旅の記録 の記事一覧
中国・雲南省0808~09・旅で思ったこと
2008年9月28日
1. 会話とケータイ
今回はバスの旅が多かったので、そこで感じたこと。座席はコンピュータ管理による指定で前からつめていくから、2人連れでない限り知らない人同士が隣り合わせる。こちらが乗ったバスは観光に行く人がほとんどだからお互い親しくなってさぞ賑やかになるだろうと思ったのだが、そうはならない。最後まで他人のままのようだった。ほとんどの場合DVDの映画が流れて、それを見る人が多い。
ところがその空気を打ち破ってケータイがかかってくる。大音量で音楽や効果音の呼び出し(いろいろあって最初は驚いた、日本でもそういう時代がありましたね)が入ると、大声で答えている。映画なぞお構いナシだ。次々にかかってきて、何時も誰かが話をしている。言葉はまるでわからないが、実に楽しそうだ。どうやら皆さん話は好きだし、退屈してコミュニケーションを求めている。
でも近くの他人より遠くの知人ということ、これは新幹線の中と同じ、周囲の人との間に最初から塀を立てて心が通うのを拒否している。これは現代人の特長だ、市場開放の影響がバスの中にまで及んでいると思ったのだが、中国は大きく隣に座っているひとは外国人に近い、そう思う方が正解のようだ。
実際こちらが中国語を喋れないほんとうの外国人だとわかると、隣の人はそれぞれが親切にできる範囲で精一杯の世話をやいてくれた。トイレ休憩だ、30分間ですよ、そっちだ、まだ下りたらダメだ、次だ。ここですよ、下りなさい。若い人は自分の知っている英語のすべてを持ち出して話してくれたし、場合によっては英語のわかる人を探してくれた。謝々、ほんとうにありがとう。
2. 古城OldCity再開発
大理、麗江、建水と一時は荒れてしまった城壁に囲まれた古い町を最近になって再開発した町を訪ねた。前回の湖南省の鳳凰も同じだ。その徹底した再開発にすっかり感じ入ってしまった。それは昔の姿を再現するというより、現在の観光のため(訪れる人のためであり、そこで商売をする人のためでもある)にある。その根底に、すべては現在のために変化して当然だという思想があるのではないだろうか、これは王朝がその時点の現在のために交代してきた歴史が反映している、世界は変わるものだという信頼があると言ってもいい。これは良い悪いを超えているように思う。
ともかく再開発は徹底的だ。まず現在のあるべき都市の姿を描く、都市計画。中心の道幅を広げ、電気も上下水道も地下に納める、電柱もテレビのアンテナも姿を消す。そして石畳の舗装、後から掘り返したような後はいっさいない。建物は伝統的なデザインにする、ただし従来がどうであったというより現在の人が伝統的と考えるものにする。政庁や城門などシンボルになる建物が必要なら再建する、昔の通りにするより、現在の人が伝統的だと思えるようなデザインで建てる。町屋は、必要なら2~3層にするなど大きさや高さも自由にその町にふさわしい姿を考える。中央通りに面した1階は通りに全開して商店にする。上部の活用が求められるなら積極的に応じる。商店にもホテルにもなる。必然的に、現代伝統様式という新しい建築様式が生まれることになる。これは現在の技術で建てやすい工期が短くなるものを追求するから、時代とか地域とかは関係なくなる。瓦と漆喰の併用、瓦だけで防水を考えるのではない、水漏れの可能性は漆喰で補えばよい、軒や棟の瓦もまた地域に関係なく同じデザインなる。木材の使用その色彩や模様など詳細のデザインは、どこか北京の故宮を参考にしてしまうから全国的に統一されてしまう。といって風景を乱すような新建材はもちろん看板の色や書体は皆無だ。
という町を歩いてみて、早朝のまだそこに住んでいる人しか見えない時間はもちろんだが、観光客にあふれているときもまたいい。見事に昔の姿や賑わいが再現されているようでタイムスリップした感覚でうれしくなる。石畳は表情豊かだし、さらさらと流れる小川も美しい。住んでいる人は伝統的な民族衣装を着ている。探せばいいお店も食堂もある。
