旅をしている人
田原 晋

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2011.02~03地中海4・スペイン

 スペインの旅で思ったこと


1) マジョルカ焼き
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 「地中海の旅」の4回目、15世紀の半ばまでここが世界のすべてであった。それはどんな世界だったのか、それを感じてみたいというのが、もっともらしい旅の目的だが、もうひとつ秘かに思っていたのが、あの赤い土に黒で絵付けしたギリシャローマの陶磁器が、どう変化して現在の地中海のいたるところにある白に絵付けしたものになっていくのかも知りたいと思っていた。
  途中あちこちに陶磁美術館がることがわかって、それを訪ねればなんとなくその変化がわかるのではないかと期待していた。しかも最後に魅力的なマジョルカ焼きがある、そこへどうたどりつくかを見ればいいと、勝手に思っていた。ところが、最初のイタリアの陶磁博物館で、マジョルカ焼きはイタリアのもので、たまたま積み出しの港の名が呼称になったということを教えられ、こちらの思い付きはあっさりと否定されてしまった。
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  とはいえ、そこで見せられたのは、私の記憶の中にあるマジョルカ焼きとはまるで違うもので、確かに見事に進化しているが、こちらの頭の中にある素朴な味わいはなかった。わがマジョルカ焼きは白い素肌に、赤と緑で繊細な模様を施しただけのものなのだ。それが何時どこで、こちらの記憶に入ったのかは、もうまるで思い出せない。シシリー島、チュニジア、サルジニア島、ジェノバ、バルセロナと進むうちに、そのことすら忘れてしまっていた。

  今回、マイヨルカ島のパルマの真ん中にあるカテドラルを見て、最後にショップがあった。カテドラルでショップとは随分ご商売に熱心ですねと、むしろヤユした気分で眺めていた。その最後に他のお土産物とは違うとでも言うように鍵のついたガラスケースがあって、そこに大小の人形が鎮座している。息をのんだ。
  なんと、こちらの頭の中にあったマジョルカ焼きがそこにあるではないか。撮影禁止の表示もお構いなしにカメラを向けていた。係りの人が飛んできて、カメラはだめだとおっしゃる。ゴメンナサイと謝りながら、あらためて見ると、「マイヨルカの伝統的なクレイ人形」と表示してある。素焼きというよりただ乾燥させただけのものかもしれない、とても粗末なものだ。こちらの頭の中にはもっと繊細で丁寧に作られていた思いがある。外のお店でも売っているとのことでお土産屋をのぞくと、あるのはあるが、さらに荒っぽい作りだ。結局また戻って、3点ばかり求めた。魔法使いと、女性と、鳩笛。もっと大きいものも小さなものもあった。
  でも言ってしまえば、あまり上手ではない。描く人のセンスや技量によって、もっともっと素敵なものになりそうだ。博物館やお店が全部開いている季節に来れば、もっと沢山あるだろうし詳しいこともわかるに違いない。どなたか調べてくれる方がいないものだろうか。
  ともかく行った甲斐だけはあったと、喜んでいる。
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博物館の求めた、イスラム模様の陶器。




2) 観光地化ということ

 今回スペインに行って、観光へのサービスが行き届いて都市が大きく変わっていることに気付いた。その中で過ごして、あぁ「観光地化」とはこういうことなのかと思った。
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  バルセロナのカタルニア音楽堂は、通路であった1階部分の周囲にガラスの壁を立ててアトリウムにしてカフェを営んでいる。ホールは年間のスケジュールをたてて、アーティストを招いてコンサートを開催すると共に、昼間はホールの観光ツアーを行っている。ガウディの建物も、見学ツアーがスペイン語英語で行われている。お店やホテルができて、さびしかったゴシック地区は、観光客であふれている。
  郊外のコロニアグエル教会は、工事途中で中断されていたのだが、風雨からの損傷を防ぐために屋上を新設した。結果、ガウディの設計したものとは違うものになった。同じことは、建設中のサグラダファミリア教会にもあって、早々と礼拝堂をオープンさせて多くの観光客を招き入れることを可能にした。同時に、設計にはなかったに違いない大きなショップも設置されている。
  美術館博物館でも、ショップやカフェの充実は当然のものとされ、そのための改造が行われている。また各国語のパンフレットが用意されていて、日本語版もあちこちにあって、これはうれしかった。
だがその説明には、現在の国家や宗教が考える歴史が反映されている。コルドバのメスキータは、イスラムの遺跡とは言わず、ローマ時代のキリスト教の場所を不当に占拠された、それを回復した史跡として紹介されていて、そのキリスト教の史跡は20年前よりも多くなっている。また近くではローマ庭園が修復されていて、数年後にはローマ時代から続く遺跡の場所となるに違いない。
  バルセロナでは、ガウディを中心とするモデルニスモの建築が観光の目玉だが、そこにイスラムの影響を見る視点はない。

  現在の日本は、観光に力を入れようということになっている。誰もがそれはいいことだと思っている。しかしそれはまた日本の風景を、同時に日本の何かを変えようとする運動でもあると思っておくことも必要だろう。観光地化はナショナリズムを鼓舞する一面がある。
  ところで今度の震災は、世界の中のニッポンを意識させている。あまりに無残なローカルな事件は、世界の注目をあつめ、支援も国際化する。その報道は、国際化を強調することで耐えしのごうとするかのようだ。まさしく観光地化の対極にある事件だ。

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