旅をしている人
田原 晋

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旅の記録, 201407フランス

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140704~18 France(Metz, Lens, Paris)15日間 

フランス[パリ~ポンピドーメッス~ルーブルランス~パリ]

 

1.7月 4日(金)六甲Id.~関空 8:589:55 

関空~パリ  エールフランス航空 AF291  11:3017:00  関空~パリ(C.D.空港)

 定刻に搭乗、隣は空席。食事後機内は暗くなり、映画を見る人が多い。こちらはクラッシクCDで過ごす。

 無事到着、15年ぶりのパリ。空港の巨大化にビックリ、おそるおそる尋ね尋ね歩いて、今回は電車駅。

パリ北駅到着、 予約の駅前のホテルへ(方向がつかめず、尋ね尋ね到着)狭いが快適な部屋にホッとする。

駅前カフェで夕食(スープとハムオムレツ、カフェで27€)、やっと落ち着く。

お釣りをコインでもらい地下鉄のチケットを買う(カルネ13.5€・回数券)~前回を思い出す。

 パリ・Hotel de l`Europe泊・安いが気持ちいいホテル、日本人女性Gに会う。

*なんと、カメラの充電器を忘れている。写真を撮り方を考えねばならない。これも年令ボケだろう。

 

2. 7月  5日(土) パリ・リヨン駅8:02発~ドールTGV  1:50~アルケ・スナンArc et Senans 0:20  10:30到着

アルケ・スナン王立製塩所 Saline Royale d`Arc et Senans 

アルケ・スナン15:44~ブザンソンBesancon~ディジョン Dijon17:47到着  

 6:00ホテルをチェックアウト、PERでリヨン駅。ゆとりを見たのが正解で、iで時刻の確認。チケット売り場は長蛇の列。帰りまで合わせて購入。なんとTGVは1等、満席。コーヒーをホームで飲んでから列車に。

ローザンヌ行き特急8:02発満席。朝の1便だけ、Doleという田舎駅に停車する10:14。待っている列車に乗り換え20分でArc et Senans駅到着。(フランス国鉄SNCFはこういう観光用ダイヤを組む。コルのロンシャンにも同じようにパリから日帰り可能。他の便で行くと倍の時間がかかる)

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無人駅、10名くらいが降りる。キャリーバッグを引いて歩くが、すぐ到着。チケット売り場で荷物を預ける。日本語パンフがあって感激。ゆっくりと見る。書籍で見た通りだが、こういう抽象形態の追求が18Cにあったことに驚く。製塩の場を、森の傍につくったことに納得するが、すぐに石炭の時代になって、美しいまま、放置された(なにが幸いするかわからない)ゆっくりと見て1時過ぎには見終わるが、12:30の電車は出た後。歩いたりカフェに坐ったり、最後は無人駅で1時間すわって待つ。

やっと列車、2時間をかけてディジョン到着。駅前のホテルに決定。思った以上の観光都市、駅もきれい。若い旅人が多い。雨だが中心部まで少し歩いてみる。夕食は駅でサンド~神戸ではカスクート(Paul、チェーン店、おいしく以後よく利用した)。部屋で持参の日本茶、W杯テレビ。21:00就寝。長い1日でした。

          ディジョン・Hotel de Paris泊・3階(日本なら4階)の通りに面した広い部屋

 

3.7月6日(日)ディジョンDijon 

ディジョン、 ブルゴーニュ公国の首都 宮殿など、古い街並み残った観光都市

 6:00起床、洗面シャワー、洗たく。駅で時間を調べる。日本人の高齢カップルに会う。埼玉の方、仏英の1か月の旅。ほか自由旅の日本の方によく会う、さすがフランスだ。天気悪く、終日雨まじり(以後、パリに入るまで、そんなお天気だった)。

