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田原 晋

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中国の旅

30日遅く無事に帰って来ました。いずれ報告しますので、どうぞお楽しみに。

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中国の旅

  この20日からまた旅に出掛けます。中国の九寨溝です。ちょっと遅くなって紅葉は終わってしまったか、とても寒いのではないか、インフルエンザはどうか、など不安はありますが、ともかく出掛けることにしました。

1・10月20日(火) taxi6:15 六甲is発 6:48~7:45 関空
中国国際航空 CA162 関空発09:30 ~北京Bejing 11:50 着 T3
中国国際航空 CA4108 北京14:00 発~成都Chengdu 16:30 着
      宿泊・成都 MinshanHotel民山飯店
2・10月21日(水)
  成都ChengDu~九寨溝JiuZhaiGou   CA4481 10:40~11:25
                 宿泊・九寨溝
*ここまでは決めていますが、以後はどうなるか向こうで決めます。何時ものように、なるようになる計画です。
 ともかく九寨溝をゆっくりと見て、あと地震の地域をバスで通ることができればと思っています。最後に、北京で「鳥の巣」と人民広場の現在を見ることができればと思っています。
 帰る便だけは決まっている航空券です。

3・10月22日(木)九寨溝JiuZhaiGou
4・10月23日(金)九寨溝JiuZhaiGou
5・10月24日(土)九寨溝~松潘Songpan or 九寨溝~黄竜ホアロン~松潘
6・10月25日(日)松潘~黄竜ホアロン~松潘Songpan

7・10月26日(月)松潘~(バス7時間)~成都        8・10月27日(火)成都
                   
9・10月28日(水)成都
10・10月29日(木)成都~北京      
CA4115 成都11:00発~北京13:25着
                      宿泊・北京
11・10月30日(金)  
CA161 北京発16:05~関空20:10

  では、帰ってからの報告をお楽しみに、バイバイ。

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寧夏回族自治区~西安0907~08

中国・寧夏~西安20090726~0806
Ningxia Huizu Zizhiqu~Xi’an (ShaanXi 陝西省・せんせいしょう)
2009年関西日中交流懇談会・交流、教育支援ツアー
協力・寧夏回族自治区人民対外友好協会、固原市原州区教育局、中国人民対外友好協会
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1・7月26日(日)  六甲is発 6:33~7:30 関空7:30集合(出発ロビー)
CA162 関空発 9:30~北京着11:50
CA1229 北京発15:30~銀川着17:20                 宿泊・銀川 沙湖賓館
2・7月27日(月)
 午前 銀川~(高速道路)~固原
午後 塞科郷へ 塞科小・中学校訪問 交流活動・折り紙教室アシスタント 宿泊・固原 華禎飯店
3・7月28日(火)
 午前 開城鎮・開城小学校で交流活動・お絵かき教室   村内見学
 午後 固原博物館                               宿泊・固原
4・7月29日(水)
 午前 張易鎮へ 張易中学校で交流活動
 午後 毛庄村訪問・(交流活動) 村内見学など                  宿泊・固原
5・7月30日(木)
 午前 固原~(高速道路)~銀川 
 午後 旧石器時代の遺跡・水洞溝 見学   夜・反省会             宿泊・銀川

6・7月31日(金) 本団から別れる(本団は9:25発で北京へ)
     銀川~楡林~揚家溝(車・約4時間)ヤオトン集落      宿泊・揚家溝 常氏宅
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7・8月 1日(土) 揚家溝村内散策
 午後出発 揚家溝~延安~(高速道路)~西安(車・約6時間)  宿泊・西安・唐華賓館
8・8月 2日(日) 西安~党家村~西安(車往復・約4時間)
明代の集落、党家村(四合院住居の集落)                  宿泊・西安
9・8月 3日(月) グループと別れて単身に(グループは北京へ)
市内観光・1  小雁塔、鼓楼、鐘楼、            宿泊・西安
10・8月 4日(火) 市内観光・2  兵馬俑博物館、始皇帝陵、西安城壁      宿泊・西安
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11・8月 5日(水) 市内観光・3  大雁塔、陝西省歴史博物館、西側城壁     宿泊・西安
12・8月 6日(木)
CA1232 西安発10:30~北京着15:00 
CA161 北京発16:05~関空20:10
参加者・16名 (男10名・青木団長、奥村、中西など)(女性6名・南野、安野など)
民家訪問は4人(南野、狩野(大阪芸大)、北京からの留学生・肖海燕)日本留学生2名
旅行費用 180,000+17,000円(ツアー分)      旅行保険 7,950円(東京海上日動)
 民家見学・車チャーター代  3,125元
      宿泊・常氏宅200元 西安宿泊(朝食付)535×5日 2,765元 計6,090元(91,350円)

