旅をしている人
田原 晋

詳しくはこちら

旅の記録, 201308~09 ブラジル

*なぜか写真がうまく入らない~いろいろ試みているのですが~またトライします

 

20130820~0915(OscarNimeyerへの旅)

Brasil[SaoPaulo~Rio~Brasilia~Iguazu~Salvador] 7日間 

ブラジル[サンパウロ~リオ~ブラジリア~イグアス滝~サルバドール]

 

[旅の前に] 今回がいちばん遠い旅だと思っています。昨年のペルーが、比較的楽に行けたので、行ける間に行ってしまおうと考えたわけです。ところが、昨年暮れにニーマイヤーさんが、なんと3月には二川幸夫さんまで亡くなってしまわれた。お二人の追悼の旅にもなりました。この国では、来年ワールドカップ、3年後にオリンピックと続いて、今年行っておかないと行けなくなります。時差は12時間、しかも冬、どうなりますか。

 

1・8月20日(火)  六甲id 19:18 ~関空20:20  三宮20:30~関空21:40

関空 23:40 EK317 ~ドバイ 8月21日(水) 04:50   NOSTP       10H10
ドバイ 8月21日(水) 08:35 EK261 ~サンパウロ 16:30  NOSTP     14H55

深夜発の関空、旅慣れた方が多いように感じる。隣席はカイロに向かう若い新聞記者、デモ騒動の最中、退去がすすめられている国なのにと、頭が下がる。ドバイでご健闘を祈って別れる。(実は、転勤後落ち着いて家族を迎えに帰国なさったところで、デモ発生。結局単身で帰ることになったとのこと。人生はわからないものだ)

次の便は4人分を占拠し横になって行く。アフリカ上空、最後尾へ行き下を覗いて見る。赤い大地にわずかな緑、カメラを取りに帰ろうかと思ったところで、雲の中に入ったのであきらめる。大陸7時間、大西洋上8時間。

2・8月21日(水)16:30到着 SaoPauloサンパウロ               Leques Brajil Hotel Escola 1泊

到着。空港すら英語表記はない。チケットを買うのに苦労するが、ともかく空港バスで市内へ。タクシーでホテル。無事たどり着いてまずは安堵(日本人が多い、リベルタージ地区)。夕食へ外に出るが、揚げ物ばかりで、困ってレストランでスープを注文、パンが付いて来たので、それだけにする(以後気が付いたが、この国はコロッケなど、揚げ物が多い)。周囲を少し歩いてみて、部屋に帰る。ともかく遠くへ来たものだ。21:30ベッド。

 

3・8月22日(木) サンパウロ                                   Leques Brajil Hotel Escola 2泊

6:00起床、朝食満足。8:30出発。地下鉄で、昨夜到着した広場へ。なんと背中にクリームキャラメル?をかけられている。男に注意されティッシュをくれるが、追いつかない量。とっさに心配したが(背中を汚し、そちらに注意を向け、別の仲間が鞄などを盗む)、それをダシに悪事を働こうという気配はない。ともかく濡れティッシュを出してふき取る。出発前フロントで、リュックは危ないから置いて行けと言われたが、当たっていたのかな?と思う。ブレザーを着たのがまずかったか?ともかく厳しい洗礼だ!あらためて気を引き締める。

 

その広場から見えるというコパンビルはすぐわかる。できた当時は高級マンションだったろうが、年代をへて落ち着いた感じ。その曲面を見上げ、1階部分を歩き回る。予想通り、全景はやはり撮れず。早々に引き上げる。

部屋で着替えをして再出発。ツニブラ事務所訪問(大阪でお世話になった旅行会社)、リオのホテル予約(現金払いと言われ1泊だけ)と両替(1000$)。近くに快適なカフェを見つけて、以後何度も行く。長距離バスターミナルへ、リオ行きのバスを予約する。確かに大きなターミナル、バス移動の国だ。待合室でノート。

まだ14:00、サンパウロ美術館へ。1階は広場に開放。上階と地下に分かれている。西欧に比べると保守的というか堅実な作風に感じる。彫刻室の吹き抜けの空間に感心。裏が崖になって外光の入る食堂は、すでに終了の時間、16:00。向かいにある小さな植物園を歩く(1km)。夕食は、お昼のカフェでパスタ、スィーツにコーヒー。

