ミャンマー~シンガポール0702旅行費用
2007年10月9日
[1]航空券・シンガポール航空 ¥99,800
関空使用料 2,650. 航空保険超過負担 2,400. 燃油チャージ 26.000. S旅客サービス料 1,600. 以上合計132,450.円
旅行保険 10,570. 総計 143,020円
[2]ホテル代
1. 2月21日(水) シンガポール / Sloane Court Hotel 98.18sg$ 7,884円
2. 2月22日(木) ヤンゴン/Central Hotel 30$
3.2月 23日(金) / Central Hotel 30$
4.2月 24日(土)ニァゥンシュェNyaungshwe / Gold Star Hotel 12$
5.2月 25日(日) / Gold Star Hotel 12$
6.2月 26日(月) / Gold Star Hotel 12$
7.2月 27日(火)マンダレー Mandalay / Mandalay Swan Hotel 55$
8.2月 28日(水) / Mandalay Swan Hotel 55$
9.3月 1日(木) / Mandalay Swan Hotel 55$
10.3月 2日(金) バガンBagan / Tante Hotel 30$
11.3月 3日(土) / Greenwitch Hotel 15$
12.3月 4日(日) / Greenwitch Hotel 15$
13.3月 5日(月) / Greenwitch Hotel 15$
14.3月 6日(火) ヤンゴン/Central Hotel 27$
15.3月 7日(水) /Central Hotel 27$
16.3月 8日(木) /Central Hotel 27$
17.3月 9日(金) /Central Hotel 27$ [ミャンマー宿泊・444$、16泊・1泊当たり 27.75$ 3,330円]
18.3月 10日(土) シンガポール/ Sloane Court Hotel 150.6sg$ 11.805円
19.3月 11日(日) / Sloane Court Hotel 150.6sg$ 11.805円
[シンガポール宿泊・31,494円、3泊・1泊当たり 10,498円]
[合計 @120円換算、84,774円 19泊・1泊当たり 約4,500円]
[航空機] 航空会社:SQ=シンガポール航空 90日間有効(復路変更可)航空券代金 ¥99,800-(2/1~3/20日~水曜日発)
1. 2月21日(水) SQ 617 関空発11:00 シンガポール着17:00(毎日運航) シンガポール泊
2. 2月22日(木) SQ5016 シンガポール発10:25 ヤンゴン着 11:45(毎日運航)
3月10日(土) SQ 5015 ヤンゴン発 12:50 シンガポール着17:25(毎日運航)
3月12日(月) SQ 622 シンガポール発08:25 関空着 15:30(月・水・土曜日運航)
Myanmar(Burma)~Singapore/200702~03 旅日記
2007年10月9日
0. 旅の前に
ビザを取りに大阪の事務所に行く。係りの人がこちらと同年輩の方だったので少し話をする。ミャンマーは東南アジアでもっとも安全な国ではないかとのこと、そうだろうと納得する。強権下で国は安定するし、その範囲の中では快適なのだ。かっての日本もイラクもそうだった。自由とは何か、あらためて考える機会になりそうだと、ありがたかった。
その前、梅田で証明写真を撮る。インスタントで700円、最初から3カット撮り、それを全部表示して、もちろんひとつずつアップできるのだが、その中から選ぶという方法、使う人志向でずいぶん進化している。以前は確か1カットずつ撮り不満ならもう1枚というやり方だった。これだと消した前の方が良かったということもあった。もちろん仕上がりも普通の写真と何ら変わらない、見事なものだ。
1. 2月21日(水) リムジン/六甲Id〜関空 8:38〜9:35
SQ 617 関空発11:00 シンガポール着17:00
空港で2万円両替し(1S$=80 円)乗り合いリムジン7$で、ホテルへ。インドの帰り以来だからもう5年ぶりだ。前庭の広い木造2階建てが気に入っている。食堂へ、バーには植民地を感じさせる白人がたむろしてたのだが、今は一人だけ。時代は移っている。席は混んでいて宿泊客ではない中国系の家族。こちらはスープにサーモンとデザート。部屋では冷房を止め熱帯の空気がうれしい、入浴して寝る。
泊 / Sloane Court Hotel 施侘谷旅店と書く中国系の経営。Traditional English Country Inn Atmosphereとある。
2. 2月22日(木) SQ5016 シンガポール発10:25 ヤンゴン着 11:45
朝少し時間があるので、バスで10分の植物園へ。大勢の人がランニングをし、太極拳や体操の人たちも多い。帰りはタクシーで、ホテ
