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フィリピン ルソン島北部の旅 1202
2012年4月6日
20120214~0227
Philippines・Northan Luzon~Manila
フィリピン[ルソン島北部~マニラ]
1・2月14日(火) 六甲アイランド発 07:23~関空着08:20
フィリピン航空 PR407 09:55 大阪 (関西国際空港)~ 13:25 マニラ NOSTP
(ルソン島北部へ)マニラ(サンバロック)~バナウェ 夜行バス 22:00~8:00 10時間
2・2月15日(水) バナウェ Greenview Lodge 1泊 900dn
3・2月16日(木) バナウェ Greenview Lodge 1泊 900dn
4・2月 17日(金) バナウェ~ボントック Churya-A Hotel 泊 700dn
5・2月 18日(土) ボントック~サガダ Sagada Guesthouse Lodge 泊 700dn
6・2月 19日(日) サガダ~バギオ バス・7時間 Burnhum Hotel 泊 1200dn
7・2月 20日(月) バギオ~サンフェルナンド~ビガン バス・5時間
Villa Angela Heritage House 1泊 2500dn
8・2月 21日(火) ビガン Villa Angela Heritage House 2泊 2500dn
9・2月 22日(水) ビガン~ラワグ Texicano Hotel 1泊 612dn
10・2月 23日(木) ラワグ Hotel de Nord 1泊 800dn
11・2月 24日(金) ラワグ Hotel de Nord 2泊 800dn
12・2月 25日(土) ラワグ~マニラ 国内航空 14:00~15:00 2,610dn
Casa Nicarosa Hotel & Residences 1泊 2400dn
13・2月 26日(日) マニラ Casa Nicarosa Hotel & Residences 2泊 2400dn
14・2月 27日(月) マニラ
フィリピン航空 PR408 マニラ14:40 ~ 大阪 (関空) 19:20 3H40
リムジンバス 関空発 19:55~六甲アイランド着20:52
20120214~0227
フィリッピンの旅・費用などおぼえ
1)航空券:¥54,000- 諸空港税等:¥25,350- 合計)¥79,350-
旅行保険料 東京海上日動保険 E2タイプ 14日間 16,610yen
2)現地交通費
バス マニラ~バナウェ 450dn
バナウェ~ボントック
ボントック~サガダ 45dn
サガダ~バギオ(サンフェルナンド)220dn
バギオ~ビガン 245dn
ビガン~ラワグ 125dn 計)
航空機 ラワグ~マニラ 14:00~15:00 2,610dn
主要交通費計 (約 yen)
3)宿泊・Hotel 代
1・2月14日(火) マニラ(サンバロック)~バナウェ (夜行バス 22:00~8:00 10時間)
2・2月15日(水) バナウェ Greenview Lodge 1泊 900dn
3・2月16日(木) バナウェ Greenview Lodge 2泊 900dn
4・2月 17日(金) バナウェ~ボントックChurya-A Hotel 泊 700dn
5・2月 18日(土) ボントック~サガダSagada Guesthouse Lodge 泊 700dn
6・2月 19日(日) サガダ~バギオ Burnhum Hotel 泊 1200dn
7・2月 20日(月) バギオ~ビガン Villa Angela Heritage House 1泊 2500dn
8・2月 21日(火) ビガン Villa Angela Heritage House 2泊 2500dn
9・2月 22日(水) ビガン~ラワグ Texicano Hotel 1泊 612dn
10・2月 23日(木) ラワグ Hotel de Nord 1泊 800dn
11・2月 24日(金) ラワグ Hotel de Nord 2泊 800dn
12・2月 25日(土) ラワグ~マニラ Casa Nicarosa Hotel & Residences 1泊 2400dn
13・2月 26日(日) マニラ Casa Nicarosa Hotel & Residences 2泊 2400dn
Penshoppe R Ermita 798dn 1542yen (朝食込み)
宿泊費合計 16,462dn (約yen) ・(1泊当たり1,372dn 約2,500yen)
———————————————–
歩数計
合計 14日 189,189 ・ 1日平均 13,513.5
14 8,688. 15 13,405. 16 15,430. 17 17,181. 18 13,726. 19 10,826 20 15,676.
