旅をしている人
田原 晋

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沖縄 1402・旅日記

2014年3月19日

旅の記録, 沖縄1402

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Okinawa 沖縄 2014.02.11.~02.17.(7日間)

那覇~平和祈念公園~宣野湾市~名護市~那覇

.旅日記

1・2月10日(月) 神戸~那覇 

 

 

    三宮~空港モノレール(30分足らず)

     神戸  SKY591  08:45  ~ 那覇 11:00   / 2H15        

 家を7:00に出発して、空港に8:00に到着、ネット予約のチケットを発行してもらって搭乗準備完了。神戸空港はやはり近い。スカイマーク便、ほぼ満席で、無事に飛んで、定刻到着。

予報通りの曇天、これから1週間どうやらお天気には恵まれないようだ。でも20℃近くで暖かい。

 まず、観光案内所iで地方のホテルを尋ねる。名護市内には沢山あるが、宜野湾市はやはりわからない。海岸のリゾートホテルしかないようで、ともかく2軒に直接電話して聞くことにする。なければ名護市まで行ったらどうかという提案。それぞれの町の観光案内や地図をもらう。やはり言葉が通じるのはうれしい。これが英語ならもっと時間がかかっただろうと思う。

 次に帰りの便のために全日空のカウンターへ。予約は3日前からと電話番号を教えてくれ、当日このカウンターでシニア割引を尋ね、もしあれば予約をキャンセルすればいいと、裏ワザを親切に教えてくれた。なんと12,000円で乗れる可能性があるのだ。混み具合から、朝の便の方が空いていることを知る。

 モノレールに乗ってホテルへ。チェックインは2時からとのことで、荷物を預け町へ出る。残念ながら雨交じり。大通りに面したカフェレストランで遅い昼食、ちょっと考えてシチューに、結局ここには何度も来た。周囲のホテルを含め、帰りの土日は満席。なんとプロ野球のキャンプがあって、沖縄は大変に混んでいるとのこと、そんな事情をまるで知らなかった。

 18:00ブラジルで一緒になった野里さんに会い、夕食へ(組原先生は上京中、土曜に会うことに)。国際通りを、説明してもらいつつ県庁まで歩く。ついでに平和市場、発生時秘話などをうかがう。女性運動の原点があり、戦争がまだ生きている。食事はお菓子御殿(有名店)の食堂でお膳、民謡の演奏があり、台湾の団体がいた。知っている歌だが、異国というか、日本のどことも違うと、あらためて思う。ドトールでコーヒーを飲んで別れる。それにしても、親切がほんとうにありがたい。帰室22:00、就寝23:00。

                            ベストウエスタン那覇イン 泊

 

2・2月11日(火)祝日 

 7:30起床、日の出が遅い。9:30出発、バスターミナル、窓口の空くのを待って「1日乗車券」2,000円を購入。バスで糸満ターミナルへ、南部地域をまわるバスに乗り換え。売店なく弁当が買えず、心配。客はフランス中年女性(環境調査の仕事で来日)と二人。平和祈念公園から那覇に帰って鍾乳洞に行くと言う。こちらは、手前のひめゆりの塔で下車。沢山の団体客と一緒に、語り部さんの話を聞く。やはり泣いてしまう。もう80代だろうが、戦争で亡くなった友たちと一緒に生きている。それ以外の人生などなかったのだ。「出て来なさい」米軍の日本語の呼びかけがあったが、出ることなど思いもしなかったと言う。言われると、その心情がこちらにはわかる。ともかく、そういう方がいらっしゃる世界なのだ、ここは。中庭に赤い花が咲いていて、そこが明るいのを、写真を撮る。

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 外に出て、団体客の食堂に入る気はなく、パンを揚げていた(砂糖天ぷら・昔のドーナツの味)ので、そのアツアツをもらう。次のバスまで1時間近くあるので、歩くことにする。なんと雨が上がり、陽が射してきた。海が輝いている。緑も美しい。バスよりも早く到着。砂糖天ぷらを食べる。

 平和祈念公園は広大。テレビで知っている、礎・いしじのまわりを歩く。団体客が多い、修学旅行や外国の団体も多い。中国語に韓国語、英語。アメリカの団体は、アメリカ人のいしじを眺めていた。1時間過ごし、さらに1時間バスを待って、帰る。若いひとり旅の男女がいた。 16:30旭橋バスターミナルに帰る。

