旅をしている人
田原 晋

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田原晋のひとり旅

次の旅まで(恒例だと2~3月頃)少し時間があるので、「ひとり旅」について少し考えてみました。いえたまたま次の本を読んだことがきかっけです、まず本の紹介から。

img200810261529426961.文化移民 藤田結子 新曜社
ニューヨークとロンドンへ2003~04年に出発し1~4年後に帰国した22人(7人はまだ現地に滞在)の若者の出発前と滞在中(最初は約3ヶ月後で1年目は2~4回、その後は年1~2回)そして帰国後半年以上が過ぎて、それぞれ直接に会って話を聞いたこと(インタービュー調査)をまとめたもの、大変に長い期間、世界を横断しての労作で、こういう研究が成立すること(そういう時代であり、可能にするシステムがあり、発想する研究者がいる)にまず感心した、というより驚いてともかく購入した。
 このところニューヨークやロンドンにアートやポップカルチャーを学ぶために留学する若者が多い。90年以降毎年増加の傾向にあり、実際にそういう若者によく出会うらしいし、現地で話題にもなっている。これを生み出したのは、必要条件としての日本経済の水準の向上、「プッシュ」要因(若年層の失業率・非正規雇用の増加、女性の構造的周縁化・労働面での差別、そして親子関係・援助が可能、未婚期の長期化)、「プル要因」(両都市の芸術や大衆文化の状況、英語が喋れるようになるという期待)、さらに「移住システム」(旅行代理店、予備校・専門学校、政府機関の広報活動が整っている)、そしてメディアが生み出すイメージ(欧米、西洋、両都市)などが複合して存在しているためと言える。
 この研究の目的は、この「文化移民」よって、欧米・西洋・両都市のイメージがどう違い、どう変わったか。また日本や日本人についてどう考えるようになったか(ナショナルアイデンティティ)を尋ねている。
 まず彼ら彼女らはそこに「近代的な」何かがあると憧れたのではなく、日本での生活と変わらない似た場所と思って出掛け、行った後に日本より遅れていると感じる者もいる。またつきあった人たち(階層上位の白人と親しくなる機会はほとんどない)への感想も加わって、これまで一般的に思われていたイメージとは大きく違ったものになっている。また国境を越えるメディアの利用によってトランスナショナル・アイデンティティが生まれるという新しい考えも、そうなっていくごく少数はいるが、多数はそうはなっていないという現実を教えてくれる。
 本の副題に「越境する日本の若者とメディア」とあり、まかれた帯には [若者はなぜ「日本回帰」するのか。電子メディアは国境を消滅させる?この魅力的な仮説に、長期的な聞き取り調査・参与観察をとおして挑み、国境を越える心性の意外なゆくえを追う意欲的な試み。]とある。
 ともかく若い彼ら彼女らの現実、正直に語られる感想がありがたい。若い女性の研究者(大学院生)ならではの成果だろう。ここに紹介した結論以上に、全編に生活と思いがいきいきと描かれていて楽しい、ぜひ手にとっていただきたいと思う。

img200810261530249612.日本を降りる若者たち 下川祐治 講談社現代新書
 こちらはバンコクを中心にした東南アジアが舞台、どこにも行かずにバンコクの安宿に逗留する若者が多くなっている。カオサンという通りの周辺に日本人だけのゲストハウスもある。
その彼らに会って、なぜそうなったか、現状をまた将来をどう考えているかを尋ねてまとめたもの。典型的な例は、お金がなくなると日本に行ってアルバイトなどでお金を貯めて、またこちらに帰って?来る。日本にいたら落ちこぼれとかニートとか言われてプレッシャーを感じるが、ここでは何もしなくても誰も文句を言わない、とても落ち着けるという訳だ。「外こもり」と呼べる現実だが、南国の暖かさと明るさがあって、羨望を感じるくらいだ。カンボジア、ラオス、ミャンマーにもそういう日本の若者がいる。いや、現地で仕事を見つけたり結婚したりして、5~7年が過ぎてもう若者とは言えない人も少なくない。
 序章でごく簡単に若者の旅のスタイルの歴史がまとめられている。こちらはやはり小田実「何でも見てやろう」の影響を受けていて、あれも見たいこれも見なくてはと思ってしまう。だがそれは少しずつ変化して旅をすること自体が目的になっていく。1954年生まれの著者は元バックパッカー、何かを見なくてはならないという「旅のプレッシャー」を開放して「旅に出てもなにもしなくていい」というスタイルを生み出したと言われ、若い人の信頼を得ている。この本でも彼らを見る目はやさしく、時代がそうなら自分もそうなったかもしれないという思いが伝わってくる。イラクで殺されて話題になった「香田証生さんはなぜ殺されたか」という著作でも同じ感じがした。