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寧夏回族自治区~西安0907~08

中国・寧夏~西安20090726~0806
Ningxia Huizu Zizhiqu・寧夏回族自治区09年関西日中・交流、教育支援ツアー
~Xi’an (ShaanXi 陝西省) ・黄土高原民家訪問~・西安ひとり街歩き
旅で思ったこと


1 料理について
 今回もいろんなものをおいしくいただいた。それをちょっとまとめておきます。
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 まず「羊のしゃぶしゃぶ」この地域の第一の名物のようで、最初の銀川、固原、西安と3ヵ所で食べた。基本は同じ銅製の火筒にリング状の鍋がついていて、その湯に薄い羊肉を浸けて食べる(もちろん灰汁は取らねばなりません)。だが添えられるものが場所によって少しずつ違ってその変化が楽しかった。白菜、春菊ちんげん菜などの青菜、スライスしたさつま芋やポテト、もやしなどの野菜。茸いろいろ。お豆腐は白いものや黒いもの、お揚げもあった。ゼラチンのような脂身はこんにゃくのようで、うっかり沢山食べてシマッタ(西安)。魚のすり身を入れるとつみれ(団子)になって感激した(銀川)。春雨(というよりビーフンか)、そばが最後に出るが、出汁がおいしくて見事。こちらはもっとスープを飲みたかったが、小さな蓮華はもどかしい。テーブルには他に野菜炒めなどの料理も並んだりする。そしてスイカなどの果物。あ、最初から最後までカンペーイ乾杯が入るのは、仕方ありません。
 大テーブルを囲むご馳走もあった。通常というかこちらが知らない料理もいろいろ出て感激した。お魚のあんかけ姿煮(鯉ではないと思ったけれど)、ハムやソーセージ各種、冬瓜やにが瓜、マーボ豆腐のいろいろ。粟のお粥。その季節、その場でしか味わえないものだろう。ただ大料理店のそれは一般向けに味付けしたためというか、日本人の好みを意識されたためか、味付けが薄いというかメリハリが弱いような気がしてちょっと残念だった。
 その点、移動中に立ち寄った米脂や延安の食堂は、運転手さんが友人だと言ったことも幸いして、ニンニクと唐辛子が効いて辛いけれどおいしいという感激的な味であった。そしてこれは、最後に一人で歩いた西安の回族のお店の、店頭で料理する餃子やビーフン土鍋(個人用だからスープがこころゆくまで楽しめた)に通じているように思った、何より安いのがうれしい。
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 ただ今回の特別は、民宿した常さんのお宅の料理で、他では決して味わえないものだった。そばを打つというかところてんのように押し出す麺を、そのまま熱湯に受けてゆでたもの。やはりつくると同時にお湯に入れる水餃子。これらの味は食べた場所が風の吹きぬける中庭であったことも加わって、もう二度と味わうことのできないものだと懐かしく思う。


2 キラキラした子どもたちの目
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 19人のキラキラした目がこちらをみつめている。その目に応えられるほどのものを与えることができるとは思わないが、できるだけのことはしなければと思う。先生という仕事はこの目に出会えるということが、おそらくいちばんの喜びだろう。
 ただこちらは、この目が一瞬のものに過ぎないことを知っている。それは自分たちがハングリーで、でもそれを努力によって自分の望みはかなえられるのだと信じることができる時期だけの輝きだ。すでに日本の子どもたちはこの輝きを失っているし、北京の子どもたちもそうだと言う。そこではもう全部ではなくごく一部の、自分の願いを信じることのできる環境にたまたま出会った特別なグループか個人が、そういう目を持つだけだ。だから余計にこちらは、彼らをいとおしく思う。
その時間の中で、描いた絵に自分の名前を入れてもらった。それを見ながら、それぞれの親が期待するまたは願っている子の姿がこめられているように思った。女の子が大半だったのでそれで見ると、約半分には形容詞がついていて複数ついていたのが、小と静。名詞では、雲霞雪といった自然現象、花蘭鳳という植物、そして琴という楽器。ほとんどが農家だろう親の願いが見てとれる(あ、簡体字で書くと雲蘭鳳はとても簡単、雲は云、蘭は羊の縦棒なし、鳳は几の中に又)。
農村のここでは女の子に可愛さやさしさが期待されている。ところで北京からの通訳さんは燕燕、留学生さんは海燕で、似ていて驚いたがもっと自分の意志を持った自由で独立した人生が願われたようだ。そしてお互いそれを自分のものにしている。