それにしても、朝は厳しい洗礼に会ったものだと、これからの旅の安全に一段と注意する気になる。疲れた~。

 

4・8月 23日(金)サンパウロ~リオRio de Janairo(bus 5:40h) Hotel Atrautico Copacakabana

6:00起床荷造り朝食、7:30チェックアウト。8:50バス出発。快適なリクライニング、リオ手前、大変な渋滞だがバスレーンでスイスイ。14:45到着。次のバスの時間をチェックするのを忘れて、市内への連絡バスに乗ってしまう。セントラル地区を抜け海岸へ、写真で見たリオが展開して感激。コパカーナ地区、予約ホテル簡単に見つかるが旧式、狭い部屋。ここは1泊だけにして、明日からのホテル探し、3つ目にやっと見つける。

海岸に出てみる。水着より歩く人多い、お年寄りも見事なジョギングスタイル。i(観光案内所)があったので地図をもらい、ニーマイヤーの建物の場所を聞く。まったく知らないようだが、パソコンを操作して場所まで特定してくれた!さすが!

夕食はビュッフェ式、観光地らしくまずい? 夜中、部屋に羽虫の大群、そういう自然に近い場所なのだ。

 

 

5・8月 24日(土) リオ                                      Royalty Copacakabana Hotel1泊

7:30~9:00コパカバーナの海岸を散歩、イパネバ海岸は遠くあきらめる。それにしても皆さんの運動のおシャレに感心。知らないブランドがほとんど、でもそれが格好いい!老若男女すべて!

ホテルを移動、ダメモトで文句を言ううちに(窓が小さい、3人部屋は嫌だ~)どんどんいい部屋になって大満足。8階正面の並木道の向こうに海が見える(うれしくて、写真を撮る)。

地下鉄で中央部へ。最初の作品、コルの弟子として担当した保健省ビル(修復工事中)、ピロティと中庭が気持ちいい。市民劇場などかっての首都には、歴史的建造物が多い。昼食後、バスターミナルへ行き、次の町へ行くチケットを求める(夜行バスにする)。帰りにバスを乗り間違い、郊外ニュータウンへ(ずいぶん時間を無駄にしたが、これもまた経験だろう)。夕食は、結局昨夜と同じ店(まずいが、好きなものが選べる)。大洗たく。

 

 

6・8月 25日(日)リオ                                           2泊

6:00起床。快晴なので、コルコバード(キリスト像)の丘へ行くことにする(この2日曇ったり降ったりで、丘が見えないこと多い)。日曜、大変な人だが、それはそれで楽しい。ケーブルは数時間待ちとのことで、すすめられるままバスに(当然、高い?)。最初に丘(像)と町の両方が見える展望台、続いて丘の上。大変な人の中。撮ってあげたり、もらったり。休むことすら大変。でも快晴、市内やサッカー場やニテロイ行きの長い橋などがはっきりと見える。韓国のおっさんと話をする(日本人はいない)、ともかく世界の観光地(よくぞ来た!)。

リオ・コルコバードの丘

リオ・コルコバードの丘



バスで下りた地下鉄駅前広場。遅い昼食(ポルトガル料理の古い店?、魚グリル)満足。さらに周辺を歩いてみる。休日の午後、広場ではおしゃべり、将棋?をする人など、皆さん賑やかに楽しんでいた。

夕方、ゾーリで海岸を歩く。強い波で水滴が舞い上がり砂浜の遠くは霞んでいる。あぁコパカバーナの海だ。

 

 

7・8月 26日(月)リオ                                                3泊

6:00起床、予定を組もうとして月曜、美術館が休みに気付く。といって曇天。丘は昨日行っておいて良かったことにする。セントラル地区へ。見つからないだろうと、あきらめていたニーマイヤーの銀行がある。ルーバーで全面をおおうのは彼の発想?この地の自然が要求したのか。ともかく、それで他にはない外観になる。

周辺を歩く。郵便局で切手(いろいろ選ばせてもらう)。CD屋に入ると中にカフェ、お茶をもらい、ミラローボスを買う。商店街も歩くが、欲しいものがまるで見当たらない。隣の旧宮殿前ではデモ、インフレは結構大変なのだ。昼食は大きな本屋の中の食堂で、おいしかった(こういう場所は、外とは別世界。格差社会は、旅行者にはありがたいことが多い)。

