フィリピン[ルソン島北部~マニラ]20120214~0227
2012年3月18日
20120214~0227
Philippines ・Northan Luzon~Manila
フィリピン[ルソン島北部~マニラ]
[旅の前に]
来週から2週間の時間が取れたので出かけることにしました。今回はこれまでとまるで違う場所、フィリピンです。これも小松義夫さんの民家の写真で知ったのですが、ルソン島の北部の山中には見事な棚田があって世界遺産になっています。また、その海岸部にはスペイン統治時代の町並みや教会も残っていて、これも見逃せません。ザビエルなどの宣教師もここを通ってやって来ました。マニラも今回が初めてです。
そしてこれは日本の境界シリーズの1回目にもなりそうです。台湾、石垣島、対馬、チェジュ、プサンへと続けると、新しい何かに気付くかもしれません。小熊英二さんに「日本人の境界」という著作もあります。
1・2月14日(火) バス六甲島発 07:23~関空着08:20
フィリピン航空 PR407 09:55 大阪 (関空)~ 13:25 マニラ
マニラ(サンバロック)Manila~バナウェBanaue 夜行バス 22:00~8:00 10時間
6:00起床、6:45出発。航空機は申し訳ないほど空いている。観光はオフシーズンなのかな?13:40到着、やはり近い、時差は1時間。1万円両替(空港は率が悪いとのことだが、結局ここがいちばん良かった0.53)。
タクシー、チケットタクシーなら安心とあったが見事にボラれる(2000dn、3倍以上)。さらに大変な交通渋滞、バス会社もガイド本とはちがっていたが、なんとか到着。チケットも購入450dn、指定席、3号車。
もう16:00。中心街へ行くのはあきらめ、場末?のこの地区で過ごすことにする。両替、円のできる場所やっと見つけて3万円、0.52。街歩き、マックで1時間、バス停横の食堂で1時間、後はバスの前、21:00に乗り込む。乗客半分は欧米人、皆さん同じように時間を持て余していた。隣席はオスカル氏、フィリピン系アメリカ人。
22:00バス出発、満席。高速道だが山道、どんどん登って行くようだ。トイレ休憩は2回、きちんとした設備。結構寒い。12:00コーヒー(ネスカフェ)、 3:00お粥、温かいものがうれしい。
2・2月15日(水) バナウェBunaue
6:30明るくなり、町に向かって下りて行く。7:30町の広場に到着。客引きでいっぱいだが、日本語で声をかけられ付いて行く。食堂でアメリカ式の朝食、部屋を見せてもらう。10時に空くという部屋を予約する900×2。
オスカル氏が交渉して、ドイ人夫妻(奥さまはフィリピン系)と棚田見物のジプニーをシェアする1人1000dn。夫婦は助手席、こちらは後部の向かい合わせのベンチ席で出発。途中、ぬかるみ道多く一人乗りバイクではとても行くことができなかった、ラッキー。棚田は田植えの時期、水をはった田が空を映している。
またこの一帯は太平洋戦争時山下将軍が最後の戦いをして降伏した場所、その遺跡も多い、日本兵の髑髏をつった民家博物館など。言われてしまえば当然だが、フィリッピンが(米国と共同して)日本と戦った遺跡だ(私の頭の中に、米国と戦った意識はあったが、フィリピンと戦った意識はなかった。これは間違いだ)。
14:00ホテルに帰って昼食。次の町へ行くオスカル氏を見送る、本当にお世話になったと感謝する。こちらの語力では、彼がなぜここを訪ね観光地でもない次の町へ向かうのか、聞き出せなかった。部屋でシャワー、着替え、洗たく。予想以上に寒い、17:00薄暗くなり雨も走る。もう出かけなかった。 Greenview Lodge 1泊
3・2月16日(木) バナウェBunaue