また世界からのお墨付きを喜ぶのは日本とまるで同じで(北京五輪もそういう感じがしたけれど)、世界遺産とか自然遺産などの標示は入り口に大きく掲げられてそれが観光客を招いている。またその認定を機会に修復したというか新しいデザインで再建したりしている。麗江の政庁であった木府、大理郊外の3塔公園の寺院などがそうだが、その伽藍の連なりにそれがすべて再建されたことに驚く。おしむらくは現在の技術による工事のために、屋根はなだらかな曲線でなく直線を継ぎながらになり、意地悪いこちらの目はそこまでやらなくてもいいのにと思ったりする。
ただこちらはそれをいくつも見ているうちに、同情のようなものを感じてしまう。仕方がないのだ、過去の破壊は徹底的でそれがどういうデザインであったか、また何時の時代に戻せばいいのか、それは見方によって大きく違う。日本の寺院の再現でもよく問題になることだから(例えば、大徳寺大仙院の枯山水の庭園)、はるかに長い歴史を持つ国でこれは仕方がない。幸いに昔からのままで残っている建物が、そのままきちんと保存されていたら、それで充分だ。幸いに、麗江でも大理でもそのような建物が残されていてほんとうにうれしかった(麗江の方国氏故居、大理一中の書院、建水の朱家花園など、鳳凰にも北京にもある)。むしろあまり人が訪れないそういう場所があることが、何よりもすばらしいことだ。
3.石林1日観光コース
乗り合いバスのつもりが「石林1日観光」バス、中国人ばかりの面白い体験だった。9:00出発、トイレ休憩は宝石店でしっかり30分待たせてくれた。次に大きなお寺に止まる。山の斜面にあらゆる仏様の原色目玉ムキムキ像が並ぶお堂を巡る、その礼拝の仕方を教えられ皆さん熱心に拝んでいる。ようやく石林地区に着いたのは、もうお昼前で食事皆さんは円卓、こちらには10元で焼き飯をつくってくれた。さらにこちらだけチケット140元を買って入場、結局皆さんについて回ることになる、約2時間それは確かに奇景の連続(カルスト台地の侵食)、写真を撮り合ったりして親しくなる。観光の最後は園内のお店で休む、お茶をふるまわれその説明(売り込み)。
こちらの隣席の青年のTシャツは、不容忘却 モンゴルからサハリンまでグレイでそこが本来は赤い色の中国の領土だと主張している(ソ連との間で国境紛争があったのを思い出す)。
そういうグループがあるのだ、北京から来た唯一英語の話せるお兄さんが教えてくれた。日本も韓国もグレイの中ではないのと言ったらそれはないとのことだけど、いろんな人がいるのだ。チベットの問題など、何が問題なのかということさえ彼らにはまったく理解できないだろう。
4時前にバスは帰路に、市内に入ったところで漢方(というのかな?)の病院へ、展示室からゆったりした椅子の部屋に案内、人数に合わすのかいろんな大きさの部屋がいくつも並んでいた。足元の金たらいにお湯がそそがれ薬が入る、生薬の香りが部屋いっぱいに広がる、裸足になって足湯、とても熱く出したり入れたりする。白衣の人が出てきて説明(病院の歴史や功績?)、続いて医者らしき人が各自に悪いところないか尋ね、診察している。最後に若い人が入ってきてマッサージをしてくれた、よく歩いた足にはとても気持ちいい。そして再びバスに乗り、次々に人が降りていく流れ解散。サヨナラの挨拶ができないのがちょっと不満だが、それは日本人の感覚なのだろうか。見覚えのある風景でこちらも降りたのであります。
それにしても商売熱心な1日、それぞれに買う人がいた(診察に残った人もいた)ので、やっぱりこの方式はまだまだ続くのだろう。ところで(ホテルの案内所で見ると)こちらが払った合計の金額より、1日観光の値段の方がどうも安かったようだ。
4.70歳という境界
