旅をしている人
田原 晋

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オシッコオシッコ

2008年12月18日

田原晋のひとり旅

オシッコオシッコ
 これは男性だけのことらしいけど夜中に何度もトイレに行きたくなる前立腺肥大というのがあります。数年前に泌尿器科に行くと残尿がある、放っておいてはいけないと驚かされて薬を飲むことになった。道を太くして流れやすくするのだと言う。確かにそれはとても効果的で、すっかり感心した。
 ところが1年前くらいから今度は、突然オシッコに行きたくなって我慢ができなくなる。出かけるとトイレの場所を、何時も気にするようになりました。ところが海外だと困ってしまう、トイレの場所がほんとうに少ない。カフェで借りると、その都度コーヒーを飲むことになる、だから行きたくなるのではと思うほどだ。またやっとたどり着いた安心感が最後になって弛緩を招くのか油断するのか、寸前でお漏らししてシマッタということすらあったりする。臭いがしているのではないか、これでは旅に行けなくなるではないかと、また泌尿器科の門をたたく。
 今度もまた別の薬を投与される。膀胱は貯める働きと、押し出す働きがある。これは貯める働きを強化するのだとのこと、前の薬とは関係ないのだと説明される。で、またあっけなく見事に抑えられてしまった。それにしても、なんという肉体だと、その素直さというか単純さにいささかあきれてしまう。結局のところ2種類の錠剤を朝と夕に服用する、老いた身体がそこに存在するようになった、しっかりしろと言ってはみるが、はなはだこころもとない。いや、しっかりしているからそういう結果になっているのだ、とも言えるなぁと思ったりしているところであります。

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田原晋のひとり旅

次の旅まで(恒例だと2~3月頃)少し時間があるので、「ひとり旅」について少し考えてみました。いえたまたま次の本を読んだことがきかっけです、まず本の紹介から。

img200810261529426961.文化移民 藤田結子 新曜社
ニューヨークとロンドンへ2003~04年に出発し1~4年後に帰国した22人(7人はまだ現地に滞在)の若者の出発前と滞在中(最初は約3ヶ月後で1年目は2~4回、その後は年1~2回)そして帰国後半年以上が過ぎて、それぞれ直接に会って話を聞いたこと(インタービュー調査)をまとめたもの、大変に長い期間、世界を横断しての労作で、こういう研究が成立すること(そういう時代であり、可能にするシステムがあり、発想する研究者がいる)にまず感心した、というより驚いてともかく購入した。
 このところニューヨークやロンドンにアートやポップカルチャーを学ぶために留学する若者が多い。90年以降毎年増加の傾向にあり、実際にそういう若者によく出会うらしいし、現地で話題にもなっている。これを生み出したのは、必要条件としての日本経済の水準の向上、「プッシュ」要因(若年層の失業率・非正規雇用の増加、女性の構造的周縁化・労働面での差別、そして親子関係・援助が可能、未婚期の長期化)、「プル要因」(両都市の芸術や大衆文化の状況、英語が喋れるようになるという期待)、さらに「移住システム」(旅行代理店、予備校・専門学校、政府機関の広報活動が整っている)、そしてメディアが生み出すイメージ(欧米、西洋、両都市)などが複合して存在しているためと言える。
 この研究の目的は、この「文化移民」よって、欧米・西洋・両都市のイメージがどう違い、どう変わったか。また日本や日本人についてどう考えるようになったか(ナショナルアイデンティティ)を尋ねている。
 まず彼ら彼女らはそこに「近代的な」何かがあると憧れたのではなく、日本での生活と変わらない似た場所と思って出掛け、行った後に日本より遅れていると感じる者もいる。またつきあった人たち(階層上位の白人と親しくなる機会はほとんどない)への感想も加わって、これまで一般的に思われていたイメージとは大きく違ったものになっている。また国境を越えるメディアの利用によってトランスナショナル・アイデンティティが生まれるという新しい考えも、そうなっていくごく少数はいるが、多数はそうはなっていないという現実を教えてくれる。
 本の副題に「越境する日本の若者とメディア」とあり、まかれた帯には [若者はなぜ「日本回帰」するのか。電子メディアは国境を消滅させる?この魅力的な仮説に、長期的な聞き取り調査・参与観察をとおして挑み、国境を越える心性の意外なゆくえを追う意欲的な試み。]とある。
 ともかく若い彼ら彼女らの現実、正直に語られる感想がありがたい。若い女性の研究者(大学院生)ならではの成果だろう。ここに紹介した結論以上に、全編に生活と思いがいきいきと描かれていて楽しい、ぜひ手にとっていただきたいと思う。