夕刻はコパカバーナで。海岸を離れると、庶民の観光地になる。夕食もお茶も、顔なじみになる。それにしても都合のいい旅行者だ~日本人のコチトラは庶民になったり文化好きになったり、無節操に使い分けている。

 

8・8月 27日(火)リオ~ニテロイ(行きバス・帰りフェリー)

IMG_0247

リオ、最後の日。対岸の島、ニテロイへ。先ずバスに(バス停は偶然見つかった)、長い海中の橋を走る。遠くに美術館が見えてきた。あれに行くのだと運転手さんに言うと、海岸に出たところで降ろしてくれた。遊歩道を歩いて美術館へ。波が水煙を高く打ち上げる。丸い美術館は、斜路を歩く人が大きく見え、そのサイズがとても好ましい。付属の施設を人工地盤の地下に置いて目立たなくしている。そういう何でもないことに、感心する。内部は、パネルを立て作品が飾ってあるが、これはそういうアートの展示だからそうなるので、それを使わない作品の方が好ましいなと思ったりして、見る。内部は3層、準備中だった上階の床面のスリットから光がもれて来る空間が見事だった(写真撮れず)。メイン階は海と作品を交互に見る感じで、それも楽しい。ショップでTシャツを求める。外に出ると地階に食堂があったが、隣の作品を見てから寄ろうと歩き出したのが、大失敗。橋の上から隣に見えたコンプレックス施設は、意外に遠く結局バス道を1時間以上歩くことになってしまった。

 

やっと到着したそこはフェリー乗り場の隣。島の各地へのバス乗り場もある。入口に案内所があり英語で応対してくれる。建物は、これも人工地盤の上に4つばかりだが、機能しているのは2つだけか?ひとつは音楽ホール(劇場?)、もうひとつはもっと小型で会議場として使われていた。お椀形の球形の会議室は準備中で大勢の人が忙しそうにしていたが、なかなか使いやすそうだった。音の反響はどうかな?

食事は欲しいものがなく、結局マック(旅先ではよくある。フィリッピンでもそうだった)フェリーで帰る。到着したのはセントラル地区、昨日のCD屋さんでお茶とケーキ。まだ時間があるので国立美術館など。この地域は結局、ほぼ毎日来たことになる。ホテルに帰ったのは17:30。出発まで時間はたっぷりある。ロビーで過ごした後、親しくなったカフェで挨拶。最後はバス乗り場で2時間待って、バスは23:30やっと出発。

せっかくのリオだったが、サッカー場もイパネマ海岸も植物園もコンサートも行かなかった。

リオ~オーロ・ブレットOuroPreto(夜行bus6h)

 

9・8月 28日(水)  オーロ・ブレットOuroPreto    民宿1泊

夜行バス、ガードレールも外灯もない道、ほぼ北へ向かっている。星がきれい。この齢で天の川を見ることができるとはと感激。また星座の場所が違うようだ?さそりと並んで走った。トイレ休憩(車内にトイレはあるが、休憩施設・食堂売店が完備している。持参のお茶のバッグを見せ、暑いお湯をもらう。身体が温まっておいしかった、幸せ(バスは冷房が効いてとても寒い。昨年のペルーもそうだった)。早朝6:30到着。バスで市内へ。

とても小さな町、赤い瓦屋根の民家、あちこちに教会。中欧の田舎町のようだ。さてどうするか、と広場に坐っていたら客引き。目の前の民家の上階、見せてもらって1泊することに。石畳の坂道ばかりでホテルを探すのは大変そうだった。そのまま部屋を使っていいのも、助かる。100R$(4000円)

一休み後、町をブラブラ。教会をいくつか。半分は遺跡(いまは使われていない)、あちこち歩き回って広場に帰るところで、準備中のレストラン。出来上がった料理を、お湯を張った上のバトンに移していた。30分後に出かけると、もう数人の客。すべて手料理で、感激的においしかった(計量式のビュフェ方式、今回の旅でこの方式があって大変に助かったが、中でもここが文句なしに第1位だった)。夜(夕刻)行ったら、もう閉まっていた、どうもこの方式は昼食だけのようだが、その時間が最後までわからなかった(食堂はどこでもそうだ)。