4:00鶏の声で目覚め5:30起床。6:30朝食、周辺を散歩。帰るとバスが到着したのかロビーは大混雑。結局昨日のドイツ人夫婦にもガイドにも会えず。そのガイドが昨日教えてくれた棚田へ、バイクと交渉(700+guid200)。上から見ると、棚田の中に小さな集落が浮いているように見える。道路からあぜ道を下りて行く、伝統的な民家が残っていた、コーラをもらって休む。小さいが美しい村だった。途中の道はやはりがけ崩れで荒れていて修復工事中。13:30ホテルへ帰着。14:30遅い昼食。高台の博物館へ民具や衣服に感心して、隣のホテルでお茶。
遠くから雨が走ってくる、向こうの山が見えなくなりますます強くなって、結局バイクタクシーで下りて、観光案内所へ駆け込む。そこで日本人とわかると、一人が突然イチニィサン~と叫び軍歌を歌い出す(こちらの記憶の中にもそのメロディはある)。嫌な顔をする女性あり。こちらはやはり皆さんに頭を下げるしかないではないか。そういう地域なのだ。雨の中をホテルまで走る。もう外には出ず、18:00ホテルで夕食。日本人の学生・神園さんがいたので、しばらく話をする(大学に編入することにして、仕事は辞めて来たと言う)。20:30部屋で整理。夜フランス人グループ大声でうるさい(どこの国にも、そういう人はいるのだ)。Greenview Lodge 2泊
4・2月 17日(金) バナウェBanaue~ボントックBontoc バス
4:30鶏の声、5:00起床荷造り、6:00朝食、精算。8:30出発。バスは9:00発、ほぼ満席、途中ライステラスの見える場所で撮影ストップ。11:30ボントック到着(客の大半はバスを乗り継いてサガダに向かった)。少し大きな町、若い警官(男女)が交通整理をしていたので、道を聞くととても親切に対応してくれて恐縮。ホテルは表通り側の部屋にしてもらう。古い建物が残るとの通りだが、看板で目立たず。しかし博物館はキリスト教系の私学敷地内にあり充実していた。庭に民家が数棟移設されていたし、ショップはシスターの応対だった。文化度の高い都市のよう、でも銀行で円両替はできず。
まだ時間あったので郊外の棚田へ行くことに、ジプニーで45分30dn。15:00到着、あぜ道にコンクリート遊歩道が設置されている。あいにく雨ますます強くなっていく。階段を上がるが水田は遠くなる、それでも民家近くまで行きカメラをむけたりする。
1時間であきらめバス停に帰ると、16:00最終バスが出たところ(こちらの時計では間に合っているのだが)。車を出せば300dnとのこと。しばらく話していると、5km1時間の距離とわかる。下りだし、危険もなさそうだし、何時もの散歩の距離だと歩くことにする。やがて町が見えて来て無事到着。途中巨大なるカタツムリに出会って写真を撮った(大きさの証明にコインを置いて)、歩いた甲斐があった?
ホテル近くで声をかけられる。京都の藤川さん(元高校の理科の先生)、団塊の世代。ホテルも同じ、お茶を飲みながら話をし、食事も一緒にした(以後随分お世話になった)。 Churya-A Hotel 泊 700dn
5・2月 18日(土) ボントックBontoc~サガダSagada
[藤川さんと一緒]7:00朝食、9:00バス出発10:00到着。緑の中に洋館が並ぶ避暑地のような集落、欧米の滞在が多いとのこと。ゲストハウス、木造でツインのわが部屋は気に入るがトイレシャワーなし、700dn。
昼食後、ガイドの案内で1~2hコースのツアーに向かう。棚田を見てから、洞窟の探検。
すぐ真っ暗になり用意のバーナーの明かりで下へ下へ、岩場はすべるし急だ。通路はなくガイドに教えられるまま、最後は裸足になり、手をもってもらい彼の太ももを足場にしたりして進む。300m下りたそうだ。途中写真を撮ってもらうが、日本では考えられない危険コース、足を踏み外すとお陀仏だ。帰り中国女性の一行とすれ違う、歳を聞かれ70才だと答えると驚いていた(でも考えてみると、暗い中なのに一目でこちらは老人に見えたのだ)。ガイド料500dnは安かった(しかも2人でシエア)。帰ってお茶とケーキ(タルト)おいしかった。夕食は、焼き鳥ワインなどを買ってきてわが部屋で、粗末だが、喋る相手のいることはやはり楽しい。