21 12,535. 22 13,327. 23 11,362. 24 15,232. 25 6,930. 26 26,684. 27 8,187.
201202フィリピン ルソン島北部の旅で思ったこと・2・ご飯はあるがお茶がない
2012年4月5日
201202フィリピン ルソン島北部の旅で思ったこと
2・ご飯はあるがお茶がない
今回の日本に近づく旅、どこかに日本につながることはないだろうか、というのが旅の目的のひとつだったのだが、何よりそれを感じさせてくれたのは毎食お付き合いした「ごはん」。そのお米の種類も炊き方も、ほとんど日本と変わらない。ただお茶碗に入れて出すのではなく、それを大皿の上でひっくり返して山型にするお子さまランチ風。空いたスペースにおかずを2~3種並べて、それをカレーライスのようにスプーンで混ぜながら食べる。
食堂では、おかずが牛肉豚肉鶏野菜などと何種類か並んでいて、それを適当に指さしで選ぶ。揚げ煮が多い。つまり食器と盛り方はまるで違うが、中身は和食と変わらない。食器は陶磁器が発達しなったというより、南国で何時でもお皿として使える大きな葉が手に入ったということだろう。味付けは、スパイスはあまり使わず辛くない。むしろ甘味を感じることが多いから、これは最近の和食に似ている。というより日本の食事の方が、この味を真似てきた、南国風になってきたと言うことができる。
とはいえ違いもある。いちばん大きいのは、お味噌汁などのスープがないこと、さらにお茶がないことだ。一度葉のかたちのままのお茶を出されたことがあったが、ほとんどその味がしなかった。気温が高いことが決定的な理由だろうが、皆さんジュースにコーラを頼んでいる。こちらは、それにはついて行けなかったが、最近の日本ではそういう方が少なくない。これはフィリピンの影響と言うより、グローバルになった世界の影響かもしれない。そして肥満を招くことになる。
若いというより20才前の妖精のような女の子たちが、ごく普通の中肥りの女性になっていくのが、なんとも悔しい思いがする。ヨーロッパのどこかの国で、肥満税をかけたというニュースがあったが、この国でも真似をすればいいと思ったりする。
それより日本の甘くないお茶を飲む習慣、というよりペットボトル入りのお茶を輸出することは、世界的に何より求められている緊急の必至の経済行動と思うのだが、どうだろうか。中国に似たものがあるが、うす甘くてこちらにはとても飲めない。
話は変わるが、フィリピンはキリスト教の国だ。それもカソリックがほとんど。海岸地帯では町の中心に石造りの教会があって、何時も何人かがそこで祈っている。光の具合が外とはまるで違う空間で、何より涼しい快適な別世界だ。老人たちは、ここで一日を過ごしているようだ。また若いカップルが入って来て、並んで坐りしばらくお祈りして、また出て行く。それはとても微笑ましい。何よりそのように出入りすることが求められている。そこは神さまとの対話の場所だから、隣同士の会話はない。とても静かな場所だが、祈っているお互いの間に、同じ神を信仰しているという安心がある。ある種のコミュニケーション、信頼感、絆と呼ばれるものがあるように感じる。
宗教という行為は、ゆっくりと流れていく時間をどう過ごすかを教えているところがある。知らない同士が知らないままで、並んで坐って、一人ではないことを確認している。それぞれの人が、自分は自分のままそれを少しも変えないで、お互いコミュニケーションをしている、と言い直すこともできる。
つまり高齢化社会の問題を、先取りして解決していたのではないか、と思ったりする。
もしキリシタン禁制がなかったら、日本にもこの風景があったかもしれない。そんなことを思った。
フィリピン ルソン島の旅で思ったこと 1・世界遺産は危機遺産
2012年4月4日
20120214~0227Philippines[Northan Luzon~Manila]
フィリピン[ルソン島北部~マニラ]の旅で思ったこと
1・世界遺産は危機遺産