ルに寄り荷物を取り、帰り時の予約をして空港へ 19$。
ヤンゴン空港はガラス張りの新しい到着ロビー、出迎えの人波を分けてタクシーの予約場で交渉するがシェアする他の客もなく、5米$で
ホテルへ、この国は外人には米ドルが普通に流通する。ロビーに来ていたネット予約の旅行社の日本語のうまい女性社員に会い、ホテル代を支払い、100$を両替(125,000チャット)、インレー湖への航空機のチケットのお願い。夜行バスは避けることにする。部屋は標準的なツイン、広い表通りをはさんでレンガ造の植民地建築。交差点にはCanonの看板。旅の準備のために町へ、マーケットで Tシャツ2枚各2$と巻きスカート(ロンジー3$)。隣の5つ星ホテルのロビーでケーキとお茶、その売店で絵葉書と切手を求める。売店が小さくちょっと残念。とはいえすぐ近くにこういう場所があるのはうれしい。
泊/Central Hotel 30$。部屋は標準的なツイン、NHKテレビが映る。悪くはないが冷房が効きすぎだ。
3.2月 23日(金)Yangonヤンゴン
まずヤンゴンの中心、シュエダゴォンパゴダへ。ゴムゾーリにロンジー、Tシャツ姿、参道で裸足になり長い階段を上がる。境内に入るところで外国人は5 $取られる。快晴に黄金色のパゴダはまぶしい。大勢の人がお参りをしている。日陰からそれを眺める。ピンク色の僧服を着た女性僧の一団(以後いたる所で会った)、男性の赤茶色は他国でも見るがピンクは初めて。お参りはやたら水をかけている。展示館で昔の写真、60年代に大きく変わっている。2時間ばかり過ごし、帽子を落としたことに気付く(最初のチョンボ)
タクシーで国立博物館へ。広大で歩くのに疲れる。最後に民族衣装の展示、ショップでその本を見つけるが買わず。そとに出て、適当に歩いて食堂を見つけカレー、この味なら以後だいじょうぶだ。昨日の旅行会社に行ってみる、別に用はなくお茶をもらう。さらに郵便局まで歩き最初のハガキを投函(30)。途中で帽子を買い(1,500)コーヒーを飲む(200)、みな申し訳ないほど安い。ホテルで一休み。夕食は外でインド風のカレー、プリン、コーヒー、インド人の街らしく懐かしい。南インドのドウサ(パンケーキ)もある。
泊/ Central Hotel
4.2月 24日(土)ヤンゴン~Hahoヘーホー空港~Nyaungshweニァゥンシュェ村
朝食後出発、窓から見えていた中央駅へ行ってみる。その近くのホテルも下見するが、あまり魅力的ではない。また門番のいる高層高級アパート(広い吹き抜けのロビー、芝生の庭にはプールもあった)で写真展をやっているので行ってみる。オープンすぐでセレモニー、テレビカメラも入って混雑していた。バガンにいい場所があること、奥地の中国やインドの国境地帯にはまだ昔の生活があり民家のあることがわかる。記念冊子をもらう。隣に外人向けカフェと店、さらに高級デパートもある。そこでベルトつきサンダルを見つけて求める。
昼食は昨日のインド人の店でドウサ、部屋でシャワーを浴び、帰り時の予約をしてから出発、空港へ。
航空機、HK21 15:20~16:30(16:30~17:30) 85$ タクシー 1時間 20$ インレー湖Inle Lake・ニァゥンシュェ村Nyaungshwe
飛行機は1時間遅れて出発、プロペラ機。座席は前後からきっちりつめていったらしく、中央部は空席だが、誰もその座席で動かない。
到着、皆さんそれぞれの出迎えがありタクシーの交渉をするのはこちら一人。結局負けて言い値の20$で乗る。とはいえ1時間以上途中ですっかり暗くなって村の入り口で入区域料5$を払って、19:00やっと到着。予約のないホテルに部屋があってホッとする12$。夕食は特産という野菜炒めにとりのピラフ(うまい)。シャワーを浴び用意の蚊取り線香をつける。一気に田舎、やはり疲れている。夜中、毛布をかけ改源をのむ寒い。
泊 / Gold Star Hotel
5.2月 25日(日)インレー
インレー湖 ツアー 12$
6:00目覚め6:30洗面洗たく7:00朝食2階のテラスが気持ちいい。8:00船頭が迎えに来て出発、15$、一人でぜいたくだが仕方ない。2~4人を乗せた、たくさんの船と前後しながら進む。上陸してお寺やバザール、昼食レストラン・魚のグリル、湖上の畑や集落、またお寺2ヵ所、16:00までとても楽しかった。コースは決まっているようだが、畑や住宅を希望通りにゆっくり見せてくれたから大満足。小舟のかいを足で漕ぐのもおもしろいし、水上の浮き畑は本当に見事、日本の水耕トマトに似ている。チャーターした甲斐はじゅうぶんにあった。
部屋でシャワー洗たく、18:00ホテルで夕食。朝食と同じ場所、ローソクの光。皆さんとても愛想がいい。どこもそうだが頼んでから出てくるまで結構時間がかかる、火力が弱いのかな。時々停電もある。ロビーで女性従業員韓流ドラマを見ている。
(ミャンマーのテレビは6チャンネル。政府広報、民謡など歌、子ども向け、そして韓流ドラマch・国政に悪影響がないのだろう?)
