旅をしている人
田原 晋

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地中海 の記事一覧

旅遊びの合間

シシリー、チュニジアの旅から帰って、いまそれをまとめているところですが、最近のこの国のことについてどうしても気になることがあるので、それを書かせてください。いえ今日も千葉県知事が保守系の人になっています。

いえ、現在のこの国でいちばん緊急の問題は、子育て(出生率)若者(教育・就職)高齢者(年金・医療)環境(温暖化)への抜本的な対策でしょう。これは現在の国家の仕組みを変えなければ対応できません。現在の省庁を維持したままの縦割りの発想ではどうしようもないところまで、この国はすでに追い込まれています。
これをなんとかしようとしたら、これまでの自民党政権ではどうしようもないことはもうはっきりしています。天下りの器になっている公益?法人ひとつすらつぶすことが不可能なようですし、組織全体を考えることは結局骨抜きにされるばかりです(人事庁の設置すら)。道路財源の見直しも将来への見通しのないまま、うやむやになってしまいました(高速道路の値下げ)。
これはもう民主党政権(これまで政権に関わっていない人たち)にトライしてもらう以外に方策はないと考えていました。そこに小沢さんの問題です。
これに動いたのは、国家の組織であることに、どうしても空恐ろしさを感じてしまいます。政権が変わっていちばん影響をこうむるのは官の組織だからです。しかもそれを言及するのは、憶測に過ぎませんから誰もそれをきちんと論ずることができません。
この問題がおきて以降、自民党の民主党に対する論調はこれをチャンスとばかりに鋭いものになるかと思うと、そうはなりません。じっと民主党自身の対応を見守っているかのようです。下手に動けば、自分たちにも火の粉が飛んでくるのではないか、そんな疑心暗鬼が感じられます。事実、二階大臣に及んでいます。政治献金はすべての政治家が受けていますから、すべての人にわが身に及ばないか見守っているかのようです。それを判断するのは人ではなく組織だから、それがどう対応するのかまるで予測できない、という感じです。
新聞の報道も同じです。何か憶測を話題にすることは不可能とあきらめているかのように、民主党内の紛糾ぶりを伝えるばかりで、この問題が及ぼすことについては論評をひかえています。
ああ、やはりこの国は、いざとなると普通では考えられないことになるのか、あらためてそう思っています。かくして生きている間に、その変革が見られるかもしれないと思ったことは、やはり夢だったようです。すべてにきちんとした判断は先送りしていく、戦争にまで至った時代の発想と、戦後に選んだ政治のあり方の選択とも何ひとつ変わっていないのではないかそう感じています。

たぶんそう言うと、あ、あなた民主党応援だったの、こんなところで政治を話題にするなんて、真面目ねぇ、と思われるだけでしょうが。
そんなことより日本に帰って、公園の樹木や街路樹の元気のなさ、建物の天井の低さ、そのくせすべてが人間までつるつるに磨き上げられていることが、気になっています。
—————————-

  と、以上考えるまでもなく、これ「じじいのボヤキ」ですね。こんなことなかったら良かったのに、と言っているだけ、何の解決にもなっていない。起きたことはもうどうしようもないことだから、その上でどうするか考えるしか仕方がない。
  と思ったら、やはりさっさと辞めて、新しい党首でやり直すしかない、その方が真っ当でしょうね。と今朝の朝日では、立花隆さんがおっしゃってる、やはりその方が前向きですね。

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イタリー(シシリー島)~チュニジア0902~03

  ただ今、無事に元気に帰って来ました。思ったところすべてには行けなかったけれど、一応シシリーからチュニジアに渡り10日ほどはそちらを回って来ましたから、ほぼ予定通りです。帰ってブログを開いてみると、連日ゼロではないし、17日には突然多くの方がアクセスなさり、心配してくださっているのだととてもありがたく思いました。
  なるべく急いで旅行日記をまとめます。今回は土地柄なのか、これまでになく多くの日本人のひとり旅やグループ旅行の方にお目にかかりました。それを自由旅行とひとくくりにすることも知りました。
またチュニジアではもちろんシシリーの田舎でも、アジアの人間は珍しいようで、見かけた人がチノ(支那人)とかジャポンとか大声で叫ばれたり笑顔を投げかけられ、時には触られたりしました。これは親しみというより一種の蔑視もあるのでしょうが、そういう見方をされることは決してマイナスではなく、経済進出にはずいぶんとプラスに働いただろうなと思いました。
  それにしても、マグレブの若い人たちの美しさには惚れ惚れとします。男も女もほんとうに美しいという以上に格好いい。ま、それが中年になると、また信じられないほどに太ってしまう方が少なくないのですが~。あ、そうだイタリアのお年寄りのダンディぶりもまた忘れることができません。ともかくお洒落が見事に板についている。
  また、海の近くでは魚がおいしく安く、パンも野菜も気に入って食事にはほとんど苦労しませんでした。それにフレッシュジュースが安くておいしい。濃いエスプレッソに砂糖を入れてクイッと飲む習慣も、わかるような気になりました。と書くと、いいことづくめですが~。