フィリピンのライステラスは世界遺産であると同時に危機遺産にもなっている。想像はしていたが行ってみて、やっぱりと思ってしまった。観光客は欧米の人が多い、米作が一般的なアジアの人にとって棚田は、そう珍しいことではない。大きさや高さの違いはあっても耕地を水平にして水をはる、つまり水田にするためには棚田は避けられない。自然の曲面をそのまま畑にして種をまく、麦や牧草の民には、信じられない労力のたまものと映っているのだろう。それはライステラスという言い方にも現れている。日本語であれば、米、稲、田、畑などの言葉があって、水田、棚田などと呼ぶのだが、そのように分類のできる単語がないというか、その必要がない文化から生まれた言い回しだろう。
ともかくマニラから毎日2~3台のバスが出て、その半分が欧米からの観光客だ。世界遺産と言う言葉につられて来る当方のような日本や中国からの人もいるけれど、その数はそんなに多くない。ツアーにも会わなかった。またこの地域は太平洋戦争の激戦地でもあったから以前は追悼訪問団も多かっただろうが、今はそれも少なくなっているに違いない。
ということで当然のことだが、その観光客を受け入れる態勢が必要になる。バスが到着すると沢山の客引きが寄ってくる。そしてホテルに案内する、そこは食堂にもなっていて朝食をとることになる、当然トーストオムレツもある。そして一息つくと観光、その案内や運転手が必要になる。つまり観光業が発達する。その現金収入を求めて、米作りから転職する人がいるだろう。客引き、ガイド、運転手、運転助手、店員、店番、商品運搬、お土産品作り、コックなどなど。それだけ米作りの人は少なくなる。
もうひとつ当然のことだが、観光に値する棚田は中心の町からは遠く離れている。観光客はそこまで車で出かけなければならない。お客を運ぶ車は、農作業用のそれより大型だし数も増える。当然、道幅を広くしたくなるし、舗装も要求される。だが棚田にしなければならなかった急しゅんな山岳地帯で雨も多い、もともとは人と家畜が歩いていた道、それを広くすることは容易ではない。安易に道幅を広げると崖崩れを招くことになる。案の定そこかしこで工事中、舗装をしたばかりの道にがけ崩れという事態も少なくない。一度起こったがけ崩れを直すのはもうほとんど不可能だ。せっかく道路を修復しても、雨が降るとまた起こる。車窓から対岸の山を眺めると、がけ崩れはあちこちに発生している。道路の修復は止めて山に戻した方がいい、せめて道はもっと狭くした方がいいのではないか、そう思わせてくれる場所もあったりする。
とはいえ暖かいこの地域の棚田は夢のように美しい。高さやスケールは、インドやネパールあるいは中国にもっと大きいものがあるかもしれないが、緑豊かな周囲に囲まれたそれはとても豊かな感じがする。ちょうど水を張る時期にあたっていて、水田に囲まれた集落を上から眺めていると、空や雲を映して刻々に変化して、湖に浮かんだ桃源郷のようだった。この国がそれを文化の代表として、お札にしかも最高額のそれにデザインしてみせる心情もよくわかる。
この美しい風景は、世界遺産に認定されたことで、危機遺産になることを招いている。経済の発展が、歴史的文化的な人間の営為を破壊しているとも言える。世界中のあちこち、雲南省でも飛騨でも起こっているのと同じことがここでも起こっている。
フィリピン[ルソン島北部~マニラ]20120214~0227
2012年3月18日
20120214~0227
Philippines ・Northan Luzon~Manila
フィリピン[ルソン島北部~マニラ]
[旅の前に]
来週から2週間の時間が取れたので出かけることにしました。今回はこれまでとまるで違う場所、フィリピンです。これも小松義夫さんの民家の写真で知ったのですが、ルソン島の北部の山中には見事な棚田があって世界遺産になっています。また、その海岸部にはスペイン統治時代の町並みや教会も残っていて、これも見逃せません。ザビエルなどの宣教師もここを通ってやって来ました。マニラも今回が初めてです。
