旅の記録 の記事一覧
モロッコの旅で思ったこと・1「これまでになく沢山の日本人旅行者」
2012年1月26日
Morocco 20111121~1211
Casablanca~Marrakech~Kasbahs~Fez~Meknes
モロッコ[カサブランカ~マラケシュ~カスパ街道~フェズ~メクネス]
[旅で思ったこと]
1.これまでになく沢山の日本人旅行者}
*左から、マラケシュで親切にしてくれた米倉クン。バスのすれ違いでマイコさんの宿を教えてくれた方。その宿で一緒になったお二人、鈴木さんと西村さん、そしてマイコさん。フェズへの夜行バスで一緒になった名合さん。その他にも、シャウエンへのバスで一緒になったセネガルからの海外青年協力隊のお二人、メクネスのカフェで会った学生さんなど。ほんとうにお世話になりました。ありがとうございます。
今回の旅ではこれまでになく沢山の日本人旅行者にお目にかかった。あぁこんなに多くの日本の若者が一人または二人で自由な旅をしているのだと頼もしくうれしく思った。これまでの旅で、日本人にめったに会わないと文句を言っていたのは、何であったのだろう。
といってその理由は簡単、モロッコでのこちらのコースが彼らのそれとぴったり重なっていたに過ぎない。ヨーロッパの国と違って、こちらの方がこの国のメインの観光コースを少しもずれないでたどっている(イタリアやスペインでだと、こちらがメインのコースから外れている)。だから会うのは当然なのだ。とはいえ彼らのこの国の滞在期間は少なくて夜行バスなどを利用して急いでいるが、その代わりヨーロッパや南米へと足を延ばして、はるかに長い時間、旅をしている人もいる。それもパソコンやスマホを持参して、それをネットにつないでチケットや宿の予約をしながら時間とお金を節約して、旅をしている。こちらには真似のできないことで、新しい旅のスタイルだと教えてくれる。
ただそのやり方が、同じコース同じ観光地になるのを助長しているのかもしれない。ネットには(例えば地球の歩き方ネット)、もっとも効率的な歩き方が紹介されていたり、質問に答える仕組みができている。「何日間でモロッコに行こうと思う、どうまわればいいでしょう?」などという質問に多くの先輩(すでに行ってきた人)が即座に答えてくれる。その結果、皆さん似たようなコースになってしまう。
メクネスのカフェで、「ヴォルビリス遺跡に行って来ました。ローマ史を学んでいる身にはここは外せない。でもバスがないので、ムーレイ・イドリスから3㎞歩いて行きました」と言った女性がいて感心したのだが、そういう「私はここに行くのだ」という特別な思いだけが、旅のコースを変化させているようだ。
でもそういう思いがなければ旅をするなよとはとても言えない。旅に出ることはとても特別なことというか、人生の中で今回だけという決心をしてきたことが見えてくる。学生さんなら、就職が決まったとかあるいはその活動を先に延ばしたのだとかの条件がある。仕事をしていた人は、それを辞めて来ましたという驚くべき決心をしている。いや旅をしたいから、仕事は何時でも辞めることができる職種を意図的に選んでいる人までいる。
あぁそこまでせっぱ詰まった決心をしなければ旅に出ることができないのか、それを悲しいというか、そのような国にしてしまったことを一世代前の人間として申し訳ない気分になってしまう。
せめて彼たちに、働きながら休暇を取って旅に出る、そういう人生を送って欲しいというか、それができなければ何の人生だよと言うことにしている。そしてこちらはね、働いている頃ね「2年に一度2週間」(の休みを取らせてください)と、念仏のようにとなえていた。その通りにはとてもならなかったけれど、それでも3年か5年に一度くらいは、実際に旅に出ていた。何時も言い続けていれば何とかなるものですよ。
時代が違うと言うでしょうけれど、今だって仲間の一人が結婚すると言えば、1~2週間の休みは取らせてあげるでしょう。まわりがその気になって必死でシェアするに違いない。ならば、それをお互いが常にそういうものだと思って働けばいい。一生に一度と思うか、5年に一度と思うかの違いで、結婚だって昔のように一生に一度と決まっている訳ではなにのだから~。夢のように思うかもしれないけれど、そういう遊びというか楽しみを持つのが生きるということなのだから、皆がそう思ってしまえばいい、少なくもそういう働き方でなければ働いてなんかおれないと思えばいいだから。世界では、そっちが標準だと思いますよ。
