旅をしている人
田原 晋

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イタリー(シシリー島)~チュニジア0902~03

12・3月 1日(日)チュニス
 7:00起床、カメラを持って甲板へ、肌寒いもうアフリカは目の前。
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食堂でコーヒー、皆さん入国カードを記入中。英文をもらいに行くが仏文で結局すべて書いてくれ、感謝。9:00到着、通関、200eur両替。佐藤さんと一緒に歩いて電車駅、市内へ。彼と別れ通りのカフェで朝食。ホテルで荷物をあずけ、カルタゴ遺跡へ(明日は月曜で休み)。船の中の人や佐藤さんにまた会う。
ゆっくりと見て、誰もいなくなった遺跡のカフェでノート「カルタゴ遺跡は土の中、どれがローマかカルタゴか、今はすべてが夢の跡」実際、遺跡として見えているのは、どちらかわからない。
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途中の電車で学生4人(会話もノートも仏語だった)と親しくなり(彼らが老人に席をゆずり、こちらも真似した)、カルサージュに行くならドゥッガにぜひ行けと地図にチェックしてくれる(これは行くべきだろう)。ホテルで浴槽にゆっくりつかる(この旅で最初)、夕食は近くでスープ、クスクス、スィート、コーヒーで5d(350円)安い。ああチュニジアの夜だ、それにしては安ホテルだが。
                       Hotel ElOuiwa泊 70d

13・3月2日(月)チュニス
 3:00寒い、毛布をかけ改源、7:30,起床9:00出発、旧市街メディナへ。
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商店が並ぶが欲しくなるようなものはない、グランドモスク(中庭を見るだけ)など。抜けたところは首相官邸、国会など官庁街。
昼食は新市街、2階レストランが1階に立ち食いカウンター。オムレツやシチューなど日替わり、サラダも豊富。うまい安いで感激5d(写真を撮ったら叱られる)。通りでフレッシュジュース2d。夕食は昨夜と同じ店・カルカソンヌ魚のグリルほか14.5d。部屋でお茶。  Hotel ElOuiwa泊 70d

14・3月3日(火)チュニス~スース
 チェックアウト駅へ。切符・2等か?と何度も念をおされる(外人は1等に乗るのかな?)9:05発スース行11:00着。別に危険もなくごく普通に清潔。駅前を歩き出すと、タクシーが止まり客の女性、大丈夫かと聞く、常識外れなのだろうか?ホテル17.5が15になる(値切っていないのに)安ホテルだが中心広場前。早速に町へ、iで地図をもらい、モスク、リバト(城壁・塔は修復中で上れない)博物館は休館。
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フランス人観光客が多い。昼食は土地に人たちと一緒に、肉と玉子入りお焼き(結構いける)、直射日光強く何度も休む、カプチーノ、フレッシュジュース。夕食はレストラン(春巻き、スープ、エスカロップ、オレンジ1コで10d)。夜、アイザーンの声、寒い、気温がどんどん下がる。
             Hotel Hadrumate泊 15d

15・3月4日(水)スース~ケロアン
 海岸を散歩、ホテルが並ぶリゾート地(西欧の観光客はこちらに泊まっているのだ)。地図を見てバス停まで歩けると思ったが、間違い、結局タクシー。バス11:00発でケアロン13:00到着。ここからは歩く(遠距離バス停は郊外、中心部まで歩けたりとんでもない距離であったりする)ホテル(1泊のみ)決め、昼食(スープとオムレツ)(魚のスープ、おいしいのでどこでも一応頼むことにしている)、市内(城壁に囲まれたカスパ)を歩いてみる、店は沢山あるが欲しくなるようなモノはない。夕立、衣服に砂の跡、スゴイ。夕食はスープとトリ、デザート。お茶の時をふくめ、甘いものをよく食べている。夜は暖房、快適。    Hotel Splendid泊 28d