午後バスで、郊外の町の教会へ。歩き方にあった写真がなんとも魅力的だったのだ。そこは再開発地域で、向かい合う教会は、どちらも遺跡だった。近くでやっと休む場所を見つけてコーラをもらう。夜は疲れて早く寝る。

 

10・8月 29日(木)オーロ・ブレット~ペロ・オリゾンチBeloHoriznte(bus2h)  Hotel Othon 1泊

早朝出発。オーロ・ブレットから州都を移した計画都市(こういう発想は、さすがブラジルだ)、10:30到着。簡単に見つかると思ったホテルは午前中なのにどこも若い女性が押し掛けて騒然としている。何か催しがあるようだ。これはダメだと、町で一番の高級ホテルに行く。ここもロビーは混乱、フロントは行列。思案顔のこちらにフロアー係りが寄って来たので事情を告げると、なんとビジネス客専用の受付フロアーに案内してくれた。

 

23Fのここは別世界、親切に探してくれ、他のホテルまで当たってくれるがダメ。途中、予約のビジネス客が何人も来る。といって、こちらを迷惑と思っている感じもないなぁと見ていたら、最終的にちょっと高いけれどとスウィートの部屋を用意してくれた。21Fの角部屋。窓下に通りを挟んで公園が広がる。遠くは山並み、なんとも素敵な環境でうれしくなる。飛び込んだ英語すらあまり喋れない黄色人種に、ここまで親切に対応してくれた皆さまに本当に大感謝!(お値段も2万円で済んだから、ほんとうにありがたかった)

部屋が確保されたことで町へ出かける。まずiで明日のパンプーリャ湖への行き方を聞く。そして昼食、サラリーマン氏が多い場所で重さ計算のビュフェ式を見つける。繁盛しているだけのことはあると満足、デザートまでもらう。それから市内へあるというニーマイヤーホテル(マンション)へ。曲面のプランに木製水平のルーバーが美しい、緑も多く落ち着いた感じの町で、すっかり気に入る。

とはいえ夜、食事に出かけて、注意していたが怖れていた通り道に迷う(碁盤目を斜めの大通りが横切る~どっちだったかわからなくなる、通り名小さい)尋ね尋ねなんとかホテルにたどり着く。あぁ長い一日でした。

 

11・8月 30日(金)ペロ・オリゾンチ ~パンプーリャ湖畔

朝食は屋上階、半分はオープンの庭園になっていてプールがある。あまりに素敵なのでカメラを取って来る。そしてチェックアウト。荷物を預けて、出発。

IMG_0001

郊外の湖畔にある小さな教会を訪ねる。それは難なく姿を見せてくれた。彼を世界的に有名にした40代の作品。もう沢山の人が訪れている。記念撮影をしていた小学生のグループに、日本から来たと言って一緒に撮らせてもらう。小さな教会だが、その後の彼のすべてがもうそこにあるように思う。壁面から曲面の天井は、打ち放しではなく細かい石を埋め込んだ洗い出し。それで模様を描いた部分(モザイク)もある。仕上げに大変な時間がかかっている。ポルトガルのアズレージョの壁面(タイル)も退色知らずだし、内部は壁画だ(その他は別記)。

IMG_0001_1

対岸にあるヨットクラブまで小1時間歩く(当時は皆さん歩いていただろう?)。気持ちのいい遊歩道、ジョギングの人も多い。水面を見ている人がいる、なんと大きなワニが浮かんでいた。岸にはカピパラもいた。

ヨットクラブは、プールとテニスのクラブになっていて建物はほとんど使われていないが見せてもらう。係りの女性が親切に対応してくれて大感謝。次のカジノも使われていなくて、守衛の人が手持無沙汰で坐っていた。こちらがカメラを撮りだすと、途中で気付いたのか避けてくれた。広間からトイレへ続く屋根がなんともうれしい象形だ(なぜか妹島さんを思い出した)。道の反対にあったお店で昼食を思ったが、飲み物だけ。近くにあったiでタクシーを呼んでもらい、最後のダンスホール(いまは美術館)へ、そこを見て(外観だけ)最初の教会まで帰ってもらった。その裏手に目立たないように遊園地があり、トイレと食堂(やはりビュフェ式)へ。なんとも満足の、そしてよく歩いた1日でした。15:30町へ帰って、お茶。