泊 / Gold Star Hotel
6.2月 26日(月)インレー カックー ツアー 39+ガイド5+入域料3 47$
5:30起床片付け6:30朝食、部屋でノート整理 8:15出発 気弱そうな運転手9:00中心都市タァウンジーの旅行案内所、ここで入域料を払いパオ族の案内通訳が乗ってくる。11:00到着。小さな台地の上にストゥーパが林立している、2,500ばかり。ほとんどが修復されている。建築に300年かかっているのだから文様や形も時代で変化している筈で、それを同じスタイルにするのは問題があるし、中央にはシンガポールの中国系の人によるドハデな礼拝所が建築されている。そのマイナス点を引いても、やはり見事な遺跡だ。裸足で内部を、靴をはいて外部を歩き回る。残念ながら全体を俯瞰する場所はない。受付にてクレーンで撮ったという絵葉書を求める。門前にタマリンドの巨木が数本あり、その木陰はこれまで経験したことのない快適さだった。またすぐ傍に外人向けレストランがあり、団体客もやって来る。2000年に外国人に開放されたという遺跡は確かに見事だった。
帰りにパオ族の集落に寄る。植民地時代のものという規則正しい住宅配置はどうも不自然だ。お年寄りが招き入れてくれる。竹の床、網代に編んだ壁は太陽光が斑点になってもれ、なんともいえぬ快適さだ。帰り運転手とお茶にする、高原のタァウンジーは美しい町だ。
ホテル帰着は16:00前、夕刻までニァウンシュェの村を散歩する。たくさんのゲストハウスのある観光客のための集落。夕食はガイド本のイタリア料理店でパスタ、うまくなく残念。人形劇があるが行かず。
泊 / Gold Star Hotel
7.2月 27日(火)インレー~マンダレー
乗り合いタクシー 25$ 9:00~17:00
バスは夜行しかないので、昼間に行く乗り合いタクシーにする。9:15ホテル前から出発,、こちらは助手席、他はミャンマーの人ばかり3台の行進。豊かな高原の畑と牧草が続く。12:30までトイレ休憩もない強行軍、最後は猛スピードで、やっと村はずれの食堂に着いて停車、食事は満足。客に若い女性が2人いたことに気づく。以後は険しい山道になり小さな峠を越えると一気に下り、延々と下って大きな河に出合いさらにそれに沿って下る。ずいぶん高い標高にいたことを知る、同時に熱帯の国らしい気候なる、やっと幹線道路に入ってマンダレー市内、この国第2の大都市だ。皆さんが次々に降りて、最後にこちら、下町の駅前はやめて王宮前で降りる16:30。
候補の中から高級ホテルを選ぶ。芝生が美しい白亜の2階建、今回の旅で最高級。部屋で早速にシャワー洗たく、NHKのテレビチャンネル。夕食は、庭での民族音楽演奏つきのビュッフェ式があるが、道路に面したミャンマーの人向けの食堂でスープ焼き飯、何人かが買いに来たケーキをこちらも所望する4,000。やはり疲れていて、22:00就寝。
泊 / Mandalay Swan Hotel 55$
8.2月 28日(水)Mandalayマンダレー
6:30起床7:30朝食、デスクのある部屋に変えてもらう交渉をして8:30出発。旧王宮へ堀に沿って歩く。すべての施設に通用という5日間通用の外国人用のチケットを買わされる10$。1945年に焼失したのを再興したもの。木造トタン屋根、すべて赤茶色に塗装、一部黄金色だが装飾はなく質素なものだが、これまで見たパゴダに比べると気持ちがいい。円筒に添って外部階段が付いたバベルの塔?があっておもしろい。中央の謁見殿を出ようとして、手にカメラしか持っていないことに気づいて慌てる。広間の中央にわがリュックが鎮座していてほっとする、カメラを取り出してリュックを忘れる?とんだ老人性大チョンボ。認知症の可能性あると以後、自分を信用しないことにする。
近くの木造僧院までサイカー(サイドカーみたいな自転車?)で行く。熱帯の昼間は1km歩くのもつらい。シュエナンドー僧院、外部は黒く塗ったチーク材で全面に彫刻が施されていて、内部は黄金色の仏像と壁面、見事。床下は修復した柱が力強く並んでいて、最近建て替えたようだ。これ以上のものは多分ないと勝手に決めて、今日の見学はここまでにする。
遅い昼食をとってホテルに。変えてもらった部屋は2階、プールのある中庭を望む広い部屋で大満足。ところがNHKは映らず、どういうことだ? シャワーのついでにジーンズを洗う。周辺を散歩、近くの旅行社でバガン行きのフェリーのチケットを求める。明後日朝6時に迎えに来てもらうことにする。夕食は昨日と同じところで満足。庭では今夜は人形劇、2階廊下から眺めるが昨夜の音楽の方が良かった。
泊 / Mandalay Swan Hotel
9.3月 1日(木) Mandalayマンダレー
