中国・四川省九寨溝~成都0910・旅で思ったこと
2009年11月29日
中国・四川省九寨溝~成都0910・旅で思ったこと
四川と震災
地図を見ると、成都から重慶にかけて広い平原があって四川盆地と呼ばれ、川が四通している。それが四川省の名前の由来だろうし、肥沃な土地であることが予測できる。また、ここが三国志の時代の蜀の国で、町を歩くとあちこちでその文字を見ることができて、今でも町の誇りになっている。博物館で教えられたのだが、他の2国(魏、呉)は海岸地域で広い平原があり面積も人口も、そして兵力も比較にならないほど大きい。つまりこの小さな国は、大変に頑張った歴史を持っていると言うことができる。
ところでその盆地への入口、つまり3~4000mの山地が平原に変わる場所に都江堰という水利施設があって世界遺産になっているのだが、そこから山地に少し入ったあたりが、今回の震災の震源地だ。こちらはその山地のはるか奥からバスに乗って、谷川沿いに下ってきたということになる。
小さな谷あいの町の被害は、神戸の震災を経験した者としてはまぁそんなものだろうと思って見ていたのだが、両岸が狭く深い谷になった地域を通った時に驚かされた。対岸にがけ崩れで押しつぶされた道路やトンネルが見え隠れしている。ということは、今このバスが走っているこちら側は震災後の新設の道路ということになる。と気付いて山側を見上げると、向こうと同じくがけ崩れしている。その岩石を少しだけ片付けて道路にしている、一応太い鉄柱と金網で防いでいるように見えるが、がれきの斜面はその上に数百mもあるから、ちょっとした余震があれば簡単に対岸と同じ状態になりそうだ。と言ってこの道がなければ、九寨溝などの世界的な観光地も含めてすべてが陸の孤島になってしまう。とすれば多少の危険性には目をつぶってでも、道路は作らざるを得ない。
すべての人が、自分の通る間だけは余震がないことを祈りながら通過することになる。谷川には10mはありそうな岩石がゴロゴロところがっている。人間なんて小さなものだ、そんな感じがどうしてもする。これは阪神大震災後の対策では思ってもみなかったことだ。
国民性の違いというものは、やはり生まれてしまうものなのでしょうか。
四川料理
歴史のある地域の食事はおいしい、理由なく信じていることだが今回もそれに間違いはなかった。といって有名店や高級な店に行ったことはなく、ごく普通の食堂せいぜい家族づれで満員の店を選んだだけだから、それで判断してしてはいけないのかもしれないが、ともかく食べたことの報告。
四川料理、辛いことで有名。確かにほとんどの料理は、唐辛子の真っ赤な色をしている。とても食べられそうにない。辛いのは嫌だ、カンベンしてくれと頼んだが(すべて身振り、インドでもタイでもするわが世界共通身体語)、でもあまり強調するとどこか本来のおいしさがなくなったような感じがする。
だから方向を変えて、なんとか赤くない料理を選ぶことにした。意外にこれが(当方にとっては)大正解で、以後どこでも満足だった。デジカメの普及は、メニューに写真を付けることが多くなっている。が、それがなくても漢字はなんとなく「赤くない」ことを想像させてくれるから、アルファベットで書かれたものよりもはるかに選びやすい。
まず基本として夕食では、炒(いためたもの)、湯(スープ)、飯の3種類を選ぶことにしたのだが、牛肉の炒めが赤いことは想像がつくので、茄子の炒めを頼んでみた。ほとんどの店にあったからごく一般的な料理のようで、赤くない。魚味とあるのは魚醤のことのようだ。同じくマーボ豆腐が赤いのはわかっているから、隣の白油豆腐を頼むと青菜と炒め煮した豆腐が出てきてうれしかった。そして魚、小魚は唐辛子を加えて炒めたり焼いたりしたものになるが、大型は野菜とあんのソースをかけた赤くない料理だった。スープは、野菜、豆腐などで赤くない。丸子湯はつみれ、生姜がたっぷり入っていた、こちらのカンも捨てたものではないと思った。湯飯という手もある、粥とはまるで違う。飯はそのままだと白ご飯だ。