16・3月5日(木)ケロアン
 5:30アイザーンで目覚め、8:30近くのホテルへ移り、出発。博物館1日共通券・グランドモスク(アフリカ最古、柱はローマ遺跡のもの、いい中庭だが祭のため中央部にテント、残念。写真を見て想像)
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27日間でエジプトからモロッコへ抜けるツアーの一行に会う、ゴリッパ。・シディサハブ霊廟(内部は壁床天井タイル、欄間は大理石で別世界を築いていて見事~タイルはイスファハン、大理石彫刻はインドに負けるけれど)学生さんが修復のバイト中、塗り方は雑。アニメ専攻で日本人とわかるとマンガと言って尊敬のまなざし。作業着にお互いが落書きしていたので、各自の胸に名前をカタカナで書いてあげた。外に出て広場の先のカフェから遠望すると、これから行くジェルバのモスクに似ていて驚く。
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 昼食は小ピッツアとコーラ、夕食は羊のシチューとデザート。また大変に人気のお菓子屋あり、その製造をしばらく眺め、食べさせてもらう(後で知るが全国的に有名なお菓子・マクルージュ)。
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ひとり旅の若い女性・千夏さんに会う(チノチノと言われ名前を呼ばれてるようだったとのこと)。
充実した一日だった、こういう日があるから旅は止められない。   Hotel Tunisia泊 25d

17・3月6日(金)ケロアン~ジェルバ(バス9時間)
 よく眠った。窓から見える最初に泊まったホテルから仏人団体が出発中、みんなで荷物をバスの屋根に積んでいる、昔のインド旅行を思い出す(日本のツアー客は絶対にやらないなぁ)。8:00もう客の消えたホテルから出発。タクシー。曇天、冷たい風(こういう天候周期的だ)。チュニスからのバスは満席、10:30発。隣はイケメンの若者(最初は無愛想だったが、英語を話しとても親切だった)。途中休憩2度、こちらはサンドにコーヒーなど。ずいぶん遠回りして(橋を渡る)到着19:30。
最初断られ2軒目の安ホテル、夕食は近くの食堂でトリ、まずい。部屋でお湯をもらってケロアンの菓子で落ち着く(翌日、ホテル主人に上げたらとても喜んだ)。    Hotel Hadj泊 20d

18・3月7日(土)ジェルバ
 まずiで観光地図、駅でバスの時刻、両替。11:30民族博物館(フランスの協力か見事な建物と展示。絵はがき冊子など購入、中庭のカフェで休み満足ご機嫌)海岸の砦(小松さんが言う夏の海の色をしのぶ)木陰の庭のカフェ、公民館(少年たちダンスを披露してくれた)
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民家風(フォンドゥック様式)ホテル、民芸品の店(いい店は1軒だけ、ドイツ3老女と一緒に選ぶ)夕食は魚グリルなど15。
             Hotel Hadj泊 20d

19・3月8日(日)ジェルバ
 最初に断れた観光客地区のホテルに移る、テラス付の部屋。タクシーで島を巡る・ミドゥン(古いモスクを博物館として見せている、白がまぶしい、外観は要塞のよう)・マヌビヌ(同じモスク、こちらは現在も使用中)
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・エルメイ(トルコ様式のモスク、商店街といってお土産屋集合)・グリバ(シナゴーグ・厳重な入り口、内部はステンドグラスとタイル)・露天市(ひなびた露店に沢山の人、商品はプラスチックなどの工場品で民芸品は失われたようだ、食品とその籠だけがこの土地ならではのもの)・アジム(南西端のフェリー、発着を見る)以上で40(約2800円)。昼食(土地の店と思ったら観光客用メニュー、高いがおいしかった。夕食にまた出掛け、土地の人用のメニューを要求して賞味)。
・町を歩いていて迷い、いくら歩いてもホテルに帰れず2時間、自分に腹が立つ(立ち止まって地図を見れば、どこで間違えたかすぐにわかった筈なのに)これも認知症か? 部屋でお茶、お風呂。
                (名前につられただけですが) Hotel Palmesd’Or泊 30d