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 そのまま市役所、県庁。そして国際通り、スタバで休む。近くに観光案内所があったので、そこで尋ね、あらためて土日のホテルを探す。なんとか探すことができた。ただし普天間のホテルは、どちらも飛行場からはずいぶん離れていて、あきらめる。夕食は、昨日と同じカフェレストラン、もう顔をおぼえてくれた。ごく普通だが、ノートがゆっくり取れるのがいい。

                                ベストウエスタン那覇イン 2泊    

 

3・2月 12日(水) 

 9:00出発、旭町バスターミナルから高速バス、4人分の席をつぶした荷物置き場があるのがうれしい。外国仕様だ(外国では当然のことだが、日本では新幹線ですらお目にかからない)。わずか30分で、宜野湾市の中城(なかぐすく)到着10:30。細い田舎道、やって来た軽に道を聞くと、乗れと言ってくださる。若い女性、国道に出たところで下りる。こういうのが外国ひとり旅の大特典だと、感謝感激する。

地図でチェックしてしばらく歩くと「佐喜真美術館」(野里さんが教えてくれた)だ。個人のコレクション、ヒロシマの丸木夫妻が沖縄を描いた絵がある。なんと都立高校の修学旅行一行のバスが何台も停まっている。彼らを前に語り部さんが話している、小1時間も皆さん熱心に聞いている。そのことに感心。屋上に展望台が後付され、普天間飛行場が見える。目の前にフェンス、でもその先は緑で滑走路は見えない。もう機は飛ばなかった。コンクリート打ち放しの、とても気持ちのいい、そして建築時の感性もそのまま保存されている美術館だった。

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たまたま玄関先に到着した時に、オスプレイが飛んだ。中から上品な女性が出て来て「今日はケネディが来るから飛ばないと思ったけれど、飛んだ。ほらヘリコプター仕様、あれで市街地は飛ばないことになっているのに、まったく守られてない」とおっしゃる。そのイメージと違う強い語り口に、こちらは言葉がない。

せっかく来たのだからと、結い(衣)の絵はがきを求めて退出した。昼食をと思って歩く。マックの看板が見えたので近づくと2.5km先とあるのであきらめてスタンドで聞くと、美術館を出てすぐにあったマンガ喫茶を教えてくれた。このあたりにお勤めの皆さんの唯一の食堂らしい。定食は3種類、ユシトーフ定食というのを頼むと大きなどんぶりにいっぱいのお味噌汁、なかにいっぱいの豆腐が入っていて感激的においしかった。コーヒー付きで800円。

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 タクシーをひらって、中村家住宅(1972 重文)へ。石垣に囲まれた赤瓦の住宅(約280年前)、士族屋敷の形式に農家の機能設備が加わる。その美しいたたずまいに感激。座敷の表の露地に、根元のふくらんだ木を柱として立て、広い軒先を確保するのが特長だ。おそらく激しい雨や強い日差しを避けるのが狙いだろう。この形式は、那覇でも名護にもあった。それにしても、戦火がとどかなかった地域には、このような建物も住んでいた人も残るのだ。出口の場所にあるこれも快適な民家(当主はここに住んでおられる)で、お茶をいただき絵はがきと切手を求める。待ってもらっていたタクシーで、高速の喜捨場バス停へ13:00、1,700円。運転手さんによれば、普天間にもビジネスホテルはあるようだ。また帰りに飛行場の見える展望台をすすめてくれた。やはり現地の情報がイチバンだ。

 名護市到着、市庁舎前14:30。結構ひどい雨、ホテルを探さねばと中心部へ向かう。ホテルがあったので、雨宿りを兼ねて中へ。フロントのお姉さんに、空きを聞いてみる。みすぼらしさが同情を呼んだのか、とても親切に対応してくれ、あちこち電話して探して、やっと見つかった。ツインのシングルユース、ここもプロ野球のキャンプがあるのだ。少し小降りになったので、外へ。あらためて市役所にも行って見る。1981年の象設計集団の作品で、ずいぶん話題になった建築だ。雨で濡れたそれは、暗くすさんだ感じまでする。また来ることにして引き上げる。中心部の十字路にあるケーキ屋さんのカフェで、ノート整理(以後毎日行った)。明日のバスの時間をチェックする。

