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田原 晋

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青蔵鉄道とラサ、北京の旅0709

9月1日(土) 西寧 シーニン 2,275m 泊・Jian Yin Hotel 建銀賓館
9月2日(日) チャカ(茶上下鎮)3,300m 泊・SaltLake Hotel 塩湖賓館
9月3日(月) ゴルムド(格 木)2,800m 泊・Tian Long Hotel 天龍酒店
9月4日(火) [青蔵鉄道] 15時間
 ラサ3,600m 泊・Lhasa Hotel 拉薩飯店
9月5日(水) ラサ泊・Lhasa Hotel 拉薩飯店
9月6日(木) ラサ泊・Lhasa Hotel 拉薩飯店
9月7日(金) ツェタン泊・Zedang Hotel 澤当飯店
9月8日(土) 北京泊・Sind Swiss Hotel 国都大飯店
9.9月9日(日) [皆さんは、北京~関空CA927 09:20~13:55で帰国]*こちらはホテル移動
   北京泊1・Zhu Yuan bin guan 竹園賓館
10.9月10日(月) 北京観光
        北京泊2・Zhu Yuan bin guan 竹園賓館
11.9月11日(火) 北京観光
         北京泊3・Zhu Yuan bin guan 竹園賓館
部屋2040元(1泊680元、約10,880円)朝食120(40元)

12.9月12日(水) CA161便 北京発 16:20 関空着 20:00
            リムジン 関空~六甲id        

     
旅行費用
1)ツアー料金     328,000円   (申込金50,000円支払い済み)
2)国際線追加料金  12,000円(ツアー離脱のため)
3)関空使用料 2,650円 燃油特別付加運賃 7,200円
4)旅行保険 12日間  2cセット 7,950+400= 8,350円

5)ホテル代・北京、竹園賓館  部屋2040元(1泊680元、約10,880円)朝食120(40元)

                                        以上

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青蔵鉄道とラサ、北京の旅0709

9月1日(土)  5:30目覚まし、6:30タクシー、リムジン・六甲id~関空 7:03~8:00。
北京で東西がそろったツアー一行21名はこちらと同年齢が多い。添乗員は大島優美子さん。
      関空~北京 CA162 10:00~12:10
      北京~西寧 CZ6992 18:00~20:30
      西寧 シーニン 2,275m 泊・Jian Yin Hotel 建銀賓館
西寧空港よりバス(迎えた日本語の堪能ガイドの洪さんが一人一人に白いサテンを首にかけてくれる)、
高速道路で坂道を上ってホテルへ。鉄道開通後、日本人観光客は10倍になったという。

9月2日(日) 西寧市内2,275m ~日月山峠3,510m 
         ~青海湖3,200m ~木象皮山峠3,817m 
18:00着 チャカ(茶上下鎮)3,300m 泊・SaltLake Hotel 塩湖賓館

6:30目覚ましコール7:30荷物出し8:30出発。以後ほとんどこういう予定で進行する。
西寧は建物も広場も、ほとんどここ10年の新開発の街。ホテル高層で中央広場の前、あいにくの雨。まず西寧博物館(トヨタの援助)絨緞古いものはいい。前の広場で老人たちが踊っているが、そのただ広いだけの空間はどうも落ち着かない。随所に工事中、それぞれが描く現代のデザインが不調和に並んでいる。
9:30出発、すぐに荒地が広がり一気に地の果て。天候も悪く、日月山峠は風がきつい、チョルタン(ロープに結びつけた細長い色布)が音をたてている。ここからがチベット、嫁入りした唐の皇女が涙したという。それを記念する祠があるが、壁画は見事。そして青海省の名前になっている青海湖(山梨県と同じ広さ)、昼食はパオの食堂、あいにくの曇天で青くはないが、水面が草原に続く湖畔はじゅうぶんに美しい。馬が遊んでいる写真を撮っていると、やってきたおじさんが民謡を歌いながら踊ってみせてくれた。両手を広げる仕草がなんともチベットだ。さらに高い峠を越えて7℃、ますます荒涼の地、下りのスピードに気分が悪くなり到着と同時にはいてしまう。これは高山病かとおそれたが単なるバス酔いだったらしい。最後尾を同情されたのか、翌日からバスの席を平等にするため毎日移動することになる。ツアーならではのマナーだと感心する。ホテル到着19:30時、走行315km。足を洗っただけで21:00就寝、翌6:30までぐっすり。