3 70歳以上は無料
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 前回も書いたが中国では、70歳以上は無料、60歳以上は半額という割引制度があってチケット売り場に表示してあり、窓口も専用になっている。外国人については決まっていないようで、場所によって対応は変わる。関係なく大人料金にするところ、半額にするところ、無料にするところ、窓口次第だ。
 一般的に、外国人の多い有名な場所は窓口の人に英語を話せることが多いためか無料にはしない。これは中国人のためのものだから外国人にはだめです、と言ってそこはやはり儒教の国、目の前の老人から全額を取るのは申し訳ないと思う人もいるようで、半額になることが多い。でもこれは窓口次第だから、こちらは彼らが期待する老人らしくふるまう以外に方法はない。その方法はよくわからないけれど、無料で当然だという態度より、安くしてもらえるならありがたいという素直さのように思う。
老人に見えるかどうかについては心配無用のようだ、とっくに老人に見えている。電車やバスでは入り口の混んでいる場所にいればいいが、つり革を持ったほうが安全だと思って座席の方に移動すると、それがもう老人に特有の行動と捉えられて席をゆずられることになってしまう。メタボな人のことはわからないが痩せている当方は、小津映画に出ていた笠智衆さんのように典型的な老人に見えるようで、むしろがっかりしてしまう。
 さて今回の旅で無料になってもっともうれしかったのは、陝西省歴史博物館。大変な行列で後ろについたら30分はかかるところが、誰もいない老人窓口で無料にしてくれ、おかげでさっと入ることができた。その前の大雁塔の入場が成人料金、塔へ上がるのが無料というまだらな対応であったことも、ラッキー感を倍増させてくれました。
 取られて仕方がないと思ったのは、西安駅近くの城壁への入り口。しっかり成人料金を取られた。上がるのは鉄製の階段、ほんの15m程度、カメラを持ったまま軽い気持ちで登り出したのだが、途中で梯子に切り替わる。しかも段差がとても大きく踏み板も持ち手も細い丸棒なる。カメラを片付けることはもう不可能、怖いと思ったがそれを確認するべく下を見れば、もう足が笑い出すに違いない。目の前に出てくる鉄の横棒だけを見て、身体を梯子に密着させて、ゆれているのを無視し、慌てるなと言い聞かせつつ、ゆっくりと大急ぎでともかく上がりきりました。で、この男なら上がれるだろう、つまり成人並みと認めた値段であったのか、これは仕方がないと思ったのであります。もちろんそれを降りる勇気はまったくなく、もっと楽な降り口があるだろう3km先の東門を目指しました。
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4 陝西省歴史博物館にて
 博物館は週日なのに大変な人、切符売り場は行列、内部も人が溢れていて、通路のベンチも満席。第1室、先史時代から秦、第2室は漢から唐の前まで、第3室は唐とそれ以降、という構成。ここ西安は長安と呼ばれ、その間のほとんどは首都であったのだ。ほの暗い大きな空間のガラスケースの中に置かれた展示物と、黒いシルエットのかたまりになって移動していく人たちの両方を、眺めているうちに、いろんなことが浮かんできた。