町を歩く。大聖堂の礼拝、宮殿美術館、生活博物館など。宮殿の塔へ(チケットを求めるが時間を間違え、夕刻やっと上る)。昼食はカフェのラザニア、ムースで大満足。木造の建物が残り、路地が魅力的。お土産にいいものが多いが、旅のはじめなのでパス(やはり失敗)。駅でチケットを購入。雨で、ホテルで食事(疲れるとそうなる、やはり失敗)。部屋でお茶。 21:00就寝。

                                ディジョン・Hotel de Paris

4.7月7日(月)ディジョンDision9:50発~ナンシーNancy12:21

   ナンシー、アールヌーボーが生まれた都市・スタニスラス広場、マジョレル邸など

 5:00起床シャワー洗たく、朝食。ホテルチェックアウトして、町をもう一度歩いてから、駅へ。950分、昼間走るのはこの列車のみ、途中混んだり空いたり2時間半で到着。もうお昼、駅中のPaulでサンドとコーヒー。駅前にibis hotelがある、探すのが面倒になりそこへ、ちょっと高いが決める。

町へ、広場ここからアールヌーボーが広がったと言う。傍のiには日本語パンフがある(このあたり日本人旅行者が多い、多かった?)パンフで案内のカフェ(エクセルシオール)でコーヒー、なかなかいい感じ。さらに住宅街に、最後のマジョレル邸がいい。もう見学時間は終わっていたが、外観をひとまわりする。オルタ(ブリュッセル)に負けないのではないかと思う。内部を見たかったが、予定通りの出発にする。

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夜、広場のライトアップを見に行くが、点灯は23時で、あきらめる。夕立に会う。夕食はスーパーでパンなどを買い、部屋で(昔を思い出したのだが、わびしい)。9時、まだ明るい。よく歩いた、疲れて、就寝。

                            ナンシー Hotel Ibis

 

5. 7月   8日(火) ナンシーNancy9:50~メッスMetz10:40着  ~約1時間通勤圏なのか、何本も出ている

メッスMetz    大聖堂   コクトーやシャガールのステンドグラス

 疲れていたのか寝坊7:00目覚め。初めての豪華な朝食。予定よりはるかに遅くなって、出発。メッスは、大きい都市の筈だが、思ったより静かな都市。美術館は休日、市内を見ることで過ごすことにする。

旧市街は、大聖堂ほか寺院多い。市場、内陸なのに魚も多い、サスガ。降ったり晴れたり。新市街は見る場所なし。昼食は旧市街の広場、特製ソーセージ。夕食はスープ、鶏のサラダ。よく食べた(食費60€)歩いた。疲れて早く寝る。W杯(ブラジル対ドイツ)は見ず(見なくてヨカッタ?)。

                               メッス・Hotel Cecyl

 

6. 7月   9日(水)   メッスMetz ~ランスReims     シャンパーニュ地方 

ポンピドゥーセンター・メッス (板茂 設計)  2010open (火曜休館)

 朝、旧市街を一回り(市場、大聖堂、コクトーのステンドグラスのある寺院)してから、美術館へ。この町では特異なデザインだが、すでに町の誇りになっている。直方体を重ね、薄い膜(東京ドームのような)をかけている。その建造の記録ビデオが楽しい。ロビーで日本の方(仙台の建築家)と会い、しばらく立ち話。板さんのブリッカー賞受賞を喜ぶ(東北も神戸も、彼のお世話になっている)(また、すでにルーブルランスに行かれていて、ランスにホテルがあり、それを勧められる。期待も大きくなる)。

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 展示は1階が現代絵画の巨匠といわれる方。2階が現代活動中の方。3階に市内を望む部屋がある。カフェで一休みして、絵はがきの撮影ポイントを教えてもらい、雨の周囲を歩く。それでもまだ14:00

メッス メッスMetz 18:35発~ランスReims 21:27着 

朝の便を外すと、この便しかない。ホテルのお兄さんが心配だろうと、同じ名のホテルをとってくれる。親切に感謝。出発前もロビーで1時間過ごす。駅で夕食をとってから、列車は夕暮れの中を行く、到着直前まで薄暮。2人席を占拠、気付いてみると今回の旅で、コンパートメント式客車は見なかった。変わったのだ、フランスの人もこちら(普通の座席方式)がいいと思ったのだろう。