9月3日(月) チャカ塩湖 チャカ ~ツァイダム盆地
   ゴルムド(格 木)2,800m 泊・Tian Long Hotel 天龍酒店
朝から雨、塩湖の見物は中止になり、ホテルで塩を購入(これが唯一のお土産になった)。雨風の中を行くが、峠を越えると嘘のように晴天。昼食はお弁当、予定より早く17:30到着。走行500km。
夕食後、通りを散歩、サボテンの街路樹と思ったらプラスチック製でびっくり。通りの広い歩道で、男たちが玉突きやチェス、お母さんが子どもをあやしている。スーパーと文具店をのぞく、絵はがきはない。夕日が輝いたまま落ちていく。(バスの運転手さんは明日、西寧まで800kmを帰るという、何処も仕事は大変だ)

9月4日(火)08:46発 N919列車[青蔵鉄道] 15時間、1,150km
          崑崙山峠4,767m ~タングラ唐古拉峠5,072m
          ~トーヤ惜那湖4590m ~テンセイタングラ山7,162m
       23:00着 ラサ3,600m 泊・Lhasa Hotel 拉薩飯店
6:30起床、朝食時ゆで卵、バナナ、梨など食料を確保。ゴルムドの駅で列車の到着を待つ、到着しないと改札はしないという仕組み、停車時間は20分。到着、各自荷物を持ってホームを走る、指定の車両でなく増結の車両、なんとわれ等と香港グループのみ。最初はつめて座るが空きを取ろうと皆さん一斉に移動、こちらは6人席に2人残される。結局ラサまでの15時間をそれで過ごす。後に車内探検をしたが、3段ベッドの2等寝台、2段ベッドの1等寝台よりも硬座(3人+2人の新幹線式)が両側を眺めるには最適、ゆったりしているのだから特別1等だった。(西寧からは26時間、北京から2泊の人もいるとのこと)
車窓はテレビで見た通り。畑が牧草地になり荒野になり、大きく迂回しながら、つまり遠くにこれから通るレールを望みながら上って行く。鉄道周囲に格子の石組み、砂よけとのこと。植林は水遣りがむつかしそう。川は雪解けの今がもっとも水量が多いとのこと、長江、黄河の水源地域とのこと。昼と夕は食堂車、メニューは同じ6~7皿を取り分ける、言われれば火熱が弱いようだ。車内販売のスイカを求める。ココシリ自然地区、丘陵は温暖化で薄い草の緑、野生のカモシカ、ロバ、馬などがいて歓声をあげて見る。15:40分最高地点の峠を通過、高度計や駅名の表示は撮れず(テレビでは停まっていたが、高山病を防ぐためか?速度はむしろアップ)。世界一の高さの淡水湖は美しく、7,000mの山は水晶のように崇高だった。20:30だんだん無彩色に、そして雨。そしてラサ到着、車内で写真を撮らせてもらったチベットの人たちと挨拶をして別れる。巨大な駅舎は撮る気になれず。ガイドはドルチェさん男性、丸覚えの挨拶がおかしい。

