旅をしている人
田原 晋

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中国・雲南省の旅0808~09

1. 会話とケータイ

 今回はバスの旅が多かったので、そこで感じたこと。座席はコンピュータ管理による指定で前からつめていくから、2人連れでない限り知らない人同士が隣り合わせる。こちらが乗ったバスは観光に行く人がほとんどだからお互い親しくなってさぞ賑やかになるだろうと思ったのだが、そうはならない。最後まで他人のままのようだった。ほとんどの場合DVDの映画が流れて、それを見る人が多い。
 ところがその空気を打ち破ってケータイがかかってくる。大音量で音楽や効果音の呼び出し(いろいろあって最初は驚いた、日本でもそういう時代がありましたね)が入ると、大声で答えている。映画なぞお構いナシだ。次々にかかってきて、何時も誰かが話をしている。言葉はまるでわからないが、実に楽しそうだ。どうやら皆さん話は好きだし、退屈してコミュニケーションを求めている。
でも近くの他人より遠くの知人ということ、これは新幹線の中と同じ、周囲の人との間に最初から塀を立てて心が通うのを拒否している。これは現代人の特長だ、市場開放の影響がバスの中にまで及んでいると思ったのだが、中国は大きく隣に座っているひとは外国人に近い、そう思う方が正解のようだ。
 実際こちらが中国語を喋れないほんとうの外国人だとわかると、隣の人はそれぞれが親切にできる範囲で精一杯の世話をやいてくれた。トイレ休憩だ、30分間ですよ、そっちだ、まだ下りたらダメだ、次だ。ここですよ、下りなさい。若い人は自分の知っている英語のすべてを持ち出して話してくれたし、場合によっては英語のわかる人を探してくれた。謝々、ほんとうにありがとう。

2. 古城OldCity再開発

 大理、麗江、建水と一時は荒れてしまった城壁に囲まれた古い町を最近になって再開発した町を訪ねた。前回の湖南省の鳳凰も同じだ。その徹底した再開発にすっかり感じ入ってしまった。それは昔の姿を再現するというより、現在の観光のため(訪れる人のためであり、そこで商売をする人のためでもある)にある。その根底に、すべては現在のために変化して当然だという思想があるのではないだろうか、これは王朝がその時点の現在のために交代してきた歴史が反映している、世界は変わるものだという信頼があると言ってもいい。これは良い悪いを超えているように思う。
 ともかく再開発は徹底的だ。まず現在のあるべき都市の姿を描く、都市計画。中心の道幅を広げ、電気も上下水道も地下に納める、電柱もテレビのアンテナも姿を消す。そして石畳の舗装、後から掘り返したような後はいっさいない。建物は伝統的なデザインにする、ただし従来がどうであったというより現在の人が伝統的と考えるものにする。政庁や城門などシンボルになる建物が必要なら再建する、昔の通りにするより、現在の人が伝統的だと思えるようなデザインで建てる。町屋は、必要なら2~3層にするなど大きさや高さも自由にその町にふさわしい姿を考える。中央通りに面した1階は通りに全開して商店にする。上部の活用が求められるなら積極的に応じる。商店にもホテルにもなる。必然的に、現代伝統様式という新しい建築様式が生まれることになる。これは現在の技術で建てやすい工期が短くなるものを追求するから、時代とか地域とかは関係なくなる。瓦と漆喰の併用、瓦だけで防水を考えるのではない、水漏れの可能性は漆喰で補えばよい、軒や棟の瓦もまた地域に関係なく同じデザインなる。木材の使用その色彩や模様など詳細のデザインは、どこか北京の故宮を参考にしてしまうから全国的に統一されてしまう。といって風景を乱すような新建材はもちろん看板の色や書体は皆無だ。
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 という町を歩いてみて、早朝のまだそこに住んでいる人しか見えない時間はもちろんだが、観光客にあふれているときもまたいい。見事に昔の姿や賑わいが再現されているようでタイムスリップした感覚でうれしくなる。石畳は表情豊かだし、さらさらと流れる小川も美しい。住んでいる人は伝統的な民族衣装を着ている。探せばいいお店も食堂もある。
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 また世界からのお墨付きを喜ぶのは日本とまるで同じで(北京五輪もそういう感じがしたけれど)、世界遺産とか自然遺産などの標示は入り口に大きく掲げられてそれが観光客を招いている。またその認定を機会に修復したというか新しいデザインで再建したりしている。麗江の政庁であった木府、大理郊外の3塔公園の寺院などがそうだが、その伽藍の連なりにそれがすべて再建されたことに驚く。おしむらくは現在の技術による工事のために、屋根はなだらかな曲線でなく直線を継ぎながらになり、意地悪いこちらの目はそこまでやらなくてもいいのにと思ったりする。
 ただこちらはそれをいくつも見ているうちに、同情のようなものを感じてしまう。仕方がないのだ、過去の破壊は徹底的でそれがどういうデザインであったか、また何時の時代に戻せばいいのか、それは見方によって大きく違う。日本の寺院の再現でもよく問題になることだから(例えば、大徳寺大仙院の枯山水の庭園)、はるかに長い歴史を持つ国でこれは仕方がない。幸いに昔からのままで残っている建物が、そのままきちんと保存されていたら、それで充分だ。幸いに、麗江でも大理でもそのような建物が残されていてほんとうにうれしかった(麗江の方国氏故居、大理一中の書院、建水の朱家花園など、鳳凰にも北京にもある)。むしろあまり人が訪れないそういう場所があることが、何よりもすばらしいことだ。
 
