1308~09ブラジル・後半
2013年11月9日
旅の後半です。
16・9月 4日(水)ブラジリア~イグアス
8:00出発。バス停で待っていると、隣の人がこちらの荷物を見てここは混んでいると別のバス停を教えてくれ(さらに、こちらのモタモタぶりを見て)わざわざバス停まで連れて行ってくださる~すべてポルトガル語、大感激。確かに小さいけれど、空いたバスが来て無事空港に到着する。
ブラジリア~イグアス/航空機 Hk1 10:54 ~14:40(クリチバ経由、大半の人が降り、乗ってくる。14:15着)
距離の割に時間がかかると思ったら、やはり経由便でした。それに注意すべきだと、学習する。それより、機内誌を見ていて、クリチバ~サルバドール直行便があることに気付く。なら行けるかもと、うれしくなる。
バスで市内に向かうが、隣の人が英語で親切にいろいろ教えてくださる。名刺までくれた。ホテル探し、最初安いホステルへ行って見るが、結局普通のホテルへ。緑の多い小さな町がうれしい。夕食はレバノン料理(この町にはレバノン人が多いらしい~奴隷の出自らしい。安くておいしかった。お姉さんもきれい)
Del Rey1泊
17・9月 5日(木)イグアスIguazu アルゼンチン側
8:00出発、アルゼンチン入国(通関)。9:00バスターミナルで乗り換え(入場料を入れて100R$)、原生林の中を走って公園へ。10:30イグアス公園中央駅でトロッコ列車に乗ると、なんと日本人ツアー客で満席。皆さん同じ時間になるようだ(こちらは気味悪いのか、敬遠無視されて話ははずまない。皆さん昼過ぎには消える)
列車終点から遊歩道、観覧場所は水しぶきが滝のよう?ずぶ濡れ。持参のポンチョが大活躍①悪魔ののど笛~すごい名前だ
②遊歩道上の道 ③下の道 ④スピードボート~滝壺へ向かって走る大型のボート、に大興奮・
60R$、上から見ていて乗りたくなった~絶対のおすすめ。5時過ぎまでいて大満足、帰ったのは18:45。
夕食はステーキの店に入ってしまい67R$ショック(2,680円だが)、部屋で整理、満足の1日。22:00就寝。
Del Rey 2泊
18・9月 6日(金)イグアス ブラジル側
7:00起床、よく寝た。朝食、荷造り。長距離バスターミナルへ21:30発のチケットを購入。ホテルをチェックアウト。ブラジル側のイグアス(国立公園)へ11:00。入場料50R$。バスで展望台、以後は遊歩道を歩く。昨日会ったアルゼンチンのお年寄り仲間と再会(アミーゴ、アミーゴと懐かしむ。クコ茶を飲んでいたので、日本茶のティーバッグを進呈)。ブラジル側からは、全景が眺められる。ポンチョも役立つが、確かに2時間で充分。
帰り、途中にあった空港に立ち寄り、サルバドール行きを確かめる。直行便は夜遅い到着だが仕方ない。以後の日程を決心して購入、これで以後の旅程が決定。これまでの旅に比べずいぶん高価(航空券3フライト計14万円)、国が広いのだ。空港は改装工事中、食堂がビュフェ式だったので昼食。ゆっくりとノートを取ったりする。町に帰ったのは16:00。レバノン料理の店に行ったりして時間をつぶし、19:00過ぎ、バスターミナルへ。
イグアス~クリチバ(夜行bus 10h)21:30~ 翌朝6:00
19・9月7日(土)クリチバCuritiba
6:00到着、案内所や地図がなくどこにいるのか町の配置がわからないが、明るくなってから何人かに尋ねて、中心部に向かって歩く。途中ibisホテル(よく使うチェーン)があったので地図をもらう(ここは満室)、日本人経営のホテルがあるのでそこへ。すぐに見つかり、隣で朝食を済ましてからホテルへ。年配の上品な女主人と久しぶりで日本語(移民2世)前が公園の表側の部屋にしてもらう。銀行が休日なので200$両替。サルバドール下町のホテルの予約(深夜到着)をしてもらう。以上は大変に助かった(言葉がなかったら大苦労した筈だ)。
