旅の記録 の記事一覧
フィリピン ルソン島の旅の前に・2 201102
2012年2月11日
[旅の前に・2]
写真家の小松義夫さんが、なんとイスタンブールからメールをくださった。冬の街は観光客も少なく、雪が舞っているとのこと。こちらがルソン島から日本を望んでいることを知って、同じことをもう実現した人がいてそのテレビ番組が放送されることを教えてくださった。
さて、2月12日(下記のとおり大阪では18日)フジテレビ系列で東京では16:00から「海のグレートジャーニー」(仮のタイトル)でインドネシアから日本まで海の道を手製の舟でたどった番組をやります。友人の関野吉晴氏が企画しました。彼とは1年半前まで同じ事務所を借りていました。
大阪では関西テレビで18日午前9:55分かららしいです。インドネシアで造った舟で難関の台湾とルソン島の間のバシー海峡を通って沖縄まで来た航海記録です。
時間があったら見てやってください。
*こちらは関西在住、もう旅に出てしまっている。そこで、ここで紹介することにしました。
フィリピン・ルソン島北部への旅 201202
2012年2月8日
来週から2週間の時間が取れたので出かけることにしました。今回はこれまでとまるで違う場所、フィリピンです。
これも小松義夫さんの民家の写真で知ったのですが、ルソン島の北部の山中には見事な棚田があって世界遺産になっています。また、その海岸部にはスペイン統治時代の町並みや教会も残っていて、これも見逃せません。ザビエルなどの宣教師もここを通って、来たに違いありません。マニラも初めてです。
そしてこれは日本の周辺シリーズの1回目にもなりそうです。台湾、石垣島、対馬、チェジュ、プサンへと続けると、新しい何かに気付くかもしれないと期待しています。小熊英二さんに「日本人の境界」という著作もあります。
モロッコひとり3週間・2011^12
2012年1月30日
・カサブランカから、反時計回りに回りました。
1・11月21日(月) トルコ航空 TK047便 出発: 23:30 大阪 (関空) 到着: 11月22日 05:55 イスタンブール
2・11月22日(火)
トルコ航空 TK617便 イスタンブール出発: 09:55 ~ カサブランカ到着: 13:00
3・11月23日(水) カサブランカ~マラケシュ(3h)
4・11月24日(木)マラケシュ
5・11月 25日(金)マラケシュ
6・11月 26日(土)マラケシュ
7・11月 27日(日)マラケシュ~ワルサザード
8・11月 28日(月)ワルサザード~カスパ街道~ティネリール
9・11月 29日(火)ティネリール~エルフード~メルズーガ
10・11月 30日(水)メルズーガ 砂漠テント 泊
11・12月 1日(木)メルズーガ~フェズ 夜行バス
12・12月 2日(金)フェズ
13・12月 3日(土)フェズ~日帰り~シャウエン
14・12月 4日(日)フェズ
15・12月 5日(月)フェズ~メクネス Hotel Rif 1泊
16・12月 6日(火)メクネス~日帰り・ヴォルビリス遺跡~ムーレイ・イドリス
17・12月 7日(水)メクネス 18・12月 8日(木)メクネス~カサブランカ 19・12月 9日(金)カサブランカ 20・12月 10日(土)カサブランカ
トルコ航空 TK618便 出発: 14:00 カサブランカ 到着: 20:30 イスタンブール
トルコ航空 TK046便 出発: 23:55 イスタンブール 到着: 12月11日 17:55 大阪 (関空)
21・12 月11日(日)17:55 大阪 (関西国際空港)
*以上で、モロッコの旅のご報告は終了にします。
長々とご覧いただいてありがとうございました。
なんと計画から4か月も旅を楽しんだ訳で、これがひとりフリー旅のいちばんの特長と言えるかもしれません。
*地中海の旅シリーズの5回目となっていますが、これも今回でおしまいです。
クロアチアのドブロウニクからアドリア海岸をイタリアのかかとまでまわり、シシリー島、チュニジア、サルジニア島、コルシカ島、バルセロナからマジョルカ島、アンダルシアからモロッコ、これを5回で廻ったことになりました。
この先は、もう大西洋、カナリア諸島の先は南アメリカということになりますが、はてどうなりますか?
