地中海3/201003~04サルデーニア島~コルシカ島~ジェノバ
2010年5月13日
Mediterranean3 地中海3
Sardegna~Corsica~Genova 201003~04
サルデーニア島~コルシカ島~ジェノバ
[旅の前に](100218)
例年だと旅に出ている時期ですが、今年はちょっと遅くなりました。昨年のチュニジア~シシリー島に続いて、今回はサルジニア島から、その南端の町カリアリに飛行機で入って、北上して行きます。北端で船に乗ってコルシカ島、こちらはフランスの一部です。どちらも同じようなものだろうと思ったら、コルシカ島は交通機関もホテルもあまり整備されていないようで、ホテルを確保してから出掛けるようにという指示もあったりして(日本コルシカ協会)、少し不安もありますが、なんとかなることにしました。その北の町バスティアから船で、イタリアの本土リボルノへ。そこからピサ、ジェノバ、パヴィアと北上してミラノまで。そこからローマ経由で帰って来ます。
2つの島、夏にはリゾートとして賑わうようですが、こちらは山の中にある古い町へも行ってみたい。ともかく15世紀までは、地中海が世界の海だったのですから、今とはまるで違うものでした。それをどれだけ想像できるかが楽しみです。
1・3月29日(月) 六甲島発 10:18~関空着11:15
アリタリア航空AZ793便:13:05関空~19:00 ローマ (所要: 13時間)
お隣は尾道からのご夫婦イタリア7日間のツアー、このところ周囲はツアーの方ばかり、以前は個人旅行客だけまとめてくれていたが、それが面倒なのか、あまりに少なくなったのか、ツアーも個人旅行と同じく各自ばらばらだからなのか。おそらくどれもが理由のひとつだろう。
AZ7145便: 21:30ローマ~ 22:35 カリアリCagliari(所要 1時間5分)
出発が1時間遅れるが、サルジニア島南端の中心都市・カリアリに無事到着。荷物は待っていたところでなく、国際客用?の別のターンテーブルで出てきた。タクシーは猛スピード20eur。FAXで予約したホテルは思った以上に安ホテル。部屋を海岸通り側にしてもらう。
午前2時、日本はもう朝の9時だと思いながら寝る。
Hotel A&R Bundes Jack 泊 72euro
2・3月30日(火)カリアリCagliari
朝、明るくなるのが遅い、昨年のパレルモを思い出す。朝食は近くのカフェでクロワッサンとカプチーノ1.70eur、部屋で昨日のおにぎり、部屋にポットはない(以後、結局どこにもなかった)。
8:30町へ。海岸にそびえる丘が都市になっていて坂道ばかり、頂上一帯が聖堂・ドウモを持つ天然の要塞都市。眺めのいい場所が多いが、しんどい。国立考古学博物館、地中海地域にはこの博物館が多い、見てもほとんど何もわからないし興味もないのだが、土人形がなんともユーモラス(東洋風というか、上野で見た土偶展を思い出した)。65歳以上は無料という入場料5eur、ユーロ圏だけとのことで残念。
海岸の大通りピンクの花(?)が満開、赤い建物と重なってキレイ。いいお天気20℃くらいで快適。駅でチケット購入。市庁舎には国旗と共にサルジニアの旗。
夕刻を部屋で過し、19時夕食。今回も苦労しそうだと、覚悟する。1皿目リゾット2皿目魚bassを注文、こちらの顔を見て一緒に出してくれる(この手があったと、以後踏襲)
Hotel A&R Bundes Jack 泊 72
3・3月31日(水)カリアリ~オリスターノOristano
昨日と同じ店で朝食。宿主の老夫婦と別れの挨拶、居間の壁には世界からの絵葉書、姫路城もあった。発泡酒をくれる、断れず重いのを持ち歩くことになった。8:30発、2両の列車ノロノロ。9:55到着。