10;00出発、記念日の軍などの祝賀の行列、反対のデモもあり町は騒然としている。その中を歩いて約3km、ニーマイヤー美術館。メインはビエンナーレ(楽しかった)、そして彼の業績の展示、大きな彼の年表があったが、見る限りなんとも幸せな人生だと思う。その印刷物はなし、せめてと彼の若い頃の写真を撮る。カフェで昼食とお茶、ショップでTシャツなど。庭などでさらにゆっくりと過ごして、引き上げる。16:00部屋で一休み。
夕食に出かけるがカテドラル周辺は黒人多く賑やかだが、食事の場所はなく(ビールの店ばかり)軽食(名物のコロッケとパン)で済ます。帰りにケーキ屋さんあって満足(ミルフィーユ)。部屋でお湯をもらってお茶。
*テレビのNHKニュース、オリンピック決定大喜びをしていたが他人事に思える。
Hotel O’hara 1泊
20・9月 8日(日)クリチバ~サルバドール/Salvador(航空機)JJ3858 17:22~20:04
6:00起床、朝食・宿泊客の留学生の娘父に挨拶(沖縄の方、娘さんは移民の研究、父は沖大先生とか)ここは日本人に会えるのだ。こちらは町の自慢の植物園へ。ブラジルの植生をじっくり見たいと思ったのだが。苦労して訪ねたが(教えてもらった行き方がわからず)、思ったものよりはるかに小さな庭園。だがそれだけに休日の老若男女でいっぱい、散歩やジョギング。ベンチで元先生と話をする、英会話の本を持っていらっしゃった。
ホテルに帰って、朝の皆さんと話をする(沖縄に来たらゼヒ、と言われる)。すすめられるまま目の前の市民会館の壁画を見に行く。なんと母と子のコンサートの最中、終了の直前だが入れてもらう。カルメン幻想曲、指揮者のすすめで全員が拍手したりくちずさんだり、盛装した子どもたちは、楽しそうにカルメンを踊っている。クラシックに親しんでもらおうという熱意がうれしい、指揮者も団員も帽子やカツラをかぶったりしていた。
すっかり満足、ブラジルに来たらぜひクリチバに、そしてこのホテルに泊まって欲しいと思います。もう行くところがなくなり(商店はお休み)空港へ。そこで昼食やお茶で時間をつぶして、搭乗。ほぼ満席。
・クリチバ~サルバドール/Salvador(航空機)JJ3858 17:22~20:04
空港はここも工事中、案内表示なく尋ね尋ねやっとバス乗り場へ。ところが空港バスが来ない30分ごとと言うのに、やっと22:00出発。海岸を走って中心部へ。終点でタクシーに乗り換え、丘の上の下町へ。通りを上半身裸の若者たちが歩いていて、ここはやばいと緊張するが、運ちゃんは落ち着いている。やっと下町広場に到着、警官もいてここは安全だと車の通れない石畳の道を少し歩いてホテルへ。待っていてくれたらしく、ドアを開けてくれる。粗末だが、ともかく着いた、もう23:00。とんでもない場所に来たという思いつつ、シャワーも使わず、そのまま寝る。
Hotel Pelourinho 1泊
21・9月 9日(月)サルバドール
6:00起床。窓を開けると、正面に海、手前にカラフルなこの町が広がっている。やっと来たと、あらためてうれしくなる。食堂はさらに眺めがいい。食事も簡素だがおいしく、昨夜はひどいと思ったが、広場の名前を冠したこのホテルを良しとする。ペロウリーニョ広場は植民地時代の民家の中心。同宿はフランス人の老夫婦。
この町は植民地時代の中心、そのまま最初の首都になる。奴隷を多くつれて来たため、ここは黒人が多い。高台のこの周辺には当時の住居や教会が残るが、それをカラフルにペイントして、どこにもない都市風景を作り出している。世界遺産。小松さんの写真が魅力的で、ぜひ行きたいと思っていた場所だ。
