旅をしている人
田原 晋

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フィリピン ルソン島北部の旅 201202

201202フィリピン ルソン島北部の旅で思ったこと
2・ご飯はあるがお茶がない

 今回の日本に近づく旅、どこかに日本につながることはないだろうか、というのが旅の目的のひとつだったのだが、何よりそれを感じさせてくれたのは毎食お付き合いした「ごはん」。そのお米の種類も炊き方も、ほとんど日本と変わらない。ただお茶碗に入れて出すのではなく、それを大皿の上でひっくり返して山型にするお子さまランチ風。空いたスペースにおかずを2~3種並べて、それをカレーライスのようにスプーンで混ぜながら食べる。
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 食堂では、おかずが牛肉豚肉鶏野菜などと何種類か並んでいて、それを適当に指さしで選ぶ。揚げ煮が多い。つまり食器と盛り方はまるで違うが、中身は和食と変わらない。食器は陶磁器が発達しなったというより、南国で何時でもお皿として使える大きな葉が手に入ったということだろう。味付けは、スパイスはあまり使わず辛くない。むしろ甘味を感じることが多いから、これは最近の和食に似ている。というより日本の食事の方が、この味を真似てきた、南国風になってきたと言うことができる。
 とはいえ違いもある。いちばん大きいのは、お味噌汁などのスープがないこと、さらにお茶がないことだ。一度葉のかたちのままのお茶を出されたことがあったが、ほとんどその味がしなかった。気温が高いことが決定的な理由だろうが、皆さんジュースにコーラを頼んでいる。こちらは、それにはついて行けなかったが、最近の日本ではそういう方が少なくない。これはフィリピンの影響と言うより、グローバルになった世界の影響かもしれない。そして肥満を招くことになる。
若いというより20才前の妖精のような女の子たちが、ごく普通の中肥りの女性になっていくのが、なんとも悔しい思いがする。ヨーロッパのどこかの国で、肥満税をかけたというニュースがあったが、この国でも真似をすればいいと思ったりする。
それより日本の甘くないお茶を飲む習慣、というよりペットボトル入りのお茶を輸出することは、世界的に何より求められている緊急の必至の経済行動と思うのだが、どうだろうか。中国に似たものがあるが、うす甘くてこちらにはとても飲めない。

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 話は変わるが、フィリピンはキリスト教の国だ。それもカソリックがほとんど。海岸地帯では町の中心に石造りの教会があって、何時も何人かがそこで祈っている。光の具合が外とはまるで違う空間で、何より涼しい快適な別世界だ。老人たちは、ここで一日を過ごしているようだ。また若いカップルが入って来て、並んで坐りしばらくお祈りして、また出て行く。それはとても微笑ましい。何よりそのように出入りすることが求められている。そこは神さまとの対話の場所だから、隣同士の会話はない。とても静かな場所だが、祈っているお互いの間に、同じ神を信仰しているという安心がある。ある種のコミュニケーション、信頼感、絆と呼ばれるものがあるように感じる。
 宗教という行為は、ゆっくりと流れていく時間をどう過ごすかを教えているところがある。知らない同士が知らないままで、並んで坐って、一人ではないことを確認している。それぞれの人が、自分は自分のままそれを少しも変えないで、お互いコミュニケーションをしている、と言い直すこともできる。
 つまり高齢化社会の問題を、先取りして解決していたのではないか、と思ったりする。

 もしキリシタン禁制がなかったら、日本にもこの風景があったかもしれない。そんなことを思った。

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