ホテルに帰り、皆さんにお礼を言って出発。夜行バス19:00発で、ブラジリアだ。今度は道も広く、外灯もあってちょっと残念。12:00トイレ休憩、またお湯をもらってお茶にする。3:00もう一度休憩。

ペロ・オリゾンチ~ブラジリアBrasilia(夜行bus12h)

 

12・8月31日(土)ブラジリア

明るくなって6:30到着。平屋の広々とした気持ちのいいターミナル。壁面に大きなブラジリアの全景写真がある。iで聞くとセントラル地区へはメトロがある。顔を洗いコーヒーを飲んで出発、ホテル地区で予約。部屋に入れてくれたので、シャワーと洗たく。一息ついて、出発。観光バスは乗場がわからず、タクシーで中心の三権広場へ。

近代思想が誕生させた人工都市、そのいちばんのというより世界で唯一の成功例と言える都市。そこにやっと来ることができたと感激する。写真で見た通りの、議事堂、大統領府、大蔵省、最高裁判所などが並んでいる。

IMG_0001

柵はなく守衛さんもいないのをいいことに、行けるところまで行こうと議事堂に向かって歩く。裏手から表にまわっても守衛さんはいなくて、見物の人たちが歩くのについて、こちらも正門玄関から中に入る。閉会中なのだろうが、そこは国民に開かれている。ここは、あなたたちの場所というのだろうか。

IMG_0001_1

2時から内部見学ツアーがあるというので、ついて行くことにする。言葉はわからないが、議場(2つとも、傍聴席に記者席まで)、議員ロビー(地階、壁ぎわは天井から光庭で緑)など。日本では信じられないことだと、この国の民主主義に感心する。終わってチン入した外国人を詫びて行こうとすると、一人の女性が握手を求めてきた。一緒に写真を撮らせてくれと、何人も何組も、一瞬スターのようになった。どうも日本人は珍しいらしい。そのことに驚く。この国には移民も多く、サンパウロには日本人街もあると言うのに。ブラジルは大きい。

外に出て、夕刻の三権広場で、めったにない経験をしたものだと感謝する。こういう日本人は、多くないのだ。バスでセントラル駅に、ホテルはビジネス客が多い。夕食を食べ損ねたとテラスでサンドイッチ(クラブサンド、時間がかかったが思ったよりきちんとしていて満足)。お湯をもらい、部屋でお茶にする。うれしい1日だった。

Planalto Bittar Hotel 1泊

 

13・9月 1日(日)ブラジリア

今日はもう一つのシンボル、カテドラル・メトロポリターナからだと歩いて行く。日曜日、予想とおりミサの最中、異教徒は、入り口からそれを見る。午後にまた来ることにして、近くの国立博物館へ、半球形の外部についた斜路は楽しいが、内部は大き過ぎてとりとめがない。国立図書館は閉まっていて外観だけ。

博物館で教えてもらった住宅街の教会へ。バス停から住宅街をしばらく歩くと、小さな公園の中にそれはあって、やはりミサ中。教会はほとんど祭壇だけで、椅子を中から外へと並べほとんどの皆さんは屋外、芝生や公園のベンチに坐っている人も多い。こちらも木陰に坐る。ミサの後、皆さん行列で牧師さんの祝福を受けている。ニーマイヤーの建築は、人が中心でいることのできる大きさの時に、もっとも魅力的になる。湖畔のそれと同じように、構造的な冒険が当然のようにされていて気持ちがいい(それが建築家に肝心のことなのかなぁ?)。

もうお昼、近くにビュッフェ計量式食堂があったので入る。年配のご夫婦が多い高齢社会、あ、これがブラジリア(中の上クラス)住宅地域の平均的な食事だろうなと思う。地下鉄でバスターミナルに行きゴイアニア行きの時間を調べる。さらに空港に行きイグアス行きのチケットを求める。空港に行かねば求めることができなかったが、すぐに買えた。でも思っていたより高い(買い方も悪いが)。航空機はまだ庶民の足ではないのだろうか。

