旅をしている人
田原 晋

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旅遊びの合間

[ページ開設だから特別のレポート・1 ]これからは、女が日本を救うのか?

テレビを見ていたら、女性指揮者の三ツ橋敬子さんに作家の石田衣良さんが「女らしい指揮」と言われることをどう思いますかと尋ねた。しばらく考えて「私は女性ですし、そこから離れることはできませんから、そう思ってもらえるとしたら、うれしいです」と答えられた。この答え方は、女子大の学生さんに見られるという発想と同じだ。女らしい女も男らしい女もそこには普通にいるのだから、それでいいという対応だ。

演奏家の世界は、女性の方が多いから「女はこう、男はこう」という思い込みからは遠いし、そういう発想がもともとない。連れ合いがピアニストだったから、そのことはよくわかる。

 

ところで、阿部首相がアベノミクスの延長線上に女性をおいて、「これからは女の方にがんばっていただく」と発言した。待機児童をゼロにするとのことで、女性市長の横浜市の試みたことを全国展開しようということらしいので、ちょっと感心したが、発想は少し違う。もっと働いてもらい、女性取締役が一人はいるようにしてもらうとのことであり、いちばんの問題といえる最低賃金を上げようとか、契約社員という身分を改定しようという発想はまったくない。

故郷に「男なら」という民謡のあるお国ならではの発想のようだ。よく憶えていないけれど「女でも お槍かついで出陣しよう ぴぃひゃら ひゃらり~」というような歌詞でした。

 

その国会中継を見ていたら、そこにいる女性議員の皆さまにはひとつのタイプが感じられた。妙に女性らしいのだ、衣服も表情も言動も、別に媚びているのではないが、女性であることを目立つようにしていらっしゃる。男性の議員の皆さまは、女性とはそういうものだと思っていらっしゃるのかもしれない。そういえば、取り囲む女性アナウンサーもどこか女や若さを目立たせていらっしゃる?そういう方がまだいらっしゃるように思う(いえ、ほとんどまるで知らないことですが)

 

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