img200810261530249612.日本を降りる若者たち 下川祐治 講談社現代新書
 こちらはバンコクを中心にした東南アジアが舞台、どこにも行かずにバンコクの安宿に逗留する若者が多くなっている。カオサンという通りの周辺に日本人だけのゲストハウスもある。
その彼らに会って、なぜそうなったか、現状をまた将来をどう考えているかを尋ねてまとめたもの。典型的な例は、お金がなくなると日本に行ってアルバイトなどでお金を貯めて、またこちらに帰って?来る。日本にいたら落ちこぼれとかニートとか言われてプレッシャーを感じるが、ここでは何もしなくても誰も文句を言わない、とても落ち着けるという訳だ。「外こもり」と呼べる現実だが、南国の暖かさと明るさがあって、羨望を感じるくらいだ。カンボジア、ラオス、ミャンマーにもそういう日本の若者がいる。いや、現地で仕事を見つけたり結婚したりして、5~7年が過ぎてもう若者とは言えない人も少なくない。
 序章でごく簡単に若者の旅のスタイルの歴史がまとめられている。こちらはやはり小田実「何でも見てやろう」の影響を受けていて、あれも見たいこれも見なくてはと思ってしまう。だがそれは少しずつ変化して旅をすること自体が目的になっていく。1954年生まれの著者は元バックパッカー、何かを見なくてはならないという「旅のプレッシャー」を開放して「旅に出てもなにもしなくていい」というスタイルを生み出したと言われ、若い人の信頼を得ている。この本でも彼らを見る目はやさしく、時代がそうなら自分もそうなったかもしれないという思いが伝わってくる。イラクで殺されて話題になった「香田証生さんはなぜ殺されたか」という著作でも同じ感じがした。

3.こちらが旅で出会う若者たち
 ところで、こちらが旅で出会う若者は、数は少ないがまるで違う。1ヶ月から半年と期間はいろいろだが、卒業や転職前の人たち。帰国したら、次の生活が待っている。皆さん一様に「これが最後です。次の春に就職したら、もう二度とできないと思うので、ともかくやって来たのです」と言う。次の人生が決まって、その前にともかく旅をしておこうという必死さがある。それにしては見たいもの行きたい場所がはっきりしていないではないかと、こちらには不満であるが、ともかく日時を確保して飛び出した熱意はうれしいし、それがツアーではないこと、行き先がパリやニューヨークでないことも拍手してあげたい。
 ともかく彼の人生の中で、生まれてはじめてポッカリと空いた何に使ってもいい自由な時間のようだ。だから、もう二度とないと思う気持ちはわかる、でもそれはあまりに悲しいことではないか。「最後なんて言うな、また機会を見つけて旅すればいい、それができないなんて何のために働くのよ、行きたいと思っていたら行けますよ。こちらは『2年に一度2週間』と言い続けていたの、それはできなかったけれど3~5年に一度は出掛けてた」「時代が違うのは確かだけど、できないとすればその方がおかしいよ。それを変えてやろうと思うことが真っ当なことだよ、君が会社の中でそういう前例を作ればいい」と言ってあげる。こちらのことなど別れると同時に忘れるだろうけど、言葉だけでも何かの拍子に思い出されないかと願っている。
生きていくとは、いろんなことが同時進行していくものだから、それを働くとか勉強するとか、ひとつに考えてしまうのがおかしい。サラリーマンと同時に恋人であり、結婚をして父になるのだから、その中に、2~3週間の旅をするという選択肢を何としても残してほしいものだ、それが大変だというのはわかるけれど、そういうことがまったくなくて何の人生なのと思う。どうせゴルフとかスキーとかの細切れの遊びや趣味はするのだろうから、どこかお付き合いとか仕事がからんだ遊びだけで自分を小さくして欲しくないものだ。