そう言うと、みんな「このオッサン(ではない最近はこのジイサン)、何ボケたこと言うてんの」と思うようだ。
モロッコ[カサブランカ~マラケシュ~カスパ街道~フェズ~メクネス]201111~
2012年1月24日
Mediterraneo5 地中海5
Morocco 20111121~1211
Casablanca~Marrakech~Kasbahs~Fez~Meknes
モロッコ[カサブランカ~マラケシュ~カスパ街道~フェズ~メクネス]
1・11月21日(月) 三宮発 20:30~関空着21:35 三宮発 20:00~関空着21:05
トルコ航空 TK047便 出発: 23:30 大阪 (関空) 到着: 11月22日 05:55 イスタンブール
2・11月22日(火)
トルコ航空 TK617便 イスタンブール出発: 09:55 ~ カサブランカ到着: 13:00
hotel ibis moussafir casablanca 1泊 722dn
3・11月23日(水) カサブランカ~マラケシュ(3h) Hotel Sherazade 1泊 220dn
4・11月24日(木)マラケシュ Hotel Sherazade 2泊 350dn
5・11月 25日(金)マラケシュ Hotel Sherazade 3泊 350dn
6・11月 26日(土)マラケシュ Amalay Hotel 1泊 350dn
7・11月 27日(日)マラケシュ~ワルサザード Hotel Amlaf 1泊(200dn)
8・11月 28日(月)ワルサザード~カスパ街道~ティネリール Hotel Agdal 泊
9・11月 29日(火)ティネリール~エルフード~メルズーガ Auberge Wilderness Lodge 泊80dn
10・11月 30日(水)メルズーガ 砂漠テント 泊
11・12月 1日(木)メルズーガ~フェズ 夜行バス(フェズまで150dn)
12・12月 2日(金)フェズ Hotel Batha1泊
13・12月 3日(土)フェズ~日帰り~シャウエン Hotel Batha 2泊
14・12月 4日(日)フェズ Hotel Batha 3泊
15・12月 5日(月)フェズ~メクネス Hotel Rif 1泊
16・12月 6日(火)メクネス ~日帰り・ヴォルビリス遺跡~ムーレイ・イドリス
Hotel Rif 2泊
17・12月 7日(水)メクネス Hotel Rif 3泊 1,848dn
18・12月 8日(木)メクネス~カサブランカ Hotel Plaza 1泊
19・12月 9日(金)カサブランカ Hotel Plaza 2泊
20・12月 10日(土)カサブランカ
トルコ航空 TK618便 出発: 14:00 カサブランカ 到着: 20:30 イスタンブール
トルコ航空 TK046便 出発: 23:55 イスタンブール 到着: 12月11日 17:55 大阪 (関空)
21・12 月11日(日)17:55 大阪 (関西国際空港)
[費用]
1. 航空券
・航空券代金57,500、関空使用料2,650、燃油サーチャージ37420、トルコ旅客サービス料1,060、
モロッコ旅客サービス料1,060、取扱手数料4,200、・旅行保険:\17,110. 合計 \121,000.
2、.Hotel
*モロッコの通貨dn=ディナールは、ほぼ10yen、計算がしやすい。
カサブランカ hotel ibis moussafir casablanca 1泊 722dn(6,842円)
マラケシュ Hotel Sherazde 3泊 1,070dn
マラケシュ Ste Amalay Hotel 1泊 350dn
ワルサザード Hotel Amlal 1泊 200dn
ティネリール Hotel 1泊 200dn
メルズーガ Auberge Wilderness Lodge 1泊 80dn
フェズ Hotel Batha 3泊 1,350
メクネス Hotel Rif 3泊 1,848dn(17,549円) ・1泊朝食付き5,883円
