旅をしている人
田原 晋

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本の旅 の記事一覧

本の旅

 今の世の中、経済で動いている。人は何かあれば、景気を気にする。仕方がないことだろうが、リタイアの身にはちょっと気にしすぎだと感じる。
そこで最近気付いた、まるで違う経済の見方を紹介します。

  まず内田樹さん(atプラス03・大人になるための経済活動)。経済とは商品やサービス情報などの交換によって共同体を維持するためにある、言語や結婚(女の交換)と同じ働きに過ぎない。それが金融ビジネスという博打によってゆがめられ、共同体を破壊するようになっているのに、それが経済だと思われている。むしろ贈与経済へ、共同体が維持される方向にお金を使っていくことを考えたらどうだろう、とサッカーのパス(贈与)を例にして語られる。
 
 *こちらは「AERA10.8.2佐藤優・読まずにいられない」から引き写しですが。柄谷行人(世界史の構造)は交換様式として語る。A・互酬(贈与と返礼)~ネーション、B・略取と再配分(支配と補償)~国家、C・商品交換(貨幣と商品)~資本、D・X(例として、社会主義、共産主義、大東亜共栄圏、国連)。具体的に、その先のあるべき方向「X」が模索されているようだ。
 
  この他、思想地図vol.5社会の批評(東浩紀、北田暁大 編集)など、知の世界の人がようやく自動繁殖する資本の横暴に対して、何か言わねばならない。その先を考えねばならないと思われてきたようです。やはり時代は曲がり角を迎えています。


 ところで本の旅は今回でしばらく休みにして、次回からいよいよただ今計画中の本当の旅、というか自分の話にします。

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本の旅

 前回に、その間に読んだ本では、大沢真幸さんの雑誌4号「もうひとつの1Q84」、佐野章二「ビッグイシューの挑戦」、それぞれに面白かったけれど~。と書いたけれど、それで済ますのはちょっと申し訳ないので、少し。

 大沢さんは村上春樹を社会学的に読んでいる。理想を追い求めた時代の破綻が見えた70年代の初めに村上春樹は登場した。そして現実を秩序づけるのは情報社会、消費社会と呼ばれる虚構の時代へと移っていく。そのピークが1984年頃と言う訳だ。その視点で作品を読むのはとても面白い。
 ところでこちらは「1Q84」を読んでいない(読んだのは、ノルウェーの森まで、あまり読む気がしなくなった)。でも「世界の終りとハードボイルド~」を読んでいたために、あまり不都合なく?理解できた。オウム真理教や世界に広がる原理主義の現実を重ねて、この本を読んでしまう私たちに村上春樹は回答を与えているのか。大沢さんの理解はそこに及んでいて、彼の言う現在「不可能性の時代」に対応していると言う。その論文に続く、辻井喬さんとの対談や参考資料(あらすじまである)も充実している。
*「1Q84」を読まないで、村上春樹について理解したい方にこれほどいい冊子はない。

 佐野章二「ビッグイシューの挑戦」はホームレスの人に売ってもらって収入を得てもらうという雑誌だが、もう7年も続いている。その顛末をまとめたもの。その努力に感心するが、何よりこの雑誌を買っていたのが若い女性であったことに驚いた。そこに「不可能性の時代」の夢をまたみることができるようだ。

 ともかく生きて世界を見ることができるのは、何にも変えられない幸せだ。

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本の旅

  梅雨があけると同時に猛暑が列島をおおって、熱中症に倒れるご同輩が少なくない。こちらは何とか元気に過ごしていたが、午後になるとパソコンがうなりだしてスイッチを切らざるを得なかった。というのがサボっていたもっともらしい理由だ。昨日からやっと曇って雨になり、今は天窓を雨がすべり落ちるのを眺めている。
  W杯も選挙もすでに遠い昔、選挙は後遺症に付き合わざるを得なくなったが、それを選んだのだから仕方がない。その間に読んだ本では、大沢真幸さんの雑誌4号「もうひとつの1Q84」、佐野章二「ビッグイシューの挑戦」、それぞれに面白かったけれど~。
 