4.日本での状況が見えてくる
 さて以上の3つを並べると、見事に現在の若者の状況が見えてくる。ニューヨークやロンドンに出掛ける若者は全額ではないが親の援助を受けている、現在を人生のリセットと心得ていて数年後にはそれに見切りをつけて帰国して親の期待する人生を歩いていこうと思っている。それに比べ、バンコクに滞在する若者たちは、当初は親の援助をうけてワーキングホリディに出掛けた者もいるだろうが現在はそれを当てにしている人はいない。そこまで頼れないことを彼らは知っていて、働きに日本行くことを当然と思っている。少なくも親離れした人生(親逃れというほうが正しいかもしれぬが)を送っている。
 ただどちらも、帰国して安定した人生つまり正社員の道が開かれているとは思っていない。バンコク組はすでにあきらめているし、積極的にそこから逃げ出したと思っている。ニューヨーク組はできないことは知っているが、最終的には親のすすめる社会で生きていく以外仕方がないと観念している。
 それに比べてこちらが会うひとり旅の若者たちは、帰国すると正社員の道が待っている。ただそれは約束された幸せな明日というより、いまの自分を変えなければ対応できないほどに厳しい世界だと覚悟している、その選択以外は考えることができないぎりぎりの追いつめられた決心だ。
 以上の3組、お互い話し合うことはもちろんなく、自分とは違う発想をする別世界の人のように思っている。そういう見方を他から強制された結果なのだが、それには気付いていない。この状況に、現在のこの国の若者たちの悲しみがある。若者としてひとつにまとまることができない。

5.行ってみることが目的なのだ
 さてやっと旅の話になるのだが、以上を見ればこのところバックパッカーの旅はもちろん、気ままに旅をする人が減っているのは当然だろう。若い人は、旅どころではない状況だ。行ける人は時間がないのでツアーを選んでしまうし、それどころではない人はせっぱ詰まって外国に逃げ出してじっとしている。ナポリの下町でカフェを出ようとしたらアンニョンヒと言われた、韓国人と思われたのだ。確かにこちらが海外で会う若い東アジアの人はまず韓国の人だ、人口は日本の40%くらいの国なのに。日本人はツアーでほんとうに限られた場所でしかお目にかからない。空港に行って、その多さに何時も驚かされる。
あらためて思えば、バンコック組もニューヨーク組も以前ならバックパッカーの旅行者として歩き回っただろうし、お互い友人になって新しい関係が生まれただろう。若者同士の連帯のようなものや、世界だけでなく日本や日本人に対しても発見があっただろうと思う。そういう可能性を奪ってお互いを分断する現在なんて、何という時代なのだろう。
 時間とお金を他に使う当てのないこちらは、彼らの代わりにせいぜい世界のあちこちに出掛けよう。そういうお手本を残しておくことが、彼らのためにもなるのではなかろうか。自分たちの取り分を年寄りたちが不当に受け取っているという見方もできるが、ともかく羨ましく思う対象があることは将来の夢にはなるだろう。こちらだってサラリーマン時代に民家を目指して旅する写真家を羨ましく思ったことが現在につながっているのだから。
 そう言えば、世界を旅して若者たちのお手本であった写真家の藤原新也が新作の「日本浄土」のあとがきで「歩くことだけが希望であり抵抗なのだ。」と書いている。彼の旅とは違ってこちらはそんな気負いはなく、無理は避けて小さなキャリーケースを引っ張って、列車やバスを数時間ずつ乗り継いで行くだけではあるが、それでも旅は旅であろう。
 何年もかけ順序も前後しているのだが、インドから東に向かったアジアの旅は、途中抜けた国もあるが中国の雲南省まで来て、これからどうなるのだろう。中国では、言葉のわからない外国人であることをわかってもらうのに苦労する。ヨーロッパはイスタンブールから北へ向かって、ヘルシンキに到達して一応終了。クロアチアからイタリアへ入ったコースは地中海を西へ向かおうと思っている。ひとり旅の日本人に始めて会ったと言われると、どうでもいいことなのにちょっと悔しい。英語は相変わらず喋れないが、喋れるようになろうという気が少なくなってきた。
 良いことも悪いことも、うれしいことも危ないことも、同時に発生する。なぜこんなところにいるのだ、何をしているのだと思うことの連続だ。その結果として、少しのことでは驚かないというか、そういうこともあると認めることができるようになった。

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田原晋のひとり旅

 前回の続き、6年分です。
2006年
キャン ユー スピーク ジャパニーズ?