オリスターノ駅から中心部まで、途中道を間違うが皆さん親切に教えてくれてローマ広場に到着。4ツ星のホテルは快適。早速外へ、小さな町、半日でもう行く所がない。気持ちのいい町で、気に入ったカフェもあって2度入ったが、ヌーオロ行きのバスは早朝の1便だけ。ちょっと残念だが明日出発にすることに。昼食のピッツア屋なら早いと思って、夕食も行ってみるが、やはり8時から、リゾットと豚のソースかけにサラダ、空腹と疲れであまりうまくない。早く寝る。
Duomo Alberco Hotel 泊 85euro
4・4月 1日(木)オリスターノ~ヌーオロNuoro
7時発のバス10時前到着、山の町は少し寒い。バス停カフェで朝食、時間を調べたり地図をもらったりしてから町へ。途中の鉄道駅に寄ってみると、なんとひとり旅の九州の人。世界を回っている65歳、本格的バックパッカー。こちらの荷物が大きいと笑われる。写真を撮らしてもらう。
ホテルに荷を置いて早速に丘の上の国立民俗博物館へ。丸瓦白壁のスペイン風?の建物、民族衣装の人形がケースにギッシリ、反対には生活用品や楽器などが並んでいた。中庭をはさんだ別棟には祭りの風俗、鬼や動物のお面など。島の文化を収集保存しようという姿勢が好ましく、来た甲斐があったとうれしい。ショップで本と民芸品などを求める。
高台から見る町は複雑な斜面の中にある。そこへ降りて行く。まずドウモ、細い道がくねくねと続き、その先に考古学博物館。またノーベル賞女性作家・Gデレーダの住宅博物館、名前も知らない作家だが、その庭はとても気持ちよかった。以上のように書くとすいすいと訪ねたようだが、実際は行ったり来たり何度聞いてもわからなかったり、最後はおばさんが連れていってくれ、何故か入場料まで払わされて、入ったと思ったらさっさと先に行っていなくなったり、作家の博物館は知らなかったのにたどりついたとか、それはそれで面白かった。カフェで昼食を兼ねて一休み。小さな店の並んだ坂道の商店街、土産物屋さんまで落ち着いた感じで、絵ハガキ、土人形などを求めてしまう。
17:30閉まる前のカフェで夕食にする、トーストしてくれるサンドイッチ2枚とミルクコーヒー。帰り道ウインドウに細工菓子があるのに気付いて、店内に、そこは別世界。レース編みのように繊細な作業。旅の初めだが、持ち帰ることにする、女主人が丁寧に包装してくれる。写真は明日にする。
ホテルでゆっくりと時間を過ごす。テレビは民族音楽、部屋にポットがないのが悔しい。
Hotel Grillo 泊 58
・お菓子屋・Pasticceria Il Golosastro Sorelle MeleCadinu C so Ganbaldi 173/175 Nuoro
5・4月 2日(金)ヌーオロ~サッサリ~アルゲーロAlghero
朝の散歩、昨日のお菓子屋さんを撮ろうと探すが、なぜか見つからない。1時間歩くが結局わからず。ついにボケてしまったとショック。だから買ったお菓子の写真だけしかない、悔しい。
ホテルをチェックアウトしてバス停へ。10:20発、サッサリ12:30到着。そのままアルゲーロまで行くことにする。13:20発14:00到着。要塞都市だが、すっかり観光地化されて周辺はヨットハーバーにホテル。旧市内唯一という修道院を改造したホテルへ、運良く泊まれる。小さなテレビのない部屋。
ポロシャツに着替えて町へ。石畳の細い道、商店、聖堂、城壁がそのまま海岸。昨年のシラクーサの町に似ている。通りは観光客でいっぱい、遅い昼食を簡単に済ましたのが失敗。歩き回る間に、お店はすべて閉まる。夕食は7時半まで待ってトラッテリア、1皿はスープ、メニューにその文字を見つけて注文すると、ムール貝とアサリのスパゲッテイ、2皿は魚のグリル、それに盛り合わせとサラダ。デザートにクリームキャラメルまでもらって50eur。この旅でもっとも高価な食事だが、1皿目は感激的においしく2皿目はなくてもよかった。沢山の人がテーブルの空くのを待っていた、早く入ってよかった。