 私たちはこの国の人を漢民族というひとつの民族と思っているけれど、それは大変な複合民族だ。背の低い小さな人たちも、巨人と呼びたくなるような人たちもいる。顔つきだって日本人に似た平板な人も、彫りのふかい鼻筋の通った顔もある。私たち大和民族だって北と南の複合と言うけれど、そんなものと程度が違う。時期によっては3つにも16にも別れて外国として戦っているし、異民族に征服されていた元や清の時代には混交はもっと進んだだろう。民族としてはひとつにしか数えられないだろうが、その内実は私たちの常識とは大きく違う。
 そしてこの場所は、見ている人たちにその違いを忘れさて、愛国心という強い共同意識を育てている。なんてすばらしい国か、われらは世界の文化の中心であったのだ。
 そういう人たちから見ると、少数民族といわれる人たちに向けられる目も、また大きく違うだろう。それぞれが特別の文化を持っている人たちだとはわかっているが、やがて私たちとひとつになっていく歴史の過程にある、そう思うことはごく自然にできる。いえ、その方が真っ当な見方だと考えることも可能だ、じっさい自分たち自身がそうであったのだから。
オリンピックの入場式典で、少数民族の代表としての子どもたちを可愛らしい漢民族に代替して何の悪びれることがなかった、というよりそれを問題視する意見の意味がまるでわからなかったことも、同じ考えの上にありそうだ。
それ以上に、国内で起こるデモなどの騒動に対して反乱として徹底的な態度を取ることもまたごく当然な行動と言えるかもしれない。この国では、国家は変わってしかるべきものに過ぎない。正しくない国家は、糾弾する勢力によって退場させられる。そのような歴史を認識していると、その可能性を感じさせるグループへの態度はまた徹底的になる。可能な間につぶしておかないと、自分たちの存立に関わる、正当防衛だという意識が常にどこかにあるのかもしれない。
灯りを落とした暗い大きな空間の中で、大人も子どもも男も女も、人々はひとつのかたまりになって続いている。皆さん誰も思いつきもしないことを、こちらだけが考えている。

 と同時に、昨日の西安のシンボルである城壁の上を歩いていて出会った人たちは、まるで違っていたことを思い出した。皆さん、歩いたり走ったり、また自転車に乗っていたり、あるいは観覧用の電気自動車にいるのだが、誰もがとてもにこやかだ。手をふると、にっこり笑って片手を上げたり言葉をかけたりしてくれる。
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最初は欧米の人でやはり違うと思ったけれど、次々に出会う中国の人もまったく変わらない。日頃とは違う開けっぴろげな、やさしい人格になっている。屋上という、特別な気持ちのいい場所に置かれた仲間同士という意識が生まれるのだろうか。あるいは隠れることのできない広い空間にばらばらに置かれてしまうと、どこの国の人も同じような人格になるのだろうか。
あ、ひょっとしたらそういう人たちのことを国際人というのかもしれないと思いついて、この妄想は悪くないと、一人うれしくなったのであります。

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寧夏回族自治区~西安0907~08

中国・寧夏~西安20090726~0806
Ningxia Huizu Zizhiqu・寧夏回族自治区09年関西日中・交流、教育支援ツアー
~Xi’an (ShaanXi 陝西省) ・黄土高原民家訪問~・西安ひとり街歩き



旅の前)
# 7月11日事前打ち合わせで関西日中の事務局へ。1年ぶりに昨年ご一緒した方々にお目にかかる、懐かしい。配布された資料の冒頭に「今回の訪問交流ツアーの目的」とあって、現地の教育の実情に触れること、そしてお互いが理解しあい補いあい学びあうことを基本に交流を深めますとあり、もう13年目だそうだ。こういうまとめ方がなんともうれしい。こちらの日常にはまるでないことで、それだけでも参加する意味があると思う。昨年より多く男性10名女性6名の、16名のグループ。また要望があって、今回もお絵かき教室をやることになる、うれしくありがたいことだ。
途中から皆さんに別れての民家訪問を企画した南島さんが、資料の他に「黄土高原の村~音、空間、社会」という研究報告の書籍(古今書院)を貸してくださる。
最後が西安とのことで、こちらは残って街を歩くことにした。シルクロードの出発地である古都、近くに始皇帝の兵馬俑もある。
つまり今回の旅は、1)教育支援、2)民家探訪、3)西安ひとり歩き、という3つが重なっている。

# いよいよ明日出発、タクシー予約。今日は荷物づくりと、冷蔵庫の掃除を兼ねての食事の算段。午後出かけたが、夕食は自宅。昨夜メールが来て、西安周辺に最近雨が降って道が悪くなり民家訪問の予定は変更せざるを得ないとのこと。ま、よくあること。どうなりますか。