中国では70歳というのが区切りで、それ以上だと入場料が無料になる。それが表示してある場所もあるが、書いてなくても言うとそうなったりする。今から思うとバスの料金はどうだったのかと思ったりするのだけれど~、こちらの感じでは日本よりはるかに徹底している。何よりそこに住む市民だけ県民だけという細かいことは言わない(言えない?)。ただし外国人の当方には、これは中国の人のためだからと言いつつ半額にしてくれた。そんな文言はどこにもない、見事な臨機応変だとすっかり感心した。
その根底に老人を大切にする思想が、常識として存在しているのではないか。でなければ外国人は半額などという思いつきはできない。高齢化は進行していて、公園のベンチは何時も老人がいたし、朝の散歩や太極拳などの運動も老人の比率が高い。といってその人たちが70歳以上であるかはわからない。見た目と実際はまるで違う、これは日本でも同じことだ。そこで年令で区分することにしたのだろう、日本でも75歳で区分するアイデアが実行に移されたが、評判はあまりよろしくない。中国の例にならえば、区分するならもっと徹底的にあらゆる分野で実行すれば賛同者ももっと多くなるに違いない。
どうも私たちは徹底的という思考に欠けているようだ、というより徹底的にきちんと考えることを止めて、あらゆることを中途半端ですましてしまう。だからすでに変わってしまっていることに気付かなないで、その変化したことを無視してしまう。それがあちこち旅した結果見えるようになった唯一のことかもしれない。
帰ってから友人が、「美しき日本の残像」アレックス・カー(朝日文庫)を教えてくれた。ここには徹底的に考えるとは、どういうことだという例にあふれている。こちらの思っていることは、これに比べるとはるかに中途半端だ。
以上
中国・雲南省の旅0808~09
2008年9月25日
中国・雲南省(云南省)20080829~0912
旅程と宿泊ホテルリスト
1・8月29日(金)
六甲is発 13:18~14:15
OSAKA (関西) GUANGZHOU(広州) CZ 390 Y 1630~1900
GUANGZHOU(広州) KUNMING (昆明) CZ3419 Y 2120~2330
昆明飯店 泊 468元(事前にファックス予約・空港出迎えも依頼)
2・8月30日(土)
昆明飯店 泊 468元
3・8月31日(日)
大理・金光大酒店 泊 210元
4・9月 1日(月)
大理・金光大酒店 泊 210元
5・9月 2日(火)
麗江・小橋流水客桟(民宿) 泊 100元
6・9月 3日(水)
麗江・一米陽光Inn 泊 180元
7・9月 4日(木)
麗江・一米陽光Inn 泊 180元
8・9月 5日(金)
昆明・昆湖飯店 泊 180元
9・9月 6日(土)
建水・朝陽大酒店 泊 130元
10・9月 7日(月)
建水・朝陽大酒店 泊 130元
11・9月 8日(火)
昆明・昆湖飯店 泊 180元
12・9月 9日(水)
昆明・昆湖飯店 泊 180元
13・9月10日(木)
昆明・昆湖飯店 泊 180元
14・9月11日(金)
KUNMING (昆明) GUANGZHOU(広州) CZ3408 Y 1610~1755
広州・盛東酒店Good East Hotel 泊 200元
15・9月12日(土)
GUANGZHOU(広州)OSAKA (関西) CZ 389Y 1030~1500
*航空会社:CZ=中国南方航空 航空券代金:¥80,500-
関空使用料¥2,650- 航空保険料¥2,000- 中国空港税¥3,100- 燃油サーチャージ¥21,800-
計)¥110,050- 旅行保険(2Lセット)8,870円
合計)118,920円
*ホテル代・合計2,996元 1泊・214元(3,424円)
中国・雲南省の旅080829~0912
2008年9月24日
[旅の前に] 1ヶ月前湖南省に行ったところだが、当初の予定通り中国の旅へ出掛けることにした。ただし雲南省のみ、ヴィサのいらない2週間という長さにした。夜遅い到着だから予約しておこうと簡体字でファックスを入れるとすぐに返事が来た。老舗の最高級ホテルだが、値段もほぼ半額にしてくれるそうで(約8000円)まずは一安心。帰りの広州もと前回の帰り案内してくれた陳さんにメールを入れる。やはり中国は近い感じがする。