*と言いながら、また旅に出たくなっています。2月の終わりに2週間時間がとれそうなので、目下どうするか思案しているところです。
では、また。
モロッコの旅で思ったこと・3・モロッコのすばらしい建築彫刻
2012年1月29日
3. モロッコのすばらしい建築彫刻
モロッコを訪ねていて、その建築彫刻のすばらしさに感心した。それは壁から天井ときには床まで、覆い尽くしている。その場所の圧倒される感覚だけでなく、紋様のひとつひとつは繊細で軽快で美しい。これまで見たトルコやイランはたまたインドのそれらと比べても、そのスケールや覆い尽くす徹底さは及ばないかもしれないが、繊細な美しさははるかにこちらが進んでいるのではないか、そんな思いがした。
そして1年前に久しぶりに訪れたスペインのアンダルシア、そのイスラム建築の見事さに感動したことを思い出した。その紋様を生み、送り出した母国なのだから当然だろうと、ここは突然イスラムびいきになって見ていった。マラケシュ、フェズ、メクネス、偶然だがその順序も良かったと思う。ほんとうを言えば、もう一度マラケシュの史跡地区に帰ることができれば、もっと良かったけれど。
紋様はますます繊細で、石材土レンガ漆喰木材という材料の違いを越えるというか、それを組み合わせながら紋様はひとつにつながって続いている。建物のつながりや空間の変化では、アンダルシアに及ぶべくもないが、ひとつの空間でのまとまりには感心する。なによりほとんど人がいなくて、その場所を一人占めできるのだから、これ以上の幸せはないだろう。
モスクには入れないのは残念だが、メドレッサ(神学校)や廟(墓所)は入ることができる。とくに廟は、その時代の技術の粋を集めるものだから、ほんとうに見事なものだった。また出発前に建築家の澤良雄さんが、壁泉があることを教えてくださった。フェズやメクネスのメディナのあちこちにあって、今でも水道として利用されている場所もあった。モザイクを張りつめたものだけでなく、シャウエンでは青く塗られたものもあって楽しかった。
さて、そのように感心しながら見て帰ったのだが、写真を整理する段になって、その年代をチェックしてこちらのカン違いに気付いた。こちらの見たモロッコの建築は、いちばん古いものでも14世紀、つまりスペインのレコンキスタ(キリスト教による国土回復運動、1248一応の達成、1492グラナダ王国の崩壊)の後だ。沢山のアラブの職人がヨーロッパから逃れてきたが、彼らを送り出した王国はすでになく、その後生まれた王朝で彼らは持ち帰った技術で新しい建築を作り上げた。
風土の違いもあるので空間はまるで違うものになったが、そこに加えられた紋様はより繊細で濃密になった。それははるかアンダルシアの土地を夢想するものであったのだろうか。彼らの心の中を想像すると胸が熱くなる。
またこれと似たものが、スペインにもある。マドリッドの南、トレドの町にユダヤの建築のアラブ模様もまたキリスト教の世界で作られている(1085キリスト教再征服の後、1492ユダヤイスラムの追放まで)。その細い曲線を多用した紋様、なにより天井の仕上げの方法が共通していることには驚くほどだ。この比較は、きちんとしなければ勝手なことは言えないのだが~。
*トレドのユダヤ教会
渡来した技術によると言えば、私たちの国にある陶磁器、有田や古伊万里にある抒情性も、これと似たものではないか、そんな想像までさせてくれた。文化は重層するほど抒情が付加されて美しくなる。混交するほどそれは純粋になる?
