旅をしている人
田原 晋

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瀬戸内の旅

  このブログを本名でやっていたために、30年前の友人が気付いてくれてメイルをやりとりするようになった。なんと瀬戸内の島に住んでいる、そこが故郷であるということも知らなかったが、ちょっと羨ましいではないか。しかも数年前の「しまなみ海道、ママチャリ走破の旅」で1泊した大三島の対岸にあるとのこと、これは機会があれば訪ねてみようと思った。こちらの郷里が山口で、その高校の同期会があったので、帰りに立ち寄ることにした。

  広島からバス、芸陽交通・かぐや姫で竹原のフェリー乗り場まで1時間半。フェリーに乗ると30分で到着する。近づく船にカメラを向けていると、初めてですかと尋ねられた。観光客もそんなに訪れないようで、目立ってしまったようだ。
  ともかく別世界、というよりこちらのよく知っているというか育った昭和の日本がそこにある。友人は仕事を休んで2日もつきあってくれて恐縮したが、車の運転がありがたいので甘えてしまった。会う人ごとに挨拶しているので驚いたが、皆さん顔なじみということだろう。
  島の最高峰から見る風景は、来島海峡(しまなみ海道)のように大きな貨物船が次々に通るような派手さはないが、大小たくさんの島がそれぞれの場所を得て並んでいる様子は、これが瀬戸内だとあらためて教えられる。それは泊まった宿・清風館の窓前にも開けていて、お天気によって見える島の数がまるで変わってしまうし、島の裾がかすむ風景は日本画そのものだ。また、この宿には塩の味がする温泉まであって露天風呂もまた海に面している。
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翌日、大望月(おおもちづき)邸へ行く、隆盛を誇った廻船問屋の自邸。明治8年(1875年)の建物だがとてもセンスがいい。屋根のむくみが気持ちいい。また修復もきちんとされていて腕のいい大工さんや庭師さんがいたのだと、そのことにとても感心した。庭や茶室をふくめて温暖でのびやかな瀬戸内の良さをあらためて感じた。海と島の歴史館として公開されている。それから反対側の木江地区には荒れてはいるが古い街並みが残っていて、3階建ての民家が並ぶのは海に面した土地ならではのもので、これは大変に珍しい。小さな遊郭があったそうで、モルタル造りのカフェ跡があったりしてうれしい。
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  さらに隣の生野島に山頭火が何度も来たそうで、あちこちに彼の句碑が作られていて、それを見るのも楽しい。彼の句はここの風土ならではのもののように思えてくる。東野地区のお寺には、彼の句を描いた襖絵まであって微笑ませてくれる。
  有機栽培の農園で時間をつぶして、フェリーで竹原に渡る。
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ここはまた塩と酒で栄えた江戸後期の街並みが保存されている。ここでも修復の大工さんのセンスが良くて、落ち着いた街並みが変な味付けをしないで残されている。これは大変に珍しいことなのだと、強調しておきたい。通りの外れの高台に日蓮宗の寺があって、鐘楼を兼ねた門や本堂も気持ちよく、街並みの眺めもいい。また、一見不釣り合いな木造モルタルの「街並み保存センター」の建物も、昭和の良さが感じられて悪くない。

  以上の小さなほとんど観光地化されていない2つの場所、有名ではないが、民家好きにはとてもうれしい。各地に街並みの保存地区は多いが、これほど修復が丁寧にまとまり良く、またセンスのいい場所はないように思う。(世界遺産など有名な場所で、見るも無残な修復が行われている所がほんとうに多い)
駅前でコーヒーを飲んで、友人に感謝して、列車に乗った。呉線の終点・三原で山陽線に乗り換え車窓から尾道を見て、福山から新幹線に乗って帰った。

*建築家の澤さんより、「屋根のむくみ」とあるのは「むくり(起り)」の間違いだと、指摘を受けました。ありがとうございます。その逆は「てり、そり(反り)」と言うとのことです。