9月5日(水)ラサ 博物館~ポタラ宮 
      (皆さんは、ジョカン大昭寺~八角街~蔵病院 など)
   ラサ泊・Lhasa Hotel 拉薩飯店
9:30出発、博物館、音声ガイドを聞くうちに中国政府が建設したことを感じる、ショップで本を求める。
青い空白い雲のポタラ宮前の広場で記念撮影をしてから、ポタラ宮へ12:00~13:00(見学が多いため時間限定)。上り坂がしんどく最後尾遅れる。中央の建物は見た目以上に奥行きがあって、全体が曼荼羅になっている。仏像、壁画ともに見事。ドルチェさんの説明は、昨日とはまるで違って熱心(これは別記)。
Hさんが頭痛で皆さんと別れてホテルへ。昼食、休んでから、チベット医学の病院薬局?何とかわかって薬を購入。そして中心部へ、町を歩く。レンガ造3階建て、入り組んだ路地が迷路のよう。回教の寺もあって、やがて商店街。大昭寺前の広場を見下ろすテラスでお茶、その近くの店でダルのスープと野菜カレーにナン、観光客向けだが素朴な味、ここでは西欧の人が目立つ。ゆったりとした時間を満喫して満足する。

9月6日(木)ラサ (皆さんはノルブリンカ宮殿~セラ寺~
            デブン寺~アニ・ツァング寺 など)
         ラサ泊・Lhasa Hotel 拉薩飯店
今日も皆さんとは別の行動。ノートの整理をして、11:00リキシャで中心部へ、その低速視界がうれしい。ポタラ宮前で写真、昨日入らなかったジョカン(大昭寺)、前で大勢の人が五体投地の礼拝中。ここも建物全体が曼荼羅形状、大勢の人が行列して仏様を拝んでいる(巡礼のよう)。2階テラスに並んだライオン?がユーモラス、採光の仕方も見事。さらに屋外の2~3層の回廊、はるかにポタラ宮。14:00お寺前の広場を望む屋上で昼食一服(観光客向けにあちこちある)、さらに市内を歩く。飾り金歯をつける店、羊のいる家、2階建ての市場などなど。木造の高級ホテルのカフェで紅茶。夕食はビスケットと卵を求め、残り物ナンや果物など。21:00添乗の大島さんから連絡、いま帰着とのこと(こういう行程について行かなくてよかった)。
9月7日(金) ラサ~カンパ・ラ峠4,749m~ヤムドゥク湖4,250m
16:00着 ツェタン3,400m ~サムイェ桑那寺
        ツェタン泊・Zedang Hotel 澤当飯店
08:00出発またツアーの一員に。ラサ郊外に解放軍?兵舎1万人と空港などがある、バスの運転手さんはそこの出身の元パイロット。さらにラサ空港前を通過。ラサ川そしてガンジス上流というヤノンチャンプー川に添って走る、河川敷まで満水。やがて峠にかかるがここ数日の雨で土砂崩れ、その修復中の箇所をトラクターの助けを借りて通過。川岸から一気に登る峠の眺めは霧がなければ見事。反対側には湖、沢山のバスが停まっている。こちらは湖畔まで下って、お昼の休み。だが雨模様で寒い。商売の人がヤクなどを連れて走って来る。帰り、工事の場所は渋滞中。トラックが1台、土砂にタイヤを取られていた。なんとか通過して、川沿いの道をツェタンへ。到着後、対岸の寺に行くことに、峠を越えて大変だったが、文化革命を逃れた7世紀の寺はお堂など崩れかかっているが、建物は3層の曼荼羅構造、仏像壁画は見事で、来た甲斐があった。暗い中、持参の懐中電灯が役に立った。俗化したポタラや大昭寺にはない本来の姿を感じさせてくれた。
20:00ホテル帰着、夕食はこれまでと違っていて満足。22:00やっと部屋に。