そしてこれは日本の境界シリーズの1回目にもなりそうです。台湾、石垣島、対馬、チェジュ、プサンへと続けると、新しい何かに気付くかもしれません。小熊英二さんに「日本人の境界」という著作もあります。
1・2月14日(火) バス六甲島発 07:23~関空着08:20
フィリピン航空 PR407 09:55 大阪 (関空)~ 13:25 マニラ
マニラ(サンバロック)Manila~バナウェBanaue 夜行バス 22:00~8:00 10時間
6:00起床、6:45出発。航空機は申し訳ないほど空いている。観光はオフシーズンなのかな?13:40到着、やはり近い、時差は1時間。1万円両替(空港は率が悪いとのことだが、結局ここがいちばん良かった0.53)。
タクシー、チケットタクシーなら安心とあったが見事にボラれる(2000dn、3倍以上)。さらに大変な交通渋滞、バス会社もガイド本とはちがっていたが、なんとか到着。チケットも購入450dn、指定席、3号車。
もう16:00。中心街へ行くのはあきらめ、場末?のこの地区で過ごすことにする。両替、円のできる場所やっと見つけて3万円、0.52。街歩き、マックで1時間、バス停横の食堂で1時間、後はバスの前、21:00に乗り込む。乗客半分は欧米人、皆さん同じように時間を持て余していた。隣席はオスカル氏、フィリピン系アメリカ人。
22:00バス出発、満席。高速道だが山道、どんどん登って行くようだ。トイレ休憩は2回、きちんとした設備。結構寒い。12:00コーヒー(ネスカフェ)、 3:00お粥、温かいものがうれしい。
2・2月15日(水) バナウェBunaue
6:30明るくなり、町に向かって下りて行く。7:30町の広場に到着。客引きでいっぱいだが、日本語で声をかけられ付いて行く。食堂でアメリカ式の朝食、部屋を見せてもらう。10時に空くという部屋を予約する900×2。
オスカル氏が交渉して、ドイ人夫妻(奥さまはフィリピン系)と棚田見物のジプニーをシェアする1人1000dn。夫婦は助手席、こちらは後部の向かい合わせのベンチ席で出発。途中、ぬかるみ道多く一人乗りバイクではとても行くことができなかった、ラッキー。棚田は田植えの時期、水をはった田が空を映している。
またこの一帯は太平洋戦争時山下将軍が最後の戦いをして降伏した場所、その遺跡も多い、日本兵の髑髏をつった民家博物館など。言われてしまえば当然だが、フィリッピンが(米国と共同して)日本と戦った遺跡だ(私の頭の中に、米国と戦った意識はあったが、フィリピンと戦った意識はなかった。これは間違いだ)。
14:00ホテルに帰って昼食。次の町へ行くオスカル氏を見送る、本当にお世話になったと感謝する。こちらの語力では、彼がなぜここを訪ね観光地でもない次の町へ向かうのか、聞き出せなかった。部屋でシャワー、着替え、洗たく。予想以上に寒い、17:00薄暗くなり雨も走る。もう出かけなかった。 Greenview Lodge 1泊
3・2月16日(木) バナウェBunaue
4:00鶏の声で目覚め5:30起床。6:30朝食、周辺を散歩。帰るとバスが到着したのかロビーは大混雑。結局昨日のドイツ人夫婦にもガイドにも会えず。そのガイドが昨日教えてくれた棚田へ、バイクと交渉(700+guid200)。上から見ると、棚田の中に小さな集落が浮いているように見える。道路からあぜ道を下りて行く、伝統的な民家が残っていた、コーラをもらって休む。小さいが美しい村だった。途中の道はやはりがけ崩れで荒れていて修復工事中。13:30ホテルへ帰着。14:30遅い昼食。高台の博物館へ民具や衣服に感心して、隣のホテルでお茶。