カサブランカ Hotel Plaza 2泊 800dn
総計6,620 16泊 平均・1泊当たり 413.75dn
3、ツアーなど
・テント泊(らくだツアー)350dn ・夜行バス(メルズーガ~フェズ) 150dn
・遺跡見物タクシー(メクネス)350dn ・カスパ見物タクシー(ワルサザード)250dn 以上
モロッコ 20111121^1211
2012年1月18日
Mediterraneo5 地中海5
モロッコ 20111121~1211
Casablanca~Marrakech~Kasbahs~Fez~Meknes
モロッコ[カサブランカ~マラケシュ~カスパ街道~フェズ~メクネス]
Tahara in Sahara
三脚を立ててオートで撮ったものです。11月 30日
スカーフは出発前に宿で着せてもらいました。自分ではとてもできません。
*旅日記はほぼこれで終わりです。もう2~3枚写真をいれますが~。それから、「旅で思ったこと」現在作成中、いましばらくお待ちを。
[旅の前に]
もう四半世紀以上も昔、勤めていた会社で民家のカレンダーを作ることになり写真家の小松義夫さんに撮影をお願いした。その最初にカスパ街道の写真を見せられて、本当にびっくりした。こちらの民家に対するイメージとまるで違うものだったからだ、何時かこの目でそれを見たいと思った。それが今回やっと実現する。こちらの旅は、これを見るために続いていたということもできるくらいだ。その後、映画のロケに使われ観光名所にもなっているようだが、まだ人が住んでいる家があるのだろうか。
1・11月21日(月) 三宮発 20:30~関空着21:35 三宮発 20:00~関空着21:05
トルコ航空 TK047便 出発: 23:30 大阪 (関空) 到着: 11月22日 05:55 イスタンブール
何時ものヨーロッパや中国への午前中出発と違って、遅い時間。バスも六甲島でなく三宮発、関空はますますガランとした感じ。もう少し待って飲もうと思ったカフェは21:30で閉まる、店員さんが申し訳ないと謝ってくれるところが日本だなぁと、せめて思って、キオスクのまずいコーヒーを飲む。
機は満席。隣席はトルコへのツアーの広島の女性、ダンナは家で留守番の一人参加。旅のこと老後のこと若い人のことなど、結構話をする。ツアー以外の選択肢をお持ちでないのだ。
2・11月22日(火)
トルコ航空 TK047便 到着: 11月22日 05:55 イスタンブール到着
トルコ航空 TK617便 イスタンブール出発: 09:55 ~ カサブランカ到着: 13:00
6:30到着(日本はもう正午過ぎだ)、まだ暗い。4時間待ち、ゆっくりと洗面、朝食、さすがに長い。
定刻出発、さらに4時間。客はアラブの人?だけ。やっと到着。両替の場所へ行ってみると、なんと
日本人の列。同時刻にエミレーツ便が着いたようで、ツアーも個人旅行も皆さんそちらで来られるよう。お互いのいい旅を祈って別れる。*モロッコの1dnディナールは約10円で、計算が容易。
列車40dnで市内へ、駅前の予約したibisホテルへ。明日のチケットを求め、時刻表をもらう。時間があるので中心部まで行ってみる。歩いているうちに暗くなり雨も降って来て、結局タクシー。メディナの入り口で小魚のフリッタ。さすが疲れて22:00就寝。夜中寒くて目覚め、カイロを出す。
hotel ibis moussafir casablanca 1泊 722dn(6,842円)
3・11月23日(水) カサブランカ~マラケシュ(3h)
6:00起床、洗たく、朝食。駅前の写真を撮ってから駅へ。マラケシュ行き8:50発、日本の学生さんと一緒になる、米倉クン(就職決定記念旅行、モロッコからヨーロッパ)。到着13:00、快晴明るい日差し、ようやく見知らぬ国に来た感じがして興奮。旧市街へ向かって歩く。道端のカフェに皆さんがすわっているのを見るだけで、うれしくなる。城壁跡を過ぎたが、結構遠い。休みたくなったところで、やっと中心のジャマ・エル・フナ広場に到着。米倉クン、こちらのホテル探しを手伝ってくれ(緑の中庭を囲む3階建て、狭いが古い家具のホテルに決める)、それから自分の安ホテルを探しに行く。