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イタリー(シシリー島)~チュニジア0902~03

  さて出発が近くなりました。18日。最初の行く先はイタリア半島のつま先の町・レッジョ・ディ・カラーブリアにしました。そこからフェリーでシシリア島に渡る、こうすることで昨年の旅(アドリア海ぐるりとナポリ周辺)とつながる、変なこだわりですが旅ってそういうものだと思うのです。ローマ乗り換えで到着は深夜になるのでタクシーでホテルに直行します。
ホテルはガイド本で調べ、予約フォーマットに従って英文でファックスを入れました。すぐ返事があって、こちらの出したそれにハンコがひとつとサインがあるだけ。OKのつもりだろうとうれしくなりました。たぶん相手は英語が話せないのでしょう。到着して、こちらも英語が話せないことがわかると、きっとホッとなさるに違いない。喋れない同士の連帯感というのがあるのです。あ、楽しい旅になりそうだとうれしくなっています、こういうことも「喋れない旅のだいご味」です。

あ、それから「地中海 第1巻」なんとか読み終えました。600ページ、読みながら次々に忘れていきましたが、それでも続いたのはやはり内容の面白さです。よくもまぁ、こんなに書くことがあるのだと感心しながら、確かに地中海という地域を見る目が少しは変わったなぁと思っています。第2巻以降は、帰ってからのお楽しみということになります。
地中海は中央で2つに分断されている、本の中で最初に指摘のあった場所を今回は旅することになります。アフリカ(マグレブ)がどんなに近いか、それを実感できるのが、いちばんの価値でしょう。出発は18日帰って来るのは3月17日ちょうど4週間の旅です。航空券は変更できないフィックス、たぶん最後の数日は(いつもと同じく)時間をもてあまして帰りたくて仕方がないことになるでしょうが、値段が安いのだから仕方ありません。ということで明日からぼちぼちと荷物つくりです。

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クロアチア~イタリー(アドリア海岸とナポリ周辺)0802

 *友人である民家写真家の小松義夫さんに旅の記録を送ったところ、以下のようなメールをいただいた。あまりに面白いので了解をいただいて掲載することにしました。まずはご覧ください。こういう話が載るようになれば、このブログも相当にユニークだと思いますが、いかが?

オシッコはおもしろいですね。
トイレに1ユーロとか腹がたちます。
私はミネラル・ウォーターの空いたものの首をスイス・アーミーナイフで
切ってビニール袋(買い物の時もらうようなもの)に入れておきます。
写真を撮るふりをしながらそこに用をして、しばらく持ち歩いていると
まるでリンゴジュースを持っている感覚と同じになります。
そこが大事なところで、そのリンゴジュースをもったいない、と思いながら下水に捨てます。
使用後のものはそのままゴミ箱に捨てます。

車で移動中も道端で撮影するフリをしながら首切りペットボトルに用を
して、たまにそのまま道端においておきます。

冬などコートを着ているときは、もう絶対大丈夫です。
ウィーンのオペラ座の前で誰にも気づかれず用を足しました。

旅ではなるべく水分をとったほうがよい、と思いますが、こういう
ゲリラ的方法もアリです。
日本の日常生活でも訓練することをお勧めします。
日本で犬の小便除けとしてペットボトルを並べている家をたまに見かけますが、
日本で訓練したときは、事後のボトルをそういうところに追加で並べておく、というのも
洒落ていると思います。

*以下は、了解の小松さんからのメール、さらに話は深化しています。

  オシッコのこと転載していただけるのなら名誉なことです。
ペットボトル使用は、その量によって自分の健康状態を知れる、
自分の体温をペットボトルを介して客観的に感じられるのも素晴らしいことです。
またそれをしばしぶら下げて歩くことにより人類に対する愛情、というか
自分も人類の一部なんだなあと実感できます。
旅するために準備万端をはかれば赤ちゃん用のパンパース、または老人用オムツなどありますがどこか屈辱的でオシャレ、ダンディーではありませんよね。

*オシッコへの愛着(これは田原)
 こちらが何時も感じてるのは、人間も牛や犬と同じだから野外でオシッコすることに、そんなに拒否感はありません。インドでもベトナムでも、昔の日本でも、それは当然の行為です。私の小さい頃、田舎では女の人も立ったままオシッコをしていて、何度も見た記憶があります。
 でもヨーロッパでは、そのあたりがどうも違う。人っ子ひとりいなくても、ちょっと勇気がいります。人間は動物とは違うのだという意識が、風景の中にも宿っているように感じてしまいます。