遠くから雨が走ってくる、向こうの山が見えなくなりますます強くなって、結局バイクタクシーで下りて、観光案内所へ駆け込む。そこで日本人とわかると、一人が突然イチニィサン~と叫び軍歌を歌い出す(こちらの記憶の中にもそのメロディはある)。嫌な顔をする女性あり。こちらはやはり皆さんに頭を下げるしかないではないか。そういう地域なのだ。雨の中をホテルまで走る。もう外には出ず、18:00ホテルで夕食。日本人の学生・神園さんがいたので、しばらく話をする(大学に編入することにして、仕事は辞めて来たと言う)。20:30部屋で整理。夜フランス人グループ大声でうるさい(どこの国にも、そういう人はいるのだ)。Greenview Lodge 2泊
4・2月 17日(金) バナウェBanaue~ボントックBontoc バス
4:30鶏の声、5:00起床荷造り、6:00朝食、精算。8:30出発。バスは9:00発、ほぼ満席、途中ライステラスの見える場所で撮影ストップ。11:30ボントック到着(客の大半はバスを乗り継いてサガダに向かった)。少し大きな町、若い警官(男女)が交通整理をしていたので、道を聞くととても親切に対応してくれて恐縮。ホテルは表通り側の部屋にしてもらう。古い建物が残るとの通りだが、看板で目立たず。しかし博物館はキリスト教系の私学敷地内にあり充実していた。庭に民家が数棟移設されていたし、ショップはシスターの応対だった。文化度の高い都市のよう、でも銀行で円両替はできず。
まだ時間あったので郊外の棚田へ行くことに、ジプニーで45分30dn。15:00到着、あぜ道にコンクリート遊歩道が設置されている。あいにく雨ますます強くなっていく。階段を上がるが水田は遠くなる、それでも民家近くまで行きカメラをむけたりする。
1時間であきらめバス停に帰ると、16:00最終バスが出たところ(こちらの時計では間に合っているのだが)。車を出せば300dnとのこと。しばらく話していると、5km1時間の距離とわかる。下りだし、危険もなさそうだし、何時もの散歩の距離だと歩くことにする。やがて町が見えて来て無事到着。途中巨大なるカタツムリに出会って写真を撮った(大きさの証明にコインを置いて)、歩いた甲斐があった?
ホテル近くで声をかけられる。京都の藤川さん(元高校の理科の先生)、団塊の世代。ホテルも同じ、お茶を飲みながら話をし、食事も一緒にした(以後随分お世話になった)。 Churya-A Hotel 泊 700dn
5・2月 18日(土) ボントックBontoc~サガダSagada
[藤川さんと一緒]7:00朝食、9:00バス出発10:00到着。緑の中に洋館が並ぶ避暑地のような集落、欧米の滞在が多いとのこと。ゲストハウス、木造でツインのわが部屋は気に入るがトイレシャワーなし、700dn。
昼食後、ガイドの案内で1~2hコースのツアーに向かう。棚田を見てから、洞窟の探検。
すぐ真っ暗になり用意のバーナーの明かりで下へ下へ、岩場はすべるし急だ。通路はなくガイドに教えられるまま、最後は裸足になり、手をもってもらい彼の太ももを足場にしたりして進む。300m下りたそうだ。途中写真を撮ってもらうが、日本では考えられない危険コース、足を踏み外すとお陀仏だ。帰り中国女性の一行とすれ違う、歳を聞かれ70才だと答えると驚いていた(でも考えてみると、暗い中なのに一目でこちらは老人に見えたのだ)。ガイド料500dnは安かった(しかも2人でシエア)。帰ってお茶とケーキ(タルト)おいしかった。夕食は、焼き鳥ワインなどを買ってきてわが部屋で、粗末だが、喋る相手のいることはやはり楽しい。
寒くしかも雨模様、洗濯物は乾かない。20:00部屋で整理して、22:00には就寝。毛布2人分をかけてよく寝ることができた。滞在する気にはならず、予定通り明日出発にする。 Sagada Guesthouse Lodge 泊 700dn
6・2月 19日(日) サガダSagada~バギオBaguio (北部第1の都市) バス5~7時間
4:30目覚め、6:00起床。7:00藤川さん出発(北の町へ)、こちらは8:00出発のバスで南のバギオへ。なんとバナウェで会った神園さんと一緒になる。昨日3~4時間のツアーに行ったとのこと(別の洞窟から入って、私たちが行った洞窟へ抜けて来たとのこと。こちらにはとても無理だ)。途中トイレ休憩2回、またパンクでスペアとの取り替えなどがあったが、
