旅をしている人
田原 晋

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2011.02~03地中海4・スペイン

スペインの旅で思ったこと    

3)ありがとう葵さん

11:00マラガから乗ったバスは別の町から来て、すでに半分はうまっている。空いている通路側の席にすわったのだが、斜め前の席に日本語の本があることに気付いて、そちらに移ることにした。まだまだ乗って来る人が多い、他の人に坐られるよりはいいだろう。
「ごめんなさい、坐っていいですか」それが葵さんとの初対面。この4月から就職の卒業旅行、それを一人でスペインを旅しているとのこと。最近は少なくなった旅のスタイルだと、うれしくなる。
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「アルへシラスの町へなぜ行くのですか」「いえモロッコのタンジェに行こうと思って~」バスの到着と同時に港に行ってそのままモロッコへ渡るとのこと。「えっ行けるのですか?こちらは到着して、調べて明日にでも行こうかと思っているのだけど~」そんなことしても同じでしょう、行けるなら行った方がいい。まさしく正解、彼女の冒険に乗せてもらうことにした。
 そのまま港へ行く。彼女はこちらよりも小さなリュックと肩カバンだけ、その軽装にびっくりする。こちらは小さいとはいえキャリーバッグまで引いている。船は14:00発とのこと、こちらがマイヨルカ島に渡った船会社なので、なぜかホッとする。彼女は2泊すると言うが、こちらは1泊のつもりで往復のチケットを求める52eur。
 スペインを出国して船に乗る。最後にツアーらしき一団20~30人が乗ってくる、ほとんどが中国人。あの一員で行くよりはるかにいいと、彼女がいてくれたことを感謝する。さらにスケジュールまで短縮できた。入国の手続きは船内で、パスポートにモロッコのハンコをついてくれた。2時間で到着、時差が1時間あって15:00とのこと、なにか1時間得をした気分だ。
 予備知識ゼロのこちらに対して、ガイドブックを持つ彼女がすべて教えてくれる。市内へ行くバス、ホテルの多い場所へ、こちらは数軒の中からここがいいと選ぶだけ。なんともラクな旅だ。市内めぐりも同じ、ここがフランス広場、カスパはこっち、食堂はあっち。すべてオンブにダッコ、AOIツアーの一員になっている。
 それにしてもモロッコの人は親しげだ。すぐに声をかけてくる。「ニホンジンデスカ」、特に彼女にはもう全員という感じ、こちらがいることなどお構いなしだ。ところが、彼女がまた愛想がいい。にっこり笑って、メルシーなんぞ言っている。こちらは、それに文句を言う。関係ない人にニコニコするな、答えるな、気があるみたいだ。だから日本女性は馬鹿にされるのだ。襲ってくださいと言っているみたいなものだ。他の日本女性のためにならない。
 と言っても、彼女は少しも負けていない。だって女は愛嬌でしょう。せめてニッコリする以外何もできないのだから、いいではないか。結局それを押し通してしまう。こちらに向かっては、それだけはっきり言う人は少ないし、自分の考えを持っているのはいいことだから、気になりません。などと言う。
結局のところ親父のような男が付いている、そのことが少しばかりのブレーキ役になったこと。また男性客しかいないカフェに入ることができたこと。お店の前に立ち止まって、あれこれ品定めができたこと、くらいのものだ。
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最後にもう一度、前日に行ったスペインの見える展望台に立ち寄る。そこにいた若い女性と親しくなり写真を撮り、メールアドレスを教えてもらった。ウァー、モロッコの人とメールができると、彼女は大喜びだ。その素直さに、こちらはまた驚かされる。
かくしてちょうど24時間モロッコにいて、結局彼女も一緒に帰ってきた。張り切り過ぎたのか、今日はもうこのまま寝ると、自分の部屋に入ってしまう。こちらは夕食を兼ねて外へ出たのだが、バスだけでなく列車の駅があったので尋ねてみると、コルドバ行きの直通の列車が朝夕の2便ある。ただ朝の便は、彼女と朝食を約束した時間より早い。どうするか考えたが、結局列車の方を選んだ。
翌朝、彼女の部屋をノックする。「ゴメン、もう出発の時間なの。昨夜、列車があることがわかって調べると、この時間しかない。悪いけどもう行くね」出てきた彼女にちょっと感傷的になって、ここの皆さんがやっているようにハグして別れることにした。
その身体は思ったよりはるかに大きく厚かった、あ、これならだいじょうぶだ、なぜかとても安心した。彼女は、その反対を思ったのか「どうぞ、あまり無理しないで、旅を続けてくださいね」。うむ~。

