旅をしている人
田原 晋

詳しくはこちら

旅の記録, 沖縄1402

Okinawa 沖縄 2014.02.11.~02.17.(7日間)

那覇~平和祈念公園~宣野湾市~名護市~那覇

.旅で思ったこと

1.県ではない、州がふさわしい

 

そう言ってしまえば当然なことだけど、沖縄をゆっくり旅すると日本とはまるで違うと思ってしまう。実際に薩摩が征服するまでは別の国であったのだし、その後も日本側の都合によって、この地を内国にしたり別の国のように考え対応したりしている。そういうことをひっくるめると、日本政府はとても失礼なことをしている。こちらは旅をして突然そう思うのだけど、沖縄の人たちは何時もそう考えている。そのことを前提にしないと、沖縄を語ることはできない。対応してはならない。何をやっても、すれ違うだけだ。だから、先ずは慎重に考えることだ。

お金をそそぎ込むことも、基地を少なくすることも、今でしょうと思いつくのではなく、これまでの経緯やその結果に予想されることも考えて運ぶ方が正しい。

 

すでにこの県には、日本のどこよりもお金がそそぎ込まれているに違いない。ここの土地は、すでに日本のどこよりもコンクリートにおおわれ、それが人のこころにまで大きな影響を与えている。こちらが見た(たぶんごく一部の)例をあげると、嘉手納キャンプあたりから那覇空港まで続く、広い道、空港の手前では海底トンネルまで掘られている。その結果、人のこころもまた気付かないうちに変化してしまっている。車は歩く人のことなどほとんど考えないかのように、猛スピードで走っているし、黄信号では駆け抜けることが優先される。那覇の街ですら、信号は歩く人への配慮より、運転者の都合を優先しているように、旅行者には見えてしまう。

という場所にすでになっているのだから、援助をすると言っても何をするのか、何をすればここに住んでいる人たちのためになるのか、考えることが求められている。相手に尋ねればいい、というのもむつかしい。尋ねる方によって、答えはまるで違うだろうから。ここは、お互いにそのことから話し合うことが求められている。(と言って、もうそれすら理解いただけるか、心もとない感じがしてしまう)

 

だから最初に、ここは他の県とはまるで違う場所と思うことが求められる。つまり、まずここはたくさんある日本の平均的な県ではない、違う地域なのだ。ここはその呼称の変更からスタートすべきではないだろうか。県ではないのだ、もっと違う呼称はないか、といってもちろん都ではない、府でも道でも違う。

となれば、別格がもっともふさわしいのが州だろう。沖縄州、そう呼んでみたらいかがだろう。呼び方を変えることで、ここは日本の中でまる違う場所であることがはっきりする。日本政府もそう考えていることが、明確に表明される。

で、その上で、この場所をどうするのがふさわしいが、お互いに考えればいい。今回の旅は、最初にそう気付かせてくれた。

 

2.お金の使い方

 

政府がお金を出すとなると、どうしてもコンクリートへの投資となる。被災地への援助、景気回復のための投資となると、それしか思い浮かばないかのようだ。お金を使うことによって、何人がその分配を受けるのか、どれだけの需要が生まれるのか、常にそういう計算がなされ、結果として土木需要が選ばれる。その工事によって直接に生み出される需要がもっとも効果的ということになる。

いえそれ以上に、受け皿がそれでできていて、そこにお金をそそぎ込み続けなければ、不満や不平が出る仕組みになってしまっている。つまり、その工事が終わった後の効果以上に、その工事をするそのことが重要視される。結果として、出来上がった後には、不要のものというか手に余るものになってしまう。

そういう例を、私たちはこの国で嫌と言うほど見せられてきた。でも、それ以外の方法を思いつかないかのように、沖縄はもちろん東北でも、いえこの春以降全国で繰り返されようとしている。

 

そこで、それとは違う方法を沖縄という場所で考えてみた。

 

1)デザインで、見え方を変えよう。

沖縄に到着して、まずモノレールに乗った。これこそが沖縄援助のシンボル的存在だと思うが、せっかくそこまでやったのなら、もうひと押し、そのデザインや色にもっと配慮すればいいのにと思った。外装のことだけではない。インテリア(車内の設備、というか観光客の大きなカバンへの配慮がまるでない)、車内の表示(路線紹介、次の駅の表示のやり方、ドアに手をひこまれないようにという注意表示まで)、さらに言えば、そこにかかげられるポスターについてもある程度の規制もまた必要ではないか、と思ったりした。

