政大の富永教授、恐縮。この後はハドリアヌス別荘とのこと、この予定も同じだ。
ショップをのぞいてから高台を目指す。地下鉄とケーブルやっと屋上の展望台。絵はがきで見るナポリが目の前に開ける。
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ふとナポリを見たからもう何時死んでもいいのだと思う。昼食はその近くの商店街のトラットリア(食堂)で魚の煮つけ(オリーブ油だが)と温野菜、満足。歩いて下りるが結構大変、旧市街に入り方向がわからなくなる。やっとセントキアーナ聖堂、その博物館の中庭の列柱が色タイルなのも面白い。この辺り第2次大戦で破壊されたとのこと。さらに歩き、手作りローソクや楽焼の店などを見る、いずれも女主人でその手仕事はお見事。ホテルには17:00。
 駅で明日のチケットを求めてから夕食、近くのレストランは土地の人ばかり、同じものを頼むなどいろいろ教えてもらい楽しかった。この町は住んでいる人の顔が見えて、とても気に入った。
 宿泊・Hotel Nuovo Rebecchino 60eur

21・2月12日(火) *Napoli~Roma
 朝、部屋でゆっくりして駅へ、9:24発の列車(この列車だけが半額の19.5eur)ほぼ満席11:33到着。テルミニ懐かしいがもう8年前だ。ネット予約したホテルはがっかり、やはり見て決めるべしだ。
 スペイン広場へ、途中ビジネスマンでいっぱいのトラットリアで昼食・ラザニア満足。広場は工事中、商店街は観光客ばかり。結局、前回も行った近代美術館へ、フォンターナ以降がやはり楽しい。現代美術館を教えてもらい行くが、がっかり(マンガの影響あり)。もう夜、夕食は駅構内のビュッフェ式(なぜか日本人若者多い)。観光客の多いローマはどうも落ち着かない。部屋でお茶。
      ・宿泊・Hotel Gabriella 80euro

22・2月13日(水) Roma  Villa Adriana(ハドリアヌス別荘)Villa de Este(エステ別荘)
 8:00出発、地下鉄とバスで最後は1km歩いて10:00にVilla Adriana。ハドリアヌス皇帝が自分の意見で作ったという別邸、大変に広大な遺跡それぞれの姿を想う能力はこちらにはないが、大きな池を囲んで彫像の並ぶ様子や、池を配した円形の劇場はこちらにも楽しく2世紀のもとはやはり驚く。ショップで一休みして、バスでチボリの中心にあるエステ荘へ、こちらは16世紀。高台にあって斜面を利用して水を流す。水量の多い噴水は豊かで気持ちよく、観光客ははるかに多い。
昼食は出たところにあったカフェ食堂で満足、ビスケットがおいしかったのでお土産に包んでもらう。帰りはそのまま商店街へ、ローマは今回も観光客相手の商店街しかわからず、歩くうちパンテオンの前に。紙屋さんでノート。夕食は路上のピアッツアの店。 ・宿泊・Hotel Gabriella  80euro

23・2月14日(木) Roma出発
 7時朝食はとらずパンにハムチーズをはさんで持参。テルミニ駅の空港行きホームに添って増築された駅舎の手の込んだ作業に感心する。空港へは40分で到着、出発便には日本のツアー客がやはり多い。
LH3841Y Roma~Frankfurt 10:00 12:00  どうも変だと思っていたら、近くのグループの添乗員さんが「フランクフルトの空港が悪天候で着陸不能で出発が遅れる」と説明している。出発時間は11:00がさらに12:50になり、到着した空港でこちらの便(LH 740Y 13:40発)はすでに出発後。
仕方なく予約変更カウンターの行列に並ぶ。添乗員さんたち3人もこちらの後方に並んでいる。結局6時過ぎまで、4時間かかる。前後の人(インド人夫婦、バンクバーへの若い女性、クェート男性、アメリカに行くイタリア青年)や添乗員さんと親しくなる。4人で対応しているが、それぞれが納得するまで結構長い。こちらも明日のKLM便に落ち着くまで15分以上はかかった。同時にホテル券をくれる。まずは前のクェート行きのおじさんと一緒にサンドを食べる。彼はさらに下着を買いに行った。ホテルへはシャトルバス、きちんとした4つ星ホテル。部屋は広く大きい中庭を囲んで快適、だが荷物は預けたままで着替えもスリッパもなく落ち着けない。25ユーロをサービスしてくれた夕食は魚のグリルとスープにしたが、ウエイトレスは何時もとは違う人の多さに対応しきれなく、散々待たされ部屋に帰ったのは11時過ぎ。シャワーだけのつもりだったがこの旅いちばんの大きな浴槽にやっぱり入ってしまった。

24・2月15日(金) LH4674 FRA10:55~AMS12:05 KL867 AMS15:15~KIX*10:20
朝食もこれまでにない豪華さだが何故か食欲はすすまない。9時のバスで空港へ。昨日のグループのひとつに会う、同じ便。アムステルダム経由(KLM知らず少しもめたが)で関空行きに乗る。

25・2月16日(土)     関空10:20帰国
 定刻、関空の新しい滑走路に無事に到着。心配した荷物も無事に出てきて、すっかり親しくなった添乗員さんに挨拶してゲートを出たのであります。それにしても日本は寒い。     (以上)

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