9月8日(土)  9:00発~ユムブ・ラカン  ~タントゥク昌珠寺
山の上にある最初の宮殿に、10元を払って馬に乗って登る。小さな3層の建物は、構造がこれまでの寺の原型を感じさせてくれた。後背にチョルタンがたなびき紙銭をまいて無事を祈る。昌珠寺は崩壊寸前、建設の7世紀頃には周囲に森林があったことを感じさせてくれる。タンカ(布製掛け画)に刺繍使いの見事なデザイン、暗い中の仁王像、男女交歓像は迫力があった。そして民家を訪問、高い土塀に囲まれた中庭にテラス付の住まい。母は出稼ぎ(現金収入?で設備は豊か)で、祖母、曽祖母、幼い子どもが迎えてくれた。
昼食はお粥と料理。ラサ空港へ向かう、14:30到着。
   CA4111便 ラサ~北京
        16:30~(成都経由18:00~19:30)~ 21:30   
北京泊・Sind Swiss Hotel 国都大飯店
定刻無事に北京空港に到着(遅れることが多いらしく、翌日になることもあるらしい)、バスでホテルに。大都市に帰った感じがしてホッとする。平地のためか大都市のためか、空気が濃密な感じがする。ゆっくりと入浴。NHKテレビが映る。

9.9月9日(日)  [皆さんは、北京~関空CA927 09:20~13:55で帰国]*こちらはホテル移動
   北京泊1・Zhu Yuan bin guan 竹園賓館
7:00出発の皆さんをロビーで送る。ありがとうございました。朝食、部屋で昼までゆっくり。
12:30の無料バスで市内へ。タクシーで旅館へ27元、14:00無事到着(部屋は窓のない小密室、明日からの部屋替えを頼む)一休み後、遅い昼食は近くのまんじゅう屋(うまい)。ともかく天安門広場へと。地下鉄3元、混んでいてつり革を持っていると、なんと前の中年の男性が席をゆずってくれる。(翌日も、今度は若いお嬢さんがそうしてくれた)髪型と体つきが、典型的な老人スタイル?なのか。それにしてもショック!!
前門から大きな広場を歩く。天安門上階へ(15元、クローク4元)、広場へ手をふってみる。共和国歴史の写真。背後の故宮を望む、降りて隣駅、ワンフーテン王府天まで歩く。途中の柳並木のベンチで休む。人でいっぱい。商店街は大改造中、小さな路地は壊され古い店は改造。屋台がずらりと並んだ壮観な通りがある。雲南のビーフンに台湾の魚ダンゴ入り、たこ焼き風ダンゴ、どちらもうまく満足。広場でお茶をして引き上げる。オリンピック記念品の店でTシャツ。シャワーを浴び、22:00ベッドに倒れこむ。
10.9月10日(月) 北京観光
          北京泊2・Zhu Yuan bin guan 竹園賓館
6:00目覚め 7:15朝食はテラス、庭が広いので散歩、竹林のトンネルあり。9:00出発、地下鉄で天安門そして故宮博物院へ60元、日本語ガイドイヤホーン40元に預かり料100元(返却時に返してくれる)場所を衛星で追尾して説明する。ゆっくりと移動、改修中の場所が多い。いろんな国の人がいる。中国、ヨーロッパ各国、タイ、韓国など。内廷のカフェで一服(コーヒー20元)、最後に九竜壁。昼食も内部でラーメン20元。
外に出てリキシャで、14:00天壇へ(入場28元、イヤホーン40元、預かり100元)、明の祭紀場。修復が終わったところで美しい。ここも大変な人、団体も多い。屋外のカフェで一休み。出ると反対側に古い住宅街が改修されつつ残っているので歩いてみる。路地の人たちに会釈微笑ながら歩く、木々が影を落として貧しいが落ち着く。広い道の陸橋を渡って中心部方面へのバスに乗る、なんと1元。17:00商店街の東単のマックでコーヒー、よく歩いた。目をうたがう新ブテック街を歩いていると、大食堂(周囲に店がならび中央にテーブル)があったので夕食にする。北京ダック?のセット22元、うまそうと思ったがソースをバサッとかけられてしまった。確かに衛生的ではあるが、昨夜の屋台の方がうまかったと思う。
ホテルに帰ると、部屋は2階の2面に窓のある2人部屋すっかり上機嫌。お湯をはって入浴、22:30就寝。