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 夕食は沖縄そばの店(ホテルの窓から見える)に、つい入ってしまう失敗。当たり前のことだが、関西より約1時間日の入りが遅い。古い造りのツインの部屋は、ゆったりしてうれしい。持参のコーヒーを淹れるが、日本茶のティーパックを持参すべきだった(ブラジルで、クコ茶を飲んでいた人に進呈したのを思い出した)。

                       名護市 ホテル山田荘、朝食付き5,890円

 

4・2月 13日(木) 

 

 7:30起床、日の出が遅く寝坊する。朝食、ビジネス客つまり沖縄の方の平均的朝食だろう、食後はお茶でなくコーヒーのようだ。  8:21ほぼ定刻にバス出発。今日も雨まじり、2月は雨の季節なのだ。

 

 今帰仁村(なきじん)役場前で下車、中央公民館(1975象設計)はすぐわかった。ただし当初あった緑の屋根はなく、むき出しのコンクリートに緑を這わすための木材がくずれたようにあるだけだ。でも赤い柱は存在感を示していて、その足元には住民の皆さんが参加した貝殻のレリーフが一部つぶれてはいるが残っている。中央の屋根のある広間で、小学生の一団が歓声をあげながらサトウキビをしぼっていた。他はあまり使われていないようだ。傍にある観光協会で聞くと、台風で緑の屋根は無理でしたとのこと、人為に偏したことだったのだろうか。今も建築科の学生さんが時々訪ねて来るようだ、青い空の下で見ればまるで違う印象だろう。

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 1時間後の次のバス9:47に、雨はますますひどくなる。他に乗客はなく運転手さんと話をする。やはり青い海を見せたいようだ。海の中を行く橋2000mがあるとのこと。また右手は天然の中海、台風ではここに避難して、タンカーなどでいっぱいになるとのこと。そして戦争時の話になった~。

 間もなく10:15、芝生で修景された広い海洋博公園に到着。乗用車やバスが次々に入るなか、傘をさして歩く。美ら水族館はその中の施設。大変な人にびっくり、外国語も聞こえてくる。外とは別世界だ。

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 老人割引はなく1800円。最初に熱帯魚の泳ぐサンゴ礁の海が、出迎えてくれる。以後4階を下りながらじんべいざめのいる大水槽を眺める。見ている人がシルエットになって、水槽の大きさにあらためて驚く。国が援助していると、やはり違うなと思う。相変わらずの雨、公園を歩くことはできず、カフェでピラフとコーヒー。バス停でひとり30分待って13:15出発。

 

内陸部を行く路線、学校や商店スーパーなどが見えて、楽しかった。14:00名護到着、何時ものケーキ屋さんでノート整理。雨の中、町を歩いてみる。博物館、以前はここが市役所だったとのこと、玄関に大きなブーゲンビリア?が伸びていて3階まで達している。あ、これが建物に木を這わすことを発想させたのかもしれないと思う。木は自分では台風に耐える態勢を取りながら伸びていく。でも人がそれをやろうとすると嫌がるのかもしれないと、思う。近くの交差点には、大きなガジュマルの木もあった。雨ばかりの中だが、緑が暗い町を一気に明るいイメージにしてくれた。サロンで市民作品の展示、中に本島一周の記録、建物調査があって感心。調査の伊平屋島にはまだ赤瓦の民家が多数残っている、行ってみたい。絵や工作だけでなく、研究をする人がいらっしゃるのが、うれしい。夕食は、市場2階のさくら食堂で、定食800円。

部屋で洗たく、湿気がひどい中10:30就寝。夜中に目覚め窓を開き、湿気を出す~。

・今帰仁村中央公民館(1975象設計) ・海洋博公園  美ら水族館

                                ホテル山田荘 2泊

5・2月 14日(金)