夜、食べ過ぎなのか腹痛、正露丸。 Hotel San Fransisco 泊 58
6・4月 3日(土)アルゲーロ~サッサリSassari
7:00明るくなったので起きだして外へ。昨夜の混雑がウソのように、誰もいない。市街から海岸の遊歩道、ジョギングの人に挨拶。ゆっくりと一巡りして、誰もいない広場のカフェで朝食、バス停で時刻を確認。ホテルに帰り、中庭を望む場所でもう一度朝食、場所がいいので食べることにした。どちらもクロワッサンとコーヒー。10:00前チェックアウト。出発直前のバスが待ってくれて出発。11:00到着。ホテルへ。レオナルド・ダ・ビンチ・ホテル、名前がなんとも愉快。2泊する予定、広いツインに満足。
この島第二の都市・サッサリは、細い路地がつらなる旧市街と整然とした新市街がはっきりとわかる。といってホテル近くの考古学博物館以外は、見たいものはない。旧市街を歩き、広場のカフェで何度も休む。土曜の午後は賑やか。昼食は軽食、夕食は午後7時半まで待って名物ファイネという揚げ物の店。油べったりでそんなに食べられない、客は小さな子を連れた夫婦が多く、経済的な食事なのだ。デザートのお菓子は、顔をおぼえてくれた広場のカフェでもらう。部屋でゆっくりと入浴。
Hotel Leonald Da Vinci 泊 55
7・4月 4日(日)サッサリ
朝8:30までぐっすり、朝食もおいしい。曇天、建物が濡れていて雨だったことを知る。ゆっくりして10:00出発、降ったり止んだりする中を歩き回る。冷たい日曜日、カフェは開いているが商店は休み。やっとTシャツを求める。広場や公園では家族が遊んでいる。旧市街は黒人が多いが彼らだけで孤立しているようで、こちらに興味すら示さない。といってカフェにいると物売りとしてやって来る。午後の下町のカフェ、おばさん達何人もが広いテーブルを占拠して賑やか、男はひとりが多い、どこも同じだ。
夕食はホテルの紹介でピッツアレストラン、サルジニアならではのピッツアをと言うと、サラミとチーズの濃い味だった。21:30部屋に帰って入浴、明日はいよいよコルシカ島だと、楽しみに寝る。
Hotel Leonald Da Vinci 泊 55
8・4月 5日(月)サッサリ~サンタ・テレザSantaTeresa
=フェリー=コルシカ島・ボニファシオBonifacio
5:45目覚まし6:45チェックアウト、バス停へ。町はまだ静か、切符売場も閉まっているバス停で、7:00発のバスを結局2時間待つ、どうもおかしい。同じように待つ人が騒ぎ出して、やっと今日は祭日でバスが運休していることがわかる。ホテルに帰る以外ないと歩き出すが、昨日行ったカフェが開いていたので朝食にする。顔見知りのおばさんにバスが来なかったガッカリの顔をすると、午後もう1便あると言う。しばらくすると声をかけくれ新聞を見せながら、聖なんとか様の日だからバスはないと言う。記事はとても小さく、気付かない人がいるのは不思議ではない。
ホテルに帰ってバスがなかったと言うと、フロントは祭日のことを知らない。信じられないが、そういう場所だと文句を言うのをあきらめる。タクシーで行けばいくらだと聞くと100~150eurとのこと。祭日休日の町で1泊するより、行く方がいいかとフェリーが動いているかを調べてもらって、タクシーで行くことにする120eur。若い運転手が来て、行き先と運賃を何度も確認してスタート10:30、思わぬ仕事にとてもご機嫌だが、祭日のことはやはり知らないようだ。なだらかな海岸線あちこちにリゾートの集落、やがて古い集落が見えてきて、そのふもとが港12:00。大きなフェリーが停泊中、14:00乗船15:00出発16:00到着とのこと、日に4便ある3便目、バスがあれば12:00の2便目に乗れた筈だ。港入口のカフェでサンドイッチの昼食。山の上の集落に行ってみたいが荷物を預かってくれる所なく、持っている筈のチェーン錠を忘れていて、あきらめ待合室のベンチ。やがて切符の発売、窓口のお兄さんが後のこちらを指名して、最初に売ってくれる19eur。早くから待っていたのを見ていたのだ、感謝。