無事到着。ホテルはすぐわかり、部屋に。こちらははるかに賑やかな観光地だ。お湯をもらい日本茶を飲んだだけで、寝る。

                                 ランス・Hotel Cecyl

7.7月10日(木)

 朝食前に駅で、チケットを購入。ランで途中下車することに。それにしても、Reims, Laon, Lens, の発音、その違い、言うことはもちろん聞いてもまるでわからない。日本語ではランス、ラン、ランスと書いてあるのだが、本当にわからない。

ホテルに荷物を預けて、出発までにランスの町を見ることにする。まず大聖堂、こちらは正面が工事中。内部は、この国のゴシックの代表と言われるだけののびのびとした感じがあって、気持ちがいい。

つづいてもうひとつの教会、2kmなら簡単と歩き出すが、結構遠かった。こちらは初期ゴッシク、はるか昔40代の頃、出張の途中に変な理屈をつけて、ロマネスクの教会を求めてレンタカーで走り回ったことを思いだした。素朴さというか素直さ、その土地ならではのおどろおどろしたところがあって好きだ。それがゴシックという地域を越えた標準に変わって行く思考と言えなくもない。

(言い過ぎだけど、モダニズムという標準が生まれた流れと、似ているとも言える。つまり豊かになった。お金ができてもっともっとと求めていくときに、出てくる変化・頭脳で考える形態、つまり抽象化だ、と言えなくもない?)

ただ、各地の大聖堂が1次大戦で破壊されているのにも、驚く。建設に百年以上かかっているものも珍しくない。それが破壊され、100年以内に立て直しされたのだ。

ランスReims 11:19発~ランLaon 12:00

下車する時間が十分にあると、途中駅のランLaonで降りることにする。駅からすぐだろうと思っていたら、なんと丘の上だ。駅前でタクシーをひらおうとしたら、いない。乗場はあるのだが、こういう場合、きっと白タクがある筈だと、駅前のバーに行く。タクシー乗り場にいない、カテドラル、身体で往復を表現すると(こういうのは言葉はなくても通じる)、わかったと、外で待つことにする。やがて車が1台やってくる。この時点で30分が過ぎていて、1時間後の次の列車はあきらめる。往復10€、トランクにキャリーバッグを入れたまま、1時間後に来てもらうことにする(こういうのは顔を見て判断する。逃げられたらおしまいだが)。

カテドラルを中心に町全体が、小高い丘の上にある。イタリアなどでは、これが普通の風景だ。残念だが雨、村には手作りの品、カフェなどがあり、もっと時間が欲しかったが、それを表現する言葉も、同じ値段でガンバル図々しさもなくて、駅前に帰る。(ここで1泊するのも、いいなと思う)。ずいぶん退屈して、次の列車へ。

ランLaon 15;58発~アミアンAmiens 17:50

無事到着。大きい町なのに、駅前にホテルも食堂も少なくて驚く。これまでの町と違う。めったにないことだがトルコ系の店で食事、久しぶりのケバブ、結構満足。ホテルは客の多い2つ星に。まだ時間があると、大聖堂まで行ってみるがもう閉まっている。駅のチケット売り場も閉まっていた。早く寝る。

   アミアン・  Hotel  Normandie

 

8.7月11日(金)

 5:00起床 6:00出発。駅でチケットを買ってから、大聖堂へ、まだ閉まっていて9:00から、中を見ることはあきらめ、時間通りに出発することに。

アミアンAmiens8:36発~リールLille~ランスLens 11:10到着

  リール到着、この旅でいちばんの大都市、駅前で町を望みコーヒーを飲んで、また列車へ(なんと同じ列車だ)。無事、到着。確かに小さな町。遠くにボタ山が見え、炭鉱の町であったことがわかる。駅前のできたばかりの?ホテルに、やっと人が出て来て、泊めてもらう。夕食はもちろん朝食も外。