1・8月29日(金)
六甲is発 13:18~14:15
OSAKA (関西) GUANGZHOU(広州) CZ 390 Y 16:30~19:00
GUANGZHOU(広州) KUNMING (昆明) CZ3419 Y 21:20~23:30
広州の空港、前回トランジットにずいぶん手間取ったので大急ぎしたら20:00には搭乗口に着いてしまった、やはり一人は身軽だ。昆明では出口に迎えがある50元。ホテルは、カードが使えるが余分の前金を取られる(以後すべてのホテルが余分のお金を最初に取りチェックアウト時に返却してくれた)。部屋は小さなダブルでちょっと不満だが、ともかく無事到着にホッとする。 昆明飯店(496元) 泊
2・8月30日(土)
7:00起床、ホテルの朝食(うまくない)。部屋で洗たく整理をして9:30出発。思ったより涼しくシャツにフリース。郵便局で切手(絵はがき4.5元)、駅前のバス乗り場で大理行きバスのチケットを購入125元。途中、昆湖飯店を見つけ(ガイド本推薦)値段はトイレシャワー付き180元とのこと、次に泊まってみることにする。昆明駅は巨大、日式の麺館(チェーン店)があり注文21元、うまくはないが、清潔で入場制限している(マクドと同じ)ので落ち着けて、西欧人も多い。さらに歩いて、昆明市博物館へ(内容はまずまず、恐竜の化石が出る地域なのだ)、ショップで絵はがきを見て建水なる町が素敵だと知る*これは今回の旅の大収穫。
出たところに庭園の茶店がある、さすがお茶の国(普洱プーアールは雲南省の町の名前)、うれしくなって入る10元。ホテルの帰ったのは15:00。間もなく夕立(以後そういう天気が続いた)、夕食は雨の中を外へ、周辺はブランド高級店ばかり、裏道でやっと食堂を見つけるが食券システム、出てきたのは豆腐と肉のラーメン(注文方法に研究の要あり)。部屋でお茶。 昆明飯店 泊
3・8月31日(日)昆明~大理(バス5時間・125元)
6:30起床、朝食、少し散歩して9:00チェックアウト、タクシーでバス乗り場へ10元。バスは1時間前から乗車可能、座席は指定、荷物をあずけて、乗り場を見物。寝台バスの中を見せてもらう、3列で上下2段幅の狭いベッドが並ぶ(後で学生さんに教えてもらったが長さも170cmくらいで大変らしい)。10:40出発、5時間の旅。出てすぐトイレ停車、若い子の要望に応えたようだ。高速に入ると3車線時速100kmでとばす。ただし途中、道路上で停車して乗り降りしている車、路肩を歩く人などあり。12:00休憩、15時到着。
旧市街(大理古城)へはバス2元、若い女の子が英語で教えてくれ男の子は席をゆずってくれた。降りると客引きのおじさん離れないがかまわず歩き、中央通りに面した民家外観のホテルへ16:30。内部は鉄筋コンクリート3階建て、通りに面したツインで手を打つ10元まけてくれた。
18:00町へ夕食に。店頭で料理を作っている白族の店に入り、指差しで魚鍋を注文2尾丸まま入れる(近くに大きな湖がある)ご飯、大満足30元。
地図絵はがきお菓子などを求めて部屋に帰る。
20:00前ようやく通りが静かになる。夜寒くて、いろいろ羽織る。 大理・金光大酒店(210元) 泊
4・9月 1日(月)
7:15起床、町を散歩、市場をのぞく。ホテルで朝食9:30出発。
大理1中に残る書院は中庭を囲む2層の建物で見事、この町のかってのレベルの高さをしのばせる。博物館も建物はなかなか良かった。
郊外の3塔公園にバス1元で行くが、なんと入場料221元。塔は9~12世紀のものだが、すべて1978年に補修、伽藍はその時の建設らしく現代伝統様式(当時のものとはとても思えない)。古城の中央通りを復興路と呼ぶが、わがホテルも隣も向かいも四方の門も城壁のほとんども通りの中心にある五華楼も、すべて昔とは関係のない様式に思える、大変な観光客だからそれで成功なのだろうが、こちらには馴染まない。予定を変更して明日出発にして予約、ホテルに迎えに来るとのこと。