20・3月9日(月)ジェルバ~チュニス
 8:00チェックアウト、駅へバスは8:30発。昨日のフェリー乗り場、30分で本土、オリーブの植林が見事、等間隔で延々と続く。11:30、13:00と2回の昼食休憩。ケロアンではお菓子の屋台で停車、沢山の人が買っている(同じものが、他の町ではとても硬い)。17:30無事チュニス到着9時間の旅。
新しいのを探すのも面倒で以前のホテル、憶えていてくれサービス価格になる。夕食も前回行ったカルカソンヌ、憶えてくれている。やはりうれしい。          Hotel ElOuiwa泊 60d

21・3月10日(火)チュニス
 8:00朝食、昼間勤務のフロントのお姉さんと再会を喜ぶ。両替(銀行の女子社員の態度悪くて叱る)、
メトロで、バルドー博物館。さすが世界に誇るモザイク(stone paintings)の展示。観光バスで乗り付ける大変な人に驚く。
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昼食は市内に帰って、前回行ったカウンターの店でオムレツ4、満足。
旅行会社を探すが、結局、船のチケット買えず。歩き回って疲れてすわったカフェでコーヒー6高い、誘われるまま坐ったチョンボ。夕食も高くまずくてチョンボ、どうも疲れると判断力がにぶる。
                                 Hotel ElOuiwa泊 60d

22・3月11日(水)チュニス
 最初の日カルタゴ遺跡へ行く電車ですすめられたドゥッガへ。5:00起床 6:00出発、満月が西へくっきりとした姿のまま沈むのを見ながら、メトロで北バス乗り場へ、ケーキとコーヒーの朝食 7:00発のバス5.74。北西部は丘陵で緑が多く豊かな感じがする。9:00遺跡へ行く分かれ道で、ひとり降ろされる。
 カフェがあったので、水とパンを購入、車を呼んでもらって遺跡へ(言葉はお互いまるでわからないのに何とかなるものだ)。9:30無事到着 (12:00に迎えを頼む)入場券(4+撮影1、どこでもほぼ同じ)を払って進むと、海を望む丘陵に遺跡が並んでいる。ローマ時代、2~4世紀1万人が住んでいたという。劇場、凱旋門、神殿、住居跡、そしてコリント式の列柱と破風が残るキャピトル(神殿)とゆっくりと回る、風が吹き渡って気持ちがいい。
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やはり来て良かったと、タイマーで記念撮影。バスが何台もやって来て、説明員と共に歩いて1時間くらいで去っていく、こちらはネスカフェのコーヒーで休んで車を待つ。
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バス停まで送ってもらい10(チップを渡すまでもなく喜んでいた)、別の人がここで待てと言う(なにか大きなシステムがあるようだ)。やがて誘われてマイクロバス(リアージュ・乗り合いタクシー)で出発12:40。隣の男性は英語が話せるので、こちらの感想と質問もしてみる。「フランスは好きか」「・・・」やはり一言では語れないようだ「みんなそうか?」「ウン」。こちらの言葉不足を詫びる。14:40チュニスに帰着、メトロまで一緒に歩いたが、満員の電車の中でわからなくなり、お礼を言えぬまま別れる。
 旅行会社で、パレルモ行きのチケットを購入(昨日はパソコンが停止中)(お金が足らず両替に走る)。ともかくこれで明日出発ができると、ホッとする。カフェで休んでノートをとる。夕食はカルカソンヌで、今日はアラカルトだよと魚のグリル、それでも11.5。部屋で紅茶久しぶりに11時まで起きていた。
                          Hotel ElOuiwa泊 60d