1・7月26日(日) 自宅タクシー6:00発 六甲アイランドバス発 6:33~7:30 関空7:30集合
 関空で初対面、民家探訪をご一緒する建築家の狩野さん(大阪芸大)、そのゼミの北京からの留学生・肖海燕さん、またと豊中教組からの若い3先生などに挨拶。昨年と同じ名札を首から下げる。
CA162 関空発 9:30~北京着11:50
CA1229 北京発15:30~銀川着17:20
北京での乗り換え時、最高齢78才Sさんが見えなくなり皆で探すなど慌てるが、遅れて搭乗ブースへ悠然と現れて来られ、知れば中国語も話される勝手知った行動で悪びれた様子はない。お見事ではあるが以後いつも注目の的、隙があればタバコをくゆらされて、これには閉口。こちらは皆さんほど我慢強くないとあらためて知る。個室にしてもらってよかった。
銀川空港で自治区の対外友好協会の馬さん、通訳の尹燕燕さん(北方民族大の先生・通訳はほんとうに見事だった)の出迎えを受けて、夕食は羊のシャブシャブ、おいしい(場所は町の中心、目の前に鼓楼がある)。朝出発したばかりなのに、ドボンと中国に浸かっている、というよりお腹の中まですっかり中国だ。ホテルへ、最初のミーティング。窓から見える自治区の省都は思ったよりはるかに大きい。
                                宿泊・銀川 沙湖賓館

2・7月27日(月)
 午前 銀川~(高速道路)~海原~塞科郷~固原
午後 塞科郷へ 塞科小・中学校訪問 交流活動          宿泊・固原 華祺飯店
 朝8時出発、車の少ない2時間の高速道路を降りて一般道、黄土高原は緑におおわれている。夏のためか懸命な植林のためか、一昨日半年ぶりに降ったという雨のためか。途中農家の脇で一休み、中庭のある農家に入れてもらい、あんずの実をもらう。こういう生活で充分なのに、それがむつかしくなっている。ご主人と握手をして、その掌の中でお礼の気持ちの元を受け取ってもらう。
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12:00塞科郷へ小学生が校門に並んで出迎えてくれる(どれだけ待っていたのだろう)。校内で昼食、宿舎があるためか給食の設備も整っている、お母さんらしき沢山の女性の給仕。急遽、折り紙の授業をやるとのことで、そのアシスタントを担当。鶴、むつかしいと思うがともかく進行。席をまわって途中の折り返し部分を折って折って折りまくる、下手だが仕方がない。でもみんなは最後の首を曲げ、胴体をふくらませるところをやって満足してくれた。そしてみんなで歌を唄ってくれる。一人の女の子が一心に話しかけてくる。あまりに熱心なので、それを書いてもらう。後で訳してもらうと「これまでに誰かを日本に連れて行ったことがありますか」あぁ連れて行ってくれと言っている、姫小華ちゃんゴメン。
帰りにムスリム寺院や農家に立ち寄って、19:00ホテル着、新築ピカピカだがデスク小さく物置なし、日本のビジネスホテルの影響かなぁ? でも夕食は見事においしかった。

3・7月28日(火)
 午前 開城鎮・開城小学校で交流活動 午後 固原博物館
                         宿泊・固原 華祺飯店
 朝周辺を散歩、ビルの新築が多いのはお金があるということだろうか。
8:00出発、開城小学校へ、一休みして、お絵かき教室20名が待っていてくれた。机を向かい合わせに並べなおして、お互いの顔を描いてもらう。みなすぐ熱心に取り組んでくれた。こちらも3枚ほど描く、まるで似ていないお許しを。顔の周囲に相手の好きなものなどを描いてもらって、みんなモナリザの絵みたいになって完成。最後に相手の名前と描いた自分の名を書いてもらう。9:00~10:30はあっという間に過ぎたがまだ時間がある。それぞれに説明をしてもらう(昨年とは元気さがちょっと違う、むつかしかったのかな?)。絵が好きな上手な子が3人ほどいた。また名前がとても面白かった(別記します。名付ける親心は同じだが、表現に差があるみたい)。そして歌をうたってもらう。みんな満足したようだったが、これで良かったのか、反省ばかりだ。
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他の教室は、折り紙(くずかごと飛行機)、碁石の五目並べ、絵画工作(お母さんの顔を描いて切り抜く)。皆さんとても喜ばれたとの報告(こちらはますます自信がなくなる)。
 12:00ホテルに帰って昼食、ひとり街を歩く。川沿いの市場ほぼ終わっているが、それでも肉屋魚屋野菜屋さらに日用品と楽しかった。中国版マクドの店で一休み、冷房の効いた別世界。
14:30固原博物館へ(館長さんの案内できる時間に合わせたようだ)、西安を出発したシルクロード最初の町が固原であったのだ。その古城復元模型、また陶磁器や副葬品(兵馬俑だけでなく可愛い人形もある)などは見事。別館の墳墓跡を見る。そこを出てさらに城壁(崩壊しかかっているが)を訪れる。夕食には地区の局長が出席(ご馳走)。
 豊中の先生などと繁華街を散歩、夜の街は賑わっている。22:00帰室。後で知るがKさん下痢で入院、南島さんなどは徹夜の介護で大変であったようだ。