出港した船は結構ゆれる。賑やかだった子どもたちは静かになって、青い顔でもどしている子も多い。なぜかこちらは平気。
やがて目の前に切り立った崖の陸地が近づき、その隙間に入いて行く、天然の良港。沢山のヨット、岸にはホテル。上陸、狭い海岸の道を歩いていく。開いているホテルや食堂があるようでホッとする(ホテルがないかもしれないと言われていた)。町外れまで歩いて、やっとバス停を見つける。次の町アジャクシオ行きは朝6:30発だけ、ここに来ればいいとのこと。そこから近いホテルの海岸の部屋を確保する。空腹に気付きレストランへ、屋外の白いテントの席。フェリーで一緒だった家族連れもいる。
魚のスープ、それにスパゲッテイ。大きな銀のポットで運ばれてきたスープ、食べ方を教えてもらう。カチカチのパンににんにくをすり込んで、その上にスープをかけ調味料やチーズをのせて食す。おいしい、空腹の五臓六腑にしみこんでいく。すっかり生き返って29eur、19:30。
まだ明るいので散歩する。ホテル街はすぐ終わって、道は崖の上へ。商店やホテルの多い集落をぬけ、岬の突端へ。石造りの切妻屋根に十字架の大きな墓が並んだ場所に出る。何人かいた観光客らしい人もいなくなり、空に無数のカモメ、水平の夕日が白い壁にこちらの影を写している、思ってもいなかった場所に感激。遠くに来たものだ。すっかり暮れた部屋に帰る。
Hotel du Roy d’Aragon泊
9・4月 6日(火)ボニファシオ~アジャクシオAjaccio
6:15チェックアウト、階下のスーパーが開いていたので水とパンを購入、バス停には誰もいず心配になるが、やがてマイクロバスが到着。何もない国道分岐点で降ろされ、しばらく待つとポルトヴェッキオからの大型のバス、乗客はほとんどが通学の高校生。当然だがみんなごく自然に、乗り込んだ時にはハグし合い、鼻に音声をからめるフランス語を話している。フランスになって良かったね、そう声をかけたくなる。途中で中年も加わりほぼ満員になって、大きな観光船の停る港町に到着10:30。
中心のTI(旅行案内所)でホテルの紹介をしてもらう。部屋は通りに面しているが安宿、前払い。商店街の先に広い海岸広場、ナポレオンの大きな銅像。皆さんの真似をして、こちらも撮ってもらう。そこから海岸の通りを帰る、その先に鉄道駅。とくに訪ねる場所はなさそうだ。ジェラートの店がないことで、あらためてここはイタリアではないと気付く。明日朝一番の列車6:04で出発することにする。夕食は19:00セットメニューで選ぶ店、魚スープ、魚グリル、タルト、コーヒーで23eur、安かった。
Hotel Kalliste 泊
10・4月 7日(水)アジャクシオ~コルサCorsa~バスティア
6:00駅に行くとまだ閉まっていてしばらく数人で待つ、やがて開門。列車でなくバスで出発。遠くに見えていた雪山が近づき、峠を越える。8:00内陸の町コルス着、荷物を駅に預け、次の列車までの3時間をこの町で過ごすことにする。島唯一の大学のある町はふもとに広がっているが、高台に見える旧市街へ。広場のカフェで朝食、お年寄りばかり。斜面の住居はいずれもよくぞ建てたと感心する石造り、こんな場所を町にしなくてもいいのにと思う。
ひときわ高い岩の上には切妻屋根があって、難攻不落の砦(15世紀建設1769占領)だ。そこはコルシカ博物館(1984開館)になっていて、新しい立派な建物でコルシカの歴史が語られている、ジェノバの圧政をフランスが救い投資して産業をおこし生活をよくしたと語られている。嘘ではないだろうが、空っぽの砦で誰が何と戦いなぜ廃墟になったのかは外国人のこちらにはよくわからない(たぶんわかりきった歴史なのだろう)。もう11時大急ぎで駅へ、やって来た列車に乗り込む11:20。どうやら客の少ない初発だけがバスに代替されているようだ。