昼食では麺か包子だが、麺は太くしかも赤い汁に沈んでいて、どうも食べる気になれず、結局米綫・ビーフンを選んでしまう。大きなインスタントのカップ麺は何度も機会があったが、まだ手をつけたことがない。包子・餃子・シュウマイや饅頭、餅などは種類が豊富で、何時も指差しで選んでいるが、選び方は持っていない。朝食の粥などもよくわからない。大鍋でつくった豆腐をお玉ですくって青菜とあんの出汁をかけてくれた北京の朝ごはん屋さんには感激した。
と書いて食べ物の話は、文字で書いてもまるで意味がないですね、お許しください。といって写真もまた撮り損なうことが多い、つい食べるほうが先になってしまうのですね。
外国人に見えない
中国(韓国も同じだが)の旅でいちばん困るのは、こちらが外国人に見えないことだ。自分では外国人だと思っているから、どうしてもそこにギャップが生まれる。いえ向こうもつい自国の人間と思ってしまうようだから、ギャップは思わぬ大きなものになる。
ホテルで今晩泊めてくれと頼むが、満室で断られる。ではと別のホテルを紹介してもらうが、ついでに2日後にはこちらに来るからと予約をお願いする。「いいよ、2日後に来ればよい」との答え。にこやかに別れて、2日後。「今日は満室だ、予約も入ってない」と言う。2日前「いいと言ったではないか、憶えているだろう」と怒ることになった。
原因はどうやらこの国のホテル予約の常識をこちらが知らなかったことになる。予約とは、前金を払うかカードを提示して違約金を払う意思を示して、記録つまりブッキングしてもらうことで成立する。それ以外のにこやかな挨拶は、つきあいを円滑にするものに過ぎない。明らかに外国人に見える場合は、お互いもっと慎重になるだろうが、先方は常識を共有していると思ってしまうのだろうし、こちらは外国人だと思っているからその常識に気付かない。と書いて、あらためて考えてみれば、以上は国際標準だ。こちらの口答予約の方が日本ローカルの風習に過ぎない。つまり外国人であるという意識が、周囲に対して無意識に甘えていた、ということになる。
それは松潘へ行くバスのトイレ休憩で、ゆっくりと用を足して出てみるとなんとバスはさっさと発車していた、はるか遠くに走るバスに手を振り追いかけて、やっと停まってもらったが、これもそういうことだろう。観光客の少ない、ローカルの路線ではこちらが外国人などとは、思っても見なかったに違いない。後で考えるとゾッとするが、その時はきっと停まってくれるという何か確信のようなものがあって、できるだけ派手に飛び上がりつつ手を振って走っていた。いえ他に車はもちろん人も歩いてない一本道だから、わかるに違いない、瞬時にそういう判断だけはしたのでしょうね、冗談が過ぎる、そんな感じでバスに乗り込むと、運転手だけでなく皆さんが申し訳なさそうな顔をした。
こちらは、その時とばかり日本人であること中国語が喋れないことを強調したのだが、今考えると、こちらの年令を言った方が相手に与えるインパクトは大きかったような気がする。
九寨溝の空港で、日本人のグループをつれた中国人の先生に、ホテルを決めないで旅をするなんて無謀だと叱られた。ずいぶん心配していただき、結局みなさんに同行させてもらい同じホテルに泊まることになった。確かに無謀だと言えるけれど、現実にホテルに泊まることができたのだし、翌日町を歩いていると、ホテルの呼び込みに何度も声をかけられたから、飛び込みでも宿はなんとかなっただろう、と思う。
と思わないと一人旅はできなくなってしまう。あらかじめホテルを決めてしまうということは、旅の行動をすべて事前に決めてしまうことになる。せっかくゆとりのある日程が取れるのに、これはやはり避けたい。
例えば、今回の旅でいちばんうれしかった松潘の町の茶店で飲んだ熱いお茶のおいしかったこと、そしてそこでの言葉を越えたコミュニケーション。これは予定を決めていない街歩きだからこそ出会えたことに違いない。旅はホテルを決めてないほうがいいという鉄則は、中国でも同じだったと言える。