旅をしている人
田原 晋

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中国・湖南省の旅0807~08

2008年関西日中交流懇談会・交流、教育支援ツアー
協力・湖南省人民対外友好協会、桑植県人民政府、永順県人民政府、広東省人民対外友好協会

旅の前に 上記のツアーに参加することになった。2年前だったか古い友人から写真展の案内があって、そこへ出掛けたのが発端。経済発展から取り残された地域の子ども達への教育支援をしているグループの活動報告を兼ねた展覧会だったが、伝統的な集落がそのまま残っていて何より子ども達のキラキラした表情にすっかり魅せられてしまった。以来写真集や文集が送られてくるようになり、今回の参加に至ったという次第。湖南省は、洞庭湖の南で毛沢東の生地。少数民族の多い地域だ。

7月5日(土)会の事務局で打ち合わせがあった。メンバーは元教員という肩書きがほとんど、年齢は同じようだが、とても真面目で良心的な方たちだ。参加者は12名、男女半々、ご夫婦は1組、母娘1組。皆さん何度目かの参加、すでに1対1の教育支援をしておられ、それも複数という方もいらっしゃる。旅行会社はついていなくて、向こうの教育委員会がアテンドしてくださるようだ。ホテルは1泊100元、昼食20元、夕食50元、それに車代という実費計算、現地で精算して多少の追加が出るとのこと、道理で安い訳だと納得する。旅行保険に各自で入っておくようにと指示される。
日程は、学校を訪問して子どもたちとの交流や、先生との意見交換。子どもたちと共に遊ぶ何かを用意しておくように言われる、歌も折り紙もできないどうしよう困ったことだ。

1・7月27日(日)
 六甲is発 13:18~14:15 関空14:30集合(Aカウンター)
CZ390 関空発16:30~広州着19:00
CZ3381 広州発21:00~張家界22:20                 宿泊・張家界
定刻前に行くが、こちらがいちばん遅かったようだ。クビから名札をぶら下げることになる、ヤレヤレ。隣席の吉村さんは元関電の方、サラリーマンであったというだけで気心がわかる感じがするからおもしろいものだ。広州の大空港、荷物を受け取りまた預けるそれだけで大変に手間取る。乗り換えの2時間はそれだけでいっぱい。定刻、張家界到着、タクシー6台に分乗してホテルへ、思ったより清潔豪華。吉村さんと同室、彼は胃を全摘さらに肺がんで帰国後手術とのこと、驚く。

2・7月28日(月)
 朝食後ホテル周辺を散歩、公園そして商店街、皆さんそばギョーザなどの朝食を取っている。両替(当方は1万円)は代表数人が行くことになり、こちらはまた散歩。ホテルから見えた瓦屋根の家へ苦労してたどり着く、簡易な四合院。周辺は再開発ばかり、古い家並は消えてしまう運命のようだ。
 10:00湖南省人民対外友好協会が用意してくれた小型のバスで出発、1時間で桑植へ(寝てしまって残念)、桑植県城ホテル。ホテルに吉村さんが援助している中1の少年が訪ねて来る。賢そうな子、山奥から2:30の行程らしい。吉村さんはその家まで行くことに、山奥大変な貧乏な家庭、母親はヤケドで障害。こういういう例を知ると会に参加してよかったと思う。吉村さんは夕方遅く帰ってくる。
昼食後、最初の訪問、麦地坪小学校へ、30名ばかりの子どもが待っていてくれた。団長の青木先生の日本の小学校の様子の紹介後、3組に分かれてこちらはお絵かきを担当、教室は5目並べと折り紙に渡し、屋外へ。13名、持参の画用紙にクレヨンは3組の使いまわし。
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階段に並んでいる小さな頭がなんともかわいらしい。こちらはチョークで床にみなが並んでいるさまを描き、最後にそれを説明。みんなにも一人ずつ自分の絵を説明してもらう。それがうまい下手より、どれもが似ていることに驚く。「私がいて家があって川が流れ草と花があり太陽が輝く~」確か違うものを描いていた子も紙を裏にして書きなおしている。当初思っていた向かい合わせにして相手を描くことに固執すればよかったと反省する。でもみんなは満足して描いた絵を大切に持ち帰って行った。
 5:00ホテルに帰ってシャワー、夕食、9:30皆さんとミーティング。お絵かきはまずまずの評判でホッとする。全員の会は2回だけだが、会の推進者の皆さんは先方の教育委員会と連日の打ち合わせが続く、当然だが援助はラクにはできない。                 宿泊・桑植賓館