列車はどんどん下って13:40海岸の町へ到着、観光船が何隻も停る明るい大都市だ。海岸の旅行案内所で地図とホテル案内をもらい、まずは食事。屋外の椅子で豚エスカロップ、おいしい。ホテルは何軒も歩き回って決め、満足。夕食はアジア料理の看板につられて入るが、辛くないカレーが出てガックリ、でもご飯とお茶は身体にしみた。ホテルでゆっくり。サルジニアとコルシカを縦断したのだ。
Central Hotel 泊
11・4月 8日(木)バスティアBastia
町の一方は山が海にせり出して城壁が築かれているので、そちらへ行ってみる。城は博物館になっていて大改修中、この島独自の文化を見せる場所になって欲しいものだ。岬を歩き広場の前のカフェで休み、背後の住宅街を歩く。昼食は行列の手作りサンドイッチ屋さんのベンチ。茅を編んだ大きな篭を見つけ、まだこういう技術が残っている場所だとうれしくなり購入。ホテルで一休み後、反対側へ。
KARATEの看板を見ていると、出てきたご主人に中を見せてもらう。もう30年やっているとのこと。なんと夕食のお誘いを受ける。ひとり旅の日本人を歓待なさっているようで、これまでドキュメンタリー作家や元商社の方などが訪れたよう。フランス政府から表彰された日仏文化交流の推進者、中林秀利さん。テレビの取材もあった方だ。奥さまはコルシカ出身、若くて美しい。お子様は男女2人。
19:30海岸を15分走った高台、目の前に海はるかに市街地を望む絶景の場所。テラスで時間を過ごすうちに奥さまの手料理で、サラダにミートソーススパゲッティ、こちらの口に合う美味。居間の飾り棚には屏風、写真を撮らせていただき、暗くなった道を送ってもらう21:00。こういうことがあるから旅は不思議だ。これは真似をしなければならないと思うが、ハテ?
Central Hotel 泊
12・4月 9日(金) バスティアBastia コルシカ島=フェリー=Livornoリボルノ
出発の日、篭もあることだしと名物の栗の粉の入ったビスケットなどを購入。早いお昼を海岸のレストランで魚のスープ、こんな観光客目当ての場所でおいしい筈はないではないかと反省。14:00乗船。大型のフェリー、車が数層に重ねて乗っている。3時間、今回はほとんどゆれずに、17:00前到着。
待っていた連絡バスが町の中央まで運んでくれる。戦災で壊滅、都市計画された町は夕刻の喧騒の中。ここで1泊することにしてホテルを探す。やっとたどり着いたホテルは市場横の安宿。夕食はホテル横、トマトスパゲッティはうまかったが、メニューでいちばん安い魚料理はイカ焼き、ナルホド。早く寝る。
Hotel Chitta 泊
13・4月10日(土)リボルノ~ピサPisa
町を散歩。建物はレンガ造だが、装飾を排したモダニズム建築。廃墟になりつつある場所も多いが、鉄筋コンクリートよりいいではないかという気もする。市場だけが戦災をまぬがれた堂々たる近代建築、そのアンバランスがなぜかうれしい、というよりそれをアンバランスと思うこちらの感性が可笑しい。並んでいる魚は日本とそんなに変わらない。
昼前、隣町のピサへ、列車で15分。イガグリ頭の隣に座ったら、フィリッピンの人。なぜかお互いホッとして話がはずむ。不法移民で無賃乗車と言う、いい人生をと祈って別れる。ホテル満席、2軒目の年配のおばさん、部屋はないが大丈夫ちょっと待てと指を立てる。電話がやっとつながって、日本人の年寄りなどと言っている。どうやら民宿を紹介するつもりらしい。指示された通りに歩くと、こちらを待っている女性が、部屋に案内してくれる。大きな2LDK、もう一部屋は女性が使うとのことだが、清潔だし悪くないと50eur支払う。鍵は建物、家の入口、部屋と3つ。キッチンは勝手に使えとのこと。