11.9月11日(火) 北京観光
         北京泊3・Zhu Yuan bin guan 竹園賓館
9:00出発、歩いて近くの后海。宋慶齢(孫文夫人、共和国初代名誉国家主席)故居、広い庭の邸宅、住宅部分はとても質素で快適そう。当時の上流階級の知性と教養を感じさせてくれる。ショップで絵はがき。湖畔の道から胡同へ。公開の四合院住居(隣のホテルも)を探すが改修閉鎖中、周囲は古い民家に新しいブテック(観光客相手)。鼓楼へ登る(20元、作業員しか登らないのだから当然だが直行の急階段に驚く)、周囲の胡同には緑が多い。すぐに鐘楼もあり観光バスずらり。遠くはすっかり霞んでいる、スモッグ。もう14:00.
地下鉄で北京都市計画展覧館30元へ、カフェに食べるものなくポテトチップスなど。フロアーいっぱいの大模型があり北京の変貌を見ることができる。ここも大変な人。故宮を中心に広がる都市、北にオリンピック会場。東に超高層ビル群、そこへ行って見る(地下鉄・国貿)、工事中の斜めにのびる超高層の鉄骨(ザハハディッド?リベスキンド?ゲイリー?)離れて山本理顕のビルも。中国の人は、これが自分たちの現在だと信じているようだが、故宮や胡同と切れたところに中国はない。私たちが富士山芸者歌舞伎と切れないように。全部を引き受けるところに文化があるのだが~、高度成長期の日本がそう思えなかったのと同じだろうなぁ、でも丹下にも安藤にも伊東にも妹島にも、秋葉原にも日本ははっきりと見えるのだがなぁ。いやこのスカイクレーパーこそ中国なのだろう、そういえば上海も同じだ。でも宋慶齢の方が好きだなぁ。
王府天のスタバで一息、屋台まで行く元気なく昨日の大食堂で、魚ダンゴ麺とまんじゅうなど。本屋と土産物屋。19:30帰室。CNNテレビはNYテロ6周年の放送、6年前こちらはチェコにいたのだ。

12.9月12日(水) 北京観光
CA161便 北京発 16:20 関空着 20:00
食事7:30、ゆっくりと荷物作り。10:30チェックアウト。荷物を預けて散歩。后海を反対側へ歩く。大きなお茶屋があり、テラスで所望58元、高いがおししい。女主人は日本語ができて話をする。色紙などくださる。歩き方を見ると有名店・茶家傳。その発見がうれしい。12:00荷物を持ち、リムジンバス16元で空港へ。 
航空機、日本人のグループはなく、ほとんどが中国人のグループで満席。関空の澄んだ夜景に感激。 

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青蔵鉄道とラサ、北京の旅0709

9月1日(土)リムジン・六甲id~関空 7:03~8:00(8:00集合)
       関空~北京 CA162 10:00~12:10
         北京~西寧 CZ6992 18:00~20:30
西寧 シーニン 2,275m 泊・Jian Yin Hotel 建銀賓館
9月2日(日)11:00発 西寧市内観光2,275m
              日月山峠3,510m ~青海湖3,200m ~木象皮山峠3,817m 
18:00着 チャカ(茶上下鎮)3,300m 泊・SaltLake Hotel 塩湖賓館
9月3日(月) チャカ塩湖(雨)
10:00発 チャカ ~ツァイダム盆地
         19:00着 ゴルムド(格 木)2,800m 泊・Tian Long Hotel 天龍酒店
9月4日(火)
         08:46発 [青蔵鉄道] 15時間
           崑崙山峠4,767m ~トカラ唐古拉 峠5,072m
         23:00着 ラサ3,600m 泊・Lhasa Hotel 拉薩飯店
9月5日(水)ラサ観光 ポタラ宮~八角街・旧市街
   ラサ泊・Lhasa Hotel 拉薩飯店
9月6日(木)ラサ観光 ~大昭寺~八角街・旧市街
              ラサ泊・Lhasa Hotel 拉薩飯店
9月7日(金)08:00発 ラサ~カンパ・ラ峠4,749m~ヤムドゥク湖4,250m
16:00着 ツェタン3,400m ~昌珠寺~ヨンブ・ラカン など
ツェタン泊・Zedang Hotel 澤当飯店
9月8日(土) サムエ寺など観光
         11:00発 ツェタン
         15:00着 ラサ
            CA4111便 ラサ~北京 16:05~(成都経由)~ 21:35   
北京泊・Sind Swiss Hotel 国都大飯店
9.9月9日(日) 朝食
       [皆さんは、北京~関空CA927 09:20~13:55で帰国]*こちらはホテル移動
   北京泊1・Zhu Yuan bin guan 竹園賓館
10.9月10日(月) 北京観光
               北京泊2・Zhu Yuan bin guan 竹園賓館
11.9月11日(火) 北京観光
         北京泊3・Zhu Yuan bin guan 竹園賓館
12.9月12日(水) 北京観光
CA161便 北京発 16:20 関空着 20:00
            リムジン 関空~三宮       

