中国 の記事一覧
中国・湖南省2008027~0803旅の予定
2008年7月22日
旅がいよいよ近づいてきました。グループ旅行ですから、予定はきちんと決まっています。それを一応お知らせしておきます。といって旅行会社は入っていませんから、普通のツアーとはまるで違います。
また地図がないとどこかまるでわからないと思いますが、それは帰ってからの報告時にさせてください。湖南省の西北地域です。
取り合えずの予定のみ。
1・7月27日(日)
六甲is発 13:18~14:15 関空14:30集合
CZ390 関空発16:30~広州着19:00
CZ3381 広州発21:00~張家界22:20
宿泊・張家界
2・7月28日(月)
張家界発 8:30(専用車)移動、桑植 昼前到着(桑植県城ホテル)
桑植 着 午後 麦地坪小学校訪問 子どもたちと交流
宿泊・桑植
3・7月29日(火)
桑植 8:00(専用車)官地坪中学校訪問 子どもたちと交流
先生と座談会、農家(中学生自宅)を訪問、
宿泊・桑植
4・7月30日(水)
桑植 発 8:00(専用車)
永順 着 永順県桃子渓中学校 永順県城ホテル
午後交流活動(永順第二中学校訪問交流、一対一支援学生との座談会対面など)
宿泊・永順
5・7月31日(木)
永順 8:00(専用車)撫志小学校訪問 子どもたちと交流
午後永順第二中学校 先生と座談会
宿泊・永順
6・8月 1日(金)
永順 発 8:00(専用車)列夕中学校
鳳凰 着 午後鳳凰ホテル
夕食後ミーティング
宿泊・鳳凰
7・8月 2日(土)
鳳凰 鳳凰観光
午後 貴州省銅仁空港
CZ3246銅仁空港発20:45~広州着22:05 宿泊・広州
8・8月 3日(日)
CZ389 広州発10:30~関空 着15:00 (空港で解散)
参加者・12名(男6名、女6名)
中国・湖南省の旅
2008年7月7日
7月5日(土)会の事務局で打ち合わせがあった。メンバーは元教員という肩書きがほとんど、年齢は同じようだが、とても真面目で良心的な方たちだ。参加者は12名、男女半々、ご夫婦は1組、母娘1組。皆さん何度目かの参加、すでに1対1の教育支援をしておられ、それも複数という方もいらっしゃる。初めてはこちらだけのよう、跳ね上がりしないように気をつけねばならない。
旅行会社はついていなくて、向こうの教育委員会がアテンドしてくださるようだ。ホテルは1泊100元、昼食20元、夕食50元、それに車代という実費計算、現地で精算して多少の追加が出るとのこと、道理で安い訳だと納得する。旅行保険に各自で入っておくようにと指示される。
日程は、学校を訪問して子どもたちとの交流や、先生との意見交換。子どもたちと共に遊ぶ何かを用意しておくように言われる、歌も折り紙もできないどうしよう困ったことだ。次回は、もう出発の7月27日、午後2時30分空港でお目にかかることになった。
四川大地震
2008年5月16日
四川省で大地震があったとのニュースが飛び込んできて、被害が連日大きくなっていく。こちらは夏にひとり旅しようと思っていた地域だが、行けるのか。伝統的な地域や観光地はどうなっているか、ニュースに注目している。それにしても中国は大きい、地震の規模も信じられないほどだが、わが世界地図帳で地名が詳しいのは中央部だけで四川省は半分が切れている。
これから何度も訪れることになる国だから地図を買うことにした。どこの本屋さんでもあると思ったのだが、これがない。神戸の古い大きな書店で聞いてみた。「ないんですよ、もう発行を止めている、地図って常に改定をしなければならないものでしょう、だから採算が合わない。需要がないのですよ。悲しい世の中ですね。仕方ありません。どうしても欲しければ海外版を買ってください。」
でもこの国(正しくは日韓中の3国)だけは、日本漢字の入った地図が必要だ。中国製は簡体文字、他ならアルファベットということになる。こちらは中国の都市の正しい名前をまったく知らない。それを日本読みにした国内にしか通用しない名前でおぼえていて、その漢字を見ないとまるでわからない。四川省はスーチョワン、成都はチョントゥーだ。
といって文句を言っても仕方ないので、今度中国に行ったときにせめてアルファベットも入った地図を探してみることにしよう。
「青蔵鉄道とラサ、北京の旅」の後で
2007年9月24日
1・ツアーの仲間
西遊旅行のツアー、東京・大阪からほぼ同数の21名。これに添乗員の大島さんとう構成。若い30~40代の女性もいらっしゃるが大半はこちらと同年輩のリタイア組。それぞれが青蔵鉄道のテレビを見ての参加で、こちらと同じく何時もは旅の仕方が少し違っているという方もいらっしゃる。それも含めてその生き方は、リタイア後の過ごし方のヒントがあるようだ。ご迷惑はかけないように紹介したい。もし失礼があったらお許しください。
ご夫婦は2組。こちらも悪いのだがどうも一組と見てしまうし、実際に何時も二人でいらっしゃって周囲に影響を与えることが少なく、その分グループの中で影が薄くなる。お一人の奥様には友人がいらっしゃってその2人の時はもっと違う印象になる。もし友人同士でお越しならもっと違う人格になられたように思った。