8:30出発、ホテル前で軽トラックのお兄さんたちと交渉5,000。昔の日本製軽トラックの改造車なんとオンボロ。町の西側にある僧院とパコダ3つへ行く。シュエチミンパゴダ、お参りの人でいっぱい、運ちゃんもこちらを案内すると共に熱心に拝んでいた。彫像や石を彩色した庭がありちょっと面白い。シュエイピン僧院は木造、これは見事だ。中に絵を描いているじい様がいて46年生まれとのこと、さかんに自慢してくれたが確かにそれに値すると思った。昨日のも加えこの国の木造はいい。エインドーヤーパコダで軽トラと別れる。大きいパゴダ、広い境内でしばらく休む。近くのゼェジョーマーケットへ歩く、やたら大きいが、どうも欲しいものはないしなさそうだ。周辺にも落ち着ける場所がない。昼食は屋台のような店3500。
まだ時間があるのでマンダレーヒルへ、軽トラを走らせる2000。入り口で裸足になって200mを小1時間かけて登る。途中15才の少年グループと一緒になって上がる。途中でしんどくなって別れると、少年僧が出てきて案内されて結局最後まで上がる。眼下に王宮、遠くにエーヤワディー川が流れる景色はやはり満足。帰り、間違って別の出口に出て道路を裸足で100mばかり歩かされる。サイカーでホテルに。
隣の5つ星セドナホテルへ行ってみる。売店も充実していて、竹編みうるし仕上げのコップを買う。他の店より模様がとても繊細@5$。カフェでムースにお茶6.5$で満足。夕食は3夜連続同じ店になってしまった。ホテル支払いを済ます。
泊 / Mandalay Swan Hotel
10.3月 2日(金) マンダレー~バガン フェリー 30$ 7:00~18:00
5:00目覚し、ロビーに行くと朝食の弁当が用意されコーヒー紅茶もサービスしていて、感心する。同じように出発する客が多い。迎えの車で港へ。フェリーは予想よりはるかに大型。乗る前にビスケットとバナナを飼う。座席指定、100名はいる。1人客は隣を空けてくれる配慮、欧米の客が多いためだろうがうれしい。定刻出発。船首に竹竿の男2人、大声を上げている、どうやら深さを測りながら慎重に進んでいる、乾季で水量が少ないためらしい、傍にしゅんせつ船までいる。9時になってようやく快調に走り出す。朝食お弁当をつかい、食堂でコーヒー2$。甲板は2層。カメラを持って上層へ上がる。岸にはあちこちにパゴダが見え、木造高床住宅もある。漁船もいる。子どもだけでなく大人も手をふってくれる。観光船もここでは歓迎されている。カンボジアで漁民たちが怒っていたのと大きな違い、ラオスよりさらににこやかだ。こちらも手をふる。甲板は座っている人でいっぱいだが、こちらは太陽光に耐えられずすぐ下に降りる。昼食は持参で済まし、食堂でお茶。若い日本人がいて、風邪で参っているので薬を進呈する。18:00定刻より遅れて到着。彼に悪いが、ホテル探しを急ぐ。
サイカに乗り、まず入域料10$、「歩き方」リストのホテルはバンガロー型、高いが、あまり良くない。運よく?、1泊だけしかない。向かいの食堂で夕食、思っていたよりはるかに田舎。シャワーを浴びて寝る。やはり疲れている。風邪の彼に申し訳なかったと思う。 泊 / Thante Hotel
11.3月 3日(土) Baganバガン 馬車 4$
7:00起床、朝食ミャンマーの人も多い。まずサイカで昨日の高田クンを探す、言っていたホテルにはいなかったが、自転車に乗った彼にばったり。すっかり元気になっている、やはり若さだ。夕食の約束をする。サイカ氏のすすめるホテルへ、安く(昨夜の半額)快適そうで3泊を決め、荷物を運び込む。船にいたフランス人の母子がいて挨拶する。バガン見物は出遅れたので明日からにして、お茶にする。道端の低い椅子はなかなかいい、ハノイでも同じだった。小さな文字で書いている青年がいたのでミャンマー語かと覗き込んだら英語だった、有色の彼に笑って謝る。ヤンゴンヘの航空機チケット購入78$、これで行程が決まってしまう。バス15hは無理だ。昼食はインド料理。
ホースカッ(馬車)、サイカ、タクシーの呼び込みが多い、1日10$と聞いていたので、4$と冷やかしたらOKになって馬車に乗る13:30。行くだけで2$tと言う。間もなく沢山のパゴダが見えてくる。間道に入って止まったパゴダはテラスに上がれる、案内書にはなかった眺めをタンノウする。そして中心のアーナンダ寺院、外観も内部も見事、お参りの人も多い。出口脇の塔頭に見事な壁画が残っていた。そしてオールドバガンへの門。川岸のパゴダ、博物館とおおよその配置や規模がわかる。途中、皆さん自転車で走っている。こちらより高齢の方まで必死でペダルをこいでいる姿に、羨望までおぼえる。「歩き方」では馬車またはタクシーが常識だったのたが。16:30帰着。