14:30無事バギオ到着、この旅で初めての大都会大群衆。彼とはそこで別れる。高地で寒いと言われているが、北から来た当方には太陽が顔を出した快適な場所だ。
木造の古いホテル(1938年建立)に投宿1200dn。すぐ近くに商店街大通りや中心の大公園、日曜日大変な人出だ。まず両替、ショッピングセンターでしてもらったが率は空港より悪かった0.526。これで旅行が続けられる。明日のバスも確認。
部屋で洗たくノート。夕食は大通りのアジア料理店(あまりうまくない)、隣にスタバあり、珈琲らしいコーヒーは初めてで満足。また初めてのホテルらしいホテルの部屋、シャワーも快適。やはり都会の現代文明が不可欠な身体なのだなぁ。と言いながら、やはり明日の出発にする。 Burnhum Hotel 1泊 1200dn
7・2月 20日(月) バギオ~サンタマリア~ビガン バス5時間
6:30起床7:30チェックアウト、8:00バス出発(ギリギリ)。すぐ緑の中に住宅が点在する風景、その中をバスは下って行く。9:00やっと平原地帯に9:30海岸の道と合流、以後海岸の道を進むが交通渋滞。10:30トイレ休憩食事、バスは冷房で寒い(狂っている)が外は暑い。12:30サンタマリア、教会の前で停めてくれる。(ビガン手前2時間の場所、教会を見てからビガンに行くことにして運転手にお願いしていた)。
教会は広い石段の上、その下の食堂でコーラ、荷物を預かってもらう(とても好意的でホッとする)。教会に行くが閉門(なんと11:30~14:00昼休)、外を歩いたり食事をしたりして待つ。外観は攻撃にも耐える城のようだが、内部はやさしくていい感じ。そのインテリア、どうやって作ったのか想像してみる(本国から運んだのか、大工さんが来たのか、この国の人が教えられて造ったのか)。皆さんにお礼を言って、14:40出発。
ビガン16:30到着、予想以上に遠かった。ゆっくり地図を確認しながら歩いて、想像以上に観光地化された町であることに気付く。ホテルも高そうなので同じ高いなら、1873年建造というお屋敷ホテルに行ってみる。大きな門を入ると並木の向こうに2階建て邸宅、安い方は予約でつまっていると、案内されたのは壁際の四方柱のダブルベッドが小さく見える巨大な部屋、2面窓その格子がどこか和風だし磨かれた床の木目もうれしい。明日は部屋を変わればいいという声に押されて泊まることにする2500dn。
散歩がてら外に出て、狭い町をもう一度歩く。マックでコーヒー(ここが唯一珈琲らしいコーヒーなのだ)、土地の人だけの食堂で夕食(皆さん歓迎してくれて感激)。部屋に帰ってその豊かさにご機嫌になる。博物館になっている他の部屋も見てまわる。ベッドに横になると笑えてしまう広さだ。もちろんシャワートイレ室も広大。深夜、きちんと閉まらない窓から蚊の侵入、用意の蚊取り線香をつける(持ってきて良かった)。
Villa Angela Heritage House 1泊 2500dn
8・2月 21日(火) ビガン
朝、馬の歩く音で目覚める。この町には観光用の馬車が多い、そのご出勤なのだろうか。ともかくひづめの音で目覚めたのがうれしい。6:30起床。朝食は10人座れる長い食卓の主人席に一人、なにか笑えてくる。もうないことだからオート撮影するが失敗。もう1泊することに(5000円しないのだから安いものだ)。8:45出発、観光案内所で場所を聞いてから、次の町ラワグからマニラへのチケットを購入、予定していた金曜日昼間の便がなく、結局土曜日午後に<14:00~15:00 2,610dn>。ともかく取れて良かった。続いて郵便局、切手の購入。この国には町にポストがなく局で出さねばならないようだ。以上が終わったのでマックでコーヒー。
博物館、続いて明日のバスの時間の確認。その帰りに土地の人ばかりの、気持ちのいい食堂を発見(結局、夕食もここに来た)。近くに昨日見つけたベイカリーもある(部屋で、紅茶と共に過ごす、幸せ)。