4・7月29日(水)
 午前 張易鎮へ 張易中学校で交流活動(先生たちと懇談、一対一支援学生と面談
 午後 毛庄村訪問・交流活動、家庭訪問、ヤオトン見学など       宿泊・固原 華祺飯店
 3つめの学校、支援学生との面談は運営委員さんの役割、先生との懇談は部外者なので、こちらは集落を歩くことにする。政府からの支援らしく、全面建て替えの再開発工事中。道を広く碁盤目にして民家風の同じ建物(1階店舗、2階住居)が並ぶ。昨年の麗江や大理を思い出す、土地と関係なく全国標準の民家風デザインだ。こういう開発は人を幸せにしないのになぜそんなことをするのだと思うが、わが神戸も震災後似たようなものになったのだから同じようなものかも。時間をかけて少しずつ作るものを、お金を投入してさっと作ると、まるで違うものになる。後で皆さんがここを見る時間があったので、こちらはまだ開発されていない古い地区に入り込んでみた。貧しいけれど、こちらの方がはるかに快適で落ち着く、経済が発展すると古いものが良いという感覚がなくなるのだろうか?あるいはみんな古い方が良いと思いながら、まるで違うものになってしまうのだろうか?住む人(当事者)が自分たちの思いで決められないシステムになってしまう。
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その後、会が日本で販売している動物の人形を作ってもらっている毛庄村へ行く(古くからの針刺しの見事さに感心した方が、動物の形をデザインして作ってもらっている。最近は台湾からも注文があり女性たちの現金収入になっている)。中庭に綱をはりそこに沢山ぶら下げてある。いずれも見事な刺繍入り。お土産に求める。皆さん交歓している間に、村を一周する、あちこちに地下の倉庫があって、ヤオトンの影響というか乾燥した大地なのだ。数日前に降った雨が昨年の10月以来とのこと。
ところでチョンボだが、腕時計が電池切れで動かなくなる。計算機の時計と万歩計の時間表示が代用品だが、なんとも不便。不注意、旅をなめてはいけないと、遅ればせの大反省。
 
5・7月30日(木)
 午前 固原~(高速道路)~銀川 
 午後 明の長城、など  夜、ミーティング(反省会)      宿泊・銀川 沙湖賓館
 昨日で行事は終了、8時出発で11:30銀川に帰る。昼食は麺(3種出たが、細いのが好きだ)、入り口に歓迎関西日中の横断幕があって恐縮。ホテル到着後、郊外の水洞溝という旧石器時代の遺跡に行くが、それより内モンゴルの砂漠を望む場所に明の長城の跡があり、その眺めが印象的。ここが国境、砂漠は匈奴や韃靼という民族が住む異境の地だったのだ(そう思う人と、そう思わない人が紛争している)。その後繁華街の電気店で電池の交換、助かった。夕食はメインに魚が出る(鱒のようだ)ご馳走。
ホテルで反省会、各自感想を述べる。こちらは委員さんが毎日深夜まで働く姿に、何とかならないかと申し上げる、後は昨年と同じくご馳走への感謝(これは別記)。久しぶりに湯船にお湯をはって入浴する、ああ極楽ごくらく。