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東京の旅

  東京へ行って来ました、で思わぬ観光案内。いえ泊まったホテルが目黒駅の近くだったので、久しぶりに庭園美術館でも寄るかと思ったが開園前、隣の9時から開く自然教育園に入ってみた。ただの時間つぶしのつもりだったが、これが思わぬ大発見。うっそうとした森にすっかりうれしくなりました、高松藩の下屋敷だった場所で、そんなに広くはないが武蔵野の自然のまま保存されている。
  なるべく手を入れないでおこうという姿勢がうれしい。下草を刈らないでおくと松林の下から育った落葉樹が大きくなって、今はその下に常緑樹が育っていて、森の輪廻がうかがえるとのこと。2~300年の巨樹がある一方で、平賀源内が高松から運び牧野富太郎が発見したという絶滅危惧種の野草・トラノオスズカケが50年ぶりに開花したとの看板もある。またこのところの温暖化で、棕櫚(しゅろ)の新芽が冬を越すことができるようになって増加しているが、どうなるか見ているところだとある。
  ともかく自然を百年単位のスパンで眺めている、その視点にすっかり感心してしまった。国立科学博物館付属の施設でその名前は好きではないが、こういう場所があることはほんとうにうれしいことだ。教室みたいにベンチが並んだ場所も随所にあって、高いこずえをぼぅと見上げることもできる。
  ところで最初はほとんどいなかった訪問者が、10時半を過ぎるとびっくりするほど多くなった。そしてちょっと驚いたのは、すれ違う人にお早うございますと声をかけたら、無視する人がほとんどだ。東京の街路を歩いていた人が、そのまま入ってくるのだから、それが当然のことだろうが、1時間以上もいたこちらには違和感がある。声が返って来たのは、いかにもおのぼりさん風のグループ、そして小さな子とお母さん。とくに子どもはじいじじいじと話しかけてくれて、ありがたかった。
  11時、沢山の人が集まっている門を後にした。そして隣の庭園美術館の食堂、なんとまだ誰もいないテラスでお茶にしたのであります。コーヒーがお盆にお碗、砂糖代わりに干菓子という装いで出てきて、これもうれしくなってしまいます。

  ということで以上、東京の観光は時間を入れるべきだと思いますのでまとめますと、午前9時から9時半に自然教育園に入って、ゆっくりと過ごす。人が多くなってくる11時には外に出て、庭園美術館のテラス食堂でお茶にするか早い昼食にする。これがおすすめです。

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しまなみ海道/0906

7月終わりからの中国への旅の予行練習を兼ねて、梅雨の晴れ間をねらって自転車で走り抜ける「しまなみ海道」へ行って来ました。そのご報告。
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3つ目の本州四国架橋で、交通量があまり見込めないと自転車や歩行者が渡れるように「大規模自転車道」が設置されています。確かにそのために自動車だけでは考えなくてよかった結構な工事が加えられ、途中の一般道にはガードレールの外側にやや幅の広い歩道いう感じのサイクリング道路が設置されていて、ほとんど人に会わない道をひとり占めして走りました。海岸の平坦な道が多いのですが、時には小さな峠があってひっこらひっこら、途中で自転車を押して歩いたりもしました。でもその向こうには必ず下りがあって、それは風を受けてとても気持ちいい一瞬を味わうこともできました。
自転車の貸し出しのシステムは完備していて、保証金は帰ってきませんが別ターミナルでの乗り捨て可能です。ただし、こちらが借りるつもりだった原動機つきは電気が持たないからと貸してくれませんでした。