そして最初のメトロポリターナへ。もう夕刻、朝とは違う太陽の光(内部はステンドグラスの天井)の中で地下の礼拝所まで行ったり、周辺を歩いたりする。セントラル駅の隣の新しいショッピングセンターで、夕食とお茶、ここにもあった計量式ビュフェはすっかりお気に入りだ。部屋でNHKテレビ(あまちゃん)を見る。

Planalto Bittar Hotel 2泊

IMG_0001

14・9月 2日(月)ブラジリア~ゴイアニアGoiania(bus3h)

出発前、ふとしたことで知った場所。ゴイアス州の首都はゴイアスだったが小さい(後に世界遺産に)ので、別にゴイアニアという新都市を作った。そこにニーマイヤー設計の文化センターができた、最後の作品のひとつ。

ブラジリアから3時間、13:00着。ターミナルは新しくショッピングセンターと一緒になっているが、i(観光案内所)はない。地図の表示もないし、売ってもいない。仕方なく結局タクシーに乗る。ホテルを決めてからにしたかったがうまく伝わらず、直行することに。町外れの荒涼とした場所。ここに、半球形の音楽ホール、赤い3角形の記念館、円柱形のギャラリー、事務所棟が並んでいる。入り口も閉まっていたが、門番に開けてもらう。催しの時以外は人がいない、自家用車が普及しから可能になった場所だろう。タクシーに1時間後にまた来るように頼んで、ともかく見ることにする。記念館はここを企画出資した2人の女性の顕彰。ギャラリーは展示の準備中。外は一団の掃除の人たち。彼の建築としては、すべてに大げさな設備(外には風が吹いているだけ)だ。

早々に切り上げ事務所棟が冷房されていたのでロビーで休んでいると、中年の美しい女性がやって来て上へ案内してくれる。沢山の人が働いているのに、びっくり。広報の仕事とのことで、こちらへの対応も仕事の一部かな? ルーバーで直射日光をさえぎる快適な事務所。どうやら突然の日本からの見学者が話題になったようだ。どこへでも案内すると言う。半球型の音楽ホールへ入れてもらう。階段で地階に降りてから、ホールへ。外形とはあまり関係のない内部(音響に配慮すれば、当然こうなるけど)、3000人収容。

最後にここがいちばん好きなのだと、事務所棟の階段の見上げを教えてくれる。確かに曲線の階段のつながりが、気持ちいいディテールだ。ただの旅行者に過ぎないことを詫びて(当然だけど、雑誌かテレビの取材を期待されたようだった)、待たしているタクシーで失礼する。

ホテルへ、ここが町の中心部らしい。一番のホテルは断られ向かいのキッチン付きの部屋になる。周辺を散歩、昔からの商店街、お店の数は多いがさびれていく感じは否めない。カフェでパンとお茶、昼食を忘れていた。夕食は広場に面したレストラン、その屋外の席、野菜とお肉がたっぷりのスープ、デザートにケーキももらって満足。部屋で自分がどこにいるのかわからないが、それはそれでいい夜だと思う。絵はがきを書いて、22:30就寝。

Plaza Inn 1泊

15・9月 3日(火)ゴイアニアGoiania~ブラジリア (bus3h)

7:00起床よく寝た。朝食サラリーマン氏ばかり。周囲を散歩するが特別なものはない。仕方なく、タクシーでバスターミナルへ。11:00出発、原野とは言えないだろうが、昔からのブラジルの大地(適当に起伏がある)を感じながら帰る。ブラジリアが近づいて来るのが楽しかった。でも中央部は低層(議事堂など)だから、注意しないとわからない。高層建築は周辺だ、それが他の都市と違う大きな特長だと思う。14:00到着、ホテルへ。

最後だからバスで三権広場、タクシーでさらに奥にある大統領官邸へ。緑がからんだ落ち着いた建物を遠望する。見学のバスが走っているが、こちらは近寄れない。運ちゃんのすすめるまま新名所のアーチが3つ並ぶ橋を見て、帰る。彼には思わぬ収入だったようで上機嫌(2,500円程度)。これでブラジリアの見学はすべて終わったと、ショッピングセンターで夕食、お茶をして帰る。今回の旅も、もう半分を過ぎた。

Planalto Bittar Hotel 1泊

 

*ここまでが前半です(ちょっと長いので二分しました)ゴメンナサイ。

コメント(0)
トラックバックURL:https://taharasm.com/20131107163834.html/trackback/

ページトップへ