旅をしている人
田原 晋

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クロアチア~イタリー(アドリア海岸とナポリ周辺)0802

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クロアチア~イタリー(アドリア海岸とナポリ周辺) 旅で思ったこと

カーニバルについて

 この時期のアドリア海岸は各地でカーニバルが行われている。カーニバルは謝肉祭、宗教行事だが楽しむ方へ重点が移っているようだ。よく見かけたのは子どもたちの行進で、幼稚園や小学校の子どもたちが先生に引率されお母さんたちが後ろについて町の繁華街を練り歩いている(スプリット、トロギール、リエカ)。衣服は赤や緑の派手なもので、それに各自が描いた絵をはりつけていて子どもたちはとてもうれしそうだ。それはもっと自由な家庭単位になってドヴロブニクではお姫様や騎士、海賊など子どもたちの希望がかなえられているようで親と出掛ける興奮の様子がはっきりと見てとれた。トリエステでは親までそれに合わせて仮装して、街にくりだして広場で一緒に踊ったりしている。勤めを終えた後から夕食までの時間をこのような団らんに使うのかと、ちょっと感心した。ともかく日頃とはまるで違う者に変身することは、そのことがただうれしいだけでなく日常の自分を他人事と見る目も働くから、いまの日本みたいな社会ではやってみた方がいい。年中行事になれば中年の自殺も馬鹿らしくなって、少しは減少するのではないだろうかなんて思ったりした。
 これが観光地化したのがヴェネツィアのカーニバルで、この時期は毎日行われているようだ。もちろん伝統的な行事もあるのだろうが、観光客や周辺に住む若者にとってはこちらがヴェネツィアのカーニバルだ。土曜の午前そこに向かう列車はすでに仮装した若者でいっぱい、駅前には屋台が並んで、ピエロの帽子やいろんなお面さらには顔に模様を描くお化粧のサービスまであって、観光客も街に入る前からウキウキした気分になってしまう。前回お土産にピエロの帽子やお面を買ったことを思い出しながら今回は何も買わず、ともかく中央のサンマルコ広場へ行くことにする。ボートに乗るにはとても時間がかかりそうなので歩く。路地は人でいっぱい、手書きのサンマルコの標識に沿って行く。間もなく広場というところで、トイレにも行っておきたいし(ヨーロッパでは町中に公衆トイレがない)と食事をすることにした。といってピツァ食堂などはすでに満員、空いている白いテーブルクロスのかかったレストランだけ、仮装に投資しなかった代わりだとフンパツすることにした。英語のメニューでお魚のグリルと野菜のサラダを注文。まず生のそれを見せてくれ、焼きあがったのをワゴンの上でさばいて皿にのせてくれた。おいしい、すっかり満足してデザートまでいただくことにする。合わせて40eur、身体も暖まってご機嫌で広場に向かう。
 広場は人の波、日本の人も多い。皆さんそれぞれに写真を撮っている。こちらもお願いして撮ってもらう。ふと気付くとカメラの砲列を浴びている人たちがいる。それは本格的な中世のかつらにお面と衣装をまとった貴婦人や、肩にインコをとまらせている貴族など、漫然とした笑顔で応えていらっしゃる。それは実際の身分も年令も体型も関係はない、どれだけのお金と時間をかけてその仮装を用意したかだけが問われている。にわか仕立ての観光客など太刀打ちできない。あ、外から見える格好でなくお腹の中に投資したのは大正解であったと、さらにご機嫌になって、引き上げることにしたのであります。その日の夕食は次の町でハムの盛り合わせと豆のスープで20eur、つまり昼食と合わせるとフルコースを賞味したことになった。ちょうどホテル代と同額、カーニバルにふさわしい放蕩の一日だった。