寒くしかも雨模様、洗濯物は乾かない。20:00部屋で整理して、22:00には就寝。毛布2人分をかけてよく寝ることができた。滞在する気にはならず、予定通り明日出発にする。 Sagada Guesthouse Lodge 泊 700dn
6・2月 19日(日) サガダSagada~バギオBaguio (北部第1の都市) バス5~7時間
4:30目覚め、6:00起床。7:00藤川さん出発(北の町へ)、こちらは8:00出発のバスで南のバギオへ。なんとバナウェで会った神園さんと一緒になる。昨日3~4時間のツアーに行ったとのこと(別の洞窟から入って、私たちが行った洞窟へ抜けて来たとのこと。こちらにはとても無理だ)。途中トイレ休憩2回、またパンクでスペアとの取り替えなどがあったが、
14:30無事バギオ到着、この旅で初めての大都会大群衆。彼とはそこで別れる。高地で寒いと言われているが、北から来た当方には太陽が顔を出した快適な場所だ。
木造の古いホテル(1938年建立)に投宿1200dn。すぐ近くに商店街大通りや中心の大公園、日曜日大変な人出だ。まず両替、ショッピングセンターでしてもらったが率は空港より悪かった0.526。これで旅行が続けられる。明日のバスも確認。
部屋で洗たくノート。夕食は大通りのアジア料理店(あまりうまくない)、隣にスタバあり、珈琲らしいコーヒーは初めてで満足。また初めてのホテルらしいホテルの部屋、シャワーも快適。やはり都会の現代文明が不可欠な身体なのだなぁ。と言いながら、やはり明日の出発にする。 Burnhum Hotel 1泊 1200dn
7・2月 20日(月) バギオ~サンタマリア~ビガン バス5時間
6:30起床7:30チェックアウト、8:00バス出発(ギリギリ)。すぐ緑の中に住宅が点在する風景、その中をバスは下って行く。9:00やっと平原地帯に9:30海岸の道と合流、以後海岸の道を進むが交通渋滞。10:30トイレ休憩食事、バスは冷房で寒い(狂っている)が外は暑い。12:30サンタマリア、教会の前で停めてくれる。(ビガン手前2時間の場所、教会を見てからビガンに行くことにして運転手にお願いしていた)。
教会は広い石段の上、その下の食堂でコーラ、荷物を預かってもらう(とても好意的でホッとする)。教会に行くが閉門(なんと11:30~14:00昼休)、外を歩いたり食事をしたりして待つ。外観は攻撃にも耐える城のようだが、内部はやさしくていい感じ。そのインテリア、どうやって作ったのか想像してみる(本国から運んだのか、大工さんが来たのか、この国の人が教えられて造ったのか)。皆さんにお礼を言って、14:40出発。
ビガン16:30到着、予想以上に遠かった。ゆっくり地図を確認しながら歩いて、想像以上に観光地化された町であることに気付く。ホテルも高そうなので同じ高いなら、1873年建造というお屋敷ホテルに行ってみる。大きな門を入ると並木の向こうに2階建て邸宅、安い方は予約でつまっていると、案内されたのは壁際の四方柱のダブルベッドが小さく見える巨大な部屋、2面窓その格子がどこか和風だし磨かれた床の木目もうれしい。明日は部屋を変わればいいという声に押されて泊まることにする2500dn。
散歩がてら外に出て、狭い町をもう一度歩く。マックでコーヒー(ここが唯一珈琲らしいコーヒーなのだ)、土地の人だけの食堂で夕食(皆さん歓迎してくれて感激)。部屋に帰ってその豊かさにご機嫌になる。博物館になっている他の部屋も見てまわる。ベッドに横になると笑えてしまう広さだ。もちろんシャワートイレ室も広大。深夜、きちんと閉まらない窓から蚊の侵入、用意の蚊取り線香をつける(持ってきて良かった)。
Villa Angela Heritage House 1泊 2500dn
8・2月 21日(火) ビガン
朝、馬の歩く音で目覚める。この町には観光用の馬車が多い、そのご出勤なのだろうか。ともかくひづめの音で目覚めたのがうれしい。6:30起床。朝食は10人座れる長い食卓の主人席に一人、なにか笑えてくる。もうないことだからオート撮影するが失敗。もう1泊することに(5000円しないのだから安いものだ)。8:45出発、観光案内所で場所を聞いてから、次の町ラワグからマニラへのチケットを購入、予定していた金曜日昼間の便がなく、結局土曜日午後に<14:00~15:00 2,610dn>。ともかく取れて良かった。続いて郵便局、切手の購入。この国には町にポストがなく局で出さねばならないようだ。以上が終わったのでマックでコーヒー。
