旅をしている人
田原 晋

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1211中国・湖南省

中国・湖南省20121113~1118/関西日中ツアー

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11月13日(火)
6:00わが家を出発、住吉から電車で六甲Id。1本前の6:33のバスに乗る。7:45懐かしい皆さんに会う、今回は8名の小グループ。国際線と思えぬ小さな飛行機、それでも空いている。
関空発CA162 9:15 北京着11:50  
北京発CA1359 18:35 張家界着21:15               桑植・新天大酒店泊
北京空港でミーティング、新しい方の紹介。時間あり、皆さんとラーメン、ヴィオラ弾きのユウラさんとお茶。
張家界空港で5年ぶりで宋さんに会う、つい「大きくなりましたね」と言ってしまう。 5年前は卒業直後、母ではあったが学生さんみたいだった。当時も優秀だと思ったが、すっかり大人の働く女性になっていた。2年前、筑波に留学していたが、東北震災で急きょ帰国して、日本では会えなかった。
 バスで桑植に移動、道は格段に広くきれいになっている。ホテル周辺もホテルも変化している。経済発展はここまで確実に及んでいる。日本もかってはそうだったのだろう。

11月14日(水)
8:00 ホテル出発 → 橋自湾学校訪問 先生方と交流 ビオラコンサート  昼食は校内・職員食堂で
午後 桑植市内を散歩  (幹事の皆さんは学校とホテルで一対一支援学生面談)        桑植泊
 湖南省は3回目で、多少落ち着いてちょっと意地悪な目で眺めるようになる、あまりいいことではないけれど。
前回も来た学校は格段にきれいになり、設備も整ってきたが、それだけ教育のつめこみも加速?応接室の壁には賞状がずらり、だが勉学ばかりで、芸術や体育の賞状はここ5年皆無。進学熱はここにも及んできているのか。先生方との話し合いで(以前は抜け出して町の見学に出掛けていたが今回は出席。これまでは夏だったが今回は寒いこともある)、そのことを聞いてみると、昨年まで確かにその傾向があったが、今年からそれではいけないと、そちらにも力を入れているとの返事があった。
 後で校内を見てまわると、これまでになかった立派な絵画教室ができていて、書きかけのデッサンが並んでいた。経済の発展はここまで及んでいるのかと、ちょっと感動した。そして、あ、もうこちらのお絵かき教室も不要になる~とも思う(これまでは、白い紙とクレヨンを持つことすら、夢のようにうれしいことであったのだ)。
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 続いて開かれたゆうらさんのヴィオラの演奏、子どもたちは、今回も熱心に感激して聴いている。子どもも大人も当然だがチャルダッシュの勢いのあるリズムが好きなようだ。(撮るようにと預かっていたカメラをコンクリートの床に落としてしまうが、なんとか無事でホッとする)
 昼食は前回と同じ校内の先生用の食堂で。調理場が目の前、私たちのために特別にメニューは多いようだが、日常の料理、すべて感動的においしい。こういう豊かさは、経済の発展では消える運命にあるなぁと思う。
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 午後、面談の必要のない者たちで、町を散歩。広場でお年寄りたちが、ダンスを踊り、二胡の演奏をしていた。市場で焼き栗を買って、みんなで食べる。夕食は、ホテルの食堂。

11月15日(木)
8:00 桑植ホテル出発 → 桑植県麦地坪小学校訪問交流授業  昼食は麦地坪校内・食堂で  
午後 永順県桃子渓学校訪問交流  夜 ホテルで一対一支援学生面談        永順泊
 学校到着すぐに5年生のお絵かき教室、大変な人数で用意した画用紙が足らず2名ばかり半分にしてもらった、申し訳ない。熱心な子がいて2枚欲しいと言ったが、あげられなかった。なりたい自分をえがくというテーマだが、人数が多く時間も少なく、満足のいく授業にならなかった。次回はもっときちんと用意しますね、ゴメンナサイ。
昼食は校内の食堂、生徒の来る前に、彼らと同じものを食べる。どんぶりにご飯をよそおい、その上に2~3品のおかずをのせる丼飯。やがて生徒もやってきて大変に賑やか。決して豪華ではないが、感激的においしい。ここも設備がよくなって、昼休みバスケットボールをする子もいた。
 午後の学校ではヴィオラの演奏、ここでもみんな集中して聴いている。最後に楽器を触らせてもらって、感激していた。音楽にしろ絵画にしろ、センスと才能のある子は一瞬にして、わかるものだ。
 永順、ホテルも食堂も前回と同じ、ここの食事は豪華でおいしい。キウイのジュース、よもぎ餅が珍しく、後で買いに行って、持って帰ったけれど、冷凍の餅は日本ではまずかった。

 何より、感激したのは、卒業し就職した支援した子がやって来てくれたこと。一人は、途中の小さな村で(そこまで車で1時間の場所にある学校で先生をしている女性)、もうひとりはホテルに来た男性。彼は重慶で医者として働いている、バスを乗り継いで9時間かかったとのこと。私は会っていないが、さらにもう一人いたとのこと。いずれも、こちらが来ることを知って、お礼を言いたいと、わざわざ訪ねて来てくれたのだ。そして彼らが異口同音に言ったのは、やがて故郷に帰って、私たちがしてもらったことを今度はやってあげようと思っているとのこと。
 こんな反応をしてくれる子がいるとは、僅かな額だが「やってよかった」と心底思った。こちらが感謝したいくらいだと、彼らを眺めた。それぞれホテルに1泊して、翌朝それぞれに帰って行った。