6月24日(木)
 朝5時半目覚まし、6時10分出発。新神戸7時3分発のレールスター、7時54分福山着、在来線で尾道8時40分着。駅前でママチャリを借りて(レンタル料保証金通行料などで2,250円)地図などをもらって9時出発。電動の自転車を借りるつもりだったけれど、島へ行くのはだめだと貸してくれない。ならばサイクリング用を借りればいいのに、なぜか安全な感じがしてママチャリを選んでしまう、それでも3段階の変速機能あり。前かごにリュックを入れて(少しフラフラしながら、なんとかなるだろうと)出発。まず向かいの向島までフェリー10分70円。朝食は新神戸で買ったサンドイッチとお茶で済ましたからいいけど、コーヒーを飲んでいないのが心残りだが、向島にはもうそんな店はない。
 しばらくサクバツサツバツとした道を走って(海岸は造船などの工場に占拠されているみたい)10時海岸に出たところの小公園で半パンとTシャツに着替え(長袖をぬいだ大失敗に後で気付くことになる)。快晴浜風緑は濃く海は青い、すっかりゴキゲンでルンルン。11時最初の橋を渡って(通行料は50円、最初に買ったチケットの1枚を箱に入れる)次の因島へ、ここは2階建てで自転車歩行者は階下だったが、以後はすべて自動車と同じフロアーだった。
 因島はもっと工場が多い、海岸を外れて小川で蛇を見つけたりしながら行く。自動車道に出たところにコンビニなどの店がありレストランがあったので11時半少し早いが昼食にする。定食はクリームコロッケで630円(コロッケはおいしかったが、ソースは食卓のビン入りをかけるらしくちょっと驚きました)、サイフォンでコーヒーを入れているのが大変においしそうで頼むがこれはまずかった。このあたりで働く人たちのお昼の場所で、みるまに満員になり、早々に店を出る。
 次の橋への坂道で追い抜いて行った2人が橋の向こうで待っていて写真を撮り撮ってもらう。
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岡山から走って来た学生さんで今日中に帰ると言う、さすが若さスゴイ。こちらはエッチラオッチラ、3つ目の生口島。13時半海岸沿いの道でジェラート屋さんを見つける、種類がいろいろ本格的にあって感動。こちらは島のみかんとバニラを注文したが、塩味というのもあってちょっと魅力的。ここでも若い青年が笑顔で追い抜いて行った、彼はこちらと同じレンタサイクル組。それにしても腕から手の甲そして膝頭が真っ赤に日焼け、わずか3時間半のことなのに。もう効果ないけれど長袖を取り出す。
 そろそろ疲れて耕三寺に平山郁夫美術館の観光スポットはパス、14時半白砂の海水浴場サンセットビーチでコーヒー。ともかく次の島まで行くことに、15時半やっと多々羅大橋。たもとにある大三島の案内所で宿のリストをもらい、まずは町の温泉会館(300円)日焼けにお湯がしみる。落ち着いたところで宿探し、だが民宿の窓はみな閉まっていてその空気のこもった部屋に入る気になれず、結局唯一の大きな旅館富士見園へ17時。飛び込み客に慣れているようだ、広い部屋はまずまず8000円で手を打つ。汐の湯とのことでまた入浴。夕食は18時半、刺身・はもの湯引・さざえなど食べきれないほどを出してくれる。さすがに疲れている、よく来たものだ。
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6月25日(金)
 6時、村の有線放送で目を覚め。6時半散歩に、昨日渡った橋を遠くに望む海岸から山の方へ、7時半朝食。客は昨日も会った仕事の男性と、若いカップルの計3組。8時半出発。最初の橋は9時過ぎ、伯方島はすぐに終わってまた橋10時。最後の大島、漁港近くに喫茶店がありコーヒー、民宿もやっているという女主人としばらく話をする。すぐ先の観光案内所で亀老山展望公園への道を聞く。自転車は無理、歩いて行く人もいないとのこと、ともかくトライすると言って別れる10時半。
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 亀老山展望台、隈研吾さんの1994年の作品。彼はその後たくさんの作品が注目されて、今や世界的な建築家であり東大教授にもなったのだが、そのような紹介はどんな「しまなみ海道の観光案内書」にもまだない。せっかくの機会だから、彼の代表作(原点と言ってよい作品だと思う)をぜひ見たいと思ったのだが、みなさんそこからの眺めのすばらしさは言うが、その建築については意識がない。それこそが彼の狙いだったと、当然の結果に納得するが、行く方にとっては困ったことだ。
 道は島を縦断する山間部に入る、仕方がないが坂道はしんどい。1時間行ったコンビニで聞くとまだまだ先、12時ようやく「亀老山展望公園」の標識のある交差点。
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あの山の頂上か、歩けなくはないが片道1時間以上をカクゴしなければならないと、今日の予定を考える。行くかあきらめるか、迷ったあげくダメもとで聞いてみようと、出てきたお店の人に「タクシーありませんか?」なんと「ありますよ、呼びましょうか、5分で来ますよ」。やって来た車を見て、すっかり納得した。軽の介護タクシーだ。そうだ高齢者の送迎があるのだ、橋を渡って今治の病院へ行く人だってあるのだろう。それを思いつかなかったこちらのアホさ加減を思い知る。ともかく救う神ありだ、運転してきた白髪グレイに染めた若々しい制服姿の運転手さんに親しみを感じる。タクシーは50年前からやっているとのことだが、時代の変化が生き延びさせているのは間違いない。ともかく5kmの山道、歩くのもしんどかったとうれしくなる。
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・隈研吾「自然な建築」(岩波新書)より
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 亀老山展望公園は15年たって緑が濃くなり隈さんの思い通りの姿になっている。山頂にスリットが入れられ、そこにある階段を上って展望台に出る。展望台はあるが、それを支える構造物はすべて地中に隠されている。かって、平坦な山頂に展望台が建造され、それが見ないように土がかけられ緑が植えられたことは、もうわからない。特に、後で橋の上から眺めたが、そこにある展望台を確認することすらできない、ただ山が見えるだけだった。こうして、今回の旅のもうひとつの目的はあっけなく1時間で達成された。往復2300円也。すっかりご機嫌になって海岸橋のたもとの道の駅で昼食、カレーライスさらにソフトクリーム。

