SriLanka 160205~25 旅の日記・1
2016年4月21日
旅の記録, 201602 スリランカ, スリランカ160295~25
スリランカ 160205~25 旅の日記・1
1・2月 5日(金) バス 六甲Id.発 7:48 KIX着8:50
Air Asia航空D7 533 大阪発11:00 クアラルンプール着17:00(日本と時差1:00)
関空のエアアジアのカウンター、表示がなんともわかりにくい(案内所で尋ねている人は、同じ質問ばかり、ちょっとイジワルしているように思った)。無事通関、だが1年前に比べても大変な人。もう外国、中国語が、いちばんよく聞こえてくる。 エアアジア便は足を伸ばせる特別席(5000円高いだけだが、隣は空席)
無事クアラルンプール到着、エアアジア専用のターミナル。その多さ大きさには驚くばかり。確かに日本は、完全に遅れている。1万円両替、高速鉄道で中央駅。さらに乗り換えて、ネットで予約したチャイナタウンのホテルへ。14年前に来ているのだが、印象がまるで違う。通りは、喧騒の熱帯都市。
もう外に出る気になれず、夕食は持参のゆで卵(冷蔵庫処理分)などで済まし、そのまま寝る。
クアラルンプール宿泊・Swiss Inn Chinatown Kuala Lumpur MYR 153
2・2月 6日(土) Srilanka航空UL315 クアルランプール発15:25 コロンボ着 16:20
朝食は、通りに面した開け放しの食堂、トーストオムレツがあって満足。通りは昨夜の喧騒が嘘のように静か。電車でKLCC(ツインタワー)へ。ここは以前(14年前)と変わらず(でも伊勢丹の下にユニクロあり)、庭を一巡りする。帰りに行こうと思っているコンサートの予定も確認。10:00ホテルをチェックアウト、空港へ。
スリランカ航空のカウンターはまだ閉まっていて、食堂でトムヤンクンをもらう。小さな子のいる家族連れが多い、それだけ豊かになったということだろう。カウンターやっと開いて、手続き。スタバでコーヒー。
Srilanka航空UL315 クアルランプール発15:25 コロンボ着 16:20(日本と時差3:30)
にっこりしてお茶などを配ってもらうとエアアジア(格安航空)とはまるで違う、とても豊かな感じがする。無事到着、まずビザの発給。40$をVISAで払う。もたもたの当方は最後になり荷物を受け取った時は、もう誰もいない。両替(5万円)。外でタクシーを探すが、当然のように白タク(タクシーはいても乗せてくれない)。値段も言い値の2000Rs(1500yen)で、ともかく予約のGHへ、町の中心部を過ぎて結構遠い。無事到着、露地奥の庭のある住宅へ到着。ほっとする、出してくれた紅茶がとてもおいしいのに感動。主人夫妻はドイツ人、冬の間こちらに来るのだとのこと、その間の小遣い稼ぎ?みたい。
もう夕刻、夕食は止めにしてパウンドケーキがあるとのことで、それをもらう。洗たく、もう1組の客が7時ごろ到着、オーストリアの夫婦、明日アヌラーダブラへ車で行くとのことで、同乗させてもらうことにする5000Rs(約4000yen)。こちらは9時に寝る。
長い1日だった、ともかくスリランカだ。蚊がいる、蚊帳それに持参の金鳥蚊取り線香、見事な効果あり。
ニコンボ宿泊(空港近くの町)・Cinnamon Guesthouse US$39 (現金で支払い)
3・2月 7日(日) タクシー・シェア(約3時間)ニコンボ9:00発 ~アヌラーダブラ12:30着
ミヒンタレー往復(3ウィーラー)(約30分)アヌラーダブラ宿泊1・LakeViewGH
6:30起床、庭で鳥の声盛ん。7:30朝食(紅茶おいしい、他はまずいが)。荷物をまとめ、時間があるので海岸まで行ってみることにする。途中、キリスト教の讃美歌、仏教の読経。登校の子供たちなど。結局、海岸には出れず(日本と違い、私有地になっている?)。ま、村を見たことで良しとして、帰る。9:00出発(こちら助手席)。
最初は海岸沿いに北上、海はラグーンになっている(沖に堤防ができ、内海なる。インド・ケララ州と同じ)。
途中から内陸に。観光客向けの店で、お茶にする。日本のツアー客が、次々に3組も。立派なバスが停車。道は快適で、12:30無事に到着。まずドイツ人予約のホテルへ、遺跡地区にある最高級。こちらは何時ものクラスを探すことにするが、ドライバー氏途端に不機嫌になる。こちら半額払っているのだと怒鳴るが、途中でアホらしくなり3輪車で探すことにする。結局、歩き方にあったLakeViewGuestHouseにする。