 近くのバーでサンドイッチの昼食。そして遊歩道を歩いて、ルーブル美術館別館・ルーブルランスへ。やがて草原のような敷地に入って、遠くに写真で見た低い建物が並んでいるのが見えてくる。やっと着いた。

       ルーブル・ランス (SANAA 設計) 常設展  特別展・戦争の惨禍

 3つの箱、中央はチケット売り場などサービス棟でここはガラス張り。左右の展示棟はステンレスのような金属の外装材、表面の化粧によって周囲の自然をピンボケにして反射させている。そのため建物が消えて、周囲の自然と重なって夢の世界のような感じになる。

チケットを求め、荷物を預け、カメラだけ持って展示室に入る。

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 柱のない大きい白い部屋、そこに作品が並べられている。よく見ると、床面が自然の土地のように、なだらかにうねっている。壁面も微妙にカーブしていて、自然の変化を見極めて仕切るとこうなるのだろうなと、うれしくなる。古い集落に人工的な感じがしないのと同じだ。直線の道路や建物を置いたモダニズムから、(ほとんどの人は気付かないうちに)ずいぶんと遠くに来たものだ。

そこにすっかり有名になっている、場所は関係なく年代だけの物差しで作品が並んでいる。エジプト、クレタ、ギリシャと並んでいくのは、とても気持ちがいい。マーラーの4番の4楽章(天上の生活)ようだ。すっかり満足して、食堂で一休みする。ショップをのぞいたりして、約3時間、帰りを気にしないで見ることができて、うれしかった。日本の方には会わなかった、たぶん訪れる時間が違ったのだろう。

こちらが写真を撮っているのが面白かったのか、ただ東洋人が珍しかったのか、白人のお年寄り夫婦がこちらを撮った写真を見せてくださった。そこには、黄色いじじいがカメラを望遠にして撮っている姿があった。いま考えると、メールアドレスを伝えて、送ってもらえたのにと残念に思う。その時は、それに思いつきもせずただニコニコと笑って感謝しただけだった。アホですねぇ、何時も。

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夕刻の森の道を歩いて、ホテルに帰る。夕食は、ホテルで教えてもらった近くのビストロ、皆さん顔なじみの家族連れらしく、会うとお互いハグしたりしている。こちらは闖入者だが、親切に料理の説明などしていただいて、楽しかった。帰る時は、皆さんに聞こえるように大きな声でお礼の挨拶をしたりした。

アリガトウ、さようなら。なんとも、うれしい一日だった。

                               ランス・ Hotel de France

 

9.7月12日(土)ランスLens 9:50発~リールLille  

Nord地方の中心都市(欧州文化首都)、鐘楼(市庁舎)

 起床、朝食に昨日の昼に行ったバーに行くと、パンは自分で買ってこいとのこと。近くのパン屋で、クロワッサンを買い、バーでコーヒー。他にすることはなく、列車でリールへ。パリからロンドン(海底トンネル)、ベルギー、オランダへの通過駅。活気がある大都市。ホテルを決め、町へ。再開発の新駅周辺は、建築も有名なものがある。広場に草間弥生の彫刻があったので、その前でPaulのサンド。

旧市街は広場を中心に、趣のある気持ちのいい町。商店はセールで大変な賑わい、でも欲しいものは見つけられず。オスビス・コンテス、治療院を美術館に転用したというもので、手の込んだ室内が楽しかった。少し離れた場所にある市庁舎の鐘楼(世界遺産)に登る。この町にいくつもあるという。海は見えず。

 明日は、夜までにパリに着けばいいのだからと、アミアンに寄って(大聖堂を見て)行くことにする。もう最終コース、意外にあっけない旅だったと思う。夕食は市庁舎の帰りの下町、まぁまぁ。

                              リール・ Hotel de la Paix

 

10. 7月 13日(日)