彼と広場を望むテラスで遅い昼食(彼は串、こちらは土鍋・Tagineおいしくて以後よく食べる・野菜トリ羊ひき肉など)180dn。広場で一人過ごす、大道芸、屋台の建設など感激。夕食はまた彼と広場の屋台で、スープと焼きソーセージなど、一人50dn。21:30部屋に帰りシャワー、夜とても寒い。
Hotel Sherazade(アラビアンナイトの国なのだ) 1泊 220dn
4・11月24日(木)マラケシュ
5:30アイザーン流れる、イスラムの国だ。7:00起床。朝食は屋上の部屋50dn。客はドイツ人ばかり(ホテルの名前がワーグナーだ)。広場とメディナ(旧市街)を適当に歩いて。
それからマジョレル庭園、植物とアールデコの建物(博物館)、隣の大邸宅をふくめイブサンローランの別荘?(塀越に見るとカスパのデザインを模している)。格差はすごいがセンスも見事、この町の懐の深さにあらためて感心する。前のテラスでサンドイッチ昼食(メディナと客層がまるで違う)。
夕食は広場の屋台、焼かたつむり、スープ、ソーセージ(こちらの態度で値段が違う、ま当然か)。
Hotel Sherazade(部屋を変わる、快適に) 2泊 350dn
5・11月 25日(金)マラケシュ
史跡地区へ。アグノウ門、パピア宮殿、工芸博物館、墳墓群など。歴史とセンスの良さ、技術の高さに感心する(スペインの見事なイスラム文化のルーツは、この国にあるのだとあらためて思う)。
博物館を出た路地の民家に手作りの衣服がぶらさげてあるので、ドアをたたく。見事な出来栄えに、値切るのも忘れて求め、お店の名刺をもらう。こちらに商売気があれば、サイズや色使いに注文をつけてもっと作ってもらい輸入すれば売れるだろうなと思う。また近くにお風呂もあって、入ろうかなとも思ったが荷物があるので止める。後で思うと、このあたりはもっと発見がありそうな魅力的な地域だ。
新市街へ、ホテルの確保とバスの時間調べ。通りに面したテラスでTagine(ひき肉)おいしい。夕食は広場で、ゆで卵とポテトをつぶしてはさんだ熱々のサンドにミントティ。よく歩いた一日だった。
Hotel Sherazade 3泊 350dn *精算(朝食50dnを加え、合計1070dn
6・11月 26日(土)マラケシュ
・マラケシュでもらった、新市街)カフェ・ポステのカード、マジョレ庭園のパンフレット、史跡地区)手作り衣服の店のカード、
ホテルをチェックアウト、広場を一巡りしてからバスで新市街へ。まるで違う世界、ホテルは通りに面した広い4階。昼食のテラスcafé Poste(旧郵便局の建物)、人気店らしくすぐ満席に、定食は安くておいしい。日本人も何組か来ていた。中心交差点、向かいは小公園(植物園)、反対側は有名ブランド街、ここは西欧だ。銀行で両替。夕食(小エビ)の後、揚げ菓子とコーヒーを求めて部屋で楽しむ(今回、これは少なかった)。21:00寝(旅行中は、信じられないほど早寝、そしてまたよく寝る8~10時間)。
マラケシュの町、4泊したが退屈しなかった、まだ数泊したいと思う。メディナ、史跡地区、新市街、それぞれに違ってそれぞれに深みがある。
Amalay Hotel 1泊 350dn
7・11月 27日(日)マラケシュ~ワルサザード
7:30バス出発(100+荷物5dn)、はるか遠くに見える雪山に向かって進む。
どんどん近づいて、銀世界の中に、この峠の道は感動的(日本の若い人は、時間とお金を節約して夜行にするが、それは損だ)。
12:00到着。歩き出すがどうもおかしい(工事中でバス停の場所が変わっていた)、結局タクシー。ホテルを決め、勧めのまま市内のタウリトのカスパ(中心は城のようだが廃墟)その前でオムレツ昼食、郊外のアイト・ベン・ハッドウ(アラビアのロレンス、ロケ地)へ、沢山の塔のある風景は迫力がある。
住んでいる人もいるが、ほとんどは廃墟、土産物屋が少し。帰り、対岸の正面から見える場所へと行くことにして歩く。カメラを向けていると上から声がかかり入れてもらう。なんとホテルになっていて、見事な眺めだった。
16:30帰る(約束の250dn、遅くなったと運転手文句を言うが無視)。明日の予定が今日終わって満足。中心の広場でお茶、夕食はホテルの近所(高くてまずい)。 21:00就寝。
Hotel Amlaf 1泊(200dn)