8:30出発、路地を抜けて、中心広場。地図を片手にともかく歩き回る。後で観光客目当ての店が開く前だったことを知る、店が開くと雰囲気がまるで変わってしまう。古いレストランがあったので一休み、昔の写真が壁にあった。なんと正午閉店。高台(断崖)から公衆エレベーター(有料)で海岸(港)へ降りる、お土産屋などで賑やか、楽団の演奏など。しばらく歩いて、また高台に。首都をしのばせる古い建物。大きなルーバーを付けた新しい建築。何軒かの教会。大きなお店の前では何人もの女性たちが真っ白なロングドレス(かっての白人女性の衣服)を着て客引きをしている。その白いレースを通して見える肩先の褐色の肌が、ハッとするほど美しい。
昼食は土地の人だけの、夕食は観光客目当てのビュッフェ式、当然後者はまずかった。広場でのお茶~、こうして1日はあっけなく終わる。最後にもう一度民家の広場。夜の部屋は、暗くテレビも付かず。
Hotel Pelourinho 2泊
22・9月10日(火)サルバドール~サンパウロSaoPaulo
6:00起床快晴7:00朝食、フランス人夫婦に挨拶(マナウスまで行くとのこと、写真・住所交換)。広場を一巡りして出発、ホテル代は現金で支払う200R$。バスなかなか来ず、10:45空港到着。カフェでフランス人夫婦にまた会う、今度こそさようなら。飛行機はほぼ満席、窓側、眺めながら行く。サンパウロの街は見えず、残念。
JJ3895 11:58~14:30
サンパウロ空港、リムジンの乗り方をすっかり忘れていてモタモタ。地下鉄はよく憶えていた。ホテル満室で近くのホテルへ(ネットで選ばなかった少し高い有名ホテル)、夕食。久しぶりアマちゃん、9:00疲れて寝る。
Nikkei Palace Hotel (日系パレスホテル)1泊
23・9月11日(水)サンパウロ
7:30朝食、日本食がある!でも、そんなに感激しない。予約していた元のホテルへ。ツニブラで両替。
地下鉄から歩いて、イビラブエラ公園へ。ニーマイヤーの近代美術館、劇場がある。緑が多く、日射しを避ける通路を巡らせ気持ちがいい。こういう建築はコストパフォーマンスで建てるものではないことが、よくわかる。
奥に日本庭園、移民記念碑がある。昼食はミュージアム付属の高級レストラン。ローストビーフ、サラダ(野菜がなんとも素敵)、アクア、コーヒーをもらって70R$。夕食はパスタプレートなど50R$(今回の旅ではじめてのぜいたくな、でも満足な食事だった)。ツニブラ、カフェのお姉さんはかすかに憶えてくれていたみたい?
Leques Hotel Escola 1泊
24・9月 12日(木)サンパウロ
7:30朝食、飯田さんという若い女性に挨拶。9:00出発ラテンアメリカ記念公園。ニーマイヤーの作品4つをゆっくりと見る。もう晩年の彼の自由気ままさにあふれている。それは破たんというかやり過ぎの部分を感じたりするし、メンテの不備も見える。とはいえアートが、経済効率とは違う尺度で成立することがよくわかる。でも資本の力が強くなるにしたがってそれは難しくなるようだ。そして、そこに住む人間の感性知性まで影響を与える、日本がそのように見える。
それより、ここのラテンアメリカ博物館の展示物の見事さに驚く。私たちは西欧人侵略前のこの地を、せいぜいインカとアメリカのインディアン(映画)でしか知らない。それを根底から見直させてくれる。そこに住んでいたのはモンゴル民族、この地でも中国や日本と同じような文化が生まれている。当然のことなのだ。
帰りにヘプブリカ広場周辺を歩いてみるが、お土産になりそうなものはない。疲れて部屋で一休み。夕食を朝の飯田さんと一緒に、昨夜と同じ店。帰りに彼女の以前の留学時代の友人に会い、3人でこちらの部屋で話をする。いろんな人がいるものだと感心する、それぞれに懸命に生きている。22:00やっと開放、すぐ寝る。
Leques Hotel Escola 2泊