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 8:00起床、朝食。9:00バス(那覇行きだ、何時間かかるのだろう) 9:30辺野古到着。何もない、ともかく海に向かって歩く、展望台?から堤防の遊歩道。砂浜に出たところにテント村と書いたテントひとつ。中に男女数人、一人がこちらに説明してくれる。20年の闘争。埋め立てがいかに横暴か、熱心に話してくれる。彼が熱を入れるほど、こちらは冷静になってしまう。そんなに長くやって大変ですね、どうやって食べているのですか?ま、なんとか~と言いながらぶ然とした。大変ですね。で、海岸に行くことにする。海に伸びる突堤があり、その向こうにフェンス、そこからが基地で、岬はそのはるか先。ともかく、この海岸一帯が滑走路になるのは確かなようだ。美しい海、できれば残したいとは誰でも思うことだ。若者が一人突堤を歩いて来た、どこからですか?横浜です。3日間の休日、レンタカーで本島を一周するとのこと。こちらと同じような人は、結構いるものだ。こちらの地図の入ったチラシを、興味深そうに見るので、あそこのテントでもらったと教える。帰りにテントでつかまっていた。海は何もないが、時に陽が射すと青く美しい。

 

村へと歩き出すが、通りに家がぽつんぽつんとあるだけ、公園の東屋で休んでいると、名古屋からという同年輩のひとり旅、海岸の方へ向かう。バス停近くの食堂が空いていたので、お茶を所望する。コーヒーはインスタントとのことで日本茶、しばらく話をする。ではと腰をうかし、いくらと尋ねると100円と言う、それがうれしかった。バス停で名古屋からの男性にまた会って、それぞれ反対に向かうバス停で、道をはさんで大声で話をする。83才だとのこと。こちらのバスが先に来て別れる。

 

名護帰着12:00、博物館と広場の樹木を撮る。12:30さくら食堂、満員。昨日博物館のサロンで教えてもらった市街を歩く。津嘉山酒造、崩れかかった民家を使っている。客間部分の作りは中村家と同じ、露地に柱を立てた縁側。裏に別棟を民家風で新築していたが、古いのが崩れるのは惜しい。そのまま周囲を歩く。古い民家も残っていて、時が止まったようだ。1時間ほど歩き回る。革新市政だと、お金が落ちないのだろうか?

 

 ホテルに帰って、帰りの便の予約の電話を入れるが、話し中ばかり。フロントでそういうと、東京の雪のためではと言う。で、パソコンで予約、これはすぐにできた。また市役所に行ってみる、結局、毎日行ったことになる。夕食は地中海料理レストラン、鮮魚のソティ2,100円。日本語が通じるのが不思議な感じがした。出る頃にもう一組の客、こういう店はなんとか生き残って欲しいものだ。

 辺野古基地  名護市庁舎(1981象設計) 

                                 ホテル山田荘 3泊                

6・2月 15日(土) 高速バス・名護市~那覇 

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7:30起床、朝食 8:30出発。8:55高速バス・市役所前、当然だが結構な人。琉大前で下車9:57。タクシーで嘉数(タカツ)高台公園 、普天間飛行場を望む展望台で訪問した人がニュースになる場所。中国人を含む観光客が次々にやってくる。休日の子どもたちが遊んでいる。国道に帰って、珈琲豆店の店先でコーヒーをもらう160円。バスが数台通っていく、すぐ来るだろうとバス停に行くが30分待たされた。乗車して約1時間12:50那覇到着。 ホテルに荷物を預け、昼食・国際通りのレストランへ(憶えていてくれた)

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16:00ホテルで組原先生、野里さん、それにブラジルからの留学生Souzaさんに会う。しばらく話をして、先生の運転で沖縄最大の嘉手納基地を見に行く。高速を100㎞以上で飛ばして、こちらが苦労して訪れた普天間よりもはるか遠く場所へ。高速を下りて金網沿いにすすみ、飛行場を望む道の駅・カテナの屋上からそれを見る。もうすっかり暗くなっていたが、その大きさはわかる(普天間を訪れた時、ここは小さいと何度も言われたことが、やっと理解できた)。そこで食事(トーフ定食)をご馳走になり、さらに基地の西側沿いを南下、4分3周した。同時に、その道の広さ、車の量とスピード、そして周囲の商店の多さ大きさに、あらためて、来る前に予想していた沖縄があった。それは、これでもかとお金を投じコンクリートで固められた都市、それが那覇まで(後で知ったが、空港まで)通じていた。車は高速で走り、黄信号でも突っ走るなど人の意識もまた、無意識のうちに変化させられている。