18:00道で会ったもう一人も加わって3人で夕食。ともかく彼らのような若者がいることをうれしい。高田クンはこちらと似たコースだが、後藤クンはオーストラリアの友人と中国国境近くの川上からカヌーで下ってきたと言う。明日はバルーンに乗るとのこと。どちらも転職、高田クンは家業のお寺を継ぎ、後藤クンは消防士になると言う。勤めたままで2~3年に一度こういう旅ができる世の中になりたいねと言う。そんなの無理だという顔をしてたが、恵まれたとは言えともかくコチトラはやってきたのだ。食後に出た口直しがおいしいので、尋ねるとタマリンドの実から作ったという。お土産にしたいと言ったら、分けてくれた。 泊 / Greenwich Hotel
12.3月 4日(日) Baganバガン ポッパ山 12×2 $
高田クンの誘いに乗りシェアしてポッパ山へ、1人12$。8:00ワゴン車で出発、案内のナイナイさんと運転手の4名。途中椰子の木の樹液を取り、煮詰めて砂糖を取ったり酒をつくっている場所に立ち寄って一休み。感心しながら見学し味わう。荷物になるがここ以外ではないだろうとお土産に求める決心をする。やがて遠くにポッパ山、岩山の頂上に寺をつくった「タウンカラッ」が見えてくる。この国の人は山があるとパゴダや寺を造りたくなるようだが、それでも信じられない風景。高さ200~300mはある岩塔にお寺が乗っている。ふもとは門前町になっていて、仏教以前からの土着信仰のお寺らしい。ここも裸足になって階段を上る、沢山の人。頂上にもいくつもの寺や仏像があり、皆さん熱心に拝んでいる、桃源郷という言葉を思い出す。階段の両側は土産物などの店が並ぶ。出口近くで天秤棒のおばさんの麺(ビーフンやラーメン)をもらう、カメラを向けると大勢の女性客が大はしゃぎ。注文したビーフンは冷麺でお腹を心配したが無事。外に出てもう一度食堂で休み、全景をバックに記念撮影をする。なんの予備知識もないまま来たのだが、ほんとうに良かった。これが気まま一人旅のいちばんうれしいところだ。帰りに椰子のお土産を買う、容器もいい感じだ。15:30帰着。
部屋で少し休んでから、自転車を借りて走ってみることにする、借り賃1000。村はずれのパゴダ、西日に金色がまぶしい。夕日がきれいと言われたので、川岸に行ってみることにする。街道から川辺の村へ、皆さん声をかけ家に招いてくれるが川へ急ぐ。高台が日干しレンガの工場になっていて、そこから夕日とゆっくりと進む船や川岸の人を眺める。夢のようだ。入日を待つと真っ暗になりそうなので引き上げることにする、途中で暗くなり正解だった。夕食はホテル前で炒め物かけご飯。シャワー、9:00就寝。 泊 / Greenwich Hotel
13.3月 5日(月) Baganバガン 自転車
昨日の足慣らしでなんとかなるだろうと自転車を借りる、1500。一人で移動するのがやはり気ままだ。お寺(ティーローミィンロー)に入ったり、遠景を撮ったりしながら行く。アーナンダ寺院の前でコーヒー、まだ観光客は少なく馬車が人待ち顔だ。寺院巡り(タビィニュ、シュエグーチー、ゴドーパリィンなど)女の子がテラスに案内してくれたのでお土産を買ってやったり、男の子が日本の慰霊碑を教えてくれたり(ここは戦地だったのだ、出てきた坊さんに少し包む)。少し離れたシュエサンドーパコダ、内部はなく急な外部階段を5層ばかり上る。北側すら影は少なく裸足の足が熱い。だが眺めは最高、風に吹かれていたら、青年が上がってきてちょっと緊張したが悪意はなかった。それにしても平野の中にパゴダだけが残る風景、どんな王朝でありどんな人がどう住んでいたのだろう、想像を超えている。
14:00昼食、外人ばかりだが値段は安い店。国立博物館へ、外人は5$。やたら広く歩かせてくれる。15:00帰ることにする、走るより休む時間が長いくらいで17:00到着。馬車の人が羨ましくもあったが大満足。まだまだ元気だぞ。夕食後、民謡と軍歌ばかりのテレビで、整理。
泊 / Greenwich Hotel
14.3月 6日(火) Baganバガン
荷造り、支払いを済ましてから、出発までの時間ニァゥンウーの村を歩いてみることにする。最初に到着した船着場の方向へホテル周辺とは違って活気がある下町だ。川が見えたのでそちらへ、小舟に荷物やオートバイを乗せて出て行く。女の子が話しかけて来て家に来いという、竹編みの壁の高床住宅、赤ちゃんがゆりかごで寝ていた。日焼け止めの化粧品を言い値の1$で買って上げる。木の皮で作ったもので皆さんホッペに白く塗っている。男性はこうするのだと塗ってくれた。外に出て道ばたの木陰でコーヒー。マーケットはおもしろいものもなく、最初のホテルのカフェでお茶をもらって絵はがきを書き、郵便局で投函。昼食はラーメン? 部屋で休んで、15:00馬車で空港へ向かう3000。空港の外でまたお茶、昨日から本当に休んでばかりいる。退屈はしないから、その能力があるのだ。
バガン~Yangonヤンゴン 航空機 78$ 16:55 ~ 18:00
空港内に若い日本のひとり旅がいて、話しながら行く、名古屋造形大の先生。こちらと似たコース、カックー遺跡にも行ったとのこと。バガンを空から見ながら飛び立つ。ヤンゴン到着、もう懐かしく感じる。空港からのタクシーをシェアして乗る、1人2500。
