旅の記録 の記事一覧
201505・ベトナム(ホーチミン~ダナン~ニンビン~ハノイ)旅程
2015年6月13日
20150507~18
Vietnam(T.P.HoChiMinh~DaNang~NinhBinh~HaNoi)
ベトナム (ホーチミン~ダナン~ニンビン~ハノイ)
旅程
1・5月 7日(木) バス 六甲Id.発 7:48 KIX着 8:45
ベトナム航空VN321 大阪発10:30 ホーチミン着13:50
ホーチミン宿泊・Riverside Hotel Saigon
2・5月 8日(金) タンソン・ニヤット空港
ベトナム航空VN116 ホーチミン発12:10 ダナン着 13:30
ダナン宿泊1・DaiA Hotel
3・5月 9日(土) Bus (約6時間)ダナン発 コントゥム着 コントゥム宿泊・
4・5月10日(日)Bus (約6時間)コントゥム発 ダナン着
ダナン宿泊2・DaiA Hotel
5・5月11日(月) ダナン宿泊3・DaiA Hotel
6・5月12日(火)
ベトナム航空 VN164 ダナン発11:20 ハノイ着 12:40
Bus (約2時間)ハノイ発 ニンビン着
ニンビン宿泊1・Hoang Hai Hotel
7・5月13日(水) ニンビン宿泊2・Hoang Hai Hotel
8・5月14日(木) ニンビン宿泊3・Hoang Hai Hotel
9・5月15日(金) ハノイ宿泊1・Conifer Hotel
10・5月16日(土) ハノイ宿泊2・Conifer Hotel
11・5月17日(日)
12・5月18日(月) 17日深夜発
ベトナム航空VN320 ハノイ発 00:20 大阪着06:40
第1回 2004.01.30~02.21. ホーチミン~南部デルタ地域~ホイアン~フエ~ハノイ~ハロン湾
第2回 2005.02.04~02.24 ラオスからベトナム ハノイ~北部サパ地域
第3回(今回)2015,05.07~18 ホーチミン~ダナン~ハノイ~ニンビン
ベトナム 150507~18
2015年5月19日
ベトナムから無事帰って来ました。行きたい場所にも行くことができ、久しぶりに旅らしい旅ができたと大変に満足しています。これからボチボチまとめますが、ともかく無事に帰って来たことをご報告。どうぞご安心ください。では、
ベトナム 1505
2015年5月19日
20150507~18
ベトナム (ホーチミン~ダナン~ニンビン~ハノイ)
[旅の前に] 例年の2~3月の旅に行き損ねて、こうして旅に行かなくなるのだろうと思えて悔しく思っていたのですが、たまに行く喫茶店のベトナム大好きのご主人・遠藤さんと話していたら、急に行きたくなりました。
ハノイの民俗学博物館の庭に立っている、びっくりするような大きな屋根の集会所。これがダナンの近くにあるとのことを写真家の小松さんが教えてくれたことを思い出したのです。またハノイ近くのニンビンにある木造の教会にも行ってみたい。ということで、旅を計画しました。5月だから気候的には厳しいけれど、北部だしまぁなんとかなると思うことにしました。ホーチミンで1泊して、以前泊まった河畔のホテルに行ってみようと思っています。ハノイは、ホアンキエム湖の周囲を歩きたいし、オペラ座で公演は、などなど、思いはふくらむ一方です。
1・5月 7日(木) バス 六甲Id.発 7:48 KIX着 8:45
ベトナム航空VN321 大阪発10:30 ホーチミン着13:50
ホーチミン宿泊・Riverside Hotel Saigon
2・5月 8日(金) タンソン・ニヤット空港
ベトナム航空VN116 ホーチミン発12:10 ダナン着 13:30 ダナン宿泊
3・5月 9日(土) ダナン宿泊2・
4・5月10日(日) ダナン宿泊3・
5・5月11日(月)ダナン宿泊4・
6・5月12日(火)
ベトナム航空 VN164 ダナン発11:20 ハノイ着 12:40
Bus (約2時間)ハノイ発 ニンビン着 ニンビン宿泊・Hoang Hai
7・5月13日(水) ニンビン宿泊・
8・5月14日(木) ニンビン宿泊・
9・5月15日(金) ハノイ宿泊・Conifer Hotel
10・5月16日(土) ハノイ宿泊・Conifer Hotel
11・5月17日(日) 17日深夜発
12・5月18日(月)
ベトナム航空VN320 ハノイ発 00:20 大阪着06:40
国内の旅・四国伊予の民家へ/150328~29
2015年4月3日
国内の旅・四国伊予の民家へ 150328~29