リールLille12:36発~アミアンAmiens14:21着 大聖堂

アミアンAmiens 16:50発~パリ北駅 18:00到着

起床、まず駅でチケットを購入。それから朝食、チェックアウト。今回泊まった中で、いちばん気持ちのいいホテルだった。荷物を預けて、中心部を散歩。広場のカフェでお茶してから、出発。

駅で、なんとバスに乗せられる(途中Dauai駅まで)、もう到着の列車に走って乗り込む。すぐに出発。フランスの鉄道は、都市間を結ぶものとして生まれたためか(駅はターミナル、行き止まりが多い)、遠距離を走る列車に乗るにはこのようなことが起こるようだ。とはいえアミアンに定刻、到着。大きな駅なのに、荷物の預かり所もロッカーもなく、雨交じりのなかキャリーバッグを引いて歩く。

大聖堂、結構沢山の人がいるけれど、この中にドロボーはいない(いたとしても、ここではやらない)ことにして、隅にバッグを置いたまま見学する。

 さてこれで前回のストラスブールを加え(パリに近いシャルトルを除けば)、フランスのゴシック大聖堂の主だったものを見たことになる?らしい。でも、正直その違いはもちろん見事さもよくわからない。ただ、外からは大きな柱に厚い壁、さらに支えの柱まで加わって、大変な大建築なのだが、中に入ると、その大きな柱は竹のような細い柱に分割されていて、細い線がまっすぐに高く高く伸びていく、抽象化されて無重力の空間のようになる。つまり、この世とは思えない自分と神さまだけの空間になってしまう。

そう感じたことは大発見だと思ったら、それはゴシック建築のいろはのイであるらしい。ま、それを自分で感じることができたのが、見た甲斐があったと言えるのかな?と思うことにした。

もうひとつ、第1次大戦で、あちこちの大聖堂が破壊されている。都市を破壊した初めての戦争として、記憶に残っている。今年ヨーロッパの各地で、100年記念を盛大にやる気持ちがわからなくもない。もうひとつ、私たちにとって戦争は過去のものだが、彼らにはもっとはるかに近い(現在にある)のようだ。

アミアンは日曜日、商店街だけでなく駅の食堂まで休んでいて、コーヒーをベンチで飲んで、また列車に。明るい夕刻、無事パリ北駅に帰って来る。駅前まで行って、2週間前のことを思い出す。

 

パリ)地下鉄でリュパブリック広場、前回(1999年、はじめての海外ひとり旅)ここを歩き回ったことを思いだす。ホテルを目指して歩き出すが、中国人と中国料理の食堂が多いことに気付く(前回はなかった)。ホテル、案内された裏部屋の文句を言うと、通りに面した広い部屋に変えてくれた。これで満足度がまるで違うから、おかしなものだ。

もう19:00過ぎ、昼食をほとんど食べていないので、きちんと食べようと、外に出る。

大通りのカフェ、メニューを見てから席につく。雨なのでビニールでおおわれている、端っこのテーブル。魚とサラダとガス入り水、テーブルに白い紙をひいて歓迎してくれる。デザートはクリームキャラメルとカフェで、32€。

「W杯決勝」そのうち客が入れ替わって、テーブルにはこちらと同じ白い紙。前に大きなテレビが据えつけられ、客がどんどん増える。団体も、アルゼンチンのユニフォームの家族もいる。なんとテレビが点いて9時W杯決勝だ(明日だと思っていたが、それは日本時間だった)。なかなか楽しい経験だった。ドイツ人?グループもいて、両者がそれぞれに歓声をあげたり、ため息が出たりする。フランスの人は、どうやら判官びいきなのか、どちらかと言えばアルゼンチンを応援する人が多かった。気付くと満席、断っている。おひとりさまは、こちらだけだが苦にはならない。残念ながらカメラを持っていない、証拠写真を残すことができなかった。

とはいえ、もう11時、延長になったところで引き上げることにした。後はホテルで見た。

ほんとうに長い長い一日でした。

                                   パリ・HotelExcelsior

 