博物館、続いて明日のバスの時間の確認。その帰りに土地の人ばかりの、気持ちのいい食堂を発見(結局、夕食もここに来た)。近くに昨日見つけたベイカリーもある(部屋で、紅茶と共に過ごす、幸せ)。
町の中心のスペイン風建築様式の建物が並ぶ通りの商店とホテルには欲しいものはない(町の名を書いたTシャツはあるが絵はがきはない)数回歩いただけで満足(中国雲南省の麗江と似ている)。むしろ裏道や町を囲んで流れる川の眺めを楽しむ。そして部屋で過ごす、退屈しない。今日は他の部屋もうまったようだ。
Villa Angela Heritage House 2泊 2500dn
9・2月 22日(水) ビガン~ラワグ
6:00起床、7:15~45朝食。時間が何時もの倍かかっている、行動が自然にゆっくりとしていると言うか、身体が勝手に時間の流れを楽しんでいる。退屈とは無縁に一生を過ごすことだってできそうだと、また笑ってしまう。
ホテル横の邸宅に「樹上ハウス」があることに気付いて写真を撮る。門番がそこに住んでいるのだろうか?朝そこから男が降りて行くのが見た。邸宅とその裏に使用人のためか小さな住宅が並んでいる。落ち着いた町だ。支払いを済まし別れを惜しんで、出発。もう来ることはないだろうが、とても贅沢な2日間だった。
門の脇に停まっていたトライシクル(座席付きオートバイ)でバス停に向かう。バス10:40出発125dn、2時間で到着。寄って来た車に適当なホテルの名を告げて行ってもらう。安ホテルだが、角部屋で広々しているので決める。ともかく昼食をと町へ向かう。そこで何と藤川さんに声をかけられる、昨日到着したとのこと。昼食を、そしてさらにマックでお茶をご一緒する。
17:30部屋で洗たくノート、今回の旅で初めてあまり歩かない一日だった。夜、部屋の前の黄色い外灯、道路の騒音と隣室のクーラー機械音に眠れず。
Texicano Hotel 1泊 612dn
10・2月 23日(木) ラワグ
こちらのホテルを見て移ってくることにした藤川さんには申し訳ないが、眠れないのは困るとホテルを探しに行く。裏通りにあって、狭いが静かそうなホテルを見つける、名前の北のホテルもうれしい。
9:00藤川さんがきて、サン・オウガスチン教会へジプニーで出発。30分35dn。前を広い芝生と花壇にして整備されて、観光客も多い。残念なことに前面が改装工事用の足場が組まれているが、鐘塔と共に堂々として見事。厚い側壁の支えと共に、この地の教会の建て方の基準のようだ1774年。内部は白と金色の装飾。日本もキリシタン禁制にしていなかったら、このような教会が各地に建ったのだろうか。見学の学生さんが多い食堂で、ビーフンをとって引き上げる。町へ帰って、カフェでコーヒーそして教会跡らしい博物館へ。民芸品が充実していて絵はがきを求める。そして藤川さんと別れる(29日帰国予定)。夕食は広場の食堂で魚(火が通っていなくて残すが、やはり下痢)、ホテル近くのミスドでコーヒー(ネスカフェだった)。部屋に帰ってノート整理シャワー、蚊取り線香をつけて、9:00就寝。 Hotel de Nord 1泊 800dn
11・2月 24日(金) ラワグ
7:00朝食をとっていて、向かいの木造住宅が快適そうなのに気付いて、周辺を散歩してみる。
区画がきちんとされ緑を持った中小の住宅が並んでいる。現在の商店街やマーケットのごみごみした街並みから想像できないが、ここラワグも前の町ビガンもそれぞれにほんの十数年前まで、まるで違う落ち着いた静かな都市であったのだ。市役所郵便局はしっかりしたレンガ造だ。わが少年の頃の城下町と似ている、と言うより長崎とか神戸に似ていたのかもしれないと、撮りながら歩く。博物館脇の公園で、bonsai盆栽の伝統のあることを知る。