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青蔵鉄道とラサ、北京の旅0709

中国への旅の前に・2 2007年6~8月

1. 結局のところ、㈱西遊旅行の高原列車で崑崙山脈を越える「青蔵鉄道と太陽の都ラサ・ツェタン」9月1日出発9日間というツアーに申し込んだ、328,000円。これでチケットの心配もなくあこがれの鉄道に乗れるし、ラサにも行くことができる。しかも感心しているのだが、高山病についても細心の配慮があって身体の具合の維持についての注意事項や、万一のための薬の案内までしてくれる。添乗員も付くことになっている。申し込みをすべてすまして、8月21日には説明会まで開催してくれる。
だが、やはりそこまで完全にお守りをされてしまうと、どうも落ち着かなくて帰りに北京で別れてもう3泊して帰ることにした。さてそのホテル、ガイド本を見ているうちに四合院という伝統様式の民家をホテルにしているのがあるようで、それを申し込むことにした。ネットでの申し込みはうまくいかず、結局、友人の紹介で最後は中国の人が申し込んでくれてやっと取ることができた。他の都市とは、やはり違うようだ。

2. それより、欲しいと思っていた本が、やっと発行された。ビジネスマン・旅行者必携「中国簡体字ハンドブック」岳陽社。2007/08/20初版発行だから、ラッキー。見かけた簡体字を、日本の漢字で理解することができる。巻末に商品名などカタカタ名前が一括されていて、これも便利そうだ。持ち歩きにも便利だ。おしむらくは、中国の都市名や名前の読み方がわからないが、これもそのうち出るだろうと、待つことにする。巻末に編集社のアドレスがあったので、御礼のメールを出す。

 近代書道研究所 「中国簡体字ハンドブック」編集ご担当者さま
「中国簡体字ハンドブック」を購入しました。この春から、このような本を探していたのですが、やっと出たとうれしくなりましたので、感謝のお手紙を差し上げることにしました。
「中国人のための漢字の読み方ハンドブック」は97年以来9刷りを重ねていますが、なぜかその逆の本が日本には出ていなかったのですね。電子辞書を当たってみましたが、これも同じで中国人向きにはある内容が日本人向けには出ていないという現象にあります。何故なのか、これだけ中国との関係が深くなり、中国語を学ぶ方が多いのに、ほんとうに不思議に思っています。その理由がわかれば、お教えいただくと幸いです。
ただ貴書の中に、中国の都市をどう書き、何と読むか。また中国の人名を何と発音するのか。以上も加えていただくと良かったのにと思っています。いえ、中国に住むアメリカ人と旅の途中で知り合い、いろいろ教えてもらおうと会話を試みたのですが、こちらが都市名も人名も、まるで知らないことに自分で驚いてしまいました。これでは、まるでコミュニケーションが取れません。これは日本の教育やマスコミの大きな問題ですが、それを解決するのは、やはり出版なんだと、あらためて書籍の大切さを認識しています。
これからの貴社のますますのご発展をお祈りします。 07年08月  田原 晋