3.石林1日観光コース
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 乗り合いバスのつもりが「石林1日観光」バス、中国人ばかりの面白い体験だった。9:00出発、トイレ休憩は宝石店でしっかり30分待たせてくれた。次に大きなお寺に止まる。山の斜面にあらゆる仏様の原色目玉ムキムキ像が並ぶお堂を巡る、その礼拝の仕方を教えられ皆さん熱心に拝んでいる。ようやく石林地区に着いたのは、もうお昼前で食事皆さんは円卓、こちらには10元で焼き飯をつくってくれた。さらにこちらだけチケット140元を買って入場、結局皆さんについて回ることになる、約2時間それは確かに奇景の連続(カルスト台地の侵食)、写真を撮り合ったりして親しくなる。観光の最後は園内のお店で休む、お茶をふるまわれその説明(売り込み)。
こちらの隣席の青年のTシャツは、不容忘却 モンゴルからサハリンまでグレイでそこが本来は赤い色の中国の領土だと主張している(ソ連との間で国境紛争があったのを思い出す)。
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そういうグループがあるのだ、北京から来た唯一英語の話せるお兄さんが教えてくれた。日本も韓国もグレイの中ではないのと言ったらそれはないとのことだけど、いろんな人がいるのだ。チベットの問題など、何が問題なのかということさえ彼らにはまったく理解できないだろう。
4時前にバスは帰路に、市内に入ったところで漢方(というのかな?)の病院へ、展示室からゆったりした椅子の部屋に案内、人数に合わすのかいろんな大きさの部屋がいくつも並んでいた。足元の金たらいにお湯がそそがれ薬が入る、生薬の香りが部屋いっぱいに広がる、裸足になって足湯、とても熱く出したり入れたりする。白衣の人が出てきて説明(病院の歴史や功績?)、続いて医者らしき人が各自に悪いところないか尋ね、診察している。最後に若い人が入ってきてマッサージをしてくれた、よく歩いた足にはとても気持ちいい。そして再びバスに乗り、次々に人が降りていく流れ解散。サヨナラの挨拶ができないのがちょっと不満だが、それは日本人の感覚なのだろうか。見覚えのある風景でこちらも降りたのであります。
それにしても商売熱心な1日、それぞれに買う人がいた(診察に残った人もいた)ので、やっぱりこの方式はまだまだ続くのだろう。ところで(ホテルの案内所で見ると)こちらが払った合計の金額より、1日観光の値段の方がどうも安かったようだ。

4.70歳という境界

 中国では70歳というのが区切りで、それ以上だと入場料が無料になる。それが表示してある場所もあるが、書いてなくても言うとそうなったりする。今から思うとバスの料金はどうだったのかと思ったりするのだけれど~、こちらの感じでは日本よりはるかに徹底している。何よりそこに住む市民だけ県民だけという細かいことは言わない(言えない?)。ただし外国人の当方には、これは中国の人のためだからと言いつつ半額にしてくれた。そんな文言はどこにもない、見事な臨機応変だとすっかり感心した。
 その根底に老人を大切にする思想が、常識として存在しているのではないか。でなければ外国人は半額などという思いつきはできない。高齢化は進行していて、公園のベンチは何時も老人がいたし、朝の散歩や太極拳などの運動も老人の比率が高い。といってその人たちが70歳以上であるかはわからない。見た目と実際はまるで違う、これは日本でも同じことだ。そこで年令で区分することにしたのだろう、日本でも75歳で区分するアイデアが実行に移されたが、評判はあまりよろしくない。中国の例にならえば、区分するならもっと徹底的にあらゆる分野で実行すれば賛同者ももっと多くなるに違いない。
どうも私たちは徹底的という思考に欠けているようだ、というより徹底的にきちんと考えることを止めて、あらゆることを中途半端ですましてしまう。だからすでに変わってしまっていることに気付かなないで、その変化したことを無視してしまう。それがあちこち旅した結果見えるようになった唯一のことかもしれない。
 帰ってから友人が、「美しき日本の残像」アレックス・カー(朝日文庫)を教えてくれた。ここには徹底的に考えるとは、どういうことだという例にあふれている。こちらの思っていることは、これに比べるとはるかに中途半端だ。
          以上

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