 さて最後の来島海峡大橋、ゆっくりと渡って、15時今治市サイクリングターミナル「サンライズ糸山」に無事到着したのであります。めでたし、めでたし。それにしても疲れました。

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屋久島への旅0711

1. 屋久杉の森

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 3,000年いや7,200年という説もあるらしい縄文杉を見に行ったのだが、同時に10年いや生まれたばかりの杉もそこにはあった。自然を見るのだから当然のことだがそれは常に生まれ変わっている。その生きているさまや再生していく状況を見ることができる。世界自然遺産ではあるが、遺産ではなく存続している状態、ヤクスギランドでも自然館でも環境文化村センターでもそれは当然のように解説され展示されている。でも、これは屋久島ならではの相当に稀有なことなのではなかろうか。
 江戸時代のあのような伐採、切り株や倒木をそのまま放置した森は亜熱帯で雨の多いこの島でなかったら、荒れ果ててレバノンや黄河流域のようになっていたに違いない。しかしここでは倒木や切り株には緑の苔が生えてアニメのように美しいし、それが栄養たっぷりの苗床になって2代目3代目の樹木を生育させている。木を切ったことはなんらとがめられることなく、自然の変化と同じように認められ、つつがない歴史として続いている。そこには人間が生まれて死んでいくのとまるで同じように考えられ、何の疑問もそこにはないようだ。屋久島の人と同じように、観光に来た人も同じ感想を持ち帰っていく。

 マレーシア、クアラルンプールの郊外に植民地時代にイギリスが作った植物園がある。地上から10~20mの高さに空中通路があって熱帯雨林を上から見ることができるのだが、そこで次のような説明をされた。「前後で森の高さが違うでしょう。人間が一度でも手を加えた森は、原生林に比べて7割の高さにしか回復しません。そこで成長が止まってしまいます。だから原生林に手を加えてはいけないのです。」その時は大変に納得をしたのだが、屋久島を見た今は少し見方が変わっている。原生林だって自然倒木はあるだろうから、常に再生している筈だ。だとすれば、それは伐採の量と頻度の問題だろう。その許容量を越えた森は、以前よりやせ、また限界点を越えると枯れ果てて荒地になるだろう。
 屋久島の森が、江戸時代伐採を始めた時と比較して、低く弱々しいものになっているか、あるいは変わらない太古の昔からの状況にあるのか、私たちはもっと慎重になっていいのかもしれない。いや屋久島の外では、すでに自然を日常的に観察しなければならない時代を迎えてしまっている。屋久島も、それと無縁ではないのだから、その特別な立場を認識した上で先輩としての育成や再生の方法を語ることが求められている。
と、旅行者はいい加減に思いつくのだが、ほとんどの場合現実はすでに動いているものだ~。


2. 生命の島とひげ長老

 空港の近くで珈琲・樹林という看板を見つけて、大きなテーブルに一人すわって朝のコーヒーを注文した。先客は2名カウンター席でコーヒーを飲んでいたが、気がつくと壁一面に雑誌が飾られている。季刊誌「生命の島」、もう80号を重ねている。創刊は1986年だからもう20年続いている。どうやらここが編集室になっているようだ。観光客目当てのタウン誌ではなく島に住む人への内容だが、島の外の人間からこの星にまで意識がくばられた総合誌になっている。
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 例えば80号では、町村合併で生まれた屋久島町について、その初代町長候補予定者のマニフェストが特集。連載に「やくしまの食」や「民族行事」の紹介がある。同時に島在住の登山家による「カラコルム氷河の旅の報告」や長年つづいている「フィールドワーク講座の報告」森林伐採と暮らしについての報告とそれに参加した学生たちの感想がある。バックナンバーにも文献資料になるものが多くあって、その総目次が紹介されている。このような雑誌があって、しかも続いているのはちょっと信じられないことだ。
 どうやらこの島には多くの科学者や技術者が訪れていて住んでいる人との交流があるようだし、若いガイドは県外の人が多いと言う。高齢化時代を向かえて移住する人も少なくないようだ。常に外からの出入りがある社会は、ふところが深い。この島は自然や人と同じように、思考もまた常に若返り再生しているようだ。民宿のご主人も外からの移住者に一家言持っていて(都会の住まいをおいたまま単身で来る人は、何も知らないのにすぐに仕切りたがる人が多い)、それは定年退職者にこちらが感じることと共通していて楽しかった。