  田原 様
「中国簡体字ハンドブック」のお買い上げ誠にありがとうございます。そして嬉しいメールをどうもありがとうございます。制作者としましても、このようなお言葉は大変励みになりますし、貴重なご意見は今後の参考になります。また版を重ねることが出来ましたら、使って頂ける方々により便利にする様、改良をしていきたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。
(株)近代書道研究所 ・・・・

3. そうでした。電子辞書も調べたのですが、これはやはりまるでダメ。中国の人には便利になっているのに~。どうもそういう要望を出す人がいないのだと、あきらめた。これも時間待ちだ。技術的には電子辞書が進んでいるのだが、内容の上では昔ながらの本の方がまだ先を行っている。私の電子辞書は、中国語のカードを入れることさえできない。新しいタイプを購入する必要があるとのことだが、これも顧客をなめていると、今回は購入しないことにした。

*ということで、しばらく休みます。帰って、このツアーをまとめてお知らせするつもりですが、その前にたぶん2月のミャンマーの旅を掲載します。

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青蔵鉄道とラサ、北京の旅0709

中国への旅の前に・1 2007年4~5月

1中国を目指して
 前回のミャンマーでインドシナ半島の国々をほぼ回ったので次回はベトナムの先、中国ということになる。のだが中国語がまるでできない当方にはやはり不安、英語が通じないそうだから、中国語以外に選択肢はないのだが会話への自信はもっと持てない。となると最後は文字だ、同じ漢字だから筆談でいけるとずいぶん昔に聞いたことがある。最近聞かないのは、日常使う文字がお互いでずいぶん違ってしまってから時間がたったためだろうと勝手に解釈して、せめてその違いを理解しておこう、その方が会話より楽だと、参考書を求めることにした。
 本屋さんに行くと、さすが国交がさかんな結果として中国語会話の本はびっくりするほど豊富だ。これなら文字を比べる本もあるだろうと探すが、それはない。通りかかったお店の人に尋ねてみた。「日中の文字を比較した本はありませんか。大きい文字の、表記辞典のようなものがあるとうれしいのだけど」優秀そうなその女性は、しばらく考えて「ちょっと待ってください」とどこかへ行ってしまった。あ、パソコンで調べるのかなと思って待っていたら、1冊の本を持って帰って来た。「これしかないのですが、参考になれば~」と渡してくれた。
 それは「中国人のための漢字の読み方ハンドブック」(株スリーエーネットワーク)という本だった。あ、中国の人もたくさん日本に来ているのだから、こういう本が必要になるのは当然だと、ご同輩やはり苦労しているのですねと手に取った。日本の漢字、中国の簡体文字、繁体字の三種の文字が並んでいる。こちらが探しているのはこれだと思うのだが、ただ配列が中国語の発音にしたがってABC~順で並んでいる。違いはわかるが、わからない文字を調べることは不可能だ。「この日本人向けを探しているのですが~」と言うが、ともかくこれしかないと言われ1,890円也を支払って持ち帰った。
 1997年に初版が出て、2005年に9刷りを重ねている。役に立っているのだと思いながら、それにしては日本の皆さんは必要を感じないのだろうかと不思議になってしまった。ともかくこちらは表記辞典として使うことはあきらめ、文字の違いをただなるほどと思いながら眺めている。日本の略字は、活字として考えられていて全体が方形におさまるように感じる。これに対して中国の簡体文字は筆による書き文字つまり略して書く草書体が選ばれている。そのため日本人の当方には、活字としてはおさまりが悪いように見えるし、簡略の理屈が通らないケースもあるように思えたりする。
 またこの本には巻末に、日本語による中国の地名、人名、王朝・時代名、日本人の姓がまとめられている。そうなのだ、当方には世界中の人が知っているような大都市や有名人の名前という常識がまるで欠けている。最近になって韓国人の名前はカタカナ表記するようになったが、中国については相変わらず漢字で表記して、世界の誰にも通じない特異な呼び方を教え込まれている。地名を一から憶え直さなければ、キップ1枚買うこことできない。
こんなことがあった。カンボジアでアンコールワットへ行く船の中で、中国に住んでいるロシアの青年と顔を合わせた。中国の話を聞くことができると喜んだが、すぐにあきらめてしまった。ラオスで川のぼりのボートツアーに参加した時も、中国在住のアメリカ人の話が通じない。基本的な土地や人の名前がまるでわからない、漢字を尋ねることは不可能だ。となるとコミュニケーションはまったくできない。日本の教育を問題視するなら、この世界に通用しない表記と読み方をまず問題にすべきだろう。