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クロアチア~イタリー(アドリア海岸とナポリ周辺)0802

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クロアチア~イタリー(アドリア海岸とナポリ周辺) 旅で思ったこと

カーニバルについて

 この時期のアドリア海岸は各地でカーニバルが行われている。カーニバルは謝肉祭、宗教行事だが楽しむ方へ重点が移っているようだ。よく見かけたのは子どもたちの行進で、幼稚園や小学校の子どもたちが先生に引率されお母さんたちが後ろについて町の繁華街を練り歩いている(スプリット、トロギール、リエカ)。衣服は赤や緑の派手なもので、それに各自が描いた絵をはりつけていて子どもたちはとてもうれしそうだ。それはもっと自由な家庭単位になってドヴロブニクではお姫様や騎士、海賊など子どもたちの希望がかなえられているようで親と出掛ける興奮の様子がはっきりと見てとれた。トリエステでは親までそれに合わせて仮装して、街にくりだして広場で一緒に踊ったりしている。勤めを終えた後から夕食までの時間をこのような団らんに使うのかと、ちょっと感心した。ともかく日頃とはまるで違う者に変身することは、そのことがただうれしいだけでなく日常の自分を他人事と見る目も働くから、いまの日本みたいな社会ではやってみた方がいい。年中行事になれば中年の自殺も馬鹿らしくなって、少しは減少するのではないだろうかなんて思ったりした。
 これが観光地化したのがヴェネツィアのカーニバルで、この時期は毎日行われているようだ。もちろん伝統的な行事もあるのだろうが、観光客や周辺に住む若者にとってはこちらがヴェネツィアのカーニバルだ。土曜の午前そこに向かう列車はすでに仮装した若者でいっぱい、駅前には屋台が並んで、ピエロの帽子やいろんなお面さらには顔に模様を描くお化粧のサービスまであって、観光客も街に入る前からウキウキした気分になってしまう。前回お土産にピエロの帽子やお面を買ったことを思い出しながら今回は何も買わず、ともかく中央のサンマルコ広場へ行くことにする。ボートに乗るにはとても時間がかかりそうなので歩く。路地は人でいっぱい、手書きのサンマルコの標識に沿って行く。間もなく広場というところで、トイレにも行っておきたいし(ヨーロッパでは町中に公衆トイレがない)と食事をすることにした。といってピツァ食堂などはすでに満員、空いている白いテーブルクロスのかかったレストランだけ、仮装に投資しなかった代わりだとフンパツすることにした。英語のメニューでお魚のグリルと野菜のサラダを注文。まず生のそれを見せてくれ、焼きあがったのをワゴンの上でさばいて皿にのせてくれた。おいしい、すっかり満足してデザートまでいただくことにする。合わせて40eur、身体も暖まってご機嫌で広場に向かう。
 広場は人の波、日本の人も多い。皆さんそれぞれに写真を撮っている。こちらもお願いして撮ってもらう。ふと気付くとカメラの砲列を浴びている人たちがいる。それは本格的な中世のかつらにお面と衣装をまとった貴婦人や、肩にインコをとまらせている貴族など、漫然とした笑顔で応えていらっしゃる。それは実際の身分も年令も体型も関係はない、どれだけのお金と時間をかけてその仮装を用意したかだけが問われている。にわか仕立ての観光客など太刀打ちできない。あ、外から見える格好でなくお腹の中に投資したのは大正解であったと、さらにご機嫌になって、引き上げることにしたのであります。その日の夕食は次の町でハムの盛り合わせと豆のスープで20eur、つまり昼食と合わせるとフルコースを賞味したことになった。ちょうどホテル代と同額、カーニバルにふさわしい放蕩の一日だった。