出会った日本の人

今回も数人の忘れられない日本の人に出会った。先ずモスタルへ向かうバスに乗り合わせたSさん、イタリアから渡って来たとのことで1年にわたる旅の最後をドブロブニク、モスタル、サラエボ、ベオグラードというユーゴ内戦の場所を巡って、最後にアウシュビッツへ行くと言う。若い彼がなぜそう思ったのかを聞く時間はなかったが、何よりそう発想してそれを実行していることがうれしかった。いえですね、バックパッカーのほとんどは特に目的はなくお互いの情報を交換して移動するから結果として同じ宿に泊まり同じコースをたどっている、そのコースを外れると日本人にはまず会うことがない。同じような顔に会ったら、まず韓国そして中国の人だ、ナポリの安カフェを出るときアンニョンヒ~と声をかけられた、韓国人と思われたのだ。バス停に着くと彼は民宿を案内する何人かにつかまったし、こちらは日帰りのバスの時刻を調べに急いだので、そのまま別れてしまったが旅の成果をぜひ聞きたいものだ。ただ若い人はみんなそうだが彼も、このような旅は二度とできないと考えている、そうかもしれない、でもなんとか時間をつくってまた旅をして欲しいと強く願う。就職は生きていくための手段に過ぎない、お金を貯めて休みを取ってぜひまた旅に出て欲しい。時間がないからツアーですとかリゾートで休みを過ごすとかだけでは、あまりにさびしい。また旅に出るために仕事を辞めましたというのも、違う。こちらのように老後はきっと来るのだから、その時出掛けたいと思う気持ちとそれを実行できるお金がちゃんと用意されている人生にして欲しい、でなければ生きていく意味がないではないか。言ってもわからないだろうが、こちらが願っていた世の中とはあまりに違った現在にますますなっている。
もう一人は帰りの同じ便に乗って神戸に向かうバスで一緒になった30代の女性、なんと高校卒業と同時にブラジルに渡って大学を出て、今はドイツで高校の先生をしていると言う。たぶん最後になるだろうガンのお父上を見舞うための帰国。これまでの人生、これから先どうなると考えているのか、聞きたいことは山のようにあったが、バスはあっけなく到着してしまった。決して多くはないが、でもそのような若い人が現実にいるということはやはりうれしい。神戸に生まれたことをうれしく思っている、日本人であることを誇りに思っていると断言した彼女の生き方を、ただ拍手したいと思った。
最後にポンペイの食堂で素敵な高齢のご夫婦を見かけた。テーブルできちんと食事をされていて、なぜか日本の方とすぐわかる。なんと翌日考古学博物館でまたばったり、ローマの予定まで同じだった。名刺をいただいて著作でお名前を存じ上げている教授ご夫妻であることを知って驚いたのだが、ちょっと残念な気もした。いえ専門家ではないごく普通の定年退職の方がそのようなコースをたどられていたら、どんなにうれしいだろうと思ったのだ。


オシッコオシッコ

 今回もオシッコで苦労した。行きたいと思うとすぐに我慢ができなくなってしまう。何度かトイレに入ると同時にもらしてしまったりした。幸いヨーロッパは男性トイレも個室になっているのが多いので、下着を手当てすることができたのだが、これが理由で旅ができなくなるのはあまりに悲しい。今だから爆笑は、ドブロヴニクをぐるりと取り巻いている城壁の上、ここだけの話だがついにそのカドっこの隅で我慢ができなかった。青空の下、液体は力なくちょろちょろと流れ、誰もいなかったけれど。もし女の方だったらどうしようもなかったでしょうね。その後ちょうど反対側にトイレがあったのだけど、そこまではまず持たなかった。このどうしようもない事態、帰ってからもしばらく続いたが少しずつトラブルは減ってきた。理由を考えてみると2つばかり思いつく。まずコーヒーやお茶の飲み過ぎ、紅茶とほうじ茶のパックを持参してほとんど毎晩ポットいっぱいのお湯をもらってそれを飲んでいた。またカフェで休むのが目的のような旅だから、そちらも何時もの倍ぐらいになっていた。さらに年寄りは水分補給だとペットボトルも手放さなかった。それに季節は冬、肌から水分が蒸発していくこともはるかに少なくそれもまたトイレの回数を引き上げたに違いない。
 ただそのように苦労したから感じたのが、わが日本のトイレの事情、なんと完備かつ清潔に保たれていることか。お尻の水洗いもすっかり普通になっているが、海外ではそんな製品があることさえ知られていない。何より、日本では人の集まる場所ではトイレが用意されているのが普通だ。その用意がなければ、使うほうは文句を言って当然と思っている。でもこれはまるで反対だ。トイレは有料で使うもの、20円から2eurつまり320円まで、徴収をする人が常時入り口で頑張っている。でもその場所も少ないから、街中で困ったらカフェに飛び込むことになる、カフェはその役目も持っているのだ。子連れのお母さんなどは用をすますとさっさと出て行くが、こちらはやはりお茶を飲むことになる。
 いずれにしろ生活の仕方というか水分の補給の方法が、トイレに行く回数を決めている。私たちは循環をよしとする民族なのだろう。バスのトイレ休憩の時間もずいぶん長かった、こんなに停車しないのは車内にトイレがあるためではと探し回ったが無かった。このアジア人何をしてるのだと思っただろうな、いずれにしろ我慢ができないことは困ったものだ。
帰ってからしばらくして「ためしてガッテン」という番組でそれを取り上げていたから、同病の人は多いようだ。お医者さんで薬ももらったけれど、副作用もあるようなのでまだ飲んでいない。でも、この国の日常生活では、そんなに苦労しなくていいようにできている。

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