3.こちらが旅で出会う若者たち
 ところで、こちらが旅で出会う若者は、数は少ないがまるで違う。1ヶ月から半年と期間はいろいろだが、卒業や転職前の人たち。帰国したら、次の生活が待っている。皆さん一様に「これが最後です。次の春に就職したら、もう二度とできないと思うので、ともかくやって来たのです」と言う。次の人生が決まって、その前にともかく旅をしておこうという必死さがある。それにしては見たいもの行きたい場所がはっきりしていないではないかと、こちらには不満であるが、ともかく日時を確保して飛び出した熱意はうれしいし、それがツアーではないこと、行き先がパリやニューヨークでないことも拍手してあげたい。
 ともかく彼の人生の中で、生まれてはじめてポッカリと空いた何に使ってもいい自由な時間のようだ。だから、もう二度とないと思う気持ちはわかる、でもそれはあまりに悲しいことではないか。「最後なんて言うな、また機会を見つけて旅すればいい、それができないなんて何のために働くのよ、行きたいと思っていたら行けますよ。こちらは『2年に一度2週間』と言い続けていたの、それはできなかったけれど3~5年に一度は出掛けてた」「時代が違うのは確かだけど、できないとすればその方がおかしいよ。それを変えてやろうと思うことが真っ当なことだよ、君が会社の中でそういう前例を作ればいい」と言ってあげる。こちらのことなど別れると同時に忘れるだろうけど、言葉だけでも何かの拍子に思い出されないかと願っている。
生きていくとは、いろんなことが同時進行していくものだから、それを働くとか勉強するとか、ひとつに考えてしまうのがおかしい。サラリーマンと同時に恋人であり、結婚をして父になるのだから、その中に、2~3週間の旅をするという選択肢を何としても残してほしいものだ、それが大変だというのはわかるけれど、そういうことがまったくなくて何の人生なのと思う。どうせゴルフとかスキーとかの細切れの遊びや趣味はするのだろうから、どこかお付き合いとか仕事がからんだ遊びだけで自分を小さくして欲しくないものだ。

4.日本での状況が見えてくる
 さて以上の3つを並べると、見事に現在の若者の状況が見えてくる。ニューヨークやロンドンに出掛ける若者は全額ではないが親の援助を受けている、現在を人生のリセットと心得ていて数年後にはそれに見切りをつけて帰国して親の期待する人生を歩いていこうと思っている。それに比べ、バンコクに滞在する若者たちは、当初は親の援助をうけてワーキングホリディに出掛けた者もいるだろうが現在はそれを当てにしている人はいない。そこまで頼れないことを彼らは知っていて、働きに日本行くことを当然と思っている。少なくも親離れした人生(親逃れというほうが正しいかもしれぬが)を送っている。
 ただどちらも、帰国して安定した人生つまり正社員の道が開かれているとは思っていない。バンコク組はすでにあきらめているし、積極的にそこから逃げ出したと思っている。ニューヨーク組はできないことは知っているが、最終的には親のすすめる社会で生きていく以外仕方がないと観念している。
 それに比べてこちらが会うひとり旅の若者たちは、帰国すると正社員の道が待っている。ただそれは約束された幸せな明日というより、いまの自分を変えなければ対応できないほどに厳しい世界だと覚悟している、その選択以外は考えることができないぎりぎりの追いつめられた決心だ。
 以上の3組、お互い話し合うことはもちろんなく、自分とは違う発想をする別世界の人のように思っている。そういう見方を他から強制された結果なのだが、それには気付いていない。この状況に、現在のこの国の若者たちの悲しみがある。若者としてひとつにまとまることができない。

5.行ってみることが目的なのだ
 さてやっと旅の話になるのだが、以上を見ればこのところバックパッカーの旅はもちろん、気ままに旅をする人が減っているのは当然だろう。若い人は、旅どころではない状況だ。行ける人は時間がないのでツアーを選んでしまうし、それどころではない人はせっぱ詰まって外国に逃げ出してじっとしている。ナポリの下町でカフェを出ようとしたらアンニョンヒと言われた、韓国人と思われたのだ。確かにこちらが海外で会う若い東アジアの人はまず韓国の人だ、人口は日本の40%くらいの国なのに。日本人はツアーでほんとうに限られた場所でしかお目にかからない。空港に行って、その多さに何時も驚かされる。
あらためて思えば、バンコック組もニューヨーク組も以前ならバックパッカーの旅行者として歩き回っただろうし、お互い友人になって新しい関係が生まれただろう。若者同士の連帯のようなものや、世界だけでなく日本や日本人に対しても発見があっただろうと思う。そういう可能性を奪ってお互いを分断する現在なんて、何という時代なのだろう。
 時間とお金を他に使う当てのないこちらは、彼らの代わりにせいぜい世界のあちこちに出掛けよう。そういうお手本を残しておくことが、彼らのためにもなるのではなかろうか。自分たちの取り分を年寄りたちが不当に受け取っているという見方もできるが、ともかく羨ましく思う対象があることは将来の夢にはなるだろう。こちらだってサラリーマン時代に民家を目指して旅する写真家を羨ましく思ったことが現在につながっているのだから。
 そう言えば、世界を旅して若者たちのお手本であった写真家の藤原新也が新作の「日本浄土」のあとがきで「歩くことだけが希望であり抵抗なのだ。」と書いている。彼の旅とは違ってこちらはそんな気負いはなく、無理は避けて小さなキャリーケースを引っ張って、列車やバスを数時間ずつ乗り継いで行くだけではあるが、それでも旅は旅であろう。
 何年もかけ順序も前後しているのだが、インドから東に向かったアジアの旅は、途中抜けた国もあるが中国の雲南省まで来て、これからどうなるのだろう。中国では、言葉のわからない外国人であることをわかってもらうのに苦労する。ヨーロッパはイスタンブールから北へ向かって、ヘルシンキに到達して一応終了。クロアチアからイタリアへ入ったコースは地中海を西へ向かおうと思っている。ひとり旅の日本人に始めて会ったと言われると、どうでもいいことなのにちょっと悔しい。英語は相変わらず喋れないが、喋れるようになろうという気が少なくなってきた。
 良いことも悪いことも、うれしいことも危ないことも、同時に発生する。なぜこんなところにいるのだ、何をしているのだと思うことの連続だ。その結果として、少しのことでは驚かないというか、そういうこともあると認めることができるようになった。

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