8・11月 28日(月)ワルサザード~カスパ街道~ティネリール
午前中、小さな町をゆっくりと歩き回る。男は朝からカフェ、女が働く、やはり変だ。と思いながら、こちらも何度かカフェに坐る。12:00発(昨日到着したバス)、遠く近くにカスバが見えるが、廃墟が多いようだ。トイレ休憩、反対側から来たバスに日本人男性、日本人経営のホテルの名刺をくれる(小谷クンが教えてくれたのと同じ)
15:30到着、まず明日のバスの時刻チェックとホテルへの連絡(場所を何度か移動してやっと通じる)。思ったより小さな町。広い通りに沢山の人、案内すると男がついて来る(力関係か縄張りなのか、途中で人がふっと変わる。必ず一人なのがおかしい)。ホテルはこちらのカンで選ぶ。部屋を見て暖房付きを確認し300を200dnに値切る。なんと行こうと思ったグラウィ・カスパは昨年地震で崩壊したとのこと、丘の上のそれは確かに外壁しかないようだ(なんだ、来た意味がないではないか)。勝手案内人、代わりのイスラエル人のカスパを案内するとのことで、付いて行く。が、通りの入り組んだどこにもあるメディナ。他にはなにもない、店もつまらん。黄人は珍しいのか、皆さんの注目の的。夕食は唯一の?まともらしい食堂でTagineを注文、時間かかるがいいかと言うので、いいよと答えたら30分以上たって出てきた。この旅でいちばんおいしかった、主人に礼を言う。沢山の人がメモを残していたので、そのノートにこちらも感謝の弁を書く、もちろん日本語で。ホテル、エアコンを25℃で(実際は壊れて変更できず)マスクをして寝る(おかげで?グッスリ眠れた) Hotel Agdal 泊
9・11月 29日(火)ティネリール~エルフード~メルズーガ
7:30出発、バス停へ、チケット購入30dn朝食、玉子サンド。9:00バス出発し、12:00到着。また沢山の勝手案内人。ここからはタクシーのつもりだから、まずはテラスで昼食(オムレツ・卵続き、わからない時はこうなる)。反対側にスカーフを売る店あるので見に行く。虫よけ機能染料の藍300dn、他の色 100dn緑を選び巻いてもらう。自分では不可能)。タクシー、途中カスパ見学を入れて230dn。(後で聞くと、そのカスパのあるリッサニまでバスで行くとよかったらしい)。ともかく無事サハラ砂漠を望むメルズーガ村のWildness Lodgeに到着。店主の丁寧な書置き、電話で話をする。先客は日本人2人、屋上から砂漠が見える。
村を散歩、絵はがきを買い、高級?ホテルなどを見る。17:00夕日が真横から射し、砂山が赤く輝く。19:00夕食tagine、先客、オートバイでロシアを通って来た30代青年と、ヨーロッパから南米に行くと言う30代女性。どちらも介護の仕事を辞めて来ている。青年となぜか議論に、反省。
Auberge Wilderness Lodge 80dn泊
10・11月 30日(水)メルズーガ
朝食後、見えている砂漠に行ってみることにする。スカーフを巻いてもらい出発、水路に沿って植えられた椰子と畑を越えて、砂漠に入る。足跡に沿って進み、すぐ斜面に村ははるかに小さく低い。やがて砂と空だけの世界になる、3脚を立て自分を撮る。Tahara in Saharaだ。
1泊の砂漠ツアーに行くことにする。16:30らくだが来る。言われるまま大きな背にまたがる、途端に2mくらいの高さに立ち上がる。以後はらくだ引きのお兄さん(バラサ君25才)の言われるまま、歩き出す。彼はらくだの前をゆっくりと歩く。やがて砂漠に入り村が見えなくなる。何度か止まってお尻の毛布を直してもらう、こちらの乗り方が悪いようだ。大股の姿勢、降りると足がふらふらして立っておれないほどだ。
太陽は強い光のまま西に傾き、こちらの影が砂の上にびっくりするほどに長く伸びる。砂はますます赤く輝いて日没17:50、そして暗くなる。三日月、そして星がひとつふたつと輝いてくる。
18:15キャンプ到着、窪地でベルベル人である彼の家族たちのテントがいくつか見える、ちょっとした集落。そのはずれのひとつがこちらの今晩の宿だ。らくだは後ろ足を曲げて、ひもを巻くと逃げることができないらしい、すわったまま夜を過ごすのだ。