「日本語、話せますか?」
外国の観光地でない場所で、日本人のような人に会ったら、そう尋ねることにしています。
実際、韓国や中国の人であることが多いし、
あらためて東アジアの人間は見分けがつかないと教えられます。
土地の人からはもっぱらチノ?チノ(中国人)?と聞かれますが、
確かに彼等は世界中どこでも出掛けています。
でもお互い日本人とわかると、若い女性でもにっこり微笑んで話をし、
時にはお茶や食事を一緒にすることもあります。国内ではあり得ない旅の楽しみです。
ところで、
ルーマニアとハンガリーの国境を越える列車の中で
一人旅の日本人に初めて会ったと言われました。
これはほめられたのではないと、返事につまりました。

2005年
喋れないから旅は楽しい

昔のままの家が残っているような小さな村や町に行くと
そこには少年の頃の自分が遊んでいて「久しぶりだな」と声をかけたくなったり、
もっと歳をとりおじいさんになった私がいたりします。
肌の色は違うし言葉はまるでわからないのですが、
そんなことはどうでもよくなって、
すすめられるまま上がり込んでお茶を飲んでにこにこ微笑んでいたりします。

そんな旅をして帰って来ると、
周囲がよそよそしく何か知らない世界にやって来たような気がする一方で、
喋っている言葉がわかるのがなんとも不思議な感じがします。
もし肌の色が違い言葉がわからなければ、
お互いもっと親切になるに違いません。

2004年
親切に助けられて旅ができる

民家を訪ねる旅をしていると、ほんとうに沢山の親切に出会います。
まったく見ず知らずの外国人なのに、笑顔でやさしく声をかけてくれる。
道を教え、あるいはそこまで案内し、
また家に招き入れ、飲み物や食べ物をくださる。
これからもう二度と会うことはない日本などまるで知らない方なのに、
いえ貧しく生活は苦しいだろうに、そんなことお構いなしに、
それが当然のようなやさしさだ。
だから旅をすることができると、
いや親切を受けるために旅をしているのではないかと思えるほどです。

世界には「旅は道づれ世は情け」という言葉が生きています。

2003年
尋常であること

民家の写真を眺めると、何十年も何百年も変わらない日常が写っています。
そのことを尋常と言って
あたりまえのこと目立たないで品格のあること、すなおなこと立派なことだと考えていました。
つい30年前までは普通にみんながそう思っていました。
めまぐるしい時やどうしようもない時こそ、
じんじょーにじんじょーに尋常に、常を尋ねましょう。
きっとホッとした気分になれますから~。

2002年
時の流れが写っている
この世界の民家の写真を見ていると、
今日の生活が、明日も明後日も自分が死んだ後も続いていくと信じられているようです。
そこには明日つまり未来があるから、
家族だけでなく親族やご近所とのお付き合い、
思い出という過去や、時には祖先や神様も一緒に住むことになります。
つまり家の中に時の流れがあって、それが写っています。
一方、
私たちの住まいは、はるかに便利にピカピカにできていますが、
そこには時の流れがあまり感じられない、何故なのでしょう。

2001年
古いものを壊すと、私が無くなる
昔からの住まいや町があるから私たちはわたしたちであることができる、
民家に住んでいる人はそう考えています。
では縁側に障子の住まいやその町並みがなくなると日本ではなくなるのか、
私たちはあまりそう思っていないけれど、
世界から見るとそれはちょっと信じられない考え方のようです。

でも日本って何なのでしょう。
日本人ってどうなろうとしているのでしょう。
世界の民家を見ているとつい日本のことを考えてしまいます。

2000年
家が風景をつくっていると感じるようになった

このカレンダーの撮影をしている小松義夫さんが、これまでのおもしろ住宅の写真を集大成して336ページの大判の本にしました。「地球生活記・世界ぐるりと家めぐり」(福音館書店発行)
世界59カ国、約128の地域、1,700点の写真がまとめられています。一目見ただけで時間と労力のかかっていることがわかるためか、多くの新聞や雑誌の書評に取り上げられ、びっくりするほど好評です。ぜひご覧ください。