  今年亡くなられた免疫学者の多田富雄さんの「寡黙なる巨人」。2001年に脳梗塞で倒れられて、その重度な障害の中でパソコンをおぼえて書かれた文章は、こちらの毎日に大ショックを与えてくれた。最初はなんというタイトルだと思ったのだが、障害のリハビリを通して自分の中にまるで知らなかった「寡黙なる巨人」が生まれてくることに気付いてつけられたもの。一度死ぬと復活しない神経細胞に変わって動き出したものは、新しく生まれた何者かでしかなく、読者としては信じるしかない。
  そこに書かれている文章の柔軟な発想、深く広い知性、人へのやさしさなどすべて驚かされるが、それは彼の日常、つまり毎日の行動によって産み出されている。起床と同時に硬い装具をつけて、リハビリかパソコンにはげまれる。くたくたになるまで動きまわって、夜、倒れこむようにベッドに入って、朝まで熟睡する。そういう毎日によってのみ魂を成長さすことができ、人格の破壊からまぬがれていると言う。
  人は、自分の行動によって考える質量もまた決まってしまう。砂を噛むような達成感のまるでない仕事であろうと、それがないよりはマシなのだと思うことができるではないか。

  こちらとしてはせめてもと大決心して、水と弁当を持って2時間かけて六甲にのぼり1時間山頂ですごして1時間かけて有馬温泉にたどり着く。その日は、久しぶりによく眠ることができたのであります。

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本の旅

本の旅・月刊誌・大沢真幸 THINKING「0」
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 雑誌が売れていないそうだ。とくに文藝春秋とか世界といった総合雑誌がひどいらしい。これではいかんといろんな試みがされているが、意図はわかるがいまひとつ満足できなかった。といってこちらは決して熱心な読者ではない。ただ日々起こっていることをテレビや新聞のニュースだけでなく、その原因や理由まで、もう少しだけ理屈で知りたいと思うだけ。ぶっちゃけてしまえば、すぐ感情的になったりイメージで断定する、マスコミ報道が嫌いなだけだ。発行する側から見れば、こちらの年令や好みはすでに対象の層から外れているのだから、当然のことだと言えるのだが~。
ところがつい先日、これこそが新しいタイプの雑誌だと思うものに出会った。創刊からすでに3ヶ月が過ぎているが、ご報告を兼ねてPRさせていただく。

 雑誌というよりブックレットという感じだが、きちんと月に一度発行されている。名前は、大沢真幸 THINKING「0」。創刊はこの4月からで、すでに3号が出ている。写真のように、装丁はとてもおしゃれだ。またページを開いて、文字の大きさやレイアウト、キャプションの入れ方(ページごとに要約が2行で示されている)まで、行き届いてすっかり感心してしまった。
 内容は、大沢真幸さんの個人編集で、月ごとに現代社会を考える上で鍵となるテーマを決め、それにふさわしい方との対談と、それで触発されたことを論文としてまとめられる。あとは必要な資料だけという、シンプルな構成。毎月10日に発行されていて、定価は1,000円。