そこを美しくというより、使いやすく配慮のあるセンスのいいものにすれば、飛行機でやって来た観光客に、その気温や風だけでなく、まるで違う土地に来たのだという高揚感はぐんと高くなると思う。

 

当然、そこから見える風景についてもせっかくだから配慮が欲しくなる。ほんとうは建物の形や色にまで及んで欲しいのだが、まずはそこから見える看板や建物の名前表示についてある種の規制が欲しい。いえ現在の日本の各都市に比べて悪いというのではない、むしろこれからそういう混乱が起こってくるに違いないから今のうちに、用意しておきたいと考えたに過ぎない。これは、京都市がすでにやっていることだから、教えを乞い、それを参考にすればいい。

 

街に出れば、通りの表示、施設やホテルやお店の案内板が必要になる。そのデザインの親切な表示と、設置の場所。さらに道路標示、標識。できれば日本の標準を横目に見ながら独自のデザインができれば、それもまた特別な場所と言うことを感じさせてくれる。これは、那覇だけではなく、各市町村にまで及んで欲しいものだ。そこではデザインがどうという以前に、そういうものが存在することが、まず求められる。

 

なによりバス旅行をした当方には、バスターミナルの表示が気になった。まるで配慮されていない、モノレールの駅を降りたところから表示が必要だ。すべて、よく利用している方だけを相手にしているように思えてならなかった。

バスの車体デザイン・カラー、それ以上に「行先表示」のデザインなど、これを一新すれば、全島に及ぶことになる。バス停の表示(時刻表掲示)まで、考えて欲しいものだ。

 

またこの採用は、委員会の合議では推進できない。九州に水戸岡さんというデザイナーがいらっしゃるように、沖縄独自の方をぜひ選んで欲しいものだ。将来は、やはり沖縄に住んでいただける、そして世界的なデザイナーであることが夢だろう。

 

たぶん、これを採用しても沖縄の方たちは「?」と首をかしげられるに違いない。何の不便も感じていない方がほとんどだろうし、そんなムダなことにお金を使ってと思う方もいるだろう。むしろ、これがいちばんうれしいのは旅行者の皆さんかもしれない。それもひとりか二人でやって来る外国人を含む個人の旅行者だ。団体やツアーで大挙訪れて観光バスに乗り込む方ではない。だから旅行会社の方も、そんなものは無駄だと言われるかもしれない。この国の観光への投資は、すでに団体旅行を標準と考える旅行会社の意見によって、特異なものになってしまっている。

 

2)個人の旅行者としての勝手なお願い・バス路線と自転車

個人の旅行者側として、ちょっと勝手なことを言えば、「観光」の視点から見直して欲しいことを少しばかり~。

・バス路線

バスで一緒になったフランスからの女性は、祈念公園から斎場御嶽(世界遺産)に行こうとしたらバスがないので、那覇まで帰らなくてはならないとボヤいていた。こちらは本島を一周しようとしたら、北部の東側の路線がない。レンタカーなら簡単にできることだが、それでは那覇で借りることになって、バスの利用はあきらめることになる。本数は少なくてもいいから、路線が欲しいものだ。

・自転車旅行の提案

考えてみると、本島の大きさは、自転車で走るのに、最適なように思う。瀬戸内のしまなみ海道に、サイクリングの設備があったが、それと同じような設備はできないだろうか。専用レーンの設置、と貸自転車の用意だ。それは、とても楽しい、これまでにない旅を提案してくれると思う。

と同時に、沖縄の方にも、その楽しさを教えることにならないだろうか。レンタカーよりもはるかに楽しいし、何より身体をスリムにするのに役立つのではないだろうか。

 

以上、馬鹿げたことを言っているように聞こえるかもしれない。でも、ちょっと立ち止まって考えると、これこそが沖縄独自の美意識というか文化を感じさせる、いえそれを育てることにも役に立つものになる。

那覇の国際通りを歩いていて、沖縄の伝統文化が(観光客が欲しがるのは、その程度のものだと?)安易に変更されていることを感じた。売れるものが求められ、本来あった伝統や文化とは違うものだけが、あまりに強調されている。B級は必要だが、それはあくまでA級が存在してのことだろう。