彼が夕食を運んでくる、お茶と羊のタンジェ、熱いのがうれしい。夜は寒そうだ、もうすることはない、というより何もできない。カイロを貼り毛布を4枚かけ20:00就寝。静かだ、というより無音。
砂漠テント 泊
11・12月 1日(木)メルズーガ~フェズ
目覚め、真っ暗まだ5:30。6:30起床、砂山でオシッコ、流れないで見事にしみ込んでいく。朝日の方向に高みを目指して歩く、どこまで行っても同じだが。7:15日の出、みるみる明るくなり、くっきりと長い影。テントに帰ると、もう出発7:30。しばらく行くと前に2頭、同じツアー客だ。途中で二度止めてもらって、すわり直す。それでも背中に少しは慣れて、身体を前後に動かして大きな動物にまたがるのは、ちょっとエッチな感触もあると思ったりする。やがて村が見えてきて、9:00宿に帰着。
若い女性が出迎えてくれる。同宿の女性とは違うと思ったら、それが女主人のマイコさん(25才とのこと、ビックリ)。まだ観光ビザのため書き換えに国境のタンジェまで行っていたとのこと。結婚してダンナの郷里のここで設立、まだ日は浅い。なんと西宮の出身、それだけで気持ちも通じ合える。ダンナさんが朝食を作ってくれる。カルチャーの違いも、軽く幸せに越えているようで、こちらもうれしくなる。やはり言葉が通じるのはありがたい、話しているだけで、お昼になってしまう。
昼食後、マイコさんがわれわれ客3人を、村に案内してくれる。1)村のパン屋さん、皆さん家で作った生地を持参して焼いてもらう。2)砂漠の水道と畑、砂漠は結構水を含んでいてパイプを差し込んで水を集める。その井戸と水路、植樹と畑。この緑が砂漠との境界を作っている。3)親戚のモハメドさん宅。砂漠から出るというローズストーン(砂の結晶??)アンモナイト(磨いて化石の模様を出す)を求める。4)そのお宅(日干し煉瓦しっくい仕上げ。天井は細い丸太(ポプラ?)を渡しブッシュ葺き。感心感謝。
同行の二人。鈴木さん(北海道)バイクでソ連を横断、ヨーロッパをまわってここへ、さらに南を目差し、最後はロンドンから空路(バイクは船便)。西村さん(東京)は7か月、ヨーロッパから、南米を目差している。スマホ、パソコンをネットにつなぎそれで調べたりチケットを取ったりしながら旅をしている。こちらには真似のできない方法で、その活動力に舌を巻く。新しい旅のスタイルだ。
宿に帰って、2人は砂漠ツアーに出発して行った。こちらは、荷物整理。シャワー。精算(宿泊80、朝食20、昼食・夜食各50、砂漠ツアー350)早い夕食(タリヤという砂漠料理)タクシーで出発。
夜行バス19:00出発(乗ったのはこちら一人)途中で(リッサニ、エルフード)で沢山乗って来る。2:00頃30分の休憩(オムレツとお茶)、日本人青年がいることに気付き以後隣席で話しながら行く。
夜行バス(フェズまで150dn)
12・12月 2日(金)フェズ
4:20フェズ到着、まだ暗い。立派な駅構内のカフェで時間をつぶす。名合智洋クン、就活を止めての旅、モロッコとスペイン。らくだ3日ツアーの後、8時発のバスでシャウエンに行くとのこと。
7時、明るくなったので、彼と別れ出発。フェズの町は3つに分断されているが、こちらの興味は2つのメディナのみ。ホテルを探しながら歩く。結局ちょっと高級な博物館脇の(今回の旅で初めてホテルらしい)ホテル、中庭が美しい、3泊で少し安くしてくれる520が450dnに。一息ついて町へ。
近くにバスターミナルがあるのでシャウエン行きを尋ねる、日帰りできる。遅い朝食11:30。スークを歩く、道を迷うが大きさ店の質にマラケシュほど感動しない。ホテルの部屋から見えるカフェで一休み。早い夕食(ここは観光客相手の店ばかり)トリのタンジェ65。18:00部屋でテレビ、久しぶりの入浴、20:00就寝。やはり疲れている。雨が降っている。朝までグッスリ。
*若い人がみんな行くシャウエンへ、こちらも行くことにする。民家のことだから~。
Hotel Batha1泊
13・12月 3日(土)フェズ~日帰り・シャウエン
6:00起床7:00バス停、なんと日本人女性2人(青年海外協力隊セネガルから)、続いての新市街のバス停から年配の2人(姉妹)。バスは国境のタンジェまで行く、シャウエンは行きやすいのだ。