11. 7月 14日(月)パリ エッフェル塔、建築美術館 ~パリ祭(独立記念日)花火

 7:00起床、洗面洗たく8:00朝食ノート 9:00出発。ホテルを移動、カルチェラタン、前回歩き回った町なのに、ホテルがわからず苦労する。周辺をさらに散歩して時間をつぶして11:00チェックイン。

 

 まずコンコルド広場へ行って見る。懐かしいが、方位が?~。ツアー案内らしき日本の方に尋ねる。パレードは今からではたぶん見れないとのこと、セーヌを越えて歩いていると、爆音。3機がトリカラーを出しながら低空を飛ぶ。近くのカッフェで休んでいると、次々にいろんな軍用機が飛んでくる。コンコルド広場の人はそれを待っていたのだと知る。周辺の屋上テラスにもグラス片手にそれを眺める人、そこに住む特権だ。

 行く場所を思いつかないままエッフェル塔へ、セーヌの反対側、ここが全景を見る特等席だ。ステージも用意されていた。その広場を搭の方へ、人が多くなって、とうとう行列。一度は登ってみたいと思いながら、今回もまたあきらめる。河畔沿いに歩くと行こうと思っているケ・ブランリー美術館、残念ながら今日はお休み。思っていたよりはるかに大きい。その前のベンチで一休みして川向に、なんと建築美術館が開いていたので入る。が2時に閉まるとのことで、やたら急がされる。歴史建築はあきらめ、現代のコーナーに。メインはコルビジュエのユニテ(マルセイユ)の実物大模型。沢山の模型展示の中に、ナンシーのマジョレル邸、ポンピドゥーの展示の前にメッスの模型などがあった。とはいえ、全体に大変に権威的で、そこに現在の建築の問題点を感じたりした。

 続いて近くにあった、パレ・ド・トーキョー(市立近代美術館)へ、現代美術、広いのに驚くとともに、なぜそんな名前なのかはよくわからなかった。昼食はそこで済ましたが、失敗。疲れて、いったんホテルに。

 

「エッフェル塔の花火」

夕食は広場でリゾット、安くて満足。8時過ぎ花火を見に行くことにする。と言ってどこで見るのがいいか、まるでわからず、適当に河畔に出るが、人は多いが搭は半分しか見えない。それでも坐って待つが、一人者はいなくて落ち着かない。薄暗くなってますます「おめえここで何しての?」とバカらしくなって、引き上げてしまった?!

 部屋に帰ってテレビをつける。ちょうど始まったところ。伴奏というのか、きちんとしたオーケストラの演奏でモーツアルトのレクイエム、それに合わせて花火が踊る。引き込まれてしまう。音楽は、その後バッハ、フランス国歌、イマジン、そして第94楽章合唱と流れ、それにシンクロして花火が踊る。搭のあらゆる部分から噴き出したり、逆に内側へ向かったり、あるいは塔を浮かび上がらせるように周囲に上がったり、この都市をシンボライズする塔を主役にしたコンサートになっていた。カメラは全景を見せるフィックスのそれが、突然空中のヘリコプターからの視点になったりして、テレビの映像として考えられたショーになっている。そのことに感心すると共に、花火をこのように扱うことに驚いた。45分間のショーは、このような興奮の中で終わった。途中、アナウンサーの声はなし。いえ、終わった後も、花火の上がるヘリコプターの映像をバックに、延々とクレジットが流れて、アナウンサーの声は一言もないままに番組は終わった。

 

 花火をこのようにコンサートとして見せることにビックリした。さすが芸術の国だ。花火は日本の方が上だろうと、やみくもに信じていた自分を恥じた。それにしても、これを日本のテレビは、なぜ紹介しないのだろう。ウィーンの新年コンサートは毎年流すのに、と思った。(ネットを探すと、見れるのでしょうか?)