 以上に結び付けるには強引過ぎるかもしれないが、ヤクスギランドの奥に大きな杉が見つかり名前をつけることになり、1,000を越える応募の中から小学1年の少女がつけた名が選ばれた。根元に生えた植物からヒントを得て「ひげ長老」という。これまでの名前、縄文杉・仁王杉・夫婦杉などと比べると、なんと新しくみずみずしいことか。ネーミングにはもちろん、それを選んだセンスにも感心した。この島にはこのような新しい芽を生み出し育てる知性があるのだ。
もう一度訪ねることがあれば、樹林の自家製のケーキをぜひ賞味したいものだ。ただしこの島の水を飲み続ける(人とことば 便秘の島 山本晃司)つもりはまだない。

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屋久島への旅0711

0-1.旅の前に いつか屋久島に行ってみたいと言うと、急いだ方がいいと友人が言う。縄文杉を見る山登りは往復10時間かかるから年齢を考えると早晩行けなくなるという、すでにダメかもしれないがともかく行くことにする。観光協会にメールすると月末までが観光シーズンという、ともかくチケットをおさえる。帰りは行ってから決めればいいだろう。
0-2.ということで観光協会のホームページを見て、宿泊先を探す。そして以下のメールのやり取り。
*つわんこ さま 
26日月曜・午後13時30分空港到着の便にて、そちらに参ります。当日(ないしはもう1,2泊)泊りたいと思いますが、だいじょうぶでしょうか? ・70代のじじい一人です。 ・翌日できたら、縄文杉にトライしたいと思っています。(自信はなくて、途中であきらめるかもしれませんが、ともかく) ・その他やくすぎランドなど、初めての屋久島をゆっくりとまわりたいと思っています。 ・観光協会の案内、いろいろ見ましたが、やはりお宅だろうと、メールをしました。だめならば、なるべく早くご返事ください。
*田原様  Sent: Thursday, November 22, 2007 11:57 AM
こんにちわ 数ある屋久島の宿の中より癒しの館『つわんこ』をお選び頂き有り難うございます。
  >観光協会の案内、いろいろ見ましたが、やはりお宅だろうと、メールをしました。
嬉しい お言葉を見て 思わずにっこり(^^)いたしました。明日からは、満室になっておりますが・・26日からは、部屋は、いくらでも空いておりますので 大丈夫です。ご予約承りました。 有り難うございます。m(_ _)m お食事は、いかが致しましょう?2食付きと言うことで宜しいでしょうか?空港までは、お迎えに行けませんが・・バスでいらしたら 「牧野」で降りていただいて お電話頂ければバス停まで迎えに行きます。では・・・お会いできることをお待ちしています。
・民 宿 : 癒しの館『つわんこ』 代表者:満園 茂(ちょんまげさん) 女 将:満園 啓子
*つわんこ 満園茂 さま
早速にご返事いただいて恐縮です。はい、食事つきでお願いします。着いてからのことですが、山登りのガイドさんなどご紹介ください。では、お目にかかるのを楽しみに。田原