ともかく出発、すぐ近くにレストランがあったので入る。先客もいる白いテーブルクロスのきれいな店。イタリア人の真似をして、昼食をいちばんのご馳走にすることにした。ボンゴレスパゲッティ、豚ロースト、クリームキャラメル、とても満足。味もお店の対応もお客さんも、今回の旅でいちばんの店。
川を渡って、斜塔のあるドウモへ、世界遺産の観光名所、驚くほど沢山の人。人並みを、芝生に座って眺める。日本人も沢山、カップルのフリー旅行も、ツアー客も次々に。こちらはドウモと洗礼堂に入っただけで閉館時間、残りは明日に。夕食は食品店でパンチーズハムを求めて、家で食べる。同宿の女性が出てきて話をするが、英語はまるでわからずほとんど話にならず、サルジニア出身だけがわかった。
民宿 Maison La Nunziatina
14・4月11日(日)ピサ~ジェノバGenova
朝から雨、9:00斜塔の広場へ。昨日の続き、墓所それから博物館を2つ、庭越しに斜塔が見える。雨はいよいよ本降り、部屋で荷物をまとめ、ホテルのおばさんによろしくとの書き置きをして出発。
ピサ11:40発、昼食は車内でクロワッサンとコーヒー、ジェノバ・プリニョーレ駅 14:10到着、近くの1860創業のホテル。早速町へ。改築で有名なフェリーチェ劇場前の広場、反対側にガラス張りアーケード(ガレリア)。
白黒縞模様のサン・ロレンツォ教会。そこから続く商店街のピザ屋で食事。そして港の再開発広場、レンゾ・ピアノの水族館(明日の月曜も開館)、新宮晋の風の彫刻。日曜の午後、観光客と家族づれが重なって大変な人。背後に広がる街並み、今回の旅でいちばんの大都市。カフェでお茶とケーキをして帰る。夕食は駅近くの商店街で、ピツァ。 Astria Hotel 泊
15・4月12日(月)ジェノバ
まず水族館、入口で写真を撮られ、帰りにプリントがありやはり購入。コンサートチケットを購入26eur。ガルバルディ通り・新大陸の富による豪華宮殿邸宅建築群(お金と技術が共存した稀有の時代の作品)、あちこち勝手に入って叱られたりする。昼食はシーフードのリゾット、魚のロースト、サラダ(満足だが食べきれない)。地下鉄でプリンティべ駅、ここで誕生したコロンブスの銅像。歩いて、途中から丘上の展望台へ、ほぼ都市のカタチを理解。途中何度もカフェ、夕食は簡単に、昨夜と同じ商店街でファストフードのカウンターの野菜コロッケ。ホテルで落ち着いてから、フェリーチェ劇場へ。
ピアノ3重奏コンサート・Trio Wanderer、21:00開演、(ハイドン、シューマン、シューベルト)ほぼ満席ほとんどがお年寄り。隣席が歓待してくださる、服装に恐縮。終演は23:00過ぎ、急ぎ足で帰る。
Astria Hotel 泊
16・4月13日(火)ジェノバ
朝ゆっくりして、9:00出発。またガルバルディ通り、世界遺産になったとのことで沢山の観光客、日本人カップルも多い。宮殿美術館、屋根の上に展望台が作られていて、楽しい。昼食は野菜スープ、羊揚げ料理。ホテル近くの東洋美術館、日本の武具特別展示。建物も楽しかった。顔をおぼえてくれたカフェにサヨナラを言う。夕食はホテル近所のレストラン、なんと中華料理の店。玉子スープ、鳥の空揚げ、中華まんじゅう、お茶、やはりホッとする(安い、もっと早く気付けばよかったが残念)。
20:00には部屋、ゆっくりできてうれしい、荷物の整理。 Astria Hotel 泊
17・4月14日(水)ジェノバ~パヴィアPavia