ホテル、前払いと言うので、10%ディスカウントしてもらう。お風呂にゆっくりと入り、NHKテレビを見る。
泊/ Central Hotel
15.3月 7日(水) ヤンゴン
さてヤンゴンに帰って一気に旅の気分が抜けてしまった。ホテル周辺の行っていない方向へ歩く。なんと昨日の森さんにバッタリ、写真を撮る。大きな樹の下のカフェで休む、こういうのが何より楽しい。タクシーで国立博物館のショップへ、本と器など100$の買い物。店の女主人がいい店があると言うので行って見るがダメ。ホテル近所のSCショッピングセンターで軽食、マーケットより高いが清潔、若者でいっぱい、やはり今風が好まれる1800、夕食はその近くの外人用民芸店の食堂チキンライスセットにケーキとコーヒー4800。ホテルの部屋を正面側に変えてもらって満足。部屋で過ごす時間がこれまでよりはるかに長い。早く寝る。
泊/ Central Hotel
16.3月 8日(木) ヤンゴン
朝食、同じテーブルに初老の日本人男性とミャンマー人母娘?お祈りをしてから食べていた。9:30両替20$をして市内へ(2回目、よく持ったものだ)。最高級ストランドホテルとマーケットで民族衣服を見る。郵便局で投函。町のカフェ(最初に行った店)。昼食はインド料理の店で揚げパン(プゥリー)。
夕食は中国人の街のカフェ王子SuperKingでビーフン(教えられた食べ方は脂っこくてできず、スープで洗って食べた。こうするとうまいが、中国旅行は困難だとあらためて覚悟した)。夜は冷房完備の高級?AromaCafeでコーヒーとケーキ。若いカップルや、日本人の単身赴任らしい人など。ミャンマーは国際的、すぐ隣に違う文化が当然のごとくにある。インドや中国と接している国だとあらためて認識した。 泊/ Central Hotel
17.3月 9日(金) ヤンゴン
朝食、同じテーブルに同年輩のポルトガル人、奥地からの帰り。部屋から博物館で買った本を持って来て見せると、そこにも行っている、感心する。朝食のテーブルが混むのも悪くない、と思う。9:30出発。昨日も行ったカフェの後、フェリーに乗って対岸Dallaへ行ってみる。外人料金往復2$。誘われるままリキシャで遊覧、極彩色のパゴダ、竹工場、市場とまわる。ヤンゴンよりさらに貧しい。昼食をすまして帰る。ストランドホテルのロビーでお茶を飲んでいると、日本人ツアーご一行、今回初めてだ。最後のハガキを郵便局で投函して引き上げる。ホテル近所のマーケットで、お土産やCDを買う。最後の夕食はホテルのミャンマー人用の食堂。そしてAromaCafe。 泊/ Central Hotel
18.3月 10日(土)
SQ 5015 ヤンゴン発 12:50 シンガポール着17:25
7:30朝食、部屋で荷物づくり、ノート整理。9:30散歩、インド料理店でコーヒー満員。最後のミャンマーだが、別に行く場所も思いつかず、ホテルに帰り10:15タクシーで空港へ(ミャンマー紙幣を清算)残りは交差点で顔見知りの少年に渡す、驚いていた。
なんと2時間の遅れ、航空会社のサービスで近くのホテルで昼食。14:00搭乗、18:15到着(時差は1:30)。乗り合いバスがわからずタクシーでホテルへ。もう暗い。今回はスーペリアルーム、夕食は満員の食堂でビーフン、コーヒーを部屋に運ぶ。
泊 / Sloane Court Hotel
19.3月 11日(日) シンガポール Vivo City
7:30起床、よく寝た。地下鉄で行くことにする。自動販売機、表示金額より1$高い(後でわかったのだが、カードキップで使ったそれを再度入れると1$帰ってくるという仕組み。うまくできているが理解するまで相当時間がかかった)。伊東豊雄設計のVivo City、日曜日沢山の善男善女と一緒。駅から地下道で直結。曲面設計は未完成というか徹底的ではないが、商店街にふさわしい。これまでの外気との遮断しか考えていなかった当地の建築(エアコン国家とまで言う)とまるで違うが、歓迎されているようだ。テラスや屋上庭園が室内空間に結びつけられ開放的な気分になる。こちらは外気の中の、といって日陰の場所でゆっくりとした。どんどん人が多くなる、子どもは屋上の水辺を楽しみ、大人たちは観光客のいないこの場の主役で、すっかりこの地の人気スポットになっている。対岸の観光島とそれへのロープウェイなど富子と遊んだ昔を思い出す。昼食はヌードルスープ、チャイナタウンのお茶店もあって買い物もここですまして満足する。本屋に中国語の本が多くて驚く、民家歩きの本もあった。ホテルで一息ついてから、植物園へ。エコガーデン(緑がすっかり濃くなっていた)、熱帯雨林の道など一巡りして、満足する。ここも観光客よりシンガポールの人が多い、ジョギングが盛んだ。夕食はホテル、相変わらず外からの客で満員。結局オーチャード通りには行かなかった。
泊 / Sloane Court Hotel