1.11月26日(月) 
  JEX2405便 大阪伊丹10:00→鹿児島11:15   JAC3747便 鹿児島12:55→屋久島13:30着
                 *運賃 シルバー割引/18,450円+9,550円 合計 28,000 円 
 大阪空港から出発、国内航空は久しぶり。チケットをネットで取ったのだが、25%引きのシルバー割引なるものがあることを知る。鹿児島空港で昼食・黒豚サンドに紅茶、屋久島便は水平飛行10分で到着。桜島が火口までよく見えた。他の乗客は迎えのバスやタクシーで消え、気付くとこちら一人がバス停に残る。観光案内所で地図などをもらうが、1時間半ほとんどをベンチで過ごす。これもまた愉快だ。
 民宿は庭の離れが客室で3室、思ったよりきれい。時間があるので、近くの町立屋久杉自然館へ送ってもらう。屋久杉博物館、巨大な切り株、縄文杉のビデオなど。売店食堂で甘酒をもらう、店番は脱サラの関東の人、そんな感じがしたので尋ねてみた、夫婦で引っ越したとのこと。帰りのバスは縄文杉ハイクからの人ばかり、達成感にあふれた上機嫌の顔だった。同宿は柳川からの女性ひとり旅のCさん、登山が趣味の本格派、明日ご一緒することになった。風呂は露天、朝自宅にいたとは信じられない別世界にいる。10時消灯。
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2.11月27日(火)縄文杉ハイク
 朝4時に起こされお弁当を2つとヘッドランプを渡され、バス停(昨日の自然館前)まで送ってもらい5時のバスに乗る。残念ながら雨模様だが満席。途中からさらに小さなバス2台に乗り換えて登山口まで。5時45分に出発、ここに夕方5時に帰ってこないとバスがなくなるとのこと、暗い中を出発させるとはうまいやり方だと感心する。若い人がほとんどだが、年配のグループもいてちょっと安心する。
 道はトロッコの軌道、ヘッドランプのあかりを頼りにうつむき加減に枕木と土とを確認しながら歩く。鉄橋、谷は深そうだが暗くて見えないので助かる。廃校になった小学校跡を過ぎる頃にようやく明るくなる。レールも中央に板が敷かれて少し歩きやすくなる。グループの先に出るが、前の若者が見えなくなりCさんにも先行してもらって、周囲に誰もいなくなる。歩いても歩いても同じような景色、間違いはないとは思うが不安になるほどだ。大きなヒキガエルに出会い写真を撮る、何年ぶりだろう。
 3時間近くたってやっとトロッコ道の終点、先に行ったCさんが待っていてここでお弁当を使ったとのこと、こちらも雨の少ない木陰にすわって朝食にする、30分休憩して9時出発。ここからは急な山道。何時の間にか周囲は沢山の人、若者のグループにはすぐに離されるが、別の人が続いてお互いに声を掛け合って登る。若者の一人が意外に多く一緒に休んだりちょっと話したりする。材木の階段が付いていたり、道をふさぐ倒木をL型に切り取って踏み板にしてあったりと、ずいぶん整備されている。でも雨やしずくは何時も落ちてきて、こちらのコートはすっかり水を吸って背中が冷たい。休むと余計に寒いし、濡れた場所に座り込む気にもならなくて、結局先を急いでしまう。カメラを取り出す回数もめっきり少ない、それでも鹿と猿に出会う。お天気ならもっとゆっくりしたのだろうが、それが幸いしたのかウイリアム株、大王杉夫婦杉と続いて、途中であきらめる気にはならなかった。やがて先行組が降りてくる、Cさんにもう一息と言われてがんばる。
そしてあっけなく縄文杉の目の前に出る。11時、運悪く降りは一段と強い。ゆっくりと眺める気分にならない。触れることはできないし、見るには遠い、撮るにはアングルが低すぎる。杉と心を通わせるなんて、とても不可能だ。若い人の写真を撮ってあげ、こちらも撮ってもらう、真似をしてやぁと手をあげてみるがどうも落ち着かない。しばらく歓声をあげる皆さんを見たり杉を眺めたりしたが、することもなくなって下りることにする。もう来ることはないと思いながら、結局10分くらいしかいることができなかった。結局こちらの縄文杉についての思いは、目の前ではなくその前や後で考えたことばかりになってしまった。
ゆっくりと思うのだが、それでも下りは早い。大株の中に入り込んだり、案内のあった散歩道に寄ったりしたが、雨はやはり道を急がせる。何より、よくもまぁこんな道を登ったものだと自分に感心する。濡れた木の階段は何度か足をすべらせヒヤリとする。後でガイドもする宿のご主人が、事故の90%以上は下りで起こるのだと言われる、無事に降りれたのはラッキーだったのだろう。唯一屋根のある学校跡の休憩所で、濡れたシャツを換え用意の食べ物を取り出すが、若いカップルに追い立てられるような気分になってしまう。バス停到着は14時20分、上りより1時間も早い。バスもすぐに出発、宿に着いたのは16時半、Cさんとは1時間違い、9時間40分・33,000歩の行程だった。
コーヒーが出てきて感激する、お湯をもらって用意のそれをたてようと思っていたのだ。入浴、食事、持参のシップをはりまくって、寝る。
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11月28日(水)ヤクシマランドと仁王杉
 柳川のCさんが8時出発、写真を撮りあって見送る。お連れ合いは何時ものように家で留守番とか、やはり自分のお金がある有職ならではの自由なのだろう。こちらはゆっくりと朝食、部屋でノート、昨夜用意してもらった軽のレンタカー(2日で1万円)で出発。雨模様、この天気がここでは普通のようだ。
 ヤクシマランド、遊歩道のついた自然観察森。ここをゆっくり歩こうという魂胆、30分から150分コースまでありもちろん後者、周囲は誰もいなくてすぐに深山幽谷。それにしても、昨日といいここといい切り株や倒木だらけ、あちこち伐採しまくった乱暴狼藉の跡だ。江戸時代、屋根板を取るために幹のまっすぐな部分だけ取り後はそのままにしたとのこと、普通なら荒地になった筈だ。それが高温多雨のおかげで、苔がおおい新しい木が育って緑豊かな島になっている。私たちはうっそうとした森と言うより若木も多い再生の状況を眺めている。頂上の東屋で休んでいると茨城からの母娘が若い女性のガイドさんとやってくる。さらに川沿いでも休む、ここでは一人でゆっくりする。出入り口付近は結構な人、けっきょく3時間近く過ごした。
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 そこからさらに奥の紀元杉へ、3000年という肌に触れる。写真を撮っていたら沖縄の青年がやって来る、着いてともかくやって来たと言う、そういう思い入れを呼ぶ場所なのだとうれしくなる。
 宿に帰って、まだ時間があると温泉へ行く、尾之間温泉200円。夕刻お年寄りが多い、皆さん挨拶をしている。平屋だが、浴場は半地下になっていて天井が高く気持ちいい。湯船はコンクリートだが底は丸いごろごろ石、木造の屋根裏、おそらく屋久杉の壁板がうれしい。熱いお湯で、長くは浸かってはおれなかった。
夕食はまたまた食べきれないほどの用意、それが意図されているようだ。