~それにしてもタクシーで良かった。バスだと倍の時間がかかる。後で、深夜にやっと到着したという話を聞く。
ホットシャワートイレ付で2000Rs。部屋は狭いが、庭が快適そうで良しとする。3輪車の運転手氏、なかなかの商売熱心で、この町の遺跡は明日、今日はこれから郊外の遺跡・ミヒンタレーに行けと言う。
ミヒンタレーは、仏教が最初に伝えられた場所と言われる。駐車場から歩き出すが、疲れているのがわかる。案内の人がついてくれ、説明だけでなく手まで引いてくれてありがたく感心する。おかげで長い階段を登り切り、紀元前にまでさかのぼる遺跡を見る。おまんじゅう型の仏塔、周囲に石柱の立ち並んだものなど、すべてを見ることができた。ちょっと急ぎ過ぎていると旅の進行を、懸念する(予定では明日のつもり)。途中3輪車が止まるなどトラブルもあったが、無事ホテルに帰る。
夕食は、半屋外のテーブルで、スリランカカレー、おいしい。隣の席で中年のドイツ女性、うまく話ができないのが残念。とても幸せそうですね、と言ったのだが、大きなお世話に聞こえたかもしれないと思う。
長い長い一日。夜中に蚊が出る、これは問題ないが、湿気がこもりそれに参る、部屋を変えてもらおうと思う。
4・2月 8日(月) アヌラーダブラ 遺跡見物(3ウィーラー)
朝8時、運転手氏が迎えに来て、出発(一日貸切・2000Rs)。最初に博物館に行き、その事務所で当日の入場券を求める。すでに沢山の人といって、すべて運転手氏がやってくれ、こちらは博物館で見ていただけ。
チケットが買えたと出発、まず見えていた大きなおまんじゅうがたの遺跡、以後つぎつぎに案内してくれる。最初は地図でチェックしていたが、わからなくなり、案内されるまま、どうもこちらの何時ものスタイルと違う。そのまま、一日が過ぎる。代表的なものは~
石柱に囲まれた白い搭(半球型)、周囲に斜めに傾いた搭が数十本も林立する(ルワンウェリ・サーヤ大塔)、こちらは土色で最大だが、そのゆがみ具合と頭頂部のデザインが素敵(アバヤギリ大塔)、堂内に大きな涅槃像(イスルムニヤ)、最後に回教の寺院、脇にあった博物館とその迎賓館と住宅のデザインに感心した。これで終わったが、いまから思えば、もう1日出掛ければ、もっといろいろ発見できただろう。
部屋を変えてもらって、夕食は昨日と同じ。明日、早朝出発なので精算する。とはいえ夜ドイツ人の団体がやって来て、遅くまで大声をあげてくれて、これには参った。ゲストハウスという仕組みは、泊まる人とその人数よって、まるで違う雰囲気になる。それを覚悟して利用しなければならないのだ、ヤレヤレ。
アヌラーダブラ宿泊2・LakeViewGH
5・2月 9日(火)アヌラーダブラ~ハバナラ仏像~ダンブッラ石窟寺院~シーギリヤ~ポロンナルワ
朝6時、昨日の運転手さんが来て出発。いや、昨日すすめられて信じられない予定。当初はそれぞれに1泊しなくてはと思っていた。とはいえそれは先方の言い値だから、通常から見ればトンデモ価格だったろうと、今は思うが、その提案に乗ることにした。
さて新しい赤い3輪車は、すぐに大きな湖のそばに出る。以後いくつもの湖があったが、いずれも灌漑用に人間が造ったものだと言う。それにしては、地形のためだろうが、とんでもない大きさだ。次のもっと大きい湖で、土手の写真を撮らせてもらった。ともかく、これは知らなかっただけに、本当に驚いた、ビックリポン。
最初に行ったのは、「アウカナ村の仏像」、思っていたより大きくまた立派で、訪ねて良かった。ただ入り口から結構遠くまで裸足で歩かされるのには参った。このところ、以前より皮膚が薄くなっているようで、岩の上に小石があったりすると、参る。保存のための屋根がかけられていたのは、残念だが、仕方のないことだろう。
和尚さんが歓待してくれ、朝ごはんをご馳走になる、今度は泊まって行けとの言葉を背に出発。日本人にいいイメージを持っていらっしゃることに、感謝。
次は「ダンブッラ石窟寺院」。入り口にはキッチュな(死語かな?)黄金色の大仏がいる寺から石段を結構上り、最後には裸足にさせられて、やっと到着する。外観はペンキを塗りたてているが、内部は一変する。第2窟が仏像と壁画が一体になって、見事。来た甲斐があったと感動する。それにしても、大変な観光客で驚く。ここでも中国人が目立つ。