 来年、もし誰か一緒に見ようという人がいたら、セーヌ河畔の塔の見える部屋を取って、そのベランダから現実を見ながら、テレビを見ると言うのが最高だろうと思いながら、就寝。~こういうことがあると、富子さんを思い出す。

パリ・HotelExcels

12.7月15日(火) パリ  Tシャツ女の子集団、 ケ・ブランリー美術館、カルティエ財団美術館

 ホテル引っ越し(前回と同じように、下町から大学のあるカルチェラタンへ)。荷物を置いて、すぐに出かければいいのに、つい部屋の開く11:00まで待ってシマッタ。

 出発。地下鉄、なんとほとんどの皆さんが分厚い本を開いている。大学のある路線だが、このような風景があることに感動。写真を撮りたかったが、もちろんできず。でもすっかり興奮してしまった。乗り換えの路線は、古い路線(確か高架だった)で修復中、一転してバスになる。適当に降りて歩く。~後で考えると、こちらの心理状況はすでに日常ではなくなっていた。

 ここで「Tシャツ女の子集団」に出くわす。

そして「ケ・ブランリー美術館」「カルチェ財団美術館」へ。どちらも、いろいろあったので別記します。

                          パリ・Hotel de  Carmez

 

13. 7月  16日(水) パリ  オペラ、パッサージュ

 7:00起床、クレジットカードの中止を、フロントからお願いしてもらう。Visaは無事ストップ、途中から日本語の人が対応、感心する。Dinersはかからず、あきらめる。9:30部屋でノート。パリに来て晴天が続く。

 

 最終日、10:00出発。歩いて、ノートルダム(なんと入場の大行列、最後尾に付くのはあきらめる)、そのまま歩いてポンピドー(まだ開場前)、正面にメッスのポスターが掲げてある。それを見て、選ばれた理由がわかったような気がした。広場でコーヒーを飲んでから、

地下鉄でオペラ(ガルニエ)へ、懐かしい(最初に来たとき、無理を言ってチケットを取ってもらった、そして富子との思い出~)。だが、ここはさらに沢山の観光客。そこを歩く気になれず、周囲のパッサージュ(アーケード、デパートができる前に商店街として大人気だった)に行って見る。数軒のぞくが、二川さんの写真で見たそれは見つからず。ただ周辺で働く人の昼休みが楽しかった。

オペラ周辺は、観光客で大変な混雑、チョコレートを買っただけで逃げ出す。せっかくのパリなのにと思うが、お店をのぞく気になれず、ただ歩いただけ、疲れた。

 夕食は、ホテル近くの魚のレストラン。ムール貝(鉄鍋にいっぱい)とポテトチップ、季節違いの感じだが、まぁまぁ。スィートももらって満足30€。21:00部屋の正面に日が沈んでいく。写真を撮り、日本茶を飲む。もう来ることはないだろうな。

                                          パリ・Hotel de  Carmez

14.7月  17日(木) パリ~関空

 6:30起床、周辺を散歩して朝食。開いたばかりの露天市場をのぞく。早すぎると思ったが10:00出発。オペラからバス。空港も大変な人(中国人多い)で、ちょうど良かった。毎度のことだが、パスポートを入れての自動チェックインに感心、人がコンピュータに使われている? 満席、隣はパリ10日フリーの女性2人。

パリ(C.D.空港)~関空  エールフランス航空 AF292  13:35+08:10 

15.7月  18日(金) 関空  08:10

 無事到着、帰宅10:30、やはり疲れた。今回は、自業自得だが、気分がよろしくない。

 

 

 

付記)帰国後、ダイナーズのカードもストップ。Visaも使用はなし。海外ではサインでなく、専用機器への暗証番号の記入が一般的だから、それがわからなければ使うことができない。目下のところ、最も安全なシステムと言えるかもしれない。おかげで破産することなく、これからの生活が続けられる(お恥ずかしいことだが、ちと本気で心配したのであります)。新しいカードも数週間後、無事に送付されてきた。

 もう1枚、わが町の高齢者優待割引にカードも再発行してもらった。やはり失う人は少なくないようで、役所の対応などそのシステムもスムーズだった。ただし意図的な人手不足なのか、こちらは送られて来るまで大変に時間がかかった。

 

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