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この2時間の小旅行は、こちらが見た沖縄とは違う沖縄があることを教えてくれた。時速100㎞で移動している人たちの感性もまた知ることができた。それは、とてもありがたかった。 ツアーで訪れる観光客の皆さんも、こちらの沖縄を見ているのだろう。それは日本の先進の大都市と変わらない。 

さらに先生の家に立ち寄って、先生の著作を3冊もいただいて(ベルギーとオランダの図書館研究の本、それに旅のエッセイ)帰る。ずいぶん遅くまで、ほんとうにどう感謝すればいいのだろう。                                   

那覇 山市ホテル 1泊

7・2月 16日(日)

 7;30起床、朝食、9:30荷物を預けて出発、ホテルの窓下に広がる緑、公園かと出かけてみるとお墓だった。1日、那覇市内を見ることができる。まず首里城へ、皆さんの意見を聞くうちにここへ行かないのは申し訳ないと思った。ゆっくりと見る。25年前に富子と来たときは守礼門しかなかったのだ。図面写真が残されていた結果らしいが、よくぞまぁ再現したものだ、まだ続行中。そして観光の目玉になっている。

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 すぐ前にある原宏司設計の城西小学校へ、グランドでサッカーなどやっていて、そこに入ることができた。当時の設計思想のままに使われているようで、うれしかった。その後の教育を先取りしたところがあったのだろう。玄関前に彼の設計に違いないと思われる住宅もあった。駅まで歩くうち、いい建築は周囲に影響を及ぼすのだと思う(名護市でもそうだった)。近くの公民館も快適そうだった。

 モノレールで「おもろまち」へ、名前がなんともうれしい(当方の俳号が、面呂なのだ)。由来は沖縄最古の古謡・おもろそうし、から取ったそうだ。おもろ双紙が沖縄のものとは知らなかった。米軍接収の場所が1973年返還され・那覇新都心として開発したのだそうだ。とはいえショッピングセンターが中心の町、道は広い自動車道路で歩くようには作られていない。すぐ近くの県立博物館・美術館へ行く。大変にがんばっていらっしゃるが、いかにも現在で、設計に個人の顔が見えない。織物や民具食器がもっとあると思ったのだが、これだけしかないのだろうか、ちょっと残念。屋外に民家と高倉が移築してあった。

遅い昼食を、野里さんの教えてくれた市場の2階で取る。なるほど南国だとうれしかった。ベトナムを思い出したのだ。ホテルを移動、ツインシングルユース(そうだ、部屋がそれしかなかったのだと思い出す)、快適。お土産を買いに出る。三越(ちんすこう)、お菓子天国(野里さんおすすめの・紅イモタルト)、民芸店(欲しいものは高い)で少しだけ。

夕食は、何度も行ったレストラン、気が付くとこちらと同じような老人旅行者(ご夫婦など)が多い。若者向けに作った店だろうが、旅行者が3食沖縄料理はかなわんと訪れるのではないかと思う。ボーイさんと、そんな話をする。23:00就寝。

                             那覇 ホテル山之内 泊

             

8・2月 17日(月)

 7:30起床、朝食がついていないので、ドトールでトーストと紅茶。ノートと荷物の整理。10:00組原先生3人がロビーに来られしばらく話をして町へ。那覇市内を散策することに。壺屋地区という焼き物やさんの町、ここが最初でそれが読谷村へ移ったのだそうだ。崩れた立て窯があったり、古い民家、緑におおわれた塀などがある。植物の元気がいい、さすが南の国だ。観光客も多いから、ちょっとしたコースになっている。こちらは知らなかったから、ありがたかった。那覇の印象が大きく変わったように思ったりする。

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 車で空港まで送っていただいて、お別れする。ほんとうにありがたいことだった。それにしても、途中の海底トンネルには驚いた、よくぞまぁ造ったものだ。お金があると、人はこういうことを発想する見本?

 空港では、無事「シニア割引」12,000円を求めることができた。昼食は市場で揚げ立てを買った、魚と野菜の天ぷら、ドーナッツをベンチで食べる、おいしかった。

トイレで下着など冬装備に着替える。最後尾席、3人席をひとり占拠して帰る。離陸30分遅れ、神戸空港到着、やはり寒い。着替えていたのは、正解だった。関東地方は大変な雪のようだ。

                     那覇 14:30 CI3726 / 2H30~神戸16:20

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