6・7月31日(金) 本団から別れる(本団は9:25発で北京へ)
     銀川~米脂~揚家溝(車・約4時間)             宿泊・揚家溝 常氏宅
 朝6時皆さんの出発を見送る。こちらは8:15出発、若い頃歩き回った南島さんを案内役に、4人。運転手は南島さん友人の紹介で楡林の人(この旅の間ついてくれた38才)、黄河を渡って高速道を東へ、13;30米脂という町で昼食(野菜中心に、運転手さんが選ぶ、これまでより辛いがおいしい)。日本からの留学生2人と合流(やはり南島さん友人の教授の指示?らしい、通訳役)田中(楡林から阪大)河原崎(北京から大阪外大)両君。後でわかるが田中君は当方と高校が同じ、おもしろいものだ。
15:15目的の山間のヤオトンの村・揚家溝に到着。南島さん旧知の常さん夫婦が迎えてくれる。日本からの調査隊が何時もお世話になっているようで、10数名でも宿泊できそう。早速山に登って村の全体像を眺める、斜面に棚田とヤオトンが並んでいる(ヤオトンは2種あって、平野部で5~6m掘り下げて横穴式につくるのが下沈式、ここは山の斜面を利用する山懸式で、こちらの方がはるかに多いらしい)。
爆竹が鳴り楽隊が演奏する家があって、明日結婚式と言う、ラッキー。夕食は、中庭で麺(押し出した麺を、鍋の熱湯で受けてゆでる)、いろいろの調味料や付け合せる。星空を期待するが、あいにくの曇天。ヤオトンは断熱性能がよく冬暖かく夏涼しいを実感。
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7・8月 1日(土)
 揚家溝(村内散策)午後出発~延安~西安(500km)       宿泊・西安 唐華賓館
5:00日の出を見るという南島さんを追いかけるが曇天。6:00洗面朝食(粟がゆ、パン、卵の薄焼き)、お兄さんが土地のラッパを吹いてくださる、しゃがんだ姿勢で吹く音はどこか懐かしく悲しい。村歩き。高い場所に地主の家があり、長征中の毛沢東部隊が数ヶ月過ごしたそうで記念館になっている。突然広場にベンツなどの高級車が十数台、なんと観光客。説明を受けながら見て去っていく。どこも同じだ。
花嫁が到着する村の入り口へ、飾った車から二人が降り、爆竹と楽隊(ラッパ、縦笛、ドラム)の先導で家へ。花嫁を抱きかかえるのが風習らしく細い花婿は大変、家まで山道同然が1km近く。皆が紙吹雪や泡スプレーをかけ冷やかす。最後、家に入る時は花嫁さっさと入る。これから大宴会らしい。
遅い昼食は餃子(豚肉、キャベツ、ねぎ、しょうが)にリンゴ酢をつけ、そば湯スープで大満足。
15:30出発(留学生2人と別れる)、雨が走る一般道。途中大きな石彫り門をみて、延安で夕食(辛いがうまい)、広場での伝統の盆踊り?をちょっと見て高速に入るが、途中から工事が多く、片側通行で、予定よりはるかに遅れ、西安到着は23:30、ホテルを手配した朱啓高さん(南島友人)が迎えてくれ、部屋に入ったのは01:00、さすが疲れた。それにしても運転手さんには頭がさがる。

8・8月 2日(日) 明代の集落、党家村へ(車・往復約4時間)宿泊・西安 唐華賓館
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 10:00出発、黄河近くの高速道を北上。ところどころに平原が深く侵食された深い谷がある、その都度高速は高い陸橋上を走る。韓城で高速を降りると党家村の標識(専門家の間では知られた存在、欧米の若者が訪れているのを見ると国際的でもある)、小さな盆地に瓦屋根の集落、明時代の灰色のレンガ造の住宅が見事に残っていて生活が営まれている。石塔も望楼もある。道は石畳。2時間半歩き回り、大満足。実測図をまとめた書籍があり狩野氏が求める。16:00帰路へ。*昨年の麗江、大理よりいい。
 19:30夕食は朱さん一家の招待で羊のしゃぶしゃぶ(今回の旅で3度目、微妙に違う)豆腐だと思っていたものは脂身(見事にお腹をくだす)。終わってホテルへの帰り道、大雁塔前の公園、音楽に合わせて踊る仕掛け噴水があり沢山の観客。学生の肖さんは夜行列車で自宅のある北京へ帰る。

