旅をしている人
田原 晋

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瀬戸内の旅

  このブログを本名でやっていたために、30年前の友人が気付いてくれてメイルをやりとりするようになった。なんと瀬戸内の島に住んでいる、そこが故郷であるということも知らなかったが、ちょっと羨ましいではないか。しかも数年前の「しまなみ海道、ママチャリ走破の旅」で1泊した大三島の対岸にあるとのこと、これは機会があれば訪ねてみようと思った。こちらの郷里が山口で、その高校の同期会があったので、帰りに立ち寄ることにした。

  広島からバス、芸陽交通・かぐや姫で竹原のフェリー乗り場まで1時間半。フェリーに乗ると30分で到着する。近づく船にカメラを向けていると、初めてですかと尋ねられた。観光客もそんなに訪れないようで、目立ってしまったようだ。
  ともかく別世界、というよりこちらのよく知っているというか育った昭和の日本がそこにある。友人は仕事を休んで2日もつきあってくれて恐縮したが、車の運転がありがたいので甘えてしまった。会う人ごとに挨拶しているので驚いたが、皆さん顔なじみということだろう。
  島の最高峰から見る風景は、来島海峡(しまなみ海道)のように大きな貨物船が次々に通るような派手さはないが、大小たくさんの島がそれぞれの場所を得て並んでいる様子は、これが瀬戸内だとあらためて教えられる。それは泊まった宿・清風館の窓前にも開けていて、お天気によって見える島の数がまるで変わってしまうし、島の裾がかすむ風景は日本画そのものだ。また、この宿には塩の味がする温泉まであって露天風呂もまた海に面している。
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翌日、大望月(おおもちづき)邸へ行く、隆盛を誇った廻船問屋の自邸。明治8年(1875年)の建物だがとてもセンスがいい。屋根のむくみが気持ちいい。また修復もきちんとされていて腕のいい大工さんや庭師さんがいたのだと、そのことにとても感心した。庭や茶室をふくめて温暖でのびやかな瀬戸内の良さをあらためて感じた。海と島の歴史館として公開されている。それから反対側の木江地区には荒れてはいるが古い街並みが残っていて、3階建ての民家が並ぶのは海に面した土地ならではのもので、これは大変に珍しい。小さな遊郭があったそうで、モルタル造りのカフェ跡があったりしてうれしい。
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  さらに隣の生野島に山頭火が何度も来たそうで、あちこちに彼の句碑が作られていて、それを見るのも楽しい。彼の句はここの風土ならではのもののように思えてくる。東野地区のお寺には、彼の句を描いた襖絵まであって微笑ませてくれる。
  有機栽培の農園で時間をつぶして、フェリーで竹原に渡る。
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ここはまた塩と酒で栄えた江戸後期の街並みが保存されている。ここでも修復の大工さんのセンスが良くて、落ち着いた街並みが変な味付けをしないで残されている。これは大変に珍しいことなのだと、強調しておきたい。通りの外れの高台に日蓮宗の寺があって、鐘楼を兼ねた門や本堂も気持ちよく、街並みの眺めもいい。また、一見不釣り合いな木造モルタルの「街並み保存センター」の建物も、昭和の良さが感じられて悪くない。

  以上の小さなほとんど観光地化されていない2つの場所、有名ではないが、民家好きにはとてもうれしい。各地に街並みの保存地区は多いが、これほど修復が丁寧にまとまり良く、またセンスのいい場所はないように思う。(世界遺産など有名な場所で、見るも無残な修復が行われている所がほんとうに多い)
駅前でコーヒーを飲んで、友人に感謝して、列車に乗った。呉線の終点・三原で山陽線に乗り換え車窓から尾道を見て、福山から新幹線に乗って帰った。

*建築家の澤さんより、「屋根のむくみ」とあるのは「むくり(起り)」の間違いだと、指摘を受けました。ありがとうございます。その逆は「てり、そり(反り)」と言うとのことです。

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