そして「シーギリア」。遠くから異様な感じで見える大きな岩、登れるかどうか心配だったが、ともかく到着。登ることにした。頼みもしないのに案内の人が付いてくれ、手を差し伸べてくれる。確かにその手があると、登りやすいものだ。みんな1列に並んで岩を登る。ステンレスの階段が取り付けてあって、そのことに感心する。その真ん中でまっすぐに登るらせん階段があって、そこにあの有名な壁画あったらしい。「らしい」と書いたのは、なんとそれをパスしてしまった。一段一段と登っているうちに、そのらせん階段を上がるのが、なんとも珍奇に見えてシマッタ!~と言うことで、なんとアホなことに、あの有名な「シーギリアレディ」に会わずに通り過ぎてしまった。~何のために、スリランカまで来たのだ、と言われかねない大失態。~今回の旅のまとめが遅くなっている理由でもあります。ショボン~(帰り行こうと思ったのに、道が違って、また失態)。
やっと登った岩の上で、何のためにここまで来たのか、風に吹かれながら、わが身を笑った。それにしても、ここに王宮があったとはと、やはりその狭さを思った。そして、はるかインドのファテプール・シークリー(わずか数十年で放棄された王宮)を思い出したりしていた。
また出発、湖があり街道を離れ、熱帯雨林の中の道を流れに沿って下って行く。相当な高さまで水が流れた跡があり、定期的に水が流されているようだ。このジャングルも、そこにいる象も、人が育てたと言えると思う。
もう夕刻そして暗くなる、やっとポロンナルワに到着。満員の宿で紹介されて、やっと泊まれる宿にたどりついた。なんと、日本語が出て来てビックリ(奥さんが日本人、お嬢ちゃんが2人)。宿は、1軒の住宅(4寝室)を一人使用。夕食はカレーをもらう。洗たく、シャワー。食堂で、ノート。電気式の蚊取り器を使う。
・3ウィーラー・1日貸切・8000Rs~約6000円。(当初の予定にはなし、大幅な予定日数の節約!ビックリ)
ポロンナルワ宿泊1・SamagiGuestHouse
6・2月10日(水) ポロンナルワ遺跡(自転車)
7:00朝食、屋外の食卓。目の前は稲田、遠くに森そこに霧、鳥の声。なんとも幸せ、今晩も泊まることにする。
(昨日の運転手さんが来て案内するというが、断る)遺跡は(ちょっと不安だが)自転車で回ることにする。
まず銀行で両替、博物館で入場券を求めてから、遺跡地区へ。沢山の観光客の中を、のろのろ行くと、やっと何時もの旅の感触になる。アヌラーダブラは5世紀、最初の王朝。こちらは12世紀、2つ目の王朝。巨大な大搭がないが、仏の立像を納めた大円柱の建物(ランカティラカ)や重ね餅のような(パバル・ヴィハーラ)、また崩壊した形がなんとも魅力的だったりする。公園のように整備されていて、自転車でも走りやすい。また高い入場料は、安全を確保してくれている。お茶にしたりお弁当にしたりと、ゆっくり移動。
やっと何時もの旅の気分になった。夕食はまたカレー、もう1日ここでゆっくりすることにする。だが夜遅くフランス人のグループが来て、他の部屋をすべて使う。こうなるとトイレ共用のGHはちょっとつらい。
ポロンナルワ宿泊2・SamagiGuestHouse
7・2月11日(木) ポロンナルワ~メディリーギリヤ遺跡
8:00朝食、ちょっと遅くなったためか霧はなく残念。フランス人は早朝に出発。こちらは郊外の遺跡に行くことにする。大塔を囲んで柱が林立している(はるかミャンマーで訪ねた遺跡と重ねている)。整備が行き届いて、気持ちのいい遺跡だった。運転手は好青年、帰りに食事をしたいと言ったら、感じのいいレストランに案内してくれた。ビュフェ式のカレー、いろんな食材が勢ぞろいしていてとてもおいしかった。観光客というより町の人の利用のためのようだ。(2人で1,900Rs)宿で一息ついてから、また自転車を借りて湖へ行ってみる。
それを望むホテルで紅茶。湖の周辺をサイクリング、水路で泳いでいる人がいて、写真を撮る。夕食は、野菜炒め、どこか日本風でうれしかった。宿は、今夜は一人だけ、絵はがきを書く。
ポロンナルワ宿泊3・SamagiGuestHouse 宿代は3泊と食事で、21,200Rs(約16,000円)