その前書きで小松さんが書いているのが上記、「それまで家は風景の一部と考えていたのに、家が風景をつくっていると感じるようになった。」家の写真を撮ることがおもしろくなって、感じたことだそうです。このカレンダーが、世界でたった一人の住宅写真家を誕生させたのです。

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田原晋のひとり旅

 松下電工が毎年お届けしていた「おもしろ住宅カレンダー」が2007年で終了した。毎年新しく取材した民家の写真を紹介して20年も続いたのだから仕方がないと思う一方で、生みの親のひとりとしてはまた自分に関係するものが消えていった寂しさを消すことはできない。その間、撮影を担当してくださった小松義夫さんが、世界で唯一の民家写真家として認められ出版や展覧会と忙しくしておられる。これからも世界中をまわって家を撮り続けるとのことだ。その影響でこちらも旅はわが人生の一部になっている。

img20071108112546734
 ところが毎年このカレンダーをお届けしている方から、小松さんの写真はこれからも見られるが、カレンダーの表紙の文章に会えないとのお手紙をいただいた。実はカレンダーの表紙など最初に破って捨てるものだからと勝手なことを書いていたのだが、それも楽しみにしておられたのだ。せっかくの機会だから、ここにこれまでのものをまとめることにした。
 取りあえず、今年2007年はこんなものでした。

私たちは何も知らない
このカレンダーの写真を見たり、自分で外国を旅してみると、
私はほんとうに何も知らないと気付かされます。
それなのに、日本にいてテレビや新聞を見ていると、なぜか
世界のことはなんとなくわかった気になってしまいます。
米国のことも、回教のことも中国のことだって、
まして日本のことには、自分で意見を述べることができるようになります。
でも、ほんとうにそうなのだろうか。
私にとってこのカレンダーは
何も知らないことに気付かせてくれると、今回もまたそう思ってしまいました。

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田原晋のひとり旅

(9406ひとりに、9501阪神大震災、9605定年退職)

960827~0909・写真家・小松義夫さんとアイルランド民家
  *世界で唯一の民家写真家。カレンダーの依頼以来、20年の付き合い。
970206~0214・建築家グループと・インド・グジャラート
  *建築家・西沢文隆のグループの旅、最初は77年、インドだけでも6回。
970711~0722・姪の結婚式に息子と
・ チューリッヒ~ザルツブルグ、ウィーン
980211~0220・甥の結婚式でホノルル~折角なのでひとりロサンジェルス
980522~0608・小松義夫さんとイラン民家
  *以上が、今から見ると準備段階でした。
990128~0207・パリ・初めての海外ひとり旅  
*実質的にこれが初めてのひとり旅、相当に緊張していました。
990328~0411・ブータンヘグループ旅行、ひとりインド・ラジャンスタン
990529~0603・友人とソウル、ひとり安東(アンドン)
  *以上を助走期間に、以後は半年ごとが恒例になりました。
20000208~28・北イタリア(ローマ、フィレンツェ、ミラノ)ひとり20日間
20000525~0602・バリ島、民族芸術学会
20000830~0922・ポルトガル~スペイン北部、ひとり24日間
010221~0311・インド・ケララ州(南部西海岸)、ひとり18日間

010830~0919・中欧1・ベルリン、チェコ、オーストリア、21日間
            (途中で、ニューヨーク同時多発テロ事件)
020204~0226・インド・南部中央部分、カルナータカ州など、23日間
020902~0919・イエメン一周ツアー14日間、ひとりクアラルンプール3日間
030204~0222・バンコック~カンボジア19日間

030821~0910・中欧2・スロバキア、ハンガリー、21日間
040130~0221・ベトナム、23日間
040822~0922・中欧3・ブルガリア、ルーマニア、31日間
         (イスタンブールから陸路で入り、ブタペストへ抜け、アテネに寄る)
050204~0224・チェンマイ~ラオス~ベトナム北部

050830~0927・中欧4・ポーランド、バルト3国(ヘルシンキへ)29日間
060301~0326・中欧5・ウィーン、ザグレブ、ベオグラード、ブルガリア、
                ブカレスト、23日間
060823~0913・北欧・デンマーク、ノルウェー、22日間
 *イスタンブールからスタートして、5年かかりでヘルシンキに到着、ちょっと感激。
070322~0312・ミャンマー、シンガポール、20日間

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