9・8月 3日(月) 単身に 3日間の街歩き・1          宿泊・西安 唐華賓館
 9:30南島、狩野さん、雨を降らして出発。さて一人、まず博物館に行くが月曜休館、雨の小雁塔(破壊された屋上が小テラスになっていて周囲を眺められる)、その脇の喫茶店(お茶をもらう)。
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さらに歩いて南門から城内に入り、中心の鼓楼、鐘楼、どちらも伝統音楽を観光用演奏している。周辺は再開発真只中、数年後にはまるで変わっているだろう、ブランド店すでに多くスタバもあった。北へのびる回民街を歩く、観光客が多く、おいしそうだが(猛烈な下痢、夕食はあきらめお菓子だけ求める)。帰りバスを試すが、ホテル近くで迷って最後はタクシー。一人になると、途端によく歩く。
10・8月 4日(火) 街歩き・2                   宿泊・西安 唐華賓館
 8:30タクシー(45分150元)で秦・始皇帝兵馬俑博物館90元。商店街を歩かされて入り口、日本語案内書絵はがき35元。
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広大な1号坑、大きさだけで充分に驚くのに精巧な無数の兵士と馬。2号坑は特殊機動部隊、3号坑は司令部、全体で秦の軍隊を再現している。説明の言語の中に日本語も聞こえてきた、偉い人を中心にした1団。さらに展示室があって銅製馬車など。これが日本はまだ姿もない前3世紀のものだからやはり驚く、といって出土した姿はすべて倒れ壊れていたようで、現在も修復中。
 昼食は香港の看板につられて、うどんヌードル、まぁまぁ。バスで次の駅の始皇帝陵、ここは無料で入れてくれる。なだらかな方墳を上ると視界が開ける、斜面はざくろの植樹。バスで西安駅へ7元。
 駅は北側の城壁前、大変な人の中を歩き、ここでチケットを買い列車に乗るのは無理だと思う(昨年昆明でも同じ)。城壁を見上げ上がれないかと尋ねると、20元と言って案内してくれる。鉄の梯子がある、上り賃は40元、案内にはわからないふりをして5元。おっかなびっくり上がる12m(別記)と広い城壁の上12~14m。思ったより沢山の人(歩く、自転車、電気自動車)、
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手をふったりしながら結局東門まで約3km歩く(一周14km)、そこにバスも停や階段の上がり口があり乗り物を貸している。上から見る西安、あちこちで再開発中、まだまだ変貌する、というよりただの大都市になっていく。
回民街まで歩いて昨日食べ損ねた餃子7元、相席はなんと韓国の青年(上海経由)、お互いをシェアし満足。帰りはバス、今回最長の24,000歩。ロビーでコーヒーをもらって45元、絵はがきを書く。

11・8月 5日(水) 街歩き・3                   宿泊・西安 唐華賓館
 8:30大雁塔へ、観光客多い。登楼7層の階高が変化していくのが楽しい。隣の陝西省歴史博物館、入り口は長蛇の列、内部も大変な人、この歴史は愛国心を育てるに違いない。確かに、唐の時代までここ長安は世界の中心であったのだ。こちらはその前、西魏の時代に唐三彩の原型があることを知る。昼食は館内のカフェでコーヒーとビスケット。ショップはもうひとつ、もっときちんとしたレプリカを作ればいいのに(作り手に技術があり過ぎるのか、勝手に手が動いてしまうようだ)。
西門へ行きたくバス。小北門から歩いて北西角の広仁寺(チベット仏教寺院、建物配置うれしい)、門前に茶屋があり、禅茶だと種子(かぼちゃ?)を煎じたものが出る(うまくないが高価)。西側王佯門から城壁外側を歩く。水路との間は緑地で遊歩道、老人の散歩道。西門(平安門)ここからシルクロードへと旅立ったのだと思うが、車が走りそういうムードはない。城壁に上がってみる(無料)。
西門内の大通り、土地の人の商店街?洋式のパン屋(Maky米旗という名)でコーヒーにケーキ(ふむふむ)、横道の市場、回族の人が多い。店先に小土鍋を並べた食堂、先客の食べているビーフン入りを注文、大満足5元。
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帰りのバスはすっかり慣れた、雁塔公園で女性グループが踊っている、しばらく見て拍手すると喜んでくれた。これで旅が終わったと思うと、ちょっとさびしい。

12・8月 6日(木)帰路 CA1232 西安発10:30~北京着15:00 CA161北京発16:05~関空20:10
 こちらの旅では泊まることのない豪華ホテル、大きな中庭に池があって孔雀や鴨がいて夜には蛙も鳴く、そこに信じられない値段で5泊(朝食込み553元)。朝食時に注意して見ると皆さん1泊で移動していく。朝は紅茶だとおぼえてくれた食堂のお嬢さんに、さようならを言う。空港までタクシー150元。
西安発が1時間半の遅れ、北京での乗り継ぎを心配するが、荷物も含め(機の横に置かれているのが見えた)間に合ってほっとする。でも日本からのツアー客が皆無、中国のツアー客ばかりだ、そこまで人気がないのだろうか? おかげで3人席を独り占め、どなたかと話したかったと思ったりする。
20:50発のバス、帰宅は22:15「タダイマ」、下痢はすっかり治まっている。  [おしまい]

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