旅をしている人
田原 晋

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旅遊びの合間

  友人からの連絡で、建築写真家で書籍や GAJapan誌の発行人でもある二川幸夫さんが5日に亡くなられたとのこと。1月14日に汐留の「日本の民家」展のゼミでお目にかかったのが最後になってしまった。身体の具合はあまり良さそうではなかったが、お話は以前と変わらず鋭くて、まだまだお元気だと勝手に思っていた。申し訳ないと共にともかく残念だ。何より、日本の建築界にとって大きな損失だろう。

  という話をここで取り上げるのは、このブログが実は二川さん見ていただくためでもあったためだ。そんなことは現実にはあり得ないのだが、ともかく見ていただいても恥ずかしくないものにしなければとは、常に思っていた。そのために訪ねる場所を決め、時にはそのために旅行をしたこともあった。そしてお目にかかると、どこそこに行って来ましたと報告をしていた。

  思い出してみると、1986年に西沢文隆先生が亡くなられてその実測図を世の中に見せることができないかとご相談したのが最初で、以後何かと声をかけていただいて、ご自宅に訪問したり雑誌に投稿したりした。何より1988年からカレンダーを作っていただいて、それは今年まで続いている。そのテーマについて機会あるたびにお話したのが、昨日のように思い出される。
  ひとつだけ都市シリーズの最初を、パリにするかニューヨークにするかでずいぶん迷われ最後にパリに決めて制作にとりかかった。その最中の9月11日にテロがあって、もしニューヨークにしていたら中止になっていたと、そのご判断を感謝した。

  この夏に行こうと計画しているブラジルは、ニーマイヤー追悼と思っていたが、二川幸夫追悼の旅にもなってしまった。

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