裏通りで鉄骨細工住宅を見つけて楽しかった(各地にある時間をかけた素人建築)。夕食は昨日の店で(もう顔馴染み)茸と野菜の炒め、スープ、ご飯、おいしい16元(おばさんがまけてくれた)。部屋で整理。 金光大酒店 泊
5・9月 2日(火)大理~麗江(バス3時間・65元)
6:30起床荷物づくり朝食8:30ホテル前でバスを待つ、女性の案内で歩く途中で人がふえ古城外の国道ばた、9:00バス乗車満席窓側。途中隣席の青年が後席に移り、少しラク。深い霧の中、峠を越え高原地帯12:10到着、大きな町で驚く。古城への道を尋ねていたら、一人がタクシーに乗せてくれる7元お金取らず。入り口の案内所でホテルを尋ねるとナシ族のお嬢さんが案内してくれる。中心部の便利な場所、良くはないが案内に免じて1泊する。後で町を歩くといくらでもあった、民宿は客桟という。
町へ、世界遺産の大観光地。石畳は見事だが建物すべて現代伝統様式2~3層、道路側は全開放の店舗、以前はすべて平屋だったと思う。木府という統治者の館、世界遺産指定を機に再建したもので25元、以前とはどう見ても関係なさそう。水路と洗濯場がおもしろい。歩きながら明日以降の宿を探す。
夕食は店頭に小魚エビ豆腐などを
並べた店でそれと粥をもらう、満足。昼食は観光客相手の店で麺をもらったが不味かった。四方街(中心の広場)では、ナシ族の女性の踊り(観光客もその輪に入る)や、男たちが馬を連れてきて写真のタネを提供している。雨になり部屋に帰りベランダでノート。部屋では何もできず、早く寝る。 麗江・小橋流水客桟(民宿100元) 泊
6・9月 3日(水)
6:30起床洗面シャワー洗髪8:30町へ昨日歩いた先へ、おばあさんが包子を売っていて0.5元おいしい、村の人で繁盛。町はずれに方国氏故居、見事な四合院。勝手に入ると係りの人が遅れて出勤。麗江出身の学者、日本の文化人類学の人が多く訪ねている。調度植木にも感心。ガイド本に紹介なく観光客は来ない。帰りトンバの店あり栞を求める。民宿から小さなホテルに移動、途中コーヒー店で一服。
タクシーと交渉(300元)郊外の虎跳峡へ。思ったより遠く2時間、さらに40分歩いて展望台50元、その猛烈な勢い水量しぶきに興奮する(来て良かった、日本ではあり得ない光景かつ接近させてくれる)。
女運転手さんとなんとなく心が通じた感じがして、帰ったのは18:30。バスのチケットを求める。夕食は昨日と同じ店、鳥の雑炊(泡飯)に小魚炒め16元。帰りに定年後の日本人に会う。部屋で落ち着く。 麗江・一米陽光Inn(180元)泊
7・9月 4日(木)
7:00過ぎ町へ、四方街から川のほとり中心街を歩く、早朝さすがに人はいない(中国は北京が標準時だから西は日の出が遅い)。
土地の人ばかりの店で粥(1元)、
市場で豚足(トーチで焼き金たわしをかけて毛を取る)魚(鱗をとり、はらわたを取る)の下ごしらえを見る。コーヒー店で休んでいると、日本の青年が通ったので声をかける(京大の学生・和歌山クン)。共に東巴博物館へ行く(地図を見ずに案内人の意見を聞き、必要のない遊園地にはいってしまう失敗80元)、あらためて30元。
タクシー100元で、郊外の白沙村へ。道教の寺?で壁画がある。庭がいい。そのまま村を歩く、木造で日干しレンガと瓦という家並み。商店街で150年という民家を見せてもらう、何も買わなかったが、今年に入り日本人観光客少なく困っているとのこと。市内に帰り和歌山クンと別れる。
部屋で少し休み、外へ。高台に上がってみるがいい家並み撮れず。夕食はまた同じ店、英語を話す客の一人がそれは正解と言ってくれた。19:30部屋に帰る、はじめて2万歩以上歩いている。夜中、壁の向こうの隣家から夫婦ケンカの声、相当ひどいと思っていると何時しか嬌声の合唱に変わる、ヤレヤレ。街中の小ホテルでは仕方がないか。 麗江・一米陽光Inn 泊
8・9月 5日(金)麗江~昆明(バス8時間・184元)