3・7月29日(火)
 朝食前、周辺を散歩。大通りの広い歩道に椅子を並べ朝食を供している。そば、おかゆなど~。
 8:00出発。途中、南島さんの配慮で、鳳凰が羽を広げたような左右にテラスのある民家を見る。屋根の反り返り、曲げ木の利用が魅力的。
広い街道1本だけの村その官地坪中学校に到着10:30、熱烈歓迎の赤い横断幕。生徒たちとの話し合いだが、また町を歩いてみる。池があり小学校の木陰が気持ちいい。街道の商店は魅力なく、郵便局に切手もない?昼食は学校で。また村へ、山並みが日本と違って自然というより異様だと農家の背景として撮る。農業地域はまだ伝統的農家が残っている。緑の水田、うねるような瓦屋根、立派なお墓。
 皆さんとタバコ農家を見て、帰る。途中自動車の事故、5:45ホテル到着。夕食後、近くのスーパーに行って見る。文具屋にも絵はがきはない。大きな川があり橋の上から眺める。緑の川岸で女性たちが洗たくをしている、山の上に塔、反対側は岸までせり出した建物、いい眺めだ。中原さん親子に会う。
 深夜1:00クラクションの音、駐車場に入れないらしい。以後アイドリング音、やがて強い雨になる。
宿泊・桑植賓館

4・7月30日(水) 
6:00起床、雨の跡はなく、駐車場に大トラック。町へ、橋の上は霧、塔もかすむ。道端の食堂でそばの朝食、トッピングは適当、3元。低い路上の椅子が楽しい、すぐ前で小学生の女の子が食べている。
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 8;30出発、桃子渓中学校は緑の中。古い農家の残る周辺を少し歩く、先生か用務員さんがついて来て、帰り近道を教えてくれる。学校で、援助したという理科の標本室を見る。寮(ここは一人ベッド)を見学。昼食は村の食堂(なかなかおいしい)しばらく走った橋の上で、永順県からの車を待つ。近くの農家へ南島さんと。おばあさんが留守番をしていて、見せてもらう。3間分割で中央部は開放された土間で神が祭られる作業場、左右が居室という間取り。県の人民対外友好協会が交代、車も変わる。
 14:00ホテル到着、少し賑やかな町。15;00永順第二中学へ、援助している4人が待っていて面談。中学入学の彼は将来軍人になると言う。援助した人の意図は違うだろうが、それを止めろとは言えないと思う。オリンピックでの中国の金メダルの数は?と聞いてみたら、小学校低学年の女の子はほとんど全部(テレビにオリンピックch.があり、それを見るとそう思ってしまう編集だ)、他は30くらい、前回より多く、ほぼこれが国民的合意だろう。夕食は招待、豪華おいしく感激。一人で町へ。
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人民政府の塀に永順1中の合格者、有名高校進学者の名前が掲げられている(土地の英雄なのだ)。桑植と同じような川そして塔(伝統的デザインだが新しいものでどこでもあるようだ)。地図18元とシャツ75元を購入、絵はがきはやはりない。    宿泊・猛洞河大飯店

5・7月31日(木) 
6:30ドアを叩く音に腹が立つが、これがモーニングコール。それほどに熟睡。7:00朝食8:00出発。
9;30山間の沢家村沢家領千洞村の千洞小学校に到着(校舎を2000年日本の基金で建設)、1,2年生が学ぶ分校(3年以上は全寮制で町の学校に寄宿・数年前から英語の授業がはじまり3年からになった)。周辺には30年以上の民家があり、そのままの方が幸せではないかと思うが、そうはいかないものだろう。
 続いてさらに山奥の村(道はここで行き止まり)、列夕小中一環校へ。子どもたちへも興味があるが、300年を経過した村の魅力に勝てず村を歩くことを選ぶ。ちょうど市がたって賑やかだが、なんと突然の滝のような夕立、皆さん雨よけに苦労していた。こちらは傘をさして、バスから見えた「卯建ち」のある家を目指す。石畳、民家、学校か裁判所のような建物もあり、大満足(日本ら保存の対象になるだろうが、すでに破壊というか建て替えが進行している)。
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ここでの昼食もまたおいしかった。魚、スッポン、豚燻製、豆腐(名物)に野菜とナッツ各種。さらに帰りに、南島さんが車を止めてくれ、見事な楼閣民家を見せてくれる。15:00ホテル帰着。
 永順第二中学で、先生たちと懇談。寄宿舎の1ベッドに2~3人、1室30~60名で生活する生徒の心の問題(個人意識に及ぼす影響)について尋ねてみたが(異性への感心、夢精処理なども)、よく伝わらなかった。子どもたちはその社会のシステムの中で育つ以外の方法はないのだから~(こちらがその環境をアウシュビッツよりひどいではないかと思ったとしても、そう思ったことは相手の理解を得られるものではない、日本の戦争中の子どもたちの共同生活がどういう状況であったかも知らない~)
      宿泊・猛洞河大飯店