米軍人が基地という別世界にいるように、観光客もリゾート地やゴルフ場や国際通りというキャンプに隔離して対応すればいい、というは、どこか悲しい。

 

 

3)沖縄の伝統文化を大切にしよう

 

沖縄から沢山の歌手やグループが出たことは、もう誰でもが知っているし、沖縄という地があったことが、日本のポップス界を豊かにした。当然のことだが沖縄に、どこにもない音楽(民謡や舞踏)の歴史があったことが、土台になっている。それがあったから、独自の現代に流行する歌謡が生まれたと言える。

では沖縄は、現在その独自の演芸の伝統をどれだけ大切にし、また将来のために育てているのだろう。民謡の歌手や演奏者の方が、その技芸を職業として選び取って豊かに生きていける人生になっているだろうか。若い方がそれらを魅力的に思って、学ぶための施設が備わっているだろうか。

 

シンガポールに「シンガポール チャイニーズ シンフォニーオーケストラ」というのがあって、100名近い団員が、植物園の野外劇場で沢山の観客を前に見事な演奏をしていた。インドネシアのバリ島では、ケチャの舞踏や音楽のための学校があって、子どもたちが熱心に勉強している。伝統を維持し発展させようとすれば、そういう施設や、態勢が欠かせない。

 

これは音楽だけにとどまらない。織物染色、陶芸、木工、建築など芸術全体、生活の全般に及ぶことになる。首里に芸術大学ができている。でもそういう通常の教育体系を越えるものが、伝統芸能には本当は必要なのだ。現在の一流の名人たちが、それを次代に継いでいく体制が整っているか。それを各分野の方たちが要望していただくことが求められる。

芸術は、経済というシステムとはもともと関係ない、金食い虫なのだ。それを理解した上での対応が求められる。

 

おもろもちに新設された「県立博物館・美術館」を見ていて、やっとできたのだと、うれしく思うとともに、こんなものではないだろう。もっといろいろあるだろう。もっともっといきいきした現在を反映したものにと思った。厳選して美しく見せることも大切だが、こんなものもあるのだ、これでもかと量を見せて欲しい。汚れたもの、崩れたもの、壊されたもの、などなど~。

織物染色、陶芸、木工、建築などそれぞれの分野がどう歩んで来たか、どのようなものがあったか、それがどう破壊されたか、また生まれつつあるのか、そういうことに気付かせ考えさせてくれるものになって欲しい。

また現在も崩壊し散逸しつつあるものを、どう蒐集、修復保存していくか、その現状や問題点を、みんなで考えるものにもなって欲しい。

 IMG_0001

 

4)植物園、民家園が欲しい  ←これは間違い「東南植物園」1968年開園、が沖縄市にある

 IMG_0001_1

こちらの好みを言うようで、ちょっと申し訳ないが、せっかく見事な水族館があるのだから、それに負けない植物園をぜひ造って欲しい。とはいえ植物園は、自然環境・天候の影響をもろに受けるから、その維持が大変だ。だがそれは、沖縄の自然を直接に体験できる場所になるのだから、ぜひ用意していただきたい。それも広ければ広いほど良い。その場所は、日本のどこにもない特別な環境であることを、どんな施設よりもはっきりと示すことができる。

できれば、その一部に民家を移築した民家園を用意していただくと、これもまた楽しい。民家園は、北欧や中欧、バルト3国などが、国の威信をかけて運営維持しているから、それを学べば、その価値というか意義がはっきりする。休日のその場は、民族衣装や舞踏さらには料理などの開催の場になっていて、民族のルーツや文化を体験する場になっている。

沖縄にとってそれは、首里城以上に必要な場ではないかと思えるのだが。

 

*組原先生より指摘。本島の中部に「東南植物楽園」という立派な植物園があるとのこと。知らないとはいえ、失礼しました。おかげで、もう一度訪ねる理由ができたと、うれしく思っています。

 IMG_0001_1

以上、思ったことを、失礼を顧みずに並べてみたが、この土地・沖縄が、いかに日本のどことも違う場所であるか、それが見えるようにして欲しいと願っている。

これまでは、どちらかと言えば、日本と同じようになることが目標で、そのために「お金」が使われていたように思う。特に、米軍施設の返還場所の使われ方を見ると、それはいい方向に向いていないのではないか、そのような気がする。

 

コメント(0)
トラックバックURL:https://taharasm.com/20140326091140.html/trackback/

ページトップへ