25・9月 13日(金)サンパウロ
ブラジル最後の日、深夜には出発なのだ。昨夜教えてもらったセー広場へ歩いて行く。サンパウロ発祥の場所らしく古い堂々としたビル、年輪をへた樹木など落ち着いた場所でついカフェで休んでしまう。このようなことを、ガイドブックは教えてくれない。やっと洒落たチョコレート屋さんを見つけて、お土産はこれにする。他にTシャツでもと思うが、そういう店はない~。店よりも町並みや広場植生などに、目がいってしまう。
思い立ってサッカー博物館へ行くことにする。スタジアムは窪地にあるらしく遠くからは目立たない(東京に似た地形だ)。地下鉄の駅から試合の時にはここを何万もの人が歩くのだろう。ビュフェ式の食事を済ましてから博物館へ。映像を多用、ワールドカップは1回ごとに丁寧な展示がしてあるが、5回も優勝しているのは大変なことなのだとあらためて思う。最後はスタジアムに顔を出すようになっていて、そこで写真を撮る。そしてショップで、ブラジルの黄色いユニフォームを求める。ただしこちらは子どもサイズで安く済んだ170R$(6,800円)。
ホテルに帰って荷造り、18:00まで部屋を使う。まだ早いけれど出発。
ラッシュアワーの地下鉄、キャリーバッグを申し訳ないと思いつつ乗り込んで、ふと気づくと若い女性がアイスクリームを持っている。隣のおじさんが注意する視線を送るが、知らぬ顔。あ、最初の地下鉄で背中に付けられたのはこれだったのではないか、と思い出す。彼女は長い地下鉄の時間に、それをなめる幸せを思って買ったのだろう。それを私の背中が食べてしまった。彼女は謝るというより、取られたことを腹立たしく思ったのかもしれない。道理で、それをエサに犯罪をしようと思ったにしては、あまりに変だ、とこちらが疑ったのも無理のないことだったのだろう。ともかく、大変な思い違いのようだ。でもそれで旅の間、注意を払ったのだから、それはそれで良かったのかもしれない。ともかく帰る時に気付かされたのはありがたいことだと笑う。
(深夜出発)
26・9月14日(土)サンパウロ 01:25 EK262 ~ドバイ 22:55 NOSTP / 14H30
思ったより混んでいてガッカリ(来る時に空いていた方が変なのだが)。出発は深夜、到着も夜遅い。窓を閉め切って1日をやり過ごしたということ。15時間乗って20時間を消費、西行きでトクした時間をハキ出した。
ドバイの空港でコーヒー7$、お釣りが現地通貨になると言うのでカードで買う。前の便で残したクッキーとチーズを取り出してひと息つく。ここまで来ると日本の皆さんも多い(というか、ばっかり)。
27・9月 15日(日)ドバイ 03:00 EK316 ~関空 17:30 NOSTP / 9H30
~関空 17:45 bus/18:55~19:55
雨の中、ただいま。
[旅の後に] やはり、よくぞ行って来たものだと思う。2年連続の南米だから行くことができたのだろう。
ところでブラジルはビザが必要なので、南米を旅する日本の若者は敬遠している(お金のない彼らには当然だ)。ビザがなくても入国できるようにするのが、両国にとって有意義なことだろう。
とくにブラジリアは20世紀の近代主義(西欧で生まれた)が作り出した見事な例(集大成)だから、ぜひ見て欲しいものだ(一度行っただけでエラそうなことを言うなと、二川さんはおっしゃるだろうが~)。
それとサンパウロのラテンアメリカ博物館は、西欧が進出する以前のアメリカ大陸を見る目を変えてくれた(ペルーの博物館でも見ているのだが、こちらの頭の中ではついペルーの国だけのことになっていた)。
と、まぁ世界の見え方が変わるように思った(こちらの、もの知らずの証明に過ぎないのだが~) このあたり、「旅で見えたこと」として、まとめます。しばらく時間をください。