6・8月 1日(金) 
県の人民対外友好協会が交代、吉首からの車のために出発も遅くなる。9:30出発10:30山間の撫志小学校、子どもたちが待っていて、前回と同じように3組に分かれ、こちらは屋外でお絵かき(コンクリートのテーブルがあったのだが、直射日光はやはり参った)隣の真似をしないことをお願いしたが、やはりそれが多い。ひとりだけ竜があった。その間こちらはテーブルのひとつにチョークで子どもたちと周囲を描いて、記念撮影をしてもらう。昼食、こういう村の食事がおいしいのに驚く、歴史のある民族の味は見事だ。これで公式の行事はすべて終了。
 道は猛洞河に沿って進む、信じられない深い谷と山の形、中国の山水画の風景はこの国の自然なのだ、と当然のことに気付いたりする。舟遊びの場所もある、名所なのだ。幹線道路に出て開発目覚しい吉首市でトイレ休憩(河西土家族苗族自治州の中心都市だが、ここもまた漢族が経済の担い手だろうか)
16:30鳳凰到着。ホテルは鳳凰政府賓店。部屋も広く豪華。夕食は外へ、案内のガイド(彼が今回の唯一の観光ガイド、日本語はもっとも下手だった)で町を一巡りして帰る。見事なる観光スポット、建物の屋根は赤や黄色のネオン、赤い提灯、水辺を歩くようにできた遊歩道、たくさんの観光客)
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20:00~21:30夕食後ミーティング・各自感想を述べ合う。こちらは勝手な行動を詫び、ご馳走に感激したという。皆さんの意見では、この国の経済発展で、今後の援助がいかにするか、考えるべき点が多い。1)進学競争の激化それをあおる社会~援助を優秀な学校や生徒に集中させようとする風潮2)驚くほど優秀な生徒がいる一方で3)無気力な生徒、兄が卒業後家にひきこもっているなどの問題も現実に起こっている。お互いに考えねばならない問題だ。ただ(こちらは知らないことだが)何時もの春先と季節が違ったことで、別の風景が見えたとのこと、これも社会を理解するには大切なことに思える。こちらに見えたのは大変に豊かな自然であること、ただ貧しい地方と決め付けるのが間違っているかもしれない。それは自然ではなく社会のシステム(人為的な問題)のためかもしれない。話はつきなかった。                   宿泊・鳳凰政府大飯店

7・8月 2日(土)     鳳凰観光
 5:45目覚めをよいことに起き出し、カメラを持って町へ。まだ閑散。霧がかかって建物の新しさや赤い提灯の原色を隠してくれる。水面近くから虹橋を撮ったりするうち、何日もかけて見る町でもないと思う。建物がすべてあまりに新しいのだ。ただ日本や香港のような文字看板がないことに、驚く。商店へ荷物を運ぶ人、早発ちの観光客などが少しずつ通りをうめていく。係員による清掃作業(背中のホースからの水の噴霧でしぶきが美しい)映画のロケ、民族衣装(現代風)の美しいヒロイン、おばあさんを撮る。なんとなく、カメラはこれでおしまい、そんな感じがする。
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 7:00過ぎホテルに帰り、シャワー、朝食。8:30あらためて現地ガイドと観光へ出発。1)沈氏故居(小型4合院)2)元政庁(130年前四合院)3)東門から城壁、北門へ4)熊氏故居、周囲の3層の建物の中で見学するスポットはすべて平屋。城壁の高さから見ても、以前はすべて平屋であったように思う。昼食を済まして散会、南島さん中西さんと河畔のカフェへ、そのテラスに座る。久しぶりのケーキとカプチーノに満足。ゆっくりした後、皆さんと別れ、昨夜も渡った飛び石の橋(カップルに写真を頼まれこちらも撮ってもらう)から熊氏故居の前の生姜糖の店でお土産を少し買う。店頭に置かれている低い椅子にすわってこれを売っている場所を尋ねると、ちょっと待てと新品を出してきてくれる。でも少し背が高いし重い、でやはり旧式がいいというと、いちばんきれいそうなのを探して持ってきてくれる。そんなやりとりで、お店やお客の皆さんと親しくなる。結局40元で求め「是我家的40元」と紙に書いてもらい盗んだのでないことを証明してもらって、別れる。途中お茶屋さんで少しだけ求める(お店で淹れてくれるとほんとうにおいしいが、自宅ではなかなかそうならない)かくして5:00集合場所の虹橋前で椅子にすわって待ったのであります。
夕食を済まして6:30出発、8:00空港到着、宋さん張さんと別れを惜しんだ。
CZ3246銅仁空港発20:45~広州着22:05
          宿泊・盛東賓館GoodEastHotel

8・8月 3日(日)
 ホテル(の隣の食堂?)で朝食を済ませ、送迎バスで空港へ。担当の陳さんに8月の来る雲南省からの帰りのホテルの確保をお願いする。出発ゲート近くで久しぶりのカプチーノ(38元)を賞味する。やはりコーヒーの用意は必要だ。誰もいなくてゆっくりとノートする。1)宋さんのこと2)若者たちのこと3)夜の夕立のこと、
CZ389 広州発10:30~関空 着15:00 (3:30の飛行、空港で解散)
 まとわりつくような熱気だ。空港の係官、住吉のタクシーの運転手さんに椅子をいぶかられ、笑われる。やはり変な買い物のようだ(何度も洗ったが足の汚れはとれない、底にクッションカバーをはり、現在テレビの前に鎮座している)。
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ところで翌日、風邪をひいてしまう。やはり疲れていたのだ。

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