11月29日(木)屋久島ぐるり
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 宿の支払いを済まして、出発。まず空港近くで見つけた喫茶店でコーヒー、客は2人コーヒーを飲んでいた。品のある女主人(これは後述)。いちばんの集落、宮之浦でスーパーがあったので入ってみる、結局ここでの買い物が唯一のお土産になった。店の後ろの海岸に行って、しばらく波を見る。環境文化村センター(博物館だが、呼称がなんとも変だ)で呼び物の大型スクリーンを見る。実物以上に縄文杉をきちんと見たような気になる、おもろいものだ。もう午後1時、食堂がないまま走って、海がめの海岸に出る、カップルがいて写真を撮りあう。ガソリンを補給、隣の店でパンなど購入、教えてもらったレストランはなんと休み。そのまま西側に入ってしまい、灯台そして林道、鹿と猿に出会う。ガジュマルの樹のある集落。
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そして海中温泉、岩場で衣服をぬいで入る100円。客は多く、土地の人と観光客が半々、女性もいる。ここはぬるめで長時間いれる。なんと民宿のご主人もいる、どうやらこちらを待っていたようだ。
気がつくともう時間がない。信号で2台をぬく猛スピード運転。空港前の給油所にいると、後から来た車に叱られてしまった。車は言われたとおりカギをかけずに駐車場に乗り捨て、カウンターへ飛び込む。チケットを買うと同時にもう搭乗というあわただしさ。やはり、この行程はこちらには無理であったようだ。
明日も同じような雨模様の天気だし、3時間足らずで1周できると言われて、遅い到着の神戸便に乗れるのも魅力だと、ついその気になったのだが、当初は確かもう1泊する筈だったのだ。
 JEX2405便 屋久島10:00→鹿児島11:15   JAC3747便 鹿児島12:55→神戸13:30着
団体客もいてほぼ満席の神戸便、神戸のあかりが見える。モノレールで三宮、夕食の弁当を買って帰る。最後はなんとももの悲しい終わり方でございました。

[費用]
・ 航空機 片道28,000円、往復56,000円
・ 宿泊  (1泊2食付で8,000円)25,100円
・ レンタカー軽48時間(保険込み)10,800円 ガソリン代 1,764+952 小計 2,716円 合計94,616円
・ その他、入場料・食事・喫茶など                  約10万円     以上

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