専門家から見ればとんでもない見方だろうが、そんな発想をさせてくれるのも旅の楽しさだろう。できればもう一度、今度はしっかり勉強してから訪ねたいものだ。アンダルシアからモロッコ、そしてトレドというコースになるのだが、はて。
モロッコの旅で思ったこと・2 タハラがサハラに
2012年1月27日
2. Tahara in Sahara
*朝日を受けて輝く砂山、 マイコさんの宿のカード
モロッコの南の国境近くサハラ砂漠を望む地域にまで行ってきた。以前はエルフードという町から砂漠まで4輪駆動車で走らないと行けなかったらしいが、すぐ目の前のメルズーガ村まで舗装道路がのびて、散歩がてら砂漠に入ることができる場所まで簡単に行けるようになっている。村は、今や宿やバス停やお店ができるなど急激に大きくなっている。
といってこちらに泊まれる宿があるのか心配していたのだが、なんと日本人経営の宿があるとのことで、そこを訪ねることにした。マイコさん経営、というと当然40~50代の方と思っていたら、なんと20代の若奥さまででビックリ。なにより言葉が通じるのはありがたく、村を案内してもらい、さらにベルベル人のテントに1泊するらくだツアーまで参加することができた。
砂漠は結構水を含んでいて、パイプを差し込むと水を取り出すことができる。その水路に沿って、ナツメヤシが植えられて砂漠との境界となり、内側に畑が作られて麦や野菜が栽培されている。イランでもそうだったが緑があるということは人の手が入っているということで、自然ではない。こういう風景に出会うと、自然の強さ美しさと人間のすばらしさの両方を感じる。それだけで来た甲斐があったとうれしくなる。
その前、散歩がてら砂漠の中にひとりで入ってみた。砂山をいくつか越えると、もう周囲は砂と空だけの世界。砂山の重なりははるか遠くにまで続いているのだが、なぜか絵に描いたようでその広さに感動はしない。すでにどこかで見たような気になってしまう。こちらの想像力の貧困のためなのだろうか。それより目の前の風紋や足跡、人間のだけでなく小動物のものもある、さらには砂が意外に冷たいことに驚いた。おそらく水を含んでいるためにそうであったのだろうが、ふと思いついてオシッコを試みた。それは少しも広がらずに穴の中に落ちていくように吸い込まれていった。こちらが飛び込んでも、そのように落ちていくのではないかちょっと恐怖をおぼえるほど見事な消え方だ。足跡がそこで消えている写真、それが風によってすぐに見えなくなってしまう動画を思ったりした。音もまったくなく、あ、ここは別世界なのだと、あらためてよくぞまぁここまで来たものだと思った。
小さな三脚を取り出してオートシャッターで写真撮影をした。マフラーは出かける前に宿のお兄さんに巻いてもらった、後ろで結んであって簡単にほどけたりしないし、一方を砂よけに顔に巻いて眼だけ出すようにもできる。何度も教えてもらったが、自分ではうまく巻けないし、もうそれも忘れてしまった。だから、これはほんとうに記念写真だ。
翌日、今度はらくだに乗ってテントに1泊して朝日を見るツアーに行くことにした。16時にらくだを連れたベルベル人の青年・バラサ君25才がやって来る。骨格がしっかりした大きな目、その白い肌に黒いひげが目立っている。言われるまま坐ったらくだの背にまたがる、瞬間すっくと立ち上がって2mくらいの高さすべてを見下ろす視点になってしまう。ちょっと不安だが、なんとか歩く動きに身をゆだねる。一人だけのぜいたくなツアーだ。すぐに砂漠に入り、前を歩く彼の後ろについてらくだは、ゆっくりとでもしっかりと進んで行く。何度か止まってお尻の毛布を直してもらう、こちらの乗り方が悪いようだ。大股の姿勢、降りると足がふらふらして立っておれないほどだ。
やがて村が見えなくなり、日が沈んでいく。砂が色を増して赤く輝いてくる。こちらの影が砂の上にびっくりするほどに長く伸びる。らくだの足が針金のようにだ。写真を撮りたいが、らくだの上ではなかなかうまくいかない。一人はこういう時に不便だが仕方がない。
ほとんど暗くなったところでテントがいくつか見える場所に到着、彼の家族が住んでいるとのこと。砂山に囲まれた窪地、いい場所を探すものだと感心する。そのはずれのひとつが私たちの今晩の宿だ。明かりはローソク。しばらくして彼が食事を運んできてくれた。お茶とパンと羊のタンジェ、熱いのがうれしい。夜は冷えそうだ、もうすることはない、というより何もできない。カイロを貼り毛布を4枚かけ20:00就寝。静かだ、というより無音。
目覚め、真っ暗、まだ5:30。6:30起床、砂山でオシッコ。朝日の方向に高みを目指して歩く、どこまで行っても同じだが、視界が広がった所で腰を下ろす。7:15日の出、みるみる明るくなり、くっきりと長い影。テントに帰ると、もう出発7:30。途中で二度止めてもらって、すわり直す。それでも少しは慣れてきて、身体を前後に動かして大きな獣にまたがるちょっとエッチな感触を味わったりした。
やがて村が見えてきて、9:00宿に帰着した。もう二度と来ることないだろう。それにしても「いい冥土の土産ができたものだ」とこれを書きながらそう思いついた自分に自分で驚いている。
*右の写真・宿の屋上から砂漠を見る。そこへ一人で出かけて左の写真を撮りました。