親しくなった皆さんに別れ出発。9:10の列車10:30パヴィア到着。駅前のホテルは満員、他も断られ、やっと2つ星ホテルを確保、ハイシーズン価格(ミラノでモーターショウ、その客がここまで流れている。出発前、ホテルを軒並み断られたのも同じ理由だ)駅前から空港行き直行バスが出ているので、この町で2泊することに決める(もっと良いホテルと思ったが、それは果たせず)
市内へ。石畳、レンガ造の町、修復中が多い。ドウモに大学(コロンブスも卒業)、大きな城跡の博物館。キリコのポスターや横断幕、そこで回顧展をやっている。昼食はそのポスターのあるカフェでサンドイッチ。レンガ造の望楼が町のあちこち大学の中にもある(林立している絵を博物館で見つける)。博物館は考古学、民俗、アートの複合。
別フロアーでキリコ展、これがいちばん面白かったので別記。
夕食は広場のピッツア屋19:00開店、ピザとデザートで満足。部屋に20:30に帰れて満足。
Aurola Hotel 泊
18・4月15日(木)パヴィア~パヴイア修道院~ミラノMilano~パヴィア
この町へ立ち寄った理由である、郊外のパヴイア修道院へ、15世紀のヴィスコンティ一族の霊廟。バスを降りて畑の中の1本道を歩くと見えてくる。ここもレンガ造、メインの聖堂も見事だが、広い芝生を囲む修道士の独房がいい。小さな中庭がありここで人生を過ごす人をちょっと羨望する。
帰ったのが12:30、そのまま列車40分のミラノへ。地下鉄でドウモ前~ガレリア~オペラ座へと歩く。懐かしいというより相変わらずの大変な観光客、食事をしなくては横道に入ったつもりがブティック街。結局ドウモ前まで帰って反対側の閉まる直前のピッツア屋さんへ、ボンゴレ、羊のカツ、パンの代わりにピザの薄焼き、うまい。中国人一団とこちらが最後の客だった。また地下鉄に乗って帰る。
18:00ホテルは部屋を変えられ狭くタバコ臭い、文句を言う。ともかく最後の夜、町外れの川まで歩き、屋根付きの橋を見る。近くで素敵な食料品店をやっと見付けて、オリーブ油やジャム、リゾット米を求める(お米がよくとれる場所らしい)。夕食は、昨夜と同じ店でリゾット、フリッタ。店の人とサヨナラとハグして別れる。ホテル、部屋は換気した後があって、ちょっとうれしい。早朝の出発を伝え、支払いを済ます。荷物を整理し、目覚ましをセット。
Aurola Hotel 泊
19・4月16日(金)パヴィア~ミラノ(リナーテ空港) 7:10発直行バス8:40着
AZ2037便 ミラノ (リナーテ空港)11:00~ローマ12:10
AZ 792 ローマ14:55~関空 09:55
6:45ホテル出発、寝ている筈の女主人がいて挨拶する。バスは結構客が多い。リナーテ空港は国内線専用、ローマへシャトル便。ゆっくりとカフェで朝食、予約便を1時間前にしてもらう。ローマ空港で時間をつぶす。ここに来ると信じられないほど日本人が多い。満席の機内、席は通路側、ほとんど話せず。飛行位置を知らす画面に、時々3行のニュースが流れる。アイスランドの文字を見るが気にせず。
20・4月17日(土) 09:55 大阪関空到着
無事帰国。大きな藁の篭にリュック、汚れた小さなキャリーバッグという格好は、皆さんの大きなピカピカのスーツケースというスタイルと比べると、やはり変なジジイに見えるだろうなと思う。
関空にて、六甲行きバスの時間があるのでスタバでコーヒー、これが日本のコーヒーだと思う一面、きりりとしたエスプレッソを懐かしく思う。息子にメイルすると、直接通話してくる。
アイスランドの火山噴火の事件でずいぶん心配をしたらしい。こちらの返事が、どこかずれているようだ。ともかく無事であったことを喜んでくれる。こちらは、ローマ人の国にいて野蛮なゲルマニアの地(たしかタキトウスのゲルマニア年代記?)で起こったことを知らなかったのだと思いついて、ちょっとおかしかった。でもその後、多くの方が心配してくれていたことを知って恐縮した、大事件なのだ。ミラノ国際空港(マルペンサ空港)もその前後に飛べなくなっていた。