7:00起床、何度も行ったカフェでトースト目玉焼き紅茶の朝食28元、満足。サヨナラを言って出発。満席の通路側。昆明まで8時間の旅、10:00発。昼食休憩、案内されるままテーブルにつく各自1皿とスープにご飯、食事付きなのだ。バスの中、皆さんお互い無言。だがいつも誰かがケータイで話している、大声・呼び出し音楽も大音量、映画などお構いなし。その映画、若い男女警察官の日常と成長物語で楽しかった(これまでは活劇ばかり)、18:30知らない西ターミナルに到着。急がされるままバンのタクシーに乗り大失敗30元取られる、やはり疲れていたのかなぁ。
中心の北京路に面した昆湖飯店、部屋広く南向きの窓前は駐車場で広い空間、ぜいたくはないが設備も完備で満足。明日のバスチケットを購入。夕食は隣の四川食堂、泡飯とスープ。9:30部屋で過ごす。
昆明・昆湖飯店(180元) 泊
9・9月 6日(土)昆明~建水(バス3時間・68元)
7:00起床荷物の整理、裏通りで粥と卵の朝食2元。部屋で過ごし、9:00発で建水へ、高速整備され途中鉄鋼団地がありスモッグ。12:30到着、中心街まで2km歩く、銀行はあるが両替はできず。
朝陽門という天安門を小ぶりにした門(こちらの方が古い)が現れ、その背後が古城の中心通り。一応現代伝統住宅が並ぶが所々現代建築もあり、車も通る(そのいい加減さがうれしい)。町一番のホテルは広い部屋150を130元に負けてくれる。(夜、雲南ナンバーだが高級大型車が次々に、朝見ると家族旅行だ)
朝陽門へ、2階テラスは休息やゲームする人でいっぱい。門は博物館で上階へ10元眺め最高、あちこち古い民家が残っている。続いて朱家花園(清時代の商人の家)、建物と庭が透けながら重なる。見事なセンスに感動。中心の館が茶店になっていて休む、車椅子を押した老夫婦がいた。入場料50元、70歳以上の中国人は無料だが外国人は半額と言う、うまい考え方だ。団体客が多い。やはり南、暑い。
夕食、コロコロしたものを焼きながら食べている、所望するが、においのある豆腐とても食べられず。串焼きとご飯ですます。20:30朝陽門で民謡の演奏(建水小調)があるので出掛けるがスタートは9時、それなりに楽しかった(席料20お茶10元)。
翌日CD10元を求めるが、帰国後音声が出なかった。 建水・朝陽大酒店(130元) 泊
10・9月 7日(月)
7:30起床、はじめてTシャツ姿。
通りの大食堂で朝食、粥はなくうどんか包子。9:00発、郊外の団山村へタクシーと交渉(言葉ができないと尻込みされて結構大変)ともかく出発。
村は2006年文化村に認定になったとのことで目下大修復中(現代民家風のトイレができていた)心配。民家は小さな入り口で中庭を囲む簡易四合院、確かに日干しレンガ民家がそのまま多く残っている。
公会堂のような大きな建物、開いているので入ってみると、なんと沢山の人(約60)が酒宴の最中、男は中庭女子どもは奥の建物内で、10名くらいづつで何皿もの料理を囲んでいる。こちらに座れと誘う。まず写真を撮らしてもらい、男席につき酒は断って食事を賞味、魚牛肉トリ野菜、おいしい。帰りにその陶器の素朴な味に感心、青い一筆書きの染付け、ひとつ分けてもらえば良かったと今になって残念。
中心の張氏宅(村長さんか)ご主人が100年以上との説明をしてくれる。大きな玄関の間と生活の間、彫刻も見事。別の見学者がやって来たので退散。集落を一通り歩くが、石畳を含め修復が心配。
帰りに双竜橋という館を持つ石橋、今も使われているが車は通ることができない。タクシー代160元。
昼食は学校近くの店で焼き飯とスープ7元。孔子廟(建水分廟)中国で2番目に大きいそうで広大。メインの建物(先師殿)はなかなか良かった。そして旧市街を一巡り、朱徳旧居、古い民家や塔。
15:00部屋で休んだ後、ロビーでお茶をもらう。この建物もなかなかいい。夕食は米綫(そば・場所によってまるで違う、こちらの好みで満足)とスープ。10:00就寝。 建水・朝陽大酒店 泊
11・9月 8日(火)建水~昆明(バス3時間・60元)