町の中心のスペイン風建築様式の建物が並ぶ通りの商店とホテルには欲しいものはない(町の名を書いたTシャツはあるが絵はがきはない)数回歩いただけで満足(中国雲南省の麗江と似ている)。むしろ裏道や町を囲んで流れる川の眺めを楽しむ。そして部屋で過ごす、退屈しない。今日は他の部屋もうまったようだ。
Villa Angela Heritage House 2泊 2500dn
9・2月 22日(水) ビガン~ラワグ
6:00起床、7:15~45朝食。時間が何時もの倍かかっている、行動が自然にゆっくりとしていると言うか、身体が勝手に時間の流れを楽しんでいる。退屈とは無縁に一生を過ごすことだってできそうだと、また笑ってしまう。
ホテル横の邸宅に「樹上ハウス」があることに気付いて写真を撮る。門番がそこに住んでいるのだろうか?朝そこから男が降りて行くのが見た。邸宅とその裏に使用人のためか小さな住宅が並んでいる。落ち着いた町だ。支払いを済まし別れを惜しんで、出発。もう来ることはないだろうが、とても贅沢な2日間だった。
門の脇に停まっていたトライシクル(座席付きオートバイ)でバス停に向かう。バス10:40出発125dn、2時間で到着。寄って来た車に適当なホテルの名を告げて行ってもらう。安ホテルだが、角部屋で広々しているので決める。ともかく昼食をと町へ向かう。そこで何と藤川さんに声をかけられる、昨日到着したとのこと。昼食を、そしてさらにマックでお茶をご一緒する。
17:30部屋で洗たくノート、今回の旅で初めてあまり歩かない一日だった。夜、部屋の前の黄色い外灯、道路の騒音と隣室のクーラー機械音に眠れず。
Texicano Hotel 1泊 612dn
10・2月 23日(木) ラワグ
こちらのホテルを見て移ってくることにした藤川さんには申し訳ないが、眠れないのは困るとホテルを探しに行く。裏通りにあって、狭いが静かそうなホテルを見つける、名前の北のホテルもうれしい。
9:00藤川さんがきて、サン・オウガスチン教会へジプニーで出発。30分35dn。前を広い芝生と花壇にして整備されて、観光客も多い。残念なことに前面が改装工事用の足場が組まれているが、鐘塔と共に堂々として見事。厚い側壁の支えと共に、この地の教会の建て方の基準のようだ1774年。内部は白と金色の装飾。日本もキリシタン禁制にしていなかったら、このような教会が各地に建ったのだろうか。見学の学生さんが多い食堂で、ビーフンをとって引き上げる。町へ帰って、カフェでコーヒーそして教会跡らしい博物館へ。民芸品が充実していて絵はがきを求める。そして藤川さんと別れる(29日帰国予定)。夕食は広場の食堂で魚(火が通っていなくて残すが、やはり下痢)、ホテル近くのミスドでコーヒー(ネスカフェだった)。部屋に帰ってノート整理シャワー、蚊取り線香をつけて、9:00就寝。 Hotel de Nord 1泊 800dn
11・2月 24日(金) ラワグ
7:00朝食をとっていて、向かいの木造住宅が快適そうなのに気付いて、周辺を散歩してみる。
区画がきちんとされ緑を持った中小の住宅が並んでいる。現在の商店街やマーケットのごみごみした街並みから想像できないが、ここラワグも前の町ビガンもそれぞれにほんの十数年前まで、まるで違う落ち着いた静かな都市であったのだ。市役所郵便局はしっかりしたレンガ造だ。わが少年の頃の城下町と似ている、と言うより長崎とか神戸に似ていたのかもしれないと、撮りながら歩く。博物館脇の公園で、bonsai盆栽の伝統のあることを知る。
ホテルを一応チェックアウトして空港に行ってみるが、今日は飛んでいない。明日ある便なら今日もあるだろうと思うのは、間違いなのだ。金曜は夜発の便しかない。ホテルに帰ってもう1泊をお願いする。昼食は博物館脇の高級食堂(大人数用のメニュー)、夕食はホテル隣の朝食を食べた食堂(こちらが好みだ)、その後見つけたクッキーを買いマックでコーヒーをもらって過ごす(我ながらうまいアイデアだ)。 Hotel de Nord 2泊
