旅をしている人
田原 晋

詳しくはこちら

1211中国・湖南省

今回の旅で思ったこと・1
(関西日中の会報への最初の原稿)

 帰りの北京空港でラーメンを食べながら、それぞれが感じたことを語ることになった。こちらは、以下の3つを話した。
1)就職したかっての支援された若者が2人も、それぞれに大変な時間をかけて、わざわざ訪ねてきてくれたこと。そのことに関西日中の会の意義をあらためて感じた。
2)ビオラの演奏をはじめ、芸術教育の価値をあらためて感じた。教育の現場ではどちらかといえば軽く見られている科目だけれど、社会に出ると知識教育より価値があるように思えた。
img20130109214810147img20130109215013040

3)先生方との話し合いを聞いていて、お互いの間にミスマッチがあって、話が通じなかったことを残念に思った。先方は日本の教育を含めすべてを見事だと感じお手本にしようとしている。それに対して、日本の先生は、現在のこの国の問題点(熱意のなさや、いじめの問題など)をあげて、先方の思いを否定してしまう。それを残念に思った、相手の見方にもう少し添った対応の仕方があるのではないだろうか。
 というようなことを言ったのですが、

 もう少しフォローすると、
1)彼らは関西日中が自分にしてくれたことに大変な感謝をしていて、自分も将来郷里に帰って同じような援助を恵まれない人のためにしてあげたいと言う。
  そこまで思ってくれていることを、今の両国の関係に思いをはせている方たち(怒っている人にも、悲しんでいる人にも)に伝えることができたらいいなぁと心底思った。
2)アートをやっている人はとても繊細な意識の持ち主だから、理屈だけでは扱えない。例えば、学校に着いて、生徒が待っている。すぐ演奏してくださいと言われて、それはできない、気分がその気になるまで待ってください、と言ったことがあった。
  経済発展の中で学校でも、気付かないまま生徒を経済発展に貢献する機械の部品になるように教育する傾向が、どうしても出てくる。
芸術を教えることは、感動することの素晴らしさを知るだけでなく、人間は機械とは違う、機械のようには扱えないのだということに気付かせてくれる、むしろそこに意味があるのではないだろうか。
3)コミュニケーションは、相手が何を考えているかそれを配慮することで、通じ合う。日常の会話ならすぐに気付くことが、自分が何かを代表しているとか、何か意味のあることを語らねばならないと思った途端に、それができなくなる。
  コミュニケーションとは何を語ったかではなく、お互いが相手の言ったことにどれだけ反応できたか、どれだけ話がはずんだか、ということではないだろうか。内容より、お互いのこころが通じ合ったという満足感の方が、大切なように思える。とくにお互いの国のあいだでは~。

 以上3つは、どこかでつながっていたみたいです。

旅先:
コメント(0)
トラックバックURL:https://taharasm.com/20130108204625.html/trackback/

ページトップへ