出会った日本の人

今回も数人の忘れられない日本の人に出会った。先ずモスタルへ向かうバスに乗り合わせたSさん、イタリアから渡って来たとのことで1年にわたる旅の最後をドブロブニク、モスタル、サラエボ、ベオグラードというユーゴ内戦の場所を巡って、最後にアウシュビッツへ行くと言う。若い彼がなぜそう思ったのかを聞く時間はなかったが、何よりそう発想してそれを実行していることがうれしかった。いえですね、バックパッカーのほとんどは特に目的はなくお互いの情報を交換して移動するから結果として同じ宿に泊まり同じコースをたどっている、そのコースを外れると日本人にはまず会うことがない。同じような顔に会ったら、まず韓国そして中国の人だ、ナポリの安カフェを出るときアンニョンヒ~と声をかけられた、韓国人と思われたのだ。バス停に着くと彼は民宿を案内する何人かにつかまったし、こちらは日帰りのバスの時刻を調べに急いだので、そのまま別れてしまったが旅の成果をぜひ聞きたいものだ。ただ若い人はみんなそうだが彼も、このような旅は二度とできないと考えている、そうかもしれない、でもなんとか時間をつくってまた旅をして欲しいと強く願う。就職は生きていくための手段に過ぎない、お金を貯めて休みを取ってぜひまた旅に出て欲しい。時間がないからツアーですとかリゾートで休みを過ごすとかだけでは、あまりにさびしい。また旅に出るために仕事を辞めましたというのも、違う。こちらのように老後はきっと来るのだから、その時出掛けたいと思う気持ちとそれを実行できるお金がちゃんと用意されている人生にして欲しい、でなければ生きていく意味がないではないか。言ってもわからないだろうが、こちらが願っていた世の中とはあまりに違った現在にますますなっている。
もう一人は帰りの同じ便に乗って神戸に向かうバスで一緒になった30代の女性、なんと高校卒業と同時にブラジルに渡って大学を出て、今はドイツで高校の先生をしていると言う。たぶん最後になるだろうガンのお父上を見舞うための帰国。これまでの人生、これから先どうなると考えているのか、聞きたいことは山のようにあったが、バスはあっけなく到着してしまった。決して多くはないが、でもそのような若い人が現実にいるということはやはりうれしい。神戸に生まれたことをうれしく思っている、日本人であることを誇りに思っていると断言した彼女の生き方を、ただ拍手したいと思った。
最後にポンペイの食堂で素敵な高齢のご夫婦を見かけた。テーブルできちんと食事をされていて、なぜか日本の方とすぐわかる。なんと翌日考古学博物館でまたばったり、ローマの予定まで同じだった。名刺をいただいて著作でお名前を存じ上げている教授ご夫妻であることを知って驚いたのだが、ちょっと残念な気もした。いえ専門家ではないごく普通の定年退職の方がそのようなコースをたどられていたら、どんなにうれしいだろうと思ったのだ。


オシッコオシッコ

 今回もオシッコで苦労した。行きたいと思うとすぐに我慢ができなくなってしまう。何度かトイレに入ると同時にもらしてしまったりした。幸いヨーロッパは男性トイレも個室になっているのが多いので、下着を手当てすることができたのだが、これが理由で旅ができなくなるのはあまりに悲しい。今だから爆笑は、ドブロヴニクをぐるりと取り巻いている城壁の上、ここだけの話だがついにそのカドっこの隅で我慢ができなかった。青空の下、液体は力なくちょろちょろと流れ、誰もいなかったけれど。もし女の方だったらどうしようもなかったでしょうね。その後ちょうど反対側にトイレがあったのだけど、そこまではまず持たなかった。このどうしようもない事態、帰ってからもしばらく続いたが少しずつトラブルは減ってきた。理由を考えてみると2つばかり思いつく。まずコーヒーやお茶の飲み過ぎ、紅茶とほうじ茶のパックを持参してほとんど毎晩ポットいっぱいのお湯をもらってそれを飲んでいた。またカフェで休むのが目的のような旅だから、そちらも何時もの倍ぐらいになっていた。さらに年寄りは水分補給だとペットボトルも手放さなかった。それに季節は冬、肌から水分が蒸発していくこともはるかに少なくそれもまたトイレの回数を引き上げたに違いない。
 ただそのように苦労したから感じたのが、わが日本のトイレの事情、なんと完備かつ清潔に保たれていることか。お尻の水洗いもすっかり普通になっているが、海外ではそんな製品があることさえ知られていない。何より、日本では人の集まる場所ではトイレが用意されているのが普通だ。その用意がなければ、使うほうは文句を言って当然と思っている。でもこれはまるで反対だ。トイレは有料で使うもの、20円から2eurつまり320円まで、徴収をする人が常時入り口で頑張っている。でもその場所も少ないから、街中で困ったらカフェに飛び込むことになる、カフェはその役目も持っているのだ。子連れのお母さんなどは用をすますとさっさと出て行くが、こちらはやはりお茶を飲むことになる。
 いずれにしろ生活の仕方というか水分の補給の方法が、トイレに行く回数を決めている。私たちは循環をよしとする民族なのだろう。バスのトイレ休憩の時間もずいぶん長かった、こんなに停車しないのは車内にトイレがあるためではと探し回ったが無かった。このアジア人何をしてるのだと思っただろうな、いずれにしろ我慢ができないことは困ったものだ。
帰ってからしばらくして「ためしてガッテン」という番組でそれを取り上げていたから、同病の人は多いようだ。お医者さんで薬ももらったけれど、副作用もあるようなのでまだ飲んでいない。でも、この国の日常生活では、そんなに苦労しなくていいようにできている。

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