 就職先が関西なので、1年後、食事をすることにしている。ハテ、どのように変化しているのだろう。


4)マドリッドのゴヤ

 こちらにとってマドリッドはゴヤである。ほぼ20年前、堀田良衛さんのゴヤを読んで以来のことで、それがやっとかなえられた。
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プラド美術館のゴヤを見ることは生きている間の願いになってしまっている。堀田さんの本はただの伝記ではなく彼の解釈や感想が加えられ、絵を見ただけではわからないゴヤのすごさを教えてくれる。
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 歩いていける場所に宿をとって、開館の時間に出かけたが、もう沢山の人の波、先生に連れられた日本の学生さんの一団もいる。ともかく入場してまっすぐに彼のところへ行った。美術館のもっともいい場所に彼の絵は並んでいる。
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時代ごとに部屋を別にして4室ばかり、しかも厳選されたいいものばかり。宮廷画家として彼は膨大な作品を描いている、もちろん人気の2つのマヤも1室を与えられている。がこちらの見たいのは、それではない。意識的にフロアーまで変えられて、階段を下りることで同じ人間の作品と思う人は少ないかもしれないが、あえてそうされていることがうれしかった。
 「黒い絵」、74~77歳の耳が聞こえなくなった彼が、ひきこもった自分の家の壁に描いたもの。ここにあるのは、その壁から引きはがされ額縁をつけられて、それぞれが独立した絵になっている。その際、少しばかりの修復もされたようでもあるが、ともかく誰に見せるためでもなく描かれた絵がそこにある。とはいえ何という絵だ。わが子を喰う巨人、砂に沈んでいく犬、殺しあう男、自慰をする老人とそれを笑って見ている女、など。自分が見るためではなさそうだ、またそれを描いておかねば死にきれないという目的を感じさせるものでもない。そこには人間はそんなものだという冷めた認識、同時にまた自分もまたそういう人間の一人に過ぎないという血の通った理解があるだけだ。
当時のスペインは反動の体制が力を得て、進歩的思考はすでに何の望みもない。このような絵を描くことは進歩的思想に加担したことになる可能性すらある。つまり、それを描かねばならない理由はない。白い壁を見たときに、何の目的も理由もなく、ただそれを埋めるために落書きした、それがたまたまそういう絵であった、のだろうか? どのような絵も描く技術がある、美しい色を使うセンスもある、その彼がなぜ? 
たぶん、誰にもその意味も目的もわからないだろうから、描いておこうか。同年齢のこちらには、そういう意味のない仕事にわざと熱中する気持ちが、わかるような気がする。それは一種のユーモアだ。老年にとって意味のない仕事に熱中する、それはまた唯一の意味のあることではないか。
 俺はまだまだ学ぶぞ、そう言って前向きのまま80歳まで生きて、亡くなっている。

 プラド美術館の翌日、別の美術館でピカソの「ゲルニカ」を見た。確かに周到の準備がなされ、渾身の力で描かれていて、戦争に反対する絵画の代表作だ。
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でも彼はこの一作だけでこのテーマは終了したかのように、またもとのピカソに帰って行った。

 こちらは、もうマドリッドに行くことはないだろう。せっかく行ったのだから、プラド美術館の他の作品も、また現代絵画ももっと見てくるべきだったに違いない。でもその気にはなれず、ふと気づいた地下鉄ゴヤ駅の付近をあてもなくぶらぶら歩き、およそ関係のないモンテカルロ響の優雅な音楽を聴いただけだった。
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