23・3月12日(木)チュニス~パレルモ
 9:00出発、オフィス街へ行ってみるが特別の感慨なくショッピングセンターも魅力ない。12:00ホテルをチェックアウト。昼食はカウンターの店でエスカロップ。お土産!老舗のお菓子屋で手の込んだクッキーを見つけるが、大紙箱のみ(アイスクリームを入れるカップに入れてもらったが結局自分用)と商売気のある小箱を用意した店(これを少し)。メディナも歩くが買うものなし、困った。
 行くところなく早いが港へ。電車駅から歩くが、結局タクシーで到着16:00。残ったお金は待合室で使うしかなく、絵葉書CDを求める。カフェのお兄さんと親しくなりカタカナで名前を書いて上げると、次々に仲間がやって来た。18:00受付開始で搭乗券にすると、こちらのチケットは個室、高かった筈だと今になって気付くお粗末。だがお金が足らなくて旅ができないわけではない、なら一度くらい個室の船もわるくないと、ひそかなあこがれを満足させて、ご機嫌になる(単純だなぁ)。通関と荷物検査(こちらは簡単に通してくれるが、自国の人にはとてもとても厳しい)。
 あこがれの個室は真正面(操舵室の階下、小さな窓から舳先が見える)のツイン、シャワー付。早速に写真を撮る。前回のそうだが、船の出発はよくわからない。カフェでお湯をもらってお茶にする、もう23:00。(たくさんの船室はほとんど空室だが、両側は人の気配)     船中泊 146d(円)
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24・3月13日(金)パレルモ
 窓が明るくなり目覚め6:30、洗面、廊下は寝ている人でいっぱい(寝体累々)。客が行ける広い甲板なく、船室の小さな窓から眺める。9:00港に近づく(そこで逆向き、後ろから接岸10:00)。出ると上陸を待つ人で大混雑、もう一度船を散歩。気付くと西欧人はさっさと降りたようなので、こちらも日本人を主張して前に出してもらう(こういう時に日本人であることを感謝する)。11:00上陸。
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 ホテルは角部屋スゥィートで満足90。町の外れに民族博物館がある?ので出掛けてみる、苦労してバス乗り換え最後は2km歩いて~休館中。途中で昼食パスタ(観光客のいない町で、それなりに満足6)夕食はピッテリア20。シャワーは四方八方からお湯の出る方式(2度目、エッチな快感)10:00就寝。
              Hotel Tonic泊 90

25・3月14日(土)パレルモ
 6:30目覚め、9:00考古学博物館、10:40マッシモ劇場見物コース(卒業旅行の学生さんも2人)、昼食はヌーボー門のカフェでサンドイッチ。あとは買い物だけ、食料店を見つけてパスタ材料など、いろいろ教えてもらう。夕食はピッツアも焼いている大衆食堂、家族連れで満員。ツナサラダ、エビとイカの揚げ物(うまい)、デザート25(途中台所に案内されるなど歓待される、満足)。部屋でお茶。
              Hotel Tonic泊 60

26・3月15日(日)パレルモ
 6:00目覚め、最後の日、といってもうすることはない。マリオネット博物館は日曜閉館(チョンボ)、市場をのぞく(ツナ缶など食料品を買う)、昼食は中国料理の店でビーフンとお茶(久しぶりでやはりおいしい、箸をもらう)、夕食は昨日と同じ店でシチュー(魚を箸で食べる・台所で皆さんを撮影)デザートで15(なぜかその値段、皆さんに感謝)部屋でお茶とクッキー、長い旅だったと感無量。
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              Hotel Tonic泊 60

27・3月16日(月)AZ1782便;11:20 パレルモ~12:30 ローマ(ターミナル A)
AZ792便:14:10 ローマ(C)~09:45 大阪(関空)(C)所要11:30
 6:30起床、荷造り(やはり重くなった)8:00出発。バスは8:30、空港到着9:30。パレルモ発30分遅れて、心配する。関空便(隣席は空いたままラッキー)、その隣はフェンシング世界大会(バーリ)参加の学生さんたち、とくに話すでもなく過ごす。
28・3月17日(火) 09:45 大阪関空到着
 無事到着したが、わがバッグはアテネへ行ってしまったとのこと、2日後無事帰って来た。

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