2冒険ツアー
中国の西寧(シーセン)からチベットのラサまで列車が開通したというテレビ番組があった。まるで当方のために放映されたような気がして行きたくなったのだが、その人気ぶりからチケットを求めるのが大変だろうと思った。ハノイから中国国境地帯へ向かう列車のチケットを求めるのに苦労したことがあるが、おそらくそれ以上に違いない。
しばらくして、そこへ行くツアーがあることを広告で知った、行きたい人が多いだろうから当然だろうとは思ったけれど、その素早い対応に驚いた。早速ネットで検索をして、すでに数社が実施していることを知った。いちばん充実していそうでまた個人旅行も受け付けている㈱西遊旅行に問い合わせをしてみた。やがて返事が来てツアーのパンフレットも送るとのことで、その対応の手馴れた様子に感心したのだが、送ってきたカタログでさらにびっくりした。
列車でラサに行くだけでなく、さらに奥地を回るもの、ネパールからインドにぬけるもの、さらに五体倒置のカイラーサ山を巡るもの、2ヶ月をかけてシルクロードを抜けるものまで用意されている。一人では不可能とあきらめていた旅が、ツアーで実現できるなんて、あらためてこの国のツアーの幅広さ奥深さを知った。もちろんそれなりの能力や覚悟を要求してはいるのだが、ともかく誰でも申し込むことができるのだ。
これだけ高齢者が増え時間が自由になる人が多くなったのに、ひとり旅の高齢者に出会わない理由がわかったような気がする。各自の希望や好みに合わしたツアーがこれでもかと用意されている。カタログで選んで申し込みさえすれば、荷物を取りに来てくれて、当日出発するだけ。持参するモノの用意は必要だが、どこに行くかから始まって交通の手段を考えたりホテルを予約したりというもろもろのコトの準備はしないですむ。これはラクだ、こちらを選んでしまう気持ちはわかる。ちょっと慣れてしまえば、ご一緒する仲間の好みや人柄まで類推できて自分に合った旅行会社やツアーを選ぶことができるに違いない。当方だってたった一度参加したツアーの仲間数人に今でも旅先からの絵はがきの交換をしている。
これは仕方がないことだ。資本主義の行き着く先がここにも見えている。そう思うのだが、それでも「だから嫌なのだ」と駄々っ子のように叫んでいる。せっかくのあれこれ考えたり準備する機会を自分で放棄することになるではないか、場合によってやって来る皮膚全体をおおう緊張感を味わうことがなくなってしまう、何より時間を忘れてぼぅーとカフェの椅子に座っていることができなくなる、いや現地で会った人の勧めに従って予定を変更することができなくなるではないか。ツアーを当然と思う人にはいずれもしなくていい苦労や取るに足らないことだろうが、そのしょうもないことに頼って、一人旅に固執したくなる。
といって当の「西寧~ラサの列車の旅」ツアーはやはり、魅力的だ。イエメン以来、5年ぶりのツアーに参加することになりそうだ。その時と同じく、最後に皆さんと別れてちょっとだけの一人旅をお願いすることとしよう。

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