愛媛県の民家に行って来ました。その報告をします。いえ30代の頃、当時の仕事仲間(広告制作)と民家を訪ねる旅によく出かけていました。こちらが定年になった時、隠岐の島に誘ってくれました。そのグループで久しぶりに行くことになったのですが、家庭の事情で2人がアウトになって、結局3人で出掛けました。版画家のSさんと写真家のGさん。
大阪から出発、こちらは神戸でひらってもらい第2神明から山陽道、しまなみ海道から松山道の計画でしたが、山陽道で事故があって大渋滞。予定が大幅に遅れて、夕刻やっと内子町に到着。
ここは国の重要伝統的建造物群保存地区・町並み100選の指定を受けた街道が有名な場所。以前私たちが訪ねていた頃の、ひなびたというより荒れ果てた面影はまるでない、美しくお化粧された町になっていました。お客を呼ぶための観光開発ですから、元の民家よりも美しく、また道路も舗装されていました。とはいえ、遅くなったおかげでもう夕刻、観光客の皆さんは引き上げるところで、また夕日が影を濃くしていて、写真には絶好の時間になっていました。中に入ってゆっくりと見ることはできませんでしたが、漆喰を2色に塗り分けた微妙な色使いや、家の紋章が魅力的で、すっかり満足しました。
そこからさらに南下して、西予市野村町惣川にある土居家に到着したのは、もう夜になっていました。江戸時代後期(1820)に建てられた庄屋屋敷、平成10年に復元されていて、思った以上に大きく、闇に沈みかけていました。宿泊は、別棟。夕食は母屋、土地の材料(大きなしいたけステーキ、ひめます焼き、ひらめの刺身、ひじきなど)。お互いすっかり齢をとったことに、あらためて感じ入りました。
夜に降りだした雨は出発する頃には上がり、母屋の写真を撮ったりして、霧の中を出発。1人2食付で7,900円。内子町を通って、松山道。松山市へ、道後温泉会館、元県知事官舎を見て、昼食を取って出発。夜に仕事があるという写真家の予定で、急行。こちらは、高松で降ろしてもらい、友人に会ってさらに1泊して帰りました。
2014年関西日中・寧夏訪問交流ツアー・3年ぶりの中国
2014年11月16日
旅の記録, 1410寧夏回族自治区~西安, 中国・寧夏~西安20141012~1018
2014年関西日中・寧夏訪問交流ツアー
1・3年ぶりの中国
西安・南大門
予想はしていましたが、大きな様変わりでした。寧夏の町ですら、といって寧夏がどこにあるかもご存知ないと思いますが、シルクロードが始まるとされる西安のさらに西北、乾燥した黄土高原地域にある回族つまりイスラム教信者が多い、中国の中でも最貧と言える地域です。
その地域の行くまでは名前も知らなかった地方都市・呉忠さへ、都市計画による広い道路が碁盤目に通り、市役所やホテル、住宅が高層で建設されている。それだけの人口があるのかといぶかれるほどだが、どうやら周囲の土レンガやヤオトンに住んでいる人たちを、そこに移住してもらうつもりらしい。
つまり昔からある畑と水路や樹木のある村の風景を壊してしまう計画のようだ。実際に訪ねた田舎の学校は3年前の賑わいがまるでない、生徒が20名になって先生も2人だけになっていた。
どういう未来を構想しているのだろう、他人事ながら心配になってしまった。最後に寄った西安も、自動車が溢れ、スモッグにおおわれていた。北京だけではない全国の都市が、このような状況なのかと、暗い気分になってしまった。
これは日本にとっても、他人事ではない。偏西風に乗ってそれはやって来るのだから、それを解決しなければならない。過去のことで言い争いをしている時ではない。中国の将来のこと、いえほんの数年先のことを本気で心配しなければならないと、思って日本に帰って来た。
そして翌日、行く前に予定していたゼミに出るために大阪・中之島に出掛けたのですが、その新しいビルの10数階から眺める風景は、こちらが知っている大阪とは様変わりして、超高層ビルが林立、まるで知らない街になっている。それは美しくキラキラしているけれど、どこか模型みたい。
考えてみるまでもなく、この20年日本の人口は増えてなく、高齢化が進んだだけなのに。日本もまた、中国と同じように、都市を超高層化して、つまり都市への人口の集中をさらに進めていると言える。オフイスの需要がそんなにあるとは、とても考えられない。超高層のマンションだって、おそらく空き室が相当にあるだろう。
これは中国とまるで同じ。中国だけを悪く言うことも、また間違っているようです。
経済の関係者はもちろん政府にもそんな心配をする意見はまるでない。これはとても悲しい問題だなと思いました。~おそらく、後ろ向きの年寄りの感想と思われるに違いない。日銀はまだ経済を発展させることだけを考えていて、反論する意見はまるで聞こえて来ない。円安より円高の方がありがたい人が多い筈なのに~。
政府もマスコミも、もう国家の膨大な赤字を解決しなければ、などとは一言もいわなくなりました。