6:30起床、朝食は米綫、8:00ホテルチェックアウト謝々。タクシーでバス停へ4元。バスは8:35発60元、12:00昆明駅前ターミナルに無事到着。また昆湖飯店へ、中国銀行で両替(ここでもベトナム貨はできず、隣国なのに)。繁華街へ、昼食は魚の米綫10元(魚はいいがやはり昆明のそばは合わない)、本屋で民家の本と世界地図、カフェでカプチーノやはり都会。並木の通りで物産展開催中、内蒙古のミルク飴、枇杷など花の糖飴、乾燥松茸を買ったり、羊の串を食べたり。夕食はホテル裏の朝食の店5元、部屋でゆっくり過ごす。 昆湖飯店 泊
12・9月 9日(水)
7:00朝食後、石林行きのバスを探す、やっと客引きの女性を見つける(往復60元)。後でわかるがこちら以外は「石林1日観光」参加者、9:00出発お姉さんのガイド19:00まで、楽しかったので後記。
夕食は四川料理の食堂、魚スープご飯30元。部屋に帰ったのは20:00ノート整理。 昆湖飯店 泊
13・9月10日(木)
8:30出発市バス1元、9:00終点の雲南民族博物館10元へ。
広い、1Fに服飾2Fに生活用具お面絵画など、なんと一部日本語の解説もある、開設時に協力があったのだろう。バス1台の学生が来て熱心に見ている、本を購入する者もいて感心。こちらも本とCDを求める。昼食は入り口横の食堂、揚げ豆腐とポテトチップス。12:30向かいの民族村へ。こちらはもっと人が多く遊園地みたい70元、各少数民族が住居や集会所などを建て、民族衣装の人も配置して紹介している。
開設時の意気込みの差が感じられた。途中休んだりするが(白族の店で蒸しパン)、疲れて15:00には外へ、欲しくなるものもなかった。
部屋で一息ついて繁華街へ、中秋が近く月餅を売っている。夕食は昨日と同じ店、トリはなく(禁止しているようだ)鰻にする43元(高いがうまい)。 昆湖飯店 泊
*民族博物館の店で、大理の南にある、巍山WeiShanという町が良かったことを知る、残念。
14・9月11日(金)
朝食2元顔馴染みになった少年に挨拶。月餅をバラで買い文具店で書類ケースを求め中に入れる、我ながらうまくいったと満足(月餅は贈り物用に立派なケース入りが販売されているが、上げ底の過剰包装で買う気になれない)。他に雲南珈琲豆、お茶今回は緑茶。周辺の写真を撮って、ゆっくり荷物作り。
昼食は昨夜気付いた広州料理の店、ナスにミンチはさみ、とろみの醤油味が何ともおいしい17元。
ホテルをチェックアウト謝々さようなら。空港までタクシー15分12元。
KUNMING (昆明) GUANGZHOU(広州) CZ3408 Y 1610~1755
広州・盛東賓館GoodEastHotel(200元) 泊
ホテルまでタクシー15分20元高速3元。張さんの予約も入っていて200元。夜空腹で向かいの食堂で肉の泡飯35元、これまた感激的においしく、食は広州を再認識。満足して就寝。
15・9月12日(土)
東寄りの広州は日の出早く6:00には明るい(中国は北京時間を標準に、広い全国に時差がない。だから東の雲南省は朝がとても遅かった。ラサはもっと遅い)、チェックアウト7:30のホテルバスで出発、客は当方だけ。空港で時間を持て余す。飛行機はほぼ満席、ビジネスマンが多く団体客は中国人だけ。
GUANGZHOU(広州)OSAKA (関西) CZ 389Y 1030~1500
空港バス 15:55~17:00(六甲Id) 以上
中国・雲南省の旅
2008年9月13日
中国・雲南省の旅から無事元気に帰って来ました。やはりいろいろと考える旅でした、またまとめますからしばらくお待ちください。何より同じ人種に見えるので、まず言葉のわからない外国人だと思ってもらうことに苦労しました。やっとわかると大半の人は韓国人と思うようで、日本人と言うとこれがそうかという目で眺めてくれました。
確かに旅の間、日本人には会ったのは2人だけ、ツアーは見かけませんでした。やはり減っているのかもしれません。
取り合えず、帰ったという報告まで。