20. 3月 12日(月) SQ 622 シンガポール発08:25 関空着 15:30
5:30モーニングコール、06:15タクシーで出発、06:45空港到着 通関後カプチーノを飲んでから、搭乗ブースへ。機内、3人がけを独り占めと喜んでいたら、前席の奥さんが移ってきて話ながら行く。中国系のシンガポールの家族、中国人とどこか違う、周囲をおもんばかる姿勢か?国際化した成熟を感じた。2週間の日本見物、桜を期待していた。日本は以後1週間寒かった。
リムジン/関空〜六甲Id. 16:25~17:30 帰宅18:00
Myanmar(Burma)~Singapore
2007年10月8日
1. 2月21日(水) リムジン/六甲Id〜関空 8:38〜9:35
SQ 617 関空発11:00 シンガポール着17:00
泊 / Sloane Court Hotel
2. 2月22日(木) SQ5016 シンガポール発10:25 ヤンゴン着 11:45
(旅行会社にてスケジュールの調整))泊/Central Hotel
3.2月 23日(金)Yangonヤンゴン 泊/ Central Hotel
4.2月 24日(土)ヤンゴン~Hahoヘーホー 航空機、HK21 15:20~16:30 85$
タクシー 1時間 20$ インレー湖Inle Lake・ニァゥンシュェNyaungshwe
5.2月 25日(日)インレー インレー湖 ツアー 12$
6.2月 26日(月)インレー カックー遺跡 ツアー 39+ガイド5+入域料3 47$
7.2月 27日(火)インレー~マンダレー 乗り合いタクシー 25$ 9:00~17:00
8.2月 28日(水)Mandalayマンダレー
9.3月 1日(木) Mandalayマンダレー
10.3月 2日(金) マンダレー~バガン フェリー 30$ 7:00~18:00
11.3月 3日(土) Baganバガン 馬車 4 $
12.3月 4日(日) Baganバガン モッパ山 12×2 $
13.3月 5日(月) Baganバガン 自転車
14.3月 6日(火) Baganバガン 河岸へ、
バガン~Yangonヤンゴン 航空機 78$ 16:55 ~ 18:00
15.3月 7日(水) ヤンゴン
16.3月 8日(木) ヤンゴン
17.3月 9日(金) ヤンゴン
18.3月 10日(土) SQ 5015 ヤンゴン発 12:50 シンガポール着17:25
Singapore シンガポール着17:25 泊 / Sloane Court Hotel
19.3月 11日(日) シンガポール Vivo City 、植物園
泊 / Sloane Court Hotel
20. 3月 12日(月) SQ 622 シンガポール発08:25 関空着 15:30
リムジン/関空〜六甲Id. 16:25~17:30 帰宅18:00
ミャンマーの事件
2007年9月28日
ミャンマーで事件が起こって、今年の2月に3週間歩き回った者としては悲しい。顔なじみになったホテルのお兄さんやマーケットのお姉さんはどうしているだろう。皆さんとても明るく、軍事政権の厳しさなど、まるで感じ取ることができなかった。首都が移転したためだろうが、ヤンゴンでは警察や軍隊の姿もほとんど見なかった。でも、きっかけが何かあると、根本的な問題が吹き出してくるようだ。やはり政治は国民の意見を聞くものでないと存在してはいけないものなのだろう。
でも熱帯の国、皆さんはやさしく親切でにこやかだった、今の日本よりはるかに幸せそうだった。このことは変わらないし、現在の紛争が終わったらまた以前と同じような国になって欲しいと思う。
「青蔵鉄道とラサ、北京の旅」の後で
2007年9月24日
1・ツアーの仲間
西遊旅行のツアー、東京・大阪からほぼ同数の21名。これに添乗員の大島さんとう構成。若い30~40代の女性もいらっしゃるが大半はこちらと同年輩のリタイア組。それぞれが青蔵鉄道のテレビを見ての参加で、こちらと同じく何時もは旅の仕方が少し違っているという方もいらっしゃる。それも含めてその生き方は、リタイア後の過ごし方のヒントがあるようだ。ご迷惑はかけないように紹介したい。もし失礼があったらお許しください。
ご夫婦は2組。こちらも悪いのだがどうも一組と見てしまうし、実際に何時も二人でいらっしゃって周囲に影響を与えることが少なく、その分グループの中で影が薄くなる。お一人の奥様には友人がいらっしゃってその2人の時はもっと違う印象になる。もし友人同士でお越しならもっと違う人格になられたように思った。
というように女性の方には、友人同士の方が2組あった。もう10年来の旅仲間という40代3人連れは、何時もならオリジナルな旅を自分たちで企画するのだとのこと。もう1組は高校の仲良し30代、有休はすべて旅になるそうで仲間はもっと多いらしい。この2組がにぎやかで若々しく、やはりグループの中心になっていた。