12:00到着、山の上の町(中央広場)までタクシー10。そこから歩く。見事に青だ。その濃淡に白を加えて、なかなか美しい、というか絵本の町みたい。でも、どうみても最近の仕事。沢山の観光客、お土産屋さん、ホテルもある。小さな村、1時間でひと巡り。広場に、再開発の看板、工事はなんと2009年。
広場で昼食。帰りのバス15:30発、到着20:15(新市街まででタクシー)。夕食はタジン。22:00就寝。
Hotel Batha 2泊
14・12月 4日(日)フェズ
7:00起床 8:00ホテル朝食、白人ばかり。粗末だがバケットと紅茶があるのがうれしい。部屋は朝日が当たって気持ちいい、で洗たく。9:30隣のBatha博物館、誰もいない回廊、樹木が見事。
続いてメディナへ。神学校2つ。モスク、廟は入口まで。でも勝手案内人について行き、3層吹き抜け空間のあるカーペット屋、その屋上から町を望む。通りを歩くだけでは、このような場所があるとは思いもつかない。同じことをもう一度(若い女学生のアルバイト?)。澤さん紹介の壁泉もチェック。
昼食(観光客相手の店しか見つけることができず、昨日と同じ店)、お茶。部屋で一休みして、また出て、日曜日の庭園や広場(大道芸人、物売り)。夕食。19:00部屋(テレビはサッカー・アフリカ選手権、窓から見えるカフェは黒山の人。モロッコ勝利。途端に大騒ぎ。夜遅くまで、町中タイコと掛け声)
Hotel Batha 3泊
15・12月 5日(月)フェズ~メクネス
7:00起床、朝食、荷造り、チェックアウト。バス10:30発、隣席は若い奥さま、ケータイの写真を見せてくれる(むき出しの太ももなど悩ましいポーズ)英語とフランス語、わからないまま話をする。
昼過ぎ到着。タクシーで中心部へ、少し高いが古いホテルにする。遅い昼食はピッザ(今回の旅では初めて)まずまず。本屋で料理本を求める(フランス語だけ)。ホテルでリコンファームをしてもらい、明日のタクシーを頼む。夕食はカウンターの食堂で、皆さんと同じコロッケ卵入り豆スープとパン11。お菓子屋を併設しているカフェでケーキ(今回の旅、部屋でのお茶はできなかった)。22:00就寝。
Hotel Rif 1泊
16・12月 6日(火)メクネス ~日帰り・ヴォルビリス遺跡~ムーレイ・イドリス
7:00起床 8:00朝食、9:00出発(半日タクシー350dn)なだらかな丘陵地を30km。小山のムーレイ・イドリスを過ぎてすぐにヴォルビリス遺跡、モロッコでいちばんのローマ遺跡、ポンペイやチュニジアに比べるとモザイクは驚くものではないが、丘陵地に並ぶ柱列や凱旋門ははるか昔をしのばせてくれる。風が通り過ぎて行くのが気持ちいい、はるか彼方のトルコからの距離、広大な帝国を思う。
続いて少し帰って小山に小さな家がぎっしりと張り付いたムーレイ(聖者)・イドリス。モロッコで最初のイスラム王朝をたてたイドリスの廟がある聖地。着いてまずカフェで一休み(遺跡には休む場所がなかった)、さて見物をと思ったらまた勝手案内者が付く。何もわからないのだから、まぁいいやと案内に乗ることにする。中心の寺のある坂道を登ろうとすると、そちらではないと別な道を進む。民家、パン焼き場、風呂屋、日用品の店など、変わらない生活が見える。やがてコーランが書かれた緑色の円筒形のミナレット。霊廟がある丘の全景が見える場所へ案内してくれる。そして最初の場所に戻って見学が終了。彼がいなかったら、このようには回れなかったと感謝して40dn払う。
ホテル帰着12:30。昼食は鶏のロースト。町を歩く。夕食は魚のタジン(トルコ風?)。帰室19:00。
Hotel Rif 2泊
17・12月 7日(水)メクネス
7:00起床 8:00朝食、8:30出発、旧市街(メディナ)へバスで(間に谷川)。マンスール門(見事)に対面するエディム広場(フェズより都市らしい)、スークまだ店は閉まっている、ベルダン門(北門、外に丘陵が広がる)、モスクなど小さいがまとまっていて気持ちがいい町だ。広場でお茶。
マンスール門に日本人観光客、彼らのために開いた門をくぐって、ムーレイ・イドリス廟(モザイクや彫刻がほんとうに見事)、出たところにある門その前の道はリフRifという名、風という意味、ホテルの名でもある。日本人を乗せたバスが風を残して去って行った。こちらはまた広場。歩いて帰ることに、橋を越えたところにあったmacで昼食。お土産にいいものもなさそうなので、明日出発にする。
