「地中海」読書の旅/3
2009年5月29日
(思ったこと)
そんなにきちんと読んでいないのにあるいはそのためにと言うか、ヨーロッパを見る目が少し変わったように思います。気候や自然に恵まれた特別な地域だ、だから文化が発展するのは当然だと、最初に訪れた時に信じてしまったことが、世界の他の地域と同じように普通に見ることができるようになったと言うか、目からウロコを落としてくれました。
ともかくこの時代、ヨーロッパは(も、と言うべきでしょうが)大変に貧しい地域だった。食料が取れる地域は限られ、人はみな飢えていた。治安は乱れ、陸路を行けば山賊が、海には海賊が出るのが普通の状態、正規の軍隊もそうゆう行動をしていた。戦争という状態と戦争がない時との差がないというか、強盗という職業が成立していた。(3世紀後の歌劇カルメンの仲間も、現在のソマリア沖の海賊も、その時代においてみると、ごく当然の行為ということになるのだろう。9条の思想とは関係ないように思えたりする)
また奴隷という制度があるために、戦に敗れると人は連行されて人生がまるで違うものになってしまう。ガレー船の漕ぎ手はそういう人たちが多い、だから無血開城なんてありえない、徹底抗戦のみということになる。そういうことだからこれまで気付かなかったのがおかしいのだけど、レコンキスタの後に残された回教徒(モリスコ)が大変な運命にもてあそばれたこと。ユダヤ人やロマ(ジプシー)など、この地には人間でない人間がいる。その常識から、この地域の人はまだ離れることができない。忘れられた蔑視意識(選民意識の方がいいかな、いずれにしろ無意識だろうが)が時に出ることは仕方がないのだろう。
(これは当方が勝手に思っていることだけど、この地の人たちはこれから何世紀にもわたって、植民地などで行ったツケを払っていかなければならないことになる筈だ、ご愁傷さま)
ただそこに住んでいる人と、征服者というか支配者(税金を取り上げる人)とはまるで関係ないと言うか、くるくると変化していく施政者を住んでいる人はどう見ていたのだろう。戦争や征服はお金の都合で、行われたり中止になったり、撤退したりしている。施政者は住む人のことなどまるで考えていないようだ。住む人とは関係なく国家は変わっていく、それ故にと言うか住む人の文化(宗教や習慣)は守られていく。
喋れないからそこに住む人の心はまるでわからないけれど、いろんな国に征服され続けた辺境の地域、シシリーやチュニジア(前回の旅)、サルジニア、コルシカ(これから行こうと思っている)などを訪ねてみたいと思うのは、その痕跡を感じたいためかなぁと、あらためて思ったのであります。
とはいえこの時期、モンテーニュは城館に住みながら(つまり施政者でありながら)、人間を深く見つめて、現在の私たちを感心させる文章(エセー)を残している。だから、どのように見えようと現在とそんなに変わらない人間の行為なのだと、あらためて思うのです。