12・2月 25日(土) ラワグ~マニラ 国内航空
6:00起床、7:00朝食ミスド(失敗)、8:00思い立って海岸へ行ってみる、トライシクル200dn。
案内されたのはリゾートビーチ、はるか彼方まで延びる砂浜が美しい。家族連れカップルがちらほら、中に半身マヒした老人を連れた娘と孫6~7人の一団(老人を砂に埋めて喜んでいた)。海岸は西向きだが、その右側遠くは台湾そして日本だと思う。9:30に帰ってマックでコーヒー、11:00ホテルをチェックアウトして12:45空港到着。航空機は14:00到着、客を降ろすとすぐに搭乗開始して、14:35出発ほぼ満席、15:30マニラ空港到着、タクシー今回はじっくり交渉して乗車530dn、ホテル3案の中から運転手が選んだところへ来て、それで決める。掃除中の広い方の部屋にする2400dn。夕食を兼ねて外へ、海岸、正面に日が沈んでいく。朝見た海の続きだと写真を撮る。夕食はファミレス、トリの串とスープ、土曜の夜は家族などで満席。もう旅も終わりだ。
Casa Nicarosa Hotel & Residences 1泊 2400dn
13・2月 26日(日) マニラ
6:30起床、忘れないうちにと棚田が描かれたお札を撮る。7:00ベランダで朝食、誰もいず快適。8:00
最後の日、マニラ見物に出発。ホテルのあるマテラ地区からエルミタ地区、公園を横切って発祥の場所マニラ地区へ。中央の道を歩いていると、道の向こう側に短パンの女性が歩いていて前後する。こちらはガイド本を持っているので、教会の名前などを教えたりして一緒に歩く。
中国北京からの女性、先端のサンチャゴ要塞に一緒に入って、名前を告げ写真を撮り合う。40代のおばさんと70代のじじいのカップル、結構楽しかった。彼女はチャイナタウン、こちらは途中で見かけた民芸店へ、布や竹細工などを見る(伝統技術がまだ残っているようだ)。公園でコーラ、スタバでコーヒー。そして大きなショッピングセンターへ。昼食はどんぶり。欲しいものなくて結局買ったのは、お菓子を少しと無地のTシャツ2枚だけ。ホテルへ。部屋が掃除してないのに驚いて文句を言う。夕食はバイキング(一人はつまらん)。部屋でNHK海外向きを見て過ごす。最後の夜としてはつまらない過ごし方だが、ま、そんなものだろう。22:00就寝。 Casa Nicarosa Hotel & Residences 2泊
14・2月 27日(月) マニラ
6:30起床ゆっくりと片付け。7:15朝食、荷造り。8;30散歩へ、市場に行ってみる。なんたるや側溝のふたが外れていて、ドブに足をつっこむ、靴の中に汚水が入る大チョンボ。ショッピングセンターはまだ閉店、入り口のスタバでコーヒー。海岸通りを歩いて帰る。部屋に帰って足と靴を洗う。
11:00チェックアウト(文句ばかり言ったのに、意外や皆さん別れを惜しんでくれ、また来てねと言われ感激)タクシー450dn。出国税550dn(750のつもりが安くなっていた)。小さな搭乗ブースで2時間待ち、残金を使う。
フィリピン航空 PR408 マニラ14:40 ~ 大阪 (関空) 19:20 3時間40分
やはり空いている。マニラの町よく見えたが、すぐ雲の中。出発前と同じ寒さの日本。荷物が早く出て来てくれたおかげで、1時間早く帰ることができた。
空港バス・関空発 19:55~六甲島着20:52
*フィリピンのお札、その最高額の1000dnにライステラスが描かれている。この国でいちばんの自慢なのだ。
フィリピン ルソン島北部の旅
2012年3月1日
フィリピンから無事帰ってきました。出発前と変わらぬ日本の寒さに驚きましたが、すぐ春めいてきてホッとしています。
わずか2週間の短い旅でしたが、今回も新しい発見や思わぬ出会いがありました。またぼちぼちとまとめていきますので、ご期待ください。
取りあえずの帰国のお知らせです。