旅をしている人
田原 晋

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クロアチア~イタリー(アドリア海岸とナポリ周辺)0802

 *友人である民家写真家の小松義夫さんに旅の記録を送ったところ、以下のようなメールをいただいた。あまりに面白いので了解をいただいて掲載することにしました。まずはご覧ください。こういう話が載るようになれば、このブログも相当にユニークだと思いますが、いかが?

オシッコはおもしろいですね。
トイレに1ユーロとか腹がたちます。
私はミネラル・ウォーターの空いたものの首をスイス・アーミーナイフで
切ってビニール袋(買い物の時もらうようなもの)に入れておきます。
写真を撮るふりをしながらそこに用をして、しばらく持ち歩いていると
まるでリンゴジュースを持っている感覚と同じになります。
そこが大事なところで、そのリンゴジュースをもったいない、と思いながら下水に捨てます。
使用後のものはそのままゴミ箱に捨てます。

車で移動中も道端で撮影するフリをしながら首切りペットボトルに用を
して、たまにそのまま道端においておきます。

冬などコートを着ているときは、もう絶対大丈夫です。
ウィーンのオペラ座の前で誰にも気づかれず用を足しました。

旅ではなるべく水分をとったほうがよい、と思いますが、こういう
ゲリラ的方法もアリです。
日本の日常生活でも訓練することをお勧めします。
日本で犬の小便除けとしてペットボトルを並べている家をたまに見かけますが、
日本で訓練したときは、事後のボトルをそういうところに追加で並べておく、というのも
洒落ていると思います。

*以下は、了解の小松さんからのメール、さらに話は深化しています。

  オシッコのこと転載していただけるのなら名誉なことです。
ペットボトル使用は、その量によって自分の健康状態を知れる、
自分の体温をペットボトルを介して客観的に感じられるのも素晴らしいことです。
またそれをしばしぶら下げて歩くことにより人類に対する愛情、というか
自分も人類の一部なんだなあと実感できます。
旅するために準備万端をはかれば赤ちゃん用のパンパース、または老人用オムツなどありますがどこか屈辱的でオシャレ、ダンディーではありませんよね。

*オシッコへの愛着(これは田原)
 こちらが何時も感じてるのは、人間も牛や犬と同じだから野外でオシッコすることに、そんなに拒否感はありません。インドでもベトナムでも、昔の日本でも、それは当然の行為です。私の小さい頃、田舎では女の人も立ったままオシッコをしていて、何度も見た記憶があります。
 でもヨーロッパでは、そのあたりがどうも違う。人っ子ひとりいなくても、ちょっと勇気がいります。人間は動物とは違うのだという意識が、風景の中にも宿っているように感じてしまいます。

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