というように女性の方には、友人同士の方が2組あった。もう10年来の旅仲間という40代3人連れは、何時もならオリジナルな旅を自分たちで企画するのだとのこと。もう1組は高校の仲良し30代、有休はすべて旅になるそうで仲間はもっと多いらしい。この2組がにぎやかで若々しく、やはりグループの中心になっていた。
もう一組男性の4人組、同じ印刷会社の3人と取引先の1人。仕事が趣味になるようで、経典の印刷に興味を持っておられたし、中のお一人は西夏文字に興味を持ちその研究書まで執筆なさっていた。このように興味がはっきりした方たちは話をしていて教えられることも多く楽しかった。
残りは一人参加、山登りが趣味というのが男2名女性1名。今回は下見も兼ねて山で知り合った奥様とカトマンズまで歩いてみたい、5年以内に実現しないと無理だろうとのこと。ランドクルーザーでのツアーはあるがそれは嫌だし、そんな道も嫌だとのこと。そういう人生には頭がさがる。もう一人は山だけでなく世界への旅もあちこち出掛けておられて、ぼそっと話される内容に感心する。女性の一人は生活のすべてが趣味の山にあるようで、そのために水泳もやっているとのこと、百名山は好まないそうで登る山も中央アルプスと決まっている。とはいえこのような1点集中の方は少し我がままでもある。
こういう方に囲まれると、ツアーをビデオでまとめるのが趣味なんて言う男性は黙ってしまわれる。むしろおひとりさまで、旅好きが高じて大学の聴講生になったという発想はその素直さが東京の人という感じでうれしいし、普通の生活の中で趣味をたくさん持っていて、お遍路さんから山登りと旅なら何でも好きで、この鉄道に乗りたいと参加してきた68歳の発想はいかにも大阪のおばさんとう感じがした。
5年ぶりのツアーは教えられることが多かった。ツアーはダメで、旅ならひとり旅だという発想も無知な意見だと思うが、といって忙しい毎日が連続するツアーの旅しか知らない方には、仕事ではないのだからもっとゆっくりボォーとなさったらいかがと申し上げたくなる。
2・チベットの悲しみ
チベットはチベット自治区だけではありません。青海省も甘粛省四川省雲南省の一部もチベット(文化圏)なのです。ここは仏教の地、インドの仏教が衰退してその教えのすべてがここに来ました。つまりインドチベット仏教は、仏教の真髄がそのものです。ここから中国そして日本へとその教えが広がっていきました。だからここにはその原点が今も生きているのです。ポタラ宮を案内するドルチェさんの案内は次第に熱を帯びてくる。
確かにその建物全体が曼荼羅、仏教の世界を表現するものになっている建物、内部を埋め尽くす仏像や布画、壁画はその原点をほうふつさせてくれる。日本ではめったに見ることのできない男女交歓仏もある。エクスタシーと悟りの境地の通底がそのまま表現されている。想像上の仏さまから現世のダライラマの生活の場までが、切れ目なく続く。
ここは祈りの場なのです。皆さんに見てはもらっていますが観光の場ではなく、信仰の場です。だから来年の5月からここは閉鎖して本来の場に戻すことになっています。代わりに博物館を開いて、それを見てもらいます。「へぇ知らなかった。そうなの、じゃぁ私たちが最後なのね、知らなかったけど、ほんとうにいい時に来たことになるのね」
ドルチェさんの目は、すでにそこが祈りの場となっている状態を見ている。顔つきも変わって修行僧のようだ、実際に修行もしたのこと。「本当にそうなの?中国政府の了解も得ているの?反対はないの?」後でそっと聞いてみたのだが、いやもう決まっているのです。そうなります、と自信たっぷり。「誰も反対しないの?」いえ、お坊さんの中に反対の方もいるのですが納得してもらわないといけません。
熱心な信者の立場からは当然だろうと、応援をしたくなってしまう。こちらは、もう見たことだし。でも世界遺産のポタラ宮を閉鎖するとは、大変なことだ。中国政府の了解も、世界中の旅行業者の了解も取り付けねばならない。その話は、まだ日本の旅行業者の知るところでないとすれば、ちょっと無理な気もする。なにしろ来年は北京オリンピック、国家の威信をかけて実施しようとしている時に、それはまず了解されないのではないか。
チベットはかって王国であった、吐蕃から仏教政権、ダライラマの統治。中国に統合され、1959年に暴動があったが、以後は自治区として平穏だ。現在、人口の大半は中国系でチベット人は40%に過ぎない。1万人の解放軍が常駐し、道路が整備され軍用の飛行場もある。政治も経済も動かしているのは中国系の人だ。政治的に何か考えることはもう不可能だ。立派な国立博物館もあって、そこの説明では中国の歴史の一部として語られている。
だとしたら、チベットの人たちが自分たちのアイデンティティを信仰に求めようとするのは当然だろう。だがチベットの中にはイスラムの信仰も盛んだ。ドルチェさんの熱心さの中に、チベットの深い悲しみを感じた。ポタラ宮を出たところで、日本人の若者数人が彼を待っていた。昨年お世話になったとのことで、わざわざお礼を言うためにやって来て、再会を喜び感謝していた。若い人たちを魅きつける力があるのだと、あらためて彼の熱心な説明を思い出していた。
以上