 創刊号は「連帯のあたらしいかたち」。対談のゲストは医師の中村哲さん、アフガニスタンでの医療から井戸掘りや用水路の建設までする、ペシャワール会の現地代表。日本人の彼がなぜ現地にいることが必要であったかが話される。それが論文では、子なるイエス・キリストにむすびつけられ、父と子と聖霊という三位一体に結びつけられる。個人的にもその意味をはじめて知ることができて満足したのだが、世界での連帯の仕方への新しい提案になっている。
 2号は「民主党よ、政権交代に託した夢を手放すな」。対談は、まず政治学の姜尚中さんと、政党や選挙の意味、政治と官僚制の違い、天皇制、憲法9条と国際貢献などの本質が語られて、政権交代の意義が語られる。もう一人、教え子で民主党議員の政策秘書になった小木郁夫さんと、二大政党制の意義、郵政改革が支持された理由、社会を変えるには国家権力のあり方の変更が不可欠など、政治とは何かが話される。それを受けての論文では、政権交代は失敗する可能性が選ばれたのではないか。だが郵政選挙のように失敗と断罪されないために、やらなければならないこと、その可能性が語られている。
 この編集は鳩山政権時になされていて、その後の瓦解と管政権の誕生は触れていない。しかしそれを経た現在に見ても、その指摘は交代を予測したと思えるほどに有効だ。
 3号は「民主革命としての裁判員制度」。対談は、制度を推進し導入した中心的な弁護士、四宮啓さん。制度が意味するもの、その成果、可能性など。まるで気付かなかった意義が語られる。もう一人、河野義行さん、松本サリン事件の第1通報者で犯人扱いされた方。その徹底して当たり前の考え方に、驚くとともに魅了されてしまう。そして論文は、小説「贖罪」を紹介しながら、犯罪をどう理解するのがあるべき姿であるかという基本のところから話しをすすめて、この制度の意味がもう一度まとめられると共に、具体的な改正試案が提示されている。
 次号の4号(7月10日発売)は、「1Q84」と1980年代。対談者は辻井喬さんと、予告されている。


  ところでこの本は、ひさしぶりに目的なく本屋さんを訪ねゆっくりと本棚を眺めていて気付いた。新しい作者とか作品は、なぜかそういう無心の時に見つかる。それは友人から教えられたり、批評を読んで知るより、はるかにうれしい。
それこそが「本屋の旅」の楽しさだと思う。
ということは、i-padなどの電子化はとても魅力的だが、それが一般的になれば、こういう「本屋さんを巡る幸せ」がなくなるのではないかと思ったりする。

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本の旅

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  もうずいぶん前に読んだもの(発行は09年9月)ですが、旅の合間の今回、紹介することにします。加藤仁さんは1947年生まれのノンフィクション作家、これまでに「城山三郎伝 筆に限りなし」「定年後」「定年後の8万時間」など、定年後のサラリーマンを取材して作品を多く出されている。取材した定年退職者はこの30年で3千人以上になるが、その中の何人かに一人が胸おどる旅をしていることに気付いて、あらためてまとめたものが本書ということで、ご自身の例も入っている。
  それらは旅という常識を裏切るようなものも含まれる幅の広いものだ。定年後どうしようかと迷っている方にもヒントになるに違いない。以下の配列、カッコで表示した5章で並んでいる。
  「地域発見!日帰りの旅」散歩から始まった小さな旅が、広がっていく数々。旅は少年の冒険そのものであるようだ。「夫婦で行く旅」その成功例と失敗例。国内キャンピングカーのも、海外レンタカーもある。「男も女もひとり旅」なるほどと思う例がいろいろ。こちらの旅もそのひとつに過ぎないのだが、それでも人によってなぜこうも違うのだろうと思う。「私家版 街道をゆく」東海道、奥の細道、熊野古道、巡礼の旅。確かに私たちは、道が大好きなのだ。「ライフワークとしての大旅行」趣味から研究、執念も、旅とは何だろうと考えさせてくれる。
  中にネットの紹介があって、読みながらそこにアクセスしてみようと思ったが、まだ果たしていない。旅とは、自分の旅こそ人にすすめるにふさわしいすばらしい旅だと思っているが、そう思うようになればなるほど特殊なもの、他人には真似するなんてとんでもないと思われるものになっていくのかもしれない。
  とはいえあとがきで書かれているように、『職場からも子育てからも開き放たれ、たっぷりの時間と自由な発想を反映させて、独創的なわが旅をやってのける。それこそ定年退職者の特権である。この特権を行使することによって、それぞれの人生も、よき方向に変化していくことを、みなさんが証明してくれたのである。この特権を眠らせておくのは、もったいなくもある』こちらのブログの意図とまるで同じなのがうれしかった。

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