もう一組男性の4人組、同じ印刷会社の3人と取引先の1人。仕事が趣味になるようで、経典の印刷に興味を持っておられたし、中のお一人は西夏文字に興味を持ちその研究書まで執筆なさっていた。このように興味がはっきりした方たちは話をしていて教えられることも多く楽しかった。
残りは一人参加、山登りが趣味というのが男2名女性1名。今回は下見も兼ねて山で知り合った奥様とカトマンズまで歩いてみたい、5年以内に実現しないと無理だろうとのこと。ランドクルーザーでのツアーはあるがそれは嫌だし、そんな道も嫌だとのこと。そういう人生には頭がさがる。もう一人は山だけでなく世界への旅もあちこち出掛けておられて、ぼそっと話される内容に感心する。女性の一人は生活のすべてが趣味の山にあるようで、そのために水泳もやっているとのこと、百名山は好まないそうで登る山も中央アルプスと決まっている。とはいえこのような1点集中の方は少し我がままでもある。
こういう方に囲まれると、ツアーをビデオでまとめるのが趣味なんて言う男性は黙ってしまわれる。むしろおひとりさまで、旅好きが高じて大学の聴講生になったという発想はその素直さが東京の人という感じでうれしいし、普通の生活の中で趣味をたくさん持っていて、お遍路さんから山登りと旅なら何でも好きで、この鉄道に乗りたいと参加してきた68歳の発想はいかにも大阪のおばさんとう感じがした。
5年ぶりのツアーは教えられることが多かった。ツアーはダメで、旅ならひとり旅だという発想も無知な意見だと思うが、といって忙しい毎日が連続するツアーの旅しか知らない方には、仕事ではないのだからもっとゆっくりボォーとなさったらいかがと申し上げたくなる。
2・チベットの悲しみ
チベットはチベット自治区だけではありません。青海省も甘粛省四川省雲南省の一部もチベット(文化圏)なのです。ここは仏教の地、インドの仏教が衰退してその教えのすべてがここに来ました。つまりインドチベット仏教は、仏教の真髄がそのものです。ここから中国そして日本へとその教えが広がっていきました。だからここにはその原点が今も生きているのです。ポタラ宮を案内するドルチェさんの案内は次第に熱を帯びてくる。
確かにその建物全体が曼荼羅、仏教の世界を表現するものになっている建物、内部を埋め尽くす仏像や布画、壁画はその原点をほうふつさせてくれる。日本ではめったに見ることのできない男女交歓仏もある。エクスタシーと悟りの境地の通底がそのまま表現されている。想像上の仏さまから現世のダライラマの生活の場までが、切れ目なく続く。
ここは祈りの場なのです。皆さんに見てはもらっていますが観光の場ではなく、信仰の場です。だから来年の5月からここは閉鎖して本来の場に戻すことになっています。代わりに博物館を開いて、それを見てもらいます。「へぇ知らなかった。そうなの、じゃぁ私たちが最後なのね、知らなかったけど、ほんとうにいい時に来たことになるのね」
ドルチェさんの目は、すでにそこが祈りの場となっている状態を見ている。顔つきも変わって修行僧のようだ、実際に修行もしたのこと。「本当にそうなの?中国政府の了解も得ているの?反対はないの?」後でそっと聞いてみたのだが、いやもう決まっているのです。そうなります、と自信たっぷり。「誰も反対しないの?」いえ、お坊さんの中に反対の方もいるのですが納得してもらわないといけません。
熱心な信者の立場からは当然だろうと、応援をしたくなってしまう。こちらは、もう見たことだし。でも世界遺産のポタラ宮を閉鎖するとは、大変なことだ。中国政府の了解も、世界中の旅行業者の了解も取り付けねばならない。その話は、まだ日本の旅行業者の知るところでないとすれば、ちょっと無理な気もする。なにしろ来年は北京オリンピック、国家の威信をかけて実施しようとしている時に、それはまず了解されないのではないか。
チベットはかって王国であった、吐蕃から仏教政権、ダライラマの統治。中国に統合され、1959年に暴動があったが、以後は自治区として平穏だ。現在、人口の大半は中国系でチベット人は40%に過ぎない。1万人の解放軍が常駐し、道路が整備され軍用の飛行場もある。政治も経済も動かしているのは中国系の人だ。政治的に何か考えることはもう不可能だ。立派な国立博物館もあって、そこの説明では中国の歴史の一部として語られている。
だとしたら、チベットの人たちが自分たちのアイデンティティを信仰に求めようとするのは当然だろう。だがチベットの中にはイスラムの信仰も盛んだ。ドルチェさんの熱心さの中に、チベットの深い悲しみを感じた。ポタラ宮を出たところで、日本人の若者数人が彼を待っていた。昨年お世話になったとのことで、わざわざお礼を言うためにやって来て、再会を喜び感謝していた。若い人たちを魅きつける力があるのだと、あらためて彼の熱心な説明を思い出していた。
以上