ホテルを一応チェックアウトして空港に行ってみるが、今日は飛んでいない。明日ある便なら今日もあるだろうと思うのは、間違いなのだ。金曜は夜発の便しかない。ホテルに帰ってもう1泊をお願いする。昼食は博物館脇の高級食堂(大人数用のメニュー)、夕食はホテル隣の朝食を食べた食堂(こちらが好みだ)、その後見つけたクッキーを買いマックでコーヒーをもらって過ごす(我ながらうまいアイデアだ)。 Hotel de Nord 2泊
12・2月 25日(土) ラワグ~マニラ 国内航空
6:00起床、7:00朝食ミスド(失敗)、8:00思い立って海岸へ行ってみる、トライシクル200dn。
案内されたのはリゾートビーチ、はるか彼方まで延びる砂浜が美しい。家族連れカップルがちらほら、中に半身マヒした老人を連れた娘と孫6~7人の一団(老人を砂に埋めて喜んでいた)。海岸は西向きだが、その右側遠くは台湾そして日本だと思う。9:30に帰ってマックでコーヒー、11:00ホテルをチェックアウトして12:45空港到着。航空機は14:00到着、客を降ろすとすぐに搭乗開始して、14:35出発ほぼ満席、15:30マニラ空港到着、タクシー今回はじっくり交渉して乗車530dn、ホテル3案の中から運転手が選んだところへ来て、それで決める。掃除中の広い方の部屋にする2400dn。夕食を兼ねて外へ、海岸、正面に日が沈んでいく。朝見た海の続きだと写真を撮る。夕食はファミレス、トリの串とスープ、土曜の夜は家族などで満席。もう旅も終わりだ。
Casa Nicarosa Hotel & Residences 1泊 2400dn
13・2月 26日(日) マニラ
6:30起床、忘れないうちにと棚田が描かれたお札を撮る。7:00ベランダで朝食、誰もいず快適。8:00
最後の日、マニラ見物に出発。ホテルのあるマテラ地区からエルミタ地区、公園を横切って発祥の場所マニラ地区へ。中央の道を歩いていると、道の向こう側に短パンの女性が歩いていて前後する。こちらはガイド本を持っているので、教会の名前などを教えたりして一緒に歩く。
中国北京からの女性、先端のサンチャゴ要塞に一緒に入って、名前を告げ写真を撮り合う。40代のおばさんと70代のじじいのカップル、結構楽しかった。彼女はチャイナタウン、こちらは途中で見かけた民芸店へ、布や竹細工などを見る(伝統技術がまだ残っているようだ)。公園でコーラ、スタバでコーヒー。そして大きなショッピングセンターへ。昼食はどんぶり。欲しいものなくて結局買ったのは、お菓子を少しと無地のTシャツ2枚だけ。ホテルへ。部屋が掃除してないのに驚いて文句を言う。夕食はバイキング(一人はつまらん)。部屋でNHK海外向きを見て過ごす。最後の夜としてはつまらない過ごし方だが、ま、そんなものだろう。22:00就寝。 Casa Nicarosa Hotel & Residences 2泊
14・2月 27日(月) マニラ
6:30起床ゆっくりと片付け。7:15朝食、荷造り。8;30散歩へ、市場に行ってみる。なんたるや側溝のふたが外れていて、ドブに足をつっこむ、靴の中に汚水が入る大チョンボ。ショッピングセンターはまだ閉店、入り口のスタバでコーヒー。海岸通りを歩いて帰る。部屋に帰って足と靴を洗う。
11:00チェックアウト(文句ばかり言ったのに、意外や皆さん別れを惜しんでくれ、また来てねと言われ感激)タクシー450dn。出国税550dn(750のつもりが安くなっていた)。小さな搭乗ブースで2時間待ち、残金を使う。
フィリピン航空 PR408 マニラ14:40 ~ 大阪 (関空) 19:20 3時間40分
やはり空いている。マニラの町よく見えたが、すぐ雲の中。出発前と同じ寒さの日本。荷物が早く出て来てくれたおかげで、1時間早く帰ることができた。
空港バス・関空発 19:55~六甲島着20:52
*フィリピンのお札、その最高額の1000dnにライステラスが描かれている。この国でいちばんの自慢なのだ。