11月16日(金)
8:00 永順ホテル出発 → 永順県列夕郷学校訪問交流、先生たちと座談会  昼食は村の食堂
夜  永順2中訪問  ビオラコンサート                          永順泊
 列夕郷は民家の残っていた集落だが、ここも変化が激しい。校舎も半分が建て替わっていて(大きな木に囲まれた木造の校舎が懐かしい)、運動場の整備中。雨でもあったので、村を歩き回るのは止めにして、先生たちとの話し合いに参加する(初めてのことだ)。
 向こうの先生は、日本の教育にとても感心していて、すべてお手本にしたいと言う。それに対して、日本の先生は、やる気がないとかいじめの問題をあげて、それを否定する。それは嘘ではないが、せっかくの会話の機会としては、もっと違う対応があるのではないかと、思ったりした。
 ここの昼食は、村の食堂。ここも立派に(きれいに)なっていて驚く。味は少し塩辛くなったように思ったが、素材がそのまま出て、ほんとうにおいしい。村の民家は、廃屋が多く、すっかり荒れてしまっていた。(木材で家を建てることができないとか?燃えやすい?)
 永順に帰って、中学に着くなり、生徒が待っているから、すぐ弾いてと言われ、ゆうらさんが切れる。確かに人間は機械とは違う。このあたりの理解ができるかどうかが、人間性だろうし、それは経済志向では失われやすい。
終了後、校庭で生徒たちにつかまり、全員彼らが持っているケータイの被写体になる、というより一緒に撮られる。ここでは日中問題は皆無だ。
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夕食は昨日と同じ。その後、部屋でゆっくりと過ごす、今回の旅では、初めてであったように思う。

11月17日(土)
7:00朝食  8:00 永順ホテル出発 → 永順出発 → 張家界・天門山観光 
張家界空港発 CA1360 22:15発  北京着00:40  北京泊・北京明豪戴酒店
 何時ものように最後の日は観光。今回は空港のある 張家界市、世界遺産のある大変な観光地なのだ。湖南省の省都は長沙、空港はその2か所にある。8時出発、張家界11時着。まず土家族の城郭へ、軒先がこれでもかというアクロバティックにそりあがっている。戦う城ではなく、豪華を誇示する楼閣だ。好きになれなく、行列の後ろについて行く。昼食後は、天門山へ。鉄道駅に直結した乗り場からロープウェイで一気に上がる、長さ7,455mで高さ 1,279mを登る。同じようなのが黄龍にもあったが、中国の人は、こういう鬼面人を驚かす仕掛けが大好きだ。
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とはいえ、そこに広がる垂直の壁は世界遺産にふさわしい。中国の水墨画の世界は、想像ではなく現実にあるものだと教えてくれる。山頂はなだらかな平原になっていて、寺などが建っている。切り立った崖の上は遊歩道になっていて、そこを歩く。こんな場所があるのだと感心し、とても楽しかった。
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韓国からの観光客が多く、パンフレットにはハングルもある。確かに朝、国を出発して夜にはここに着いて、翌日にこの山に登れるとは便利な観光地だ。やがて、日本の観光客も多く来るようになるだろう。
夕食後、通訳をしてくれた阪大4回生伊藤美加さんが、約1か月の旅に出ると出発して行った。雲南省の景供(シーサンパンナ)からラオス~ヴェトナムへと向かうとのこと。そういう人がいるとこちらも、うれしくなる。その後メールが来て、ヴェトナム ラオカイの中国人街と日本人街の間にかかる橋の写真を送ってくれて、両国の懸け橋になるのだと言ってくれた。そこにはこちらも行ったことがあって、懐かしかった。
私たちは空港で時間をつぶし22時出発して、0:40北京に到着。部屋に入ったのは2時、さすがに疲れた。

11月18日(日)
北京明豪戴酒店、英語名はDays Hotel、中国語はむつかしいが、こういうわかりやすい英語名をつけるのが、この国の国際感覚なのだろうと、何時も感心する。(北京市順義区天竺府大街13番)
朝食は時間ぎりぎり10時。空港近くのホテルは外に何もなく部屋で過ごす。テレビに、NHKのチャンネルがないこと(ホテルのチャンネル案内表にもない)、こころなしか日本兵の悪役映画が多いように思う(これは現体制の独立の原点だから、消えることはない。以前は、昔作った映像のぼやけたものがほとんどだったと記憶しているが、CCTVで鮮明な新作に違いない作品を流していた)。このあたりが今回の旅で、最近の両国の関係を教えてくれた唯一の出来事だった。

 空港でラーメンを食べながら、それぞれが感じたことを語り合う。こちらは、1)就職したかっての支援された若者が2人もわざわざ訪ねてきてくれたことに、関西日中の会の意義をあらためて感じたこと。2)ビオラの演奏をはじめ、芸術教育の価値(すばらしさ)をあらためて知ったこと。教育の現場ではそれは軽く見られているけれど、社会に出ると知識教育より価値があるようだ。3)先生方と話していて、先方は日本の教育を含めすべてを見事だと感じお手本にしようとしている。それに対して、日本の先生は、現在のこの国の問題点をあげている。そのミスマッチを強く感じた、相手の見方にもう少し添った対応の仕方があるのではないだろうか。 というようなことを言う。
13:00 北京ホテル発 → 北京空港 
北京発 CA161 16:25 → 関空着20:30
 国際線は、やはり空席が目立つ。ツアー旅行客は皆無だった。近い国なのに、これはお互いに残念なことだと、あらためて思った。                関空国際線出口で解散

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