15:00またメディナへ。土地の人で大混雑のバザール、セーターを買う50dn。広場も人でいっぱい。
Hotel Rif 3泊 1,848dn(17,549円)・1泊朝食付き5,883円
18・12月 8日(木)メクネス~カサブランカ
6:30起床荷造り 7:30朝食、8:30出発。途中のお菓子屋でクッキーを少し買って、駅へ。チケット90dn、時間つぶしのお茶。30分遅れて10:00発車。ラバトを過ぎ人が多くなって12:50到着。
タクシーで中央広場へ。ホテルは面倒になっていちばん近くに。部屋は大通りに面したテラス付き。海とグランドモスクの塔が見える(予感通り夜は寒かった)。町へ、見事に迷う。市場があったので昼食(魚のから揚げ、ぼられてシマッタ90dn)。なんとかムハンマド5世広場にたどりつく(ここから中央広場経由して駅へトラムを通すべく工事中)。ホテルで一休みして、夕食はサンドイッチ。20:00就寝。
Hotel Plaza 1泊
19・12月 9日(金)カサブランカ
7:00起床、最後の1日、目的はなく町を歩く。疲れると部屋で休み、また出かける。
カフェ・中心部に広大な店(植民地時代からか?)、客より店員さんが格上という服装と姿勢。客はほとんど男だが、ここでは女性もいる(さすが大都会)。朝食用もふくめ、2~3店のお気に入りの店ができてしまうから不思議だ。Teaはミントの葉をいっぱいのせた甘い味。カフェオーレがおいしい。
買い物・Tシャツ(スーク)、小皿(民芸店)、英語の料理本、クッキー(大繁盛のお菓子屋)、セーター、市場で編み篭。もう欲しいものがない~
食事・朝食・クロワッサン、昼食・(最後の)タジン、夕食・スープにトーストで満足(夜は肌寒い)。
部屋に帰って、お湯をはり入浴(浴槽は身体が浮いてしまうほどの大きさ)満足。22:00就寝。
Hotel Plaza 2泊
20・12月 10日(土)カサブランカ
7:00起床、荷物を整理。朝食に出る。親しくなった掃除のおばさんと別れを惜しむ。9:00出発。
駅、最初に泊まったibisが懐かしい。10;05駅発。10:40空港到着。
トルコ航空 TK618便 出発: 14:00 カサブランカ 到着: 20:30 イスタンブール
トルコ航空 TK046便 出発: 23:55 イスタンブール 到着: 12月11日 17:55 大阪 (関空)
イスタンブールの空港で今回もお土産にトルコ飴(pistachio)を求める。関空便、最近は珍しい大きな機で、空席が沢山。2人分占拠して帰る。おかげで話をする相手はいなかった。
21・12 月11日(日)17:55 大阪 (関西国際空港)
モロッコの旅から帰りました
2011年12月12日
昨夜遅く、無事に帰って参りました。どうぞご安心ください。
モロッコは日本人の若い旅行者が多く、とても人気の場所のようです。それだけに、旅もまたしやすい国でした。
でも、高地や砂漠は大変に寒くて、それに参ってしまいました。持って行った夏の衣服は使わずしまい、首巻やセーターを求めました。その話もふくめて、今回もまた、いろいろと思わぬことの連続でした。
とはいえ、もう年末、旅のまとめは、そのいろいろを片付けてからとなります。しばらくお待ちください。
モロッコの旅・1111~12
2011年11月11日
[旅の前に]
21日からモロッコへ行きます。地中海シリーズの5回目、前回ジブラルタルを渡って1日だけ行きましたが、今回は3週間モロッコだけの予定です。あこがれのカスパ街道に、やっと行くことができます。
もう四半世紀以上も昔、勤めていた会社で民家のカレンダーを作ることになり写真家の小松義夫さんに撮影をお願いした。その最初にカスパ街道の写真を見せられて、本当にびっくした。こちらの民家に対するイメージとはまるで違うものだったから。以来、何時かこの目でそれを見たいと思っていました。それが今回やっと実現できる訳だ。こちらの旅は、これを見るために続いていたということもできるくらい。
その民家は、その後、映画のロケ(アラビアのロレンスなど)に使われたことが知れ、